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第2話「錬金術師の街、アストロン」

 錬金術師たちの街、アストロン――


 この場所はかつて、大きな街の間を往復する隊商が一休みする為に立ち寄るだけの小さな街だった。世界の全てが揃っているような場所ではなかったが、一方で必要な物はだいたい揃っていて、多くを求めでもしない限りはごくごく平穏に生涯を過ごすことのできる落ち着いた雰囲気の街だった。


 しかしある時、「生命の源岩」なるものが空から降ってきて、これが人間社会のすべてを変えてしまった。

 類い希な魔力――いや、生命力とも称されるようなエネルギーを漲らせたそれはすぐさま様々な用途での研究が行われて、やがて、この墜落地点を中心とした錬金術社会が生まれた。ものの数年で半木造の建物ハーフティンバーが生え並び、石畳の道が綺麗に整備され、今の賑わいを形作ったのだ。


 シーナがフィオナに連れてこられたのはそういう街だった。

 道を行き来する馬車と肉体労働者たちの様子をキョロキョロ見回す野生の少女は、その原始的かつどこか危うい装いで皆からの注目を集めながらも、まったく気後れすることなく目を輝かせては喜びの声を上げていた。


「うわぁ、すごーい! 人がこんなにいっぱいいる!」

「こら、叫ばないの! 分かってるの、今のあんたは連行中なんだから!」

「れんこー? フィオナちゃん、どこかに連れてってくれるの?」

「気安く名前を呼ばないで頂戴! ったく本当に何も知らないのね! あそこよあそこ、錬金術師協会!」

「れんきんじゅつしきょうかい……」


 栗色の長いぼさぼさ髪に草冠をつけた原始少女が、まるで我が儘な姉のように振る舞う紅髪ポニーテールのお嬢様に連れられていく。

 フィオナが示した先にあったのは、どこか地味な色合いの石材を組み合わせて立てられた飾りっ気の無いホールだった。ドーム型の吹き抜け屋根を擁したそれの横には比較的新しい直方体の施設が伸びて、そちらで人がよく出入りしているのが見える。


 馬から下りたシーナはフィオナに手首を掴まれたまま、ピカピカに光る看板の横を通って中へ入った。フード付きローブを纏う男女らがあちこちで塊を作って話し込んでいる広間を獣皮のワンピース姿の少女が通り抜けては、彼らの視線と好奇心をかき立てていった。


 受付嬢の前まで連れてこられたシーナはニコッと微笑みかける。その笑顔はまるで森陰から朝日が差し込んできたような眩さで、フィオナはやりづらそうな顔のまま溜め息をついた。受付嬢は首をかしげながら尋ねる。


「フィオナ様、こちらの方は?」

「……無認可の錬金術使用者を確認したから連れてきたわ。あと、ソフィー……違う、監査部長はいる? 彼女から頼まれていた件にも関連しているはず」

「であれば、ただいまお呼びします。その間、こちらの方にはこの書類をお渡しします。上の空欄に必要な情報を書いてください」


 受付台に出されたのはペンと、何やらモニョモニョとした字の記された紙。

 シーナはそれをじいっと眺めては唸り、鼻をスンスンと鳴らしてインクの匂いを嗅いでいる。フィオナは眉間に皺を寄せながら苦言を呈した。


「なにやってるのよ」

「なにって……なにしたらいいの?」

「はぁ? そこにある通りじゃないの。ほら!」


 フィオナはいよいよ不機嫌を露わにして、受付嬢が残していった紙を掴んではシーナにそれをよく見せつけた。これには明らかに「モニョモニョ」と書かれており、空欄には「モニョモニョ」を「モニョモニョ」してくださいと、しっかり記されているのだが――

 シーナは目を細めてちゃんと見るも、本当に困惑した顔で首を横に降る。


「フィオナちゃん、わかんないよ……」

「名前を書けってここにあるじゃない!」

「名前? シーナ……」

「それを書くの! ってあんた、まさか――」


 フィオナが唖然と口を開けた時、先程去って行った受付嬢がお淑やかな風貌の女性を連れて戻ってくる。水色のドレスを纏い、シルバーの髪をウェーブにした彼女は細めたままの目で二人のところへやって来ると、カウンター越しにシーナのことを眺め、少女の困り顔に首をかしげた。


「フィオナ、この子は?」

「例の墜落地点近辺で……保護しました。私が来た時に彼女は、原核の力で巨大なゴーレムを使役している最中で、横には自立機械オートマトンの残骸も確認しました」

「巨大なゴーレム? 大きさは?」

「大人二人分。それこそここの天井くらいで……ソフィーさん、どうしますか。多分ですがこの子、文字の読み書きが」

「まあ、そうなの……」

「なんのはなししてるの……?」


 フィオナとソフィーの二人が真剣な顔になっていたものだから、シーナは事の深刻さをようやく理解し始めたようだった。出会った頃の元気さは鳴りを潜め、今や寂しそうな小動物の顔でフィオナをじっと見つめている。

