湿った石畳と、決して乾くことのない血の匂いが混ざり合った、冷たく重い香りがスハの心を蝕んでいく。
意識が遠のきそうになる中、かすかに聞こえる水滴の音を聞いていた。
身体中の痛みはひどく、まるで水中に沈んでいくようだった。
それ以上に、この場所を支配する絶望の香りがスハを苛む。
その時、閉ざされた鉄の扉の向こうから、微かに何かの香りが漂ってきた。
それは、かすかな心配と、そして……
扉が開く音とともに、優しい、花の香りがスハの鼻腔を満たした。
スハがゆっくりと目を開けると、そこに立っていたのは、あの日のご婦人だった。
「よくぞ、耐えましたね」
ご婦人は、スハの体を起こすと、そっと抱きしめた。
その香りは、スハが幼い頃、川辺で嗅いだ優しい香りと全く同じだった。
…しかし、その奥に、冷たい土と、朽ちていく花のような香りが、微かに混ざっているのを、スハは感じ取っていた。
ご婦人は、スハを抱え上げた。
その腕は細く、わずかに震えていたが、確かな力強さがあった。
その香りの奥に、微かな苦痛の香りが混じっているのを、スハは嗅ぎ取っていた。
迷路のような地下通路を歩いていく。
「あなたは……一体……」
スハが掠れた声で問いかけると、ご婦人は静かに答えた。
「双子を産み落とした妃、
まさか、巻物で読んだ悲劇の妃が、目の前にいるとは。
「そして、香で、この宮廷の真実を語る者」
秀真妃はそう告げると、スハの手を取り、再び地下通路を歩き出した。
二人が向かったのは、苔むした壁の奥に隠された、小さな鉄の扉だった。
扉を開けると、そこは地下にもかかわらず、どこからか陽の光が差し込む、小さな秘密の部屋だった。
部屋全体が、優しく、しかしどこか神秘的な香りで満たされている。
そこには、
それらは、この部屋が王の
「ここは、この宮廷で、唯一自分自身でいられる場所。
……あの御方が、この才能を愛し、唯一残してくださったものです」
スハを床に座らせると、静かに語り始めた。
「この宮廷は、真実を香りで隠し、噓を塗り重ねて、繁栄を保っている」
言葉を区切るたびに、わずかに息をのむ音が聞こえた。
それは、彼女が語る一つ一つの真実が、自らの命を削り取っているかのようだった。
「私には、双子の妹がいました。
名を
双子を産んだ私とは異なり、男児を産み、この宮廷の希望となった」
「その希望は、あっけなく散らされました。
スハは、巻物で読んだ真実が、すべて現実だったことを知った。
「
誰もが、己の幸せだけを求め、香りに惑わされている。
そんな中で、ただ一人、
「あの詩は、わたくしの侍女である
「選ばれぬ花は、土に落ちる」
その言葉が、スハの胸に強く響く。
それは、妃候補として選ばれなかった花たちの悲しみだけではなかった。
その悲劇を目の当たりにしながら、何もできなかった、無力な者たちの悲しみが込められていたのだ。
スハの頬にそっと触れた。
「あなたは、その真実をすべて知った。
香りを嗅ぎ分けるその能力は、あなたに与えられた使命。
この歪んだ宮廷の香りを正し、消された命の声を蘇らせるために」
スハは、
自分がこの宮廷に来たのは、ただの偶然ではなかった。
ご婦人が、自分に香りを教え、道を導いてくれたのは、この日のためだったのだ。
(私は、この館で何をすべきなのか……)
スハは、心の中で問いかけた。
「あなたの進むべき道は、あなたの心の香りが決めるでしょう。
……すでに真実を知ったあなたは、この場所を去ることを許さないはず」
「この場所を去り、静かに暮らすこともできる。
この宮廷の真実を知ったあなたは、もう、元には戻れないでしょう」
スハは、黙って
心の奥底から湧き上がる、強い決意の香りを嗅ぎ取った。
それは、もはや誰にも消し去ることのできない、真実の香りだった。
(私は、この道を行く……)
その瞬間、スハの身体から放たれた決意の香りが、秘密の部屋を満たし、さらに強く、遠くへと広がっていく。
それは、イナ妃の作り上げた偽りの香りの壁を突き破り、夜の闇へと消えていくほどに。
「これから、もっと、残酷で悲惨なことを目利きするであろう。そなたであれば……」
(つづく)