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第4話

アルメリアは《白銀の塔》内部、尖塔アーチの織り成す螺旋の回廊を駆け上がっていた。


頂上が近づくにつれ、耳鳴りが強くなる。

アルメリアは確信する、それは自分自身にも説明できないが、間違いなく何かが、誰かが、これから向かう先にいる。


やがて最上層、聖室に辿り着く。

そこでアルメリアが目にしたのは、信じられない光景だった。


「……ッ!」


一際目を奪う大きな薔薇窓の下、淡い銀の輝きを放つ純白のドレスに包まれた聖女ヴェロニカが、フルール・ド・リスの花絨毯の上に、その腹部を血に染めて倒れていた。


そしてその傍に立つのは、血の滴る長剣を携えた聖騎士の女性、見間違うはずもなく、ハインリヒだった。

彼女の反対の手には、豪華な円筒ケースに入ったスクロールが握られていたが、アルメリアにそれを気にする余裕はなかった。


「いったい……」


状況を理解できないアルメリア、近寄って確認した聖女ヴェロニカは、既に息絶えていた。


すぐそばのハインリヒは、アルメリアを気に留める様子もなく、抜き身の剣を携えたままどこかへ立ち去ろうと踵を返す。


「待て!」


アルメリアが叫ぶ、足を止めて振り返ったハインリヒの表情は、まるで氷のように冷たかった。


その冷徹な視線に臆することなく、アルメリアは問い詰める。


「あなたが……彼女を殺したのか」

「……」

「答えて!」

「そうだ」

「な……ッ!?」


端的な肯定、しかしその言葉には、頭を強く殴りつけられるような衝撃があった。


教皇庁直轄領であるセレストリアの聖騎士、それを束ねる彼女が、自らの手で守るべき聖女を殺害するなど到底受け入れられる事実ではなかった。


「……あなたは言ったはずだ。騎士とは、信念だと」

「……」

「この行いが、信念に準じた結果だと言うのか!?」


アルメリアは剣を抜き、ハインリヒに向けて構えた。

怒りか、悲しみか、あるいは失望なのか、いずれにせよ、激情を伴って揺れ動くアルメリアの心を映し出すように、その切っ先は震えていた。


「だとしたら……私を斬るか?アルメリア」


ハインリヒもまた、アルメリアを見据えて剣を構える。

聖女ヴェロニカの血で赤く染まったその剣身が、鈍く禍々しい輝きを放った。


真正面から彼女と斬り合って、勝算など例えあったとしてもごく僅かだろう。

だがだからと言って、みすみす立ち去るのを見過ごせる訳がない。

アルメリアの知るハインリヒは、邪な根性でこんな真似をする人ではなかった、その真意を明らかにしなければならないという衝動が、アルメリアに剣を抜かせた。


ハインリヒの目を見据える、息も詰まるような緊張に、たまらず目を逸らしてしまいたくなる。


意を決して、アルメリアは一歩、前へと踏み込んだ。

それが、戦いの合図となった。


火花を散らす剣と剣のぶつかり合い。

ハインリヒの振るう剣は、全てこちらの急所を的確に狙った太刀筋、その一撃一撃が重たく、彼女の鋭い殺意を物語る。


躱して、踏み込み、斬撃、防がれる。

こちらの一挙手一投足は全て彼女の手のひら上、当たり前だ、今ここにいる自分を育てたのは他でもない、ハインリヒなのだから。


「外の魔物もあなたの仕業か!?」

「……」


黙するハインリヒ、アルメリアにはそれが肯定なのだとわかった。


「教えて、なぜこんなことを……ッ!」


考えずにはいられない、この蛮行の答えを、求めずにはいられなかった。

自分を騎士の道へと導いたハインリヒが、なぜ自らの教えに背いたのか。


「戦いの最中は相手を斬ることだけを考えろ、そう教えた筈だ」


ハインリヒが斬撃を放つ、その衝撃で聖室の壁が吹き飛んだ。


「……ッ!」


辛うじて躱すことのできたアルメリア、渦巻く塵煙からまろび出ると、目の前には迫り来るハインリヒの姿があった。


強烈な肘打ちに体が浮き上がる、無防備になったアルメリアへ、ハインリヒは間髪入れず剣を振り下ろした。


どうにか剣でそれを防いだが、重すぎる一撃、アルメリアの体は地面に叩きつけられる。


「うぐ……ぅッ!」


鈍い痛みが全身を駆け巡った、痛がる余裕もなく、ハインリヒの剣が迫る。


跳ね起き、身を翻して躱す。

どうにか体勢を立て直すが、更なる斬撃が追いかけてくる。


反射的に捻った体をハインリヒの剣が掠め、切り裂かれた制服の裾が宙を舞った。


剣を構え直す暇もない刃の嵐、危ういところで捌ききれてはいても、反撃の隙を与えてはくれない。


そして、下段からの鋭い斬り上げに剣が弾かれる。

がら空きになった腹に、蹴りが食い込んだ。


声にもならない呻き声を漏らして、大きく後方へと蹴飛ばされたアルメリアの体が聖室を転がる。


どうにか体を起こすが、膝をついたまま背中を丸めて咳き込んだ。


「うぐ……ごほっごほっ!」


息が上がる、汗が止まらない。

口の中には血の味が込み上げていた。


勝てる訳がなかった、当然だ、彼女と自分にどれだけの技量差があるというのだ。

手放してしまった剣を拾う、支えにしてでもアルメリアは立ち上がった。


凍てつくようなハインリヒの目がアルメリアを射貫く、自分の姿はさぞ滑稽に映っているのかもしれない。

そうであったとしても、ここで剣を捨てるのは信念を捨て去るのと同義だ。


