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第十三話 中の君の婚姻

「トメ、これを春宮様に。左大臣家の姫だと言ってね。大君ではなく」

 私は歌を書いた文をトメに渡した。


 あの歌の贈り主が他の人なら春宮は『左大臣家の姫』は私だと考えるだろう。私のことを突然わけの分からない歌を贈ってきた変な女だと思うかもしれないが。


 あの歌が春宮なら中の君からだと思うはずだ。

 筆跡が違うがそれはあねの代筆だと言えばいい。最初のうちは親などが代筆するものだ。


「申し訳ありません、お姉様。ありがとうございます」

 中の君がすまなそうに頭を下げる。


「いいのよ、私は内裏になんて行きたくないから」


 中の君が春宮と結ばれてくれれば双方が幸せになれるわけだし。


「春宮様も同じことを仰っていました」

 中の君が遠い目をしながら言った。


 おそらく昔、聞いた話なのだろう。

 今は春宮は内裏に住んでいるわけだし。


「そう……」

 私はなんと言っていいか分からないまま頷いた。


 まぁ春宮がいやいや内裏に住んでいるのなら尚のこと中の君が側でお心をおなぐさめしてあげた方がいいのだから入内は中の君の方がいいですわよね。

 春宮にとっても中の君にとっても――。


 決して入内を押し付けようとしているわけではありませんわよ。



 その夜――



漁火いさりびの ほのかな灯り 篝火かがりびと さそひとまごふ まよふ虫かな」


(灯りに誘われた虫が迷い込んできました)


 外から随身よりちかの声がした。


 他の随身に言っているのでなければ私に言っているということになるけど……。


 


 名前を聞いたから勘違いしたのかしら……?


 私が無視して寝ようとした時、妻戸を叩く音がした。


 呆れた……。


 図々しいにもほどが……。


 そう思い掛けた時、

「お姉様……」

 中の君の、か細い声が聞こえてきた。


 私は慌てて起きるとトメに妻戸を開けさせた。

 そこには中の君が立っていた。


 その後ろに私達に背中を向けるようにして随身が立っている。

 橘の香りがするし、さっきの歌からして、よりちかだろう。


「中の君はいらっしゃいません」

 ツユの声が中の君の寝所の方から聞こえて来た。


「いいから通せ」

 男がツユに命令する。


「いかがいたしましょう」

 よりちかが小声で指示を仰いでくる。


「言ったはずよ。なますにして鯉の餌にしてって」

 私が答える。


 勝手に忍んできた男が警護の者に叩き出されるのは珍しいことではない。

 合意の上の逢引あいびきでも親に内緒にしている場合などは警護と揉めることは良くあるのだ。


 侵入者は追い返すのが随身の仕事なのだから叱責される心配は――。


「無断で入ってきたのでしたらそれも可能なのですが……」

「なに言ってるのよ。誰の許しがあったって言うの」


 今日は方違かたたがえなどの泊まり客はいないはずだ。


「女房が少納言のくつを殿と北の方様のところに持っていきました」

 よりちかの言葉に愕然がくぜんとなる。


 正式な婚姻の場合、三晩(つまり婿として認められるまで)男がいてきた沓を妻側の親が抱いて寝る。


 それは『沓取くつとりの』といって親が男を婿として認めているという事なのだ。


 文のやりとりをして婚姻に至るのではないかと思うかもしれないが、結婚の形は色々ある。

 親が決めた政略結婚などもあるだ(そもそも私も親が入内を決めた政略結婚なわけですしね)。


 駄目押しをするように、よりちかが『見て下さい』というように微かに顔を傾ける。

 そちらに目を向けると火が灯されていた。


「決して消さないようにと申しつかっております」

 よりちかが言った。


 これも婚姻の儀式の一つである。

 男が来る時に持ってきた松明の火を女の家の火と一緒にして三日間消さないようにするのだ。


「お姉様……」

 中の君が助けを求めるように私を見る。


 私は妻戸を開いて中の君を入れた。


「よりちか、でいいのよね?」(後で漢字を聞いたら『頼浮』と書くのだそうだ)

「はい」

「あの男がツユに暴力をふるうかもしれないからここに連れてきて」

 私の言葉に、

「はい」

 頼浮はすぐに中の君の部屋に向かう。


「お姉様……」

 中の君が感謝の視線を向けてくる。


 頼浮が上手く言ったのだろう、すぐにツユがやってきた。


「あの不心得者がここに押し入ってこないようにしっかり見張っててよ」

 私がそう言うと、

「お任せ下さい」

 頼浮はそう言って妻戸を外から閉めた。


 今夜はこれでいいとして――。



 翌日――



 沓取りの儀までしているとなると、このまま中の君が逃げ回っていても三日――いえ、もう一晩たってしまったから明日の晩には婚姻が成立して少納言は中の君の婿になってしまう。


