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第十八話 雉子(きじ)と孔雀

 深夜――


「いかにせん 山で聞きつる 呼子鳥よぶこどり 春の宮へと おとづれんかな」

 外から頼浮の声がした。


 春宮が来たのだろう。もちろん中の君のところに。


 忘れてましたけど今日のお客様方の中に春宮がいたんでしたわね。


 宴が終わったから中の君に会いに来たのだ。

 頼浮に――というか帝以外の人に春宮を追い返せるとは思えないが一応通していいか聞いてくれてるのだろう。


 私は妻戸を軽く叩いた。

 頼浮はすぐそこにいるはずだ。


「春宮様は中の君のところに通して構わないって言ったはずよ」

 私が小声で囁く。


「春宮はお通ししたのですが少納