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第39話


 到着したレストランは、昔、迎賓館として使用されていた建物を改築したものだった。

 美しい装飾に家具、美味しい料理。美しく活けられた花やキャンドルが見せる柔らかな明かり、静かに流れる音楽。

 個室を貸し切り二人きりで楽しむディナーは、それまで感じていた緊張をゆるゆるとほぐしてくれた。

 何より、アレク様の言葉使いがほんの少し、初めより砕けた気がするのだ。

 私にはそれが嬉しかった。


「あの、アレク様、これを」


 デザートが運ばれ食事ももうすぐ終わり、というところで、私は出すタイミングをすっかり失っていた贈り物をテーブルに置いた。


「これは?」

「あ、あの、アレク様に。私から卒業のお祝いと思って」

「……っ、本当ですか、それは……ありがとうございます。開けても?」

「ええ、もちろん」


 正直、アレク様からいただいたものに比べれば大したことのないものなんだけれど、今の私にできる最大限の贈り物だと思う。

 彼はそっと箱のリボンを解き、まるで壊れ物を扱うようにそうっとふたを開けた。そして、ぐっと息を呑む。


「……これを取りに、街へ出ていたんですね」

「ええ、その……ごめんなさい、黙って出てしまって」

「いいえ。ありがとうございます、本当に嬉しい」


 そういうアレク様のお顔は、確かに感無量といった表情だ。


(よかった、やりすぎではなかったみたい)


 正直、男性に送るアクセサリに疎くて、ずいぶん時間をかけてしまった。本当は卒業式にお渡しできればよかったのだけれど、こんなに感激してくれるなんて私も嬉しい。

 この世界で男性はファッションのひとつとして指輪を人差し指に嵌める。普段は騎士として王城で勤めることになるアレク様の邪魔にならないよう、何がいいか考えたところ指輪を勧められた。シンプルでいいと言うと、せめて石はどうかと言われ、細かな細工と小さなオレンジ色の石を嵌めてもらったのだ。


「ユフィール……、つけてもらっても、いいですか」

「え」

「どうか、お願いです」


 その言葉にアレク様を見ると、耳が赤い。本当に嬉しいのだ。その様子に私までそわそわと気持ちが落ち着かない。


「わ、わかりました」


 立ち上がり、アレク様の前に立つと箱からそれを取り出した。


「どこに付けますか?」

「ここに」


 そう言うと、アレク様は白い手袋を取り左手を私の前に差し出した。彼の長い指が目の前に差し出される。


「薬指がいいです」

「……っ、は、はい」


 薬指がいいなんて、前世の記憶でしか特別なふうに感じないだろう。むしろ、変わっていると言われるかもしれない。

 それでも、そう言ってくれたのが嬉しくて、私は指輪をアレク様の左の薬指に嵌めた。


「……わ、ちょうどいいサイズだわ」


 するりと嵌った指輪は彼の大きくて少しだけ節の立つ指にすっきりと嵌った。そこにある、私の瞳の色をした石が付いた指輪。

 アレク様はしばらく黙ったまま指輪を見つめ、ぐっと拳を握り締めると、指輪に口付けを落とした。長い睫毛が伏せられ、そして私を見上げる。


(そ、それは格好良すぎ……!)


 自分が口付けをされたわけではないのに、なぜこんなにも恥ずかしいのだろう。

 赤くなった自分の顔を自覚して、慌てて席に戻ろうとすると手首を掴まれ、そのままアレク様の膝上で横抱きにされた。


「……っ、あ、アレクさまっ」

「ユフィール、……ありがとう」


 少し低いアレク様の声に、ドキッと胸が鳴る。そっとその髪を撫でると、ピクリと彼の身体が揺れ、甘えるように私の肩に額を押し付けた。


「今夜」


 アレク様が私を強く抱きしめ身体が密着する。私の胸の音が絶対に伝わっていると思う。恥ずかしくて、けれど逃げることもせず黙って抱きしめられたままでいると、アレク様の唇が私の耳元で低く囁いた。


「今夜は、……屋敷に、帰さなくてもいいですか」


 それが何を意味するのか、わからない私ではない。前世でも散々TL小説を読んできたのだから!


「~~っ、で、でも」

「嫌ですか?」


 それ聞くのずるいわ!