 こんな反応をされては、連れてきた側としても謎の罪悪感を覚えてしまうものであった。フィオナは苦い顔で、シーナよりも大人な胸の下で腕を組んだ。


「……あんたをどうするかよ。その石は、さっきみたいなデカい“眷属”を呼び出すための素材なの。本当はちゃんと勉強して、試験を通った人じゃないと持つことさえ許されない。街中で急に呼び出して暴走させたら危ないでしょ?」

「もしかして、これ、取られちゃう?」

「……」


 シーナはとても悲しそうな顔に変わってしまった。

 カウンターの向かいにいたソフィーも思わず口元へ手を当てる。


「せっかく、おともだちが、できたと思ったのに……」

「友達って……あんたが持ってるそれは」

「友達だもん! でっかくて、つよくて……かっこよくて……」


 シーナはうつむき、声を張って、震わせて、最後はひねり出すようにしてから嗚咽を漏らし、鼻をすすって顔をくしゃくしゃに歪ませるように泣き始めてしまった。その時建物にいたすべての人がシーナの方を向いていた――


「うわああああああん! ああああぁぁぁ! ああああああ!」

「ちょっと、泣かないでよバカ! ああもう、あんたのせいでみんながこっちを見てるじゃない! こんな泣き虫どうしたらいいのよっ、ああああ――」

「まったく、なっていないな!」


 濁った声と共に扉が勢いよく開く!

 あまりにも叫ぶものだから、それをあからさまに嫌がるような大柄の男が外から入ってきた。肩で風を切って歩くような男は膨らんだ腹に緑色のコートを引っかけながら、眉間に皺寄せた顔で受付まで大股で進んでくる。周りの人が口々にベルモント卿、とその名前を呼んだ。あまり良い雰囲気ではなさそうだった。


「いったい何の騒ぎだ。外からも聞こえてきたじゃないか! こんなこと、協会の看板に泥を塗ってるようなものとは思わないのかね!」

「ベルモント卿、これは――」

「ふん、そこの土の匂いがする娘が原核を持ち逃げでもしたのだろう? そしてフィオナ、貴様もいるのか……こんな大事おおごとにして、一体どうしてくれるのかね」

「そ、それは……」

「わあああああああああ!!!」

「フィオナ、ちょっと耳を貸して?」

「え、ソフィー、叔母さん……」


 泣き出してしまったシーナ、そしてタイミング悪く現れたベルモント郷に泡を食ったフィオナは口をパクパクさせ……そこへソフィーが耳打ちをする。

 フィオナは一瞬あからさまに嫌そうな顔をしたものの、その間もずっと大音声だいおんじょうを上げ続ける野生児の圧と答えを待つ侯爵男の圧にはいよいよ腹を決めて、拳を握って覚悟を決める。


「――この娘は原核を盗んだのではありません。偶然に拾って、使ってしまっただけです。これから私が引き取って、錬金術師として必要な教育を施します……そして三月後に行われる錬金術師試験をパスさせる。これで構いませんね?」


 フィオナはシーナをかばうように腕を伸ばし、ベルモントと相対してハッキリと宣言した。状況の変化を察したシーナは大泣きを啜り泣きまでに抑えて彼女の陰に隠れるように縮こまる。

 ベルモントはフィオナの言葉を聞くとまず鼻で笑い、それから堂々とした語り口で追い打ちをかけるように言い放つ。


「なりませんな。決まりがある以上、その子から原核は即刻没収されるべきだ。そんな小娘よりも、良い使い手のもとに行くのが錬金術の発展のためになる!」

「ベルモント卿、お言葉ですが……彼女は使い方を知っています」


 しかしフィオナは負けじと反論する……


「私は原核によって生み出された巨人が、自立機械の兵を破壊した光景をこの目で見てきました。そして最も恐ろしいこととして、彼女には、私たちの価値観の一切が通じないのです」

「であれば尚更じゃないか! さっさと没収したまえ! 没収だ!」

「言葉を謹んでください、ベルモント卿! 今この場所は、彼女の気持ち一つでどうとでもなってしまうんですよ! 貴方の言葉を引き金にここが全壊でもしたら、それこそどのように責任を取られるつもりですか!」

「それは――」


 ベルモントは更に上から被せていこうと口を開きかけるも、琥珀色の瞳をがんと開くシーナとその手中に収まる赤々した「原核」を目にするや、たちまち勢いを削がれて黙り込む。

 やがて面白くなさそうに悪態をついてから、彼はシーナの後にフィオナを睨み付けては、こう言い捨てたのだった。


「――そこまで言うならいいだろう、三月後の試験を待とうじゃないか……だが学を積んできた者でさえ試験には苦労するもの、原始人の娘が通るとは思えん。せいぜいローゼンクロイツの名を落とさぬことだな!」


 ……かくして、シーナは特例として、この場においては「原核」の所有を許される運びとなる。そして、三月後の錬金術師試験に向けて、生活が大きく変わることになるのだが……彼女はまだ、事態をよく分かっていないようだった。

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