「お前たちは……真実を知らない」


不意にハインリヒはそう言った。


「なにを……」

「イーゼルガルドは欺瞞に満ちている、お前は……その欺瞞の上に成り立つ正義を信じているに過ぎない」


表情も変えぬままそう続けた彼女が、何を思ってそれを口にしたのか、その言葉が意味するところが何なのか、アルメリアにはまるで想像できなかった。


ハインリヒが再び剣を構える、呼吸一つ乱れていなかった。


「なら……、ならあなたには正義があるというのか」


剣を握る義手に力が入る、歯痒かった。

今の自分では、真実へと斬り込むことができない。


「答えてくれ!」

「正義など、どちらか一方にとって都合の良く飾り立てられた戯言に過ぎない。そして信念は……死んだ」

「だったらあなたを駆り立てるものはなんだ!?聖女をその手にかけ、魔物を学園に放ち、なにが……なにがあなたにそうさせたんだ!」

「答える必要はない」

「私には、知る権利があるッ!」


剣を構える。

昂ったアルメリアの心に呼応するように、彼女の周囲が、ごく僅かに白銀の輝きを放ち始める。


アルメリアにそれを自覚する様子はなかったが、代わりに、ハインリヒの目に動揺が現れた。


「まさか……」


対峙するアルメリアにも聞こえないほどの小さな声だが、ハインリヒは思わずそう呟いていた。


アルメリアが再び斬りかかろうと足を踏み込んだ時、聖室に彼女らの全く思いがけない人物が現れた。


「え……っ、なに……?」


金髪のショートヘアに翡翠色の瞳のその少女が、聖室の入口で立ち尽くしていた。

ソーダー学科長たるハインリヒとその学科の特待生であるアルメリアが、互いに剣を向け睨み合うというただならぬ状況に、その少女はひどく狼狽していた。


アルメリアもまた、見慣れない生徒がこの場に現れたことに気を取られてしまい、その後のハインリヒの行動に遅れを取ってしまった。


ハインリヒはアルメリアに背を向けると、斬撃で吹き飛ばした聖室の壁から、外へと飛び出した。


「待てッ!」


虚をつかれたアルメリアが慌てて追いかけるが、眼下に広がる景色の中にハインリヒの姿はすでになかった。


「……うっ」


こらえていた痛みや疲労が一気に押し寄せ、たまらず壁に寄りかかる。


「だ、だいじょうぶっ!?」


駆け寄ってきた金髪の少女に肩を支えられた、触れた彼女の手からは不思議な温もりを感じた。


「あの……いまの人って……」

「ああ。聖騎士長ハインリヒだ。彼女が……聖女ヴェロニカを殺した」


肩越しにヴェロニカの横たわるほうを振り返る。


聖女が殺されたという事実に加えその犯人がヴェロニカであるというアルメリアの発言に、その少女も驚愕と不審、恐怖などが混じり合った複雑な顔を浮かべた。


「でも、そんな……どうして……」

「わからない。問いただそうとしたが、この有様だ」

「無謀よ、そんなこと……」

「全くだ。だが、それが必要なときがある」


アルメリアはそう言って体を離した、心配そうな彼女へ「平気だ」と言った。


「……君は、どうしてここに?」

「それは……」


彼女がここへ来るに至った経緯を尋ねるアルメリア、しかし、聖室に近づいてくる騒々しい足音がそれを遮った。


現れたのは、教皇庁の侍祭と、彼らが引き連れた聖騎士たちだった。

侍祭のローブや聖騎士の甲冑にはところどころ血や汚れがついていて、彼らも彼らで事態の収拾に努めていたらしい。


聖騎士の一人が、ふたりを見るなり詰め寄ってきた。


「お前たち!ここで何を……!」

「おい、こっちを見ろ!聖女が……、聖女ヴェロニカが!」


答えるより早く、聖女の亡骸に気づいた聖騎士が声を上げた。

駆け寄った侍祭たちから悲鳴が上がる、そしてすぐさま、聖騎士たちは剣を抜いてふたりを取り囲んだ。


「貴様らッ!これは一体どういうことだ!?」

「ま、待ってくれ、これは……」


アルメリアの剣は誰の血にも濡れていない。

だが聖女の殺害という事態を前に、彼らは理性的な判断力を完全に失っていた。


なにしろ、聖女殺害などその場で極刑が赦される大罪だ、イルミナリスに入学すればどの学科であっても最初に必ず教わることだ。

いきなり斬りかかって来なかっただけまだマシだったと言えるだろう、しかし、激昂した聖騎士たちはいつそうしてもおかしくない。


じりじりと、剣を構える聖騎士達がその輪を小さくしていく。

ハインリヒの仕業であることを伝えたところで、彼らがそれを鵜呑みにして剣を下ろすとは到底思えない。


妙案もなく、どんどん追い詰められていく。

しかし突然、隣の少女がアルメリアの腕を掴んだ。


「逃げよう!」


翡翠色の瞳でアルメリアを真っ直ぐに見つめ、彼女はそう言った。


逡巡ののち、アルメリアは決断する。

今ここにある未来が、聖騎士たちに斬られるか投獄されるか、そのどちらかしかないのなら、どちらもごめんだ。


自分はハインリヒの真意を知りたい、知らなければならない。


剣をしまう、アルメリアは傍の少女を抱き上げた。

聖騎士たちの制止する声を振り払って、その少女___メトセトを抱えたまま、アルメリアは壊れた壁から外へと飛び出す。


運命が、動き出した夜だった。



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