「だって」

「あなたが」


 ぎゅうっと私を抱き締める腕にさらに力を入れて、アレク様は私の肩に顔を埋めた。


「あなたが攫われたと聞いて、僕は本当に……我を失いそうでした」


 そういうアレク様の身体が少し震えていて。

 ああ、こういうのを絆されるっていうんだなと思う私も、結局絆されているのだと思う。

 彼の震える背中にそっと手を回して、本当に真っ赤なのだろうと自分で自覚するほど熱い顔をアレク様の肩に埋めて、せめて気持ちが伝わればいいなと思った。


「そういう言い方は、ずるいです」


 だって、ぜひ、なんて言えるはずがないのだから。


 私の言葉を聞いたアレク様は顔を上げると、まるで獲物を待ち伏せていたかのような獰猛な瞳で、強く私の唇を塞いだ。

 その瞳を見て確信犯だな、と思ったのは、……白橋ゆふだろう。


 *


 店をまるで逃げるように後にした私たちは、急いで馬車に乗り込んだ。アレク様が御者に何か告げると馬車はすぐに動き出す。

 馬車の中でアレク様は顔を覆うように片手で口元を抑え、窓の外を見ながら呟いた。


「すみません、実は……部屋を、取ってあって」

「え」

「あなたが嫌なら、もちろん行かないつもりでした」


 外を見たまま私と目を合わせないアレク様の耳は真っ赤だ。


(部屋を取っていたって……)


 今日の混乱の中で、一体いつそんなことをしたのだろう。御者もまるで心得ているかのように馬を走らせているし、もしかしてアレク様の常宿とか。


「ユフィール」


 そこまで考えて突然名前を強く呼ばれた。

 はっと顔を上げると、向かいに座っていたはずのアレク様が私の前で膝をつき、背面に両手を突いて囲うように私を見下ろしている。あまりの顔の近さにまた顔が熱くなった。

 急に近づかないでほしい! 耐性がまだできていないのに!


「なにかおかしなことを考えていませんか?」

「え、そ、んなこと、は」

「……断っておきますけど、僕はあなたしか知らないから。前世も、今世も」

「え」


 それは嘘だ。


「噓じゃありません」

「な、なにも言ってません!」

「顔に書いてます」

「う」


 アレク様はちょっと上目遣いで私の顔を覗き込み、目許を赤く染めて少しだけ睨むような視線で言った。


「……あなたに恋をして、今世では九年も待っているんです。前世仕込みの妄想を舐めないでください」


 怖いことを言ってる! その顔で!


「わ、私だって、初めてで」

「当然です。僕がずっと監視をつけてましたから」


 監視? なんの?


「ユフィール、あなたは僕がどれだけ心からあなたを欲していたのか、今夜やっと理解できると思いますよ」


 エメラルドの瞳にギラギラと強い光を湛えて、アレク様は私の顎をするりと長い指で撫でた。


「本当にこの九年、どれだけ……」


 なんだかぶつぶつ言っている。


「き、九年? だって、あの、婚約したのは七年前で……」

「あなたと出会ったのは九年前です。俺の記憶が蘇った時からずっと、」


 そこで言葉を切ったアレク様は顔を上げ私を見た。

 薄暗い部屋で、エメラルドの瞳がギラギラと強く光っている。その強さと美しさに思わず息を呑んだ。


「……高槻レン前世の頃からずっと、あなたが好きだった」


 その言葉に、全身が震えた。

 それは、言葉にできない感情。

 これは誰のものだろう。私と、白橋ゆふのもの? 喜びや嬉しさだけじゃない、愛おしさや郷愁、切なさ、悲しさ。

 いろんな感情がごちゃ混ぜになって、感情の塊が全身を駆け巡り涙になって溢れてきた。


「ユフィール」


 身体を倒した彼が、ゆっくりと私に覆いかぶさり、涙を舐めとるように顔中に口付けを降らせた。

 それでも涙は止まらない。


「……ユフ」


 髪を梳き、たくさんの口付けを降らせる彼の頬を両手で挟むと、こつんと額を合わせ、彼は小さく息を吐いた。すぐそこにあるきれいな瞳は私を映し出し、熱い唇は吐息に乗せて甘い言葉を吐き出す。


「……好き。好きだったよ、ずっと。ユフ」


 ――私はあの日々を愛していた。

 夢や希望、彼らの笑顔。ほんの少しの時間だったけれど、私にとって人生で一番、キラキラして美しい日々だった。


『――ゆふセンセ!』


 あのまっすぐで、優しくておおらかな彼を、彼らを、あの世界を愛していたのだ。

 それがどんな形で終わりを迎えたのだとしても。

 私は、あの世界を愛していた。


「……私も、ずっと好きだったよ。……君が」


 美しい瞳にそう伝えれば、目の前の彼は泣きそうな顔で、くしゃりと笑った。



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