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第36話


「はじめはサーシャが姉ちゃんかと思ったんですよ」


 なんだか前世の高槻レンのような口ぶりが残ったまま、アレク様が頭を抱えている。こちらが本当のアレク様なのかもしれない。

 あの後、あっという間に動揺から立ち直ったアレク様はなぜか侯爵夫妻もお呼びし、応接室に集まった。

 私たちが座るソファの向かいには侯爵夫妻も腰かけ、侯爵閣下は眉間にものすごく深い皺を寄せて目を瞑ったまま何も言わない。なんと言ってお呼びしたのだろう。突然前世がどうのとか、そんな話をここでしてもいいのだろうか。なんとなく口を開くのが怖くて、アレク様の隣でじっと様子を窺った。

 一人掛けの椅子に腰かけたアナをちらりと横目で見れば、とても居心地悪そうに肩を竦めている。それはそうだろう。


「僕はユフィールよりも更に年下になってしまったし、必ずしも前世のとおりの年齢差ではないのだろうと思って」


 私たちの様子を気にすることなく、アレク様は生まれ変わりについて話し出した。聞いていてなんだかドキドキする。あまりに荒唐無稽な気がしたから。

 夫人は扇子で口元を隠したまま、黙って話を聞いている。


「それがまさか別の血筋とは思わなかった……」

「そんなの、同じ家族構成で生まれ変わるかなんて、わからないじゃない! ……ない、ですか」

(この空気でその口調は不敬すぎない?)


 気安い口調のアナに思わずぎょっとする。若いけれど、こんな風に自分よりも立場のある人に向かって敬語を使わないような子ではない。

 今は小鳥遊アンさんの感覚なのかしら? え、ということはお姉さんだからこんな感じ……で、いいの? 姉と弟でいくの?

 なんと言ったらいいのかわからず黙っていると、アレク様は眉間に皺を寄せたまま顔を上げアナを見た。その顔がなんだか閣下に似ていて、あ、親子だなあなんて思っている私は、今だいぶ白橋ゆふだと思うし、現実逃避をしている。

 アレク様は深くため息をついて「まあ、わからないよな……」と呟いた。


「……母上が、母さんなんですよ」

「「え?」」


 アナと同時に声を上げてしまった。思わず向かいの席に座るお二人を見る。相変わらず動かないお二人。


「ちなみに本人は覚えていませんが、父上は父さんです」

「「は?」」


 だめだ、ちょっと難しい。なんて?

 覚えてないのにお父さんなの? どうやってわかるの?


「母さ……母上がそうだと言うので。ユフィールも僕がゆふセンセだと一方的に思っていたけれど、実際そうだったでしょう?」

「そう、ですね?」

「僕たちは前世でも親子だった。だからてっきり、姉ちゃんも生まれ変わるならこの家族だろうと思っていたので……」

「でも、誰も私のことに気がつかなかったでしょう?」


 アナが三人を見渡し、腕を組んだ。一介の侍女が侯爵家の人間に対する態度としては到底考えられないけれど、もう完全にいろいろ麻痺している。どうやらこのまま家族の話し方でいくらしい。


「私も結構早くから前世の記憶があったけど、どっちかと言うと家族のこととかよりも小説の方を覚えてて。だから正直、今ここで父さんや母さんだって言われても全くわかんな……わからないんですよね。はっきり覚えていたのは自分が書いていた世界だったし、はじめのころは記憶がごちゃごちゃで。だから、書いてみることにして」


 そうしたら、あっという間に売れっ子作家になったのだとか。


「全然気がつかなかったわ……」

「そりゃもう、お嬢様に見つからないよう、ちゃんと勤務時間外に執筆していましたから! 副業オッケーなんですよ、侍女って!」


 発想が前世のものだわ。


「……私はわかっていたわ」

「「えっ!?」」


 それまで黙っていた夫人が口を開いた。すっと瞳を細め、じいっとアナを見つめる。その様子にアンが「うわ、そういうの母さんだわ」と小さく呟いた。


「この本を書いた人が、アンだということによ。実際本人に会っても気がつかなかったけれど、書店でこの本を買って読んだ時にはすぐわかったわ」

「君、これを読んだのか?」

「父上、ちょっとその話は後にしてください」

「……すまん」


 驚いたように顔を上げ夫人を見た閣下は、また難しい顔をして目を瞑った。閣下はこの本の中身をご存知なのかしら。


「私のもとに生まれてこなかったけれど、アンもこの世界で執筆をしているのだと思って安心したわ。私たちは前世の心残りを抱いてこの世界に生まれてきた。私は早くに亡くしたレンに会うために、アナは書き続けたかった小説を書くために、アレクは幸せにしたかったゆふ先生と会うために。それを知っただけでも私はよかったと思えたのよ」

「……思い出さない私はどうなんだろうな」


 少しだけいじけたように言う閣下の手に、夫人がそっとその手を重ねた。


「あなたは、私に会うために決まっているでしょう。思い出さなくてもわかっているわ」


 ふふ、と優しく笑う夫人は前世で会うことのなかった高槻レンのお母さん。そう思うと、胃のあたりがキリッと傷んだ。

 夫人は今、はっきりと自分が前世の記憶があることを話した。それはつまり、白橋ゆふを知っているということ。

 私のことを、白橋ゆふをどう思っているのだろう? 婚約者だと知って、どう思ったのだろう。


「言っておきますけど」


 そんな私の心中を読み取ったかのように、パチンと扇子を閉じた夫人がまっすぐ私を見つめた。


「前世でレンが亡くなったことを、貴女のせいだと思ったことは一度もないわ。今回のことも、誰かのせいだとは思っていない。皆、無事でよかったし、むしろ愚かな真似をした伯爵家を今度こそ潰す口実ができてありがたく思っているくらいよ」


 怖いこと言ってる。


「私が心残りだったのは、レンとゆふ先生の未来よ。あなたたちが歩むはずだった幸せな未来を、今世ではちゃんと見せてちょうだい」


 いいわね、と念を押すように言われた夫人の言葉に、私の視界がまたジワリと滲む。

 隣に腰掛けるアレク様は、私の肩をそっと抱き寄せた。



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