 夫がいては入内が出来ない。

 妻は何人でも持てるが夫は一人だけだからだ。


 考えた末、私は火の番を頼浮にさせるようにと侍女に言い付け、几帳きちょうを火の近くに用意させた。


 頼浮がやってきて火の側に立つ。


「夕辺一晩中、寝ずの番をさせたのにごめんなさいね」

 私は几帳の裏から頼浮にだけ聞こえる声で言った。


「お気になさらず」

「中の君を助けてくれてありがとう。この前のくちなわの時も」

 私は礼を言った。


「いえ、噛まれる前にお助けできず……」

「ツユの側に箱が落ちていたけど、くちなわはあれに……?」

「……おそらく」

 頼浮は一瞬躊躇ためらってから答えた。


 この前もそうだったけど、中の君に何か思うところでもあるのかしら?

 単に慎重なだけ?


「あなた、私が春宮に入内するべきだと思ってる? 中の君ではなく」

「……私には関係ないと思いますが」

 やはりわずかに間があった。


「それは中の君でもいいという事?」

「どちらでも……」

「では、中の君の入内に賛成するという事で話を進めるわね」

「は?」

 頼浮が面食らったような声を上げる。


「どちらでもいいなら中の君でいいでしょう」

「…………」

 頼浮は答えない。


「イヤってこと?」

「いえ、そういうわけでは……」

「じゃあ、いいわね」

「…………」

 やはり頼浮は答えない。


「イヤなの?」

「……いえ、驚いただけです。本気で入内なさりたくないのですか?」


 まぁ、入内は一応、女の夢とされているけど……。


「物語に出てきた主人公の母君は入内して他の妃達にいじめ殺されたのよ。あれを読んだら入内したいなんて思いませんわ」

「私の妹にもその賢明さがあれば良かったのですが……」

 頼浮が溜息をいた。


 どうやら頼浮の妹は妃に憧れているらしい。

 妃には憧れるが入内は大貴族の娘でなければ出来ないから親王(皇子のことですわよ)の乳母で妥協する、などと日記や随筆に書いている女性達がいるくらいなのだ。


 皆あんなに有名な物語、読んでないのかしら……。


 あれを読んでいてなお妃に憧れているなら何も言うことはありませんけど……。


「私は入内したくなくて、中の君は春宮様と一緒にいたいのだから中の君が入内すれば問題解決でしょ」

「はぁ……」

 頼浮が気の抜けた声で答える。


「……それで、どうなさりたいのでしょうか?」

 頼浮が訊ねてきた。


「少納言があと二晩続けて来てしまったら中の君の婿になってしまうでしょう」

「そうなりますね。もう餅の用意をしていますよ」

 頼浮が言った。


 婚姻の話で餅が出てきたら『三箇夜餅みかよのもち』のことですの。


 三日目の晩に婚姻が成立すると食べるのだ。

 これは妻側の家が用意するものだから婿と認めてなければ出さない。


 やはりお母様は本気なんですわね(お父様は渋々でしょうけど)。


 そこまでいってしまったら少納言が通ってくるのをやめない限り離縁は出来ない。

 離縁成立までには来なくなってから三年(理由によって年数は異なるが)掛かる。


 となると私の入内撤回より先に少納言を何とかしなければならない。


 正式な婚姻は三日続けて来なければ成立しない。

 つまり今夜か明日の晩、少納言が来なければとりあえず今回は話が流れるのだ。


 私は几帳の脇から空を見上げた。

 良く晴れていて雨は降りそうにない。


 ひどい土砂降りになったりすると道が悪くて通れなくなったり川があふれたりするから来られなくなることはあるのだが、婚姻は三日続けてこなければ認められないから少しの雨くらいなら来るのだ(雨が降ったからと言う言い訳は通らないんですのよ)。


 特に、どうしても妻に迎えたい女性が相手の場合は――例えば左大臣の姫とか。


 物語だと――。


「あなた、少納言の上司に知り合いは?」

 私は頼浮に訊ねた。


 物語にあったのだ。

 男は三日続けてくる気があったのに上司から宴に誘われて断り切れずに一晩中付き合うことになってしまった話が。


 その上、次の日から出張に行くことになってしまい、女性に文も出せなかった。

 それで振られたと誤解した女性は出家してしまったのである。


 数日後、出張から戻ってきた男は女性が出家してしまったことを知るという悲劇なのである。


 まぁ男に捨てられたくらいで出家しなくてもよさそうなものだが。

 婚姻が成立していなかったのなら別の男と結婚することもできる訳だし。


 もちろん中の君が出家などしてしまったら困るのだけれど、別に少納言が好きなわけではないからそこは心配する必要はない。

 問題は――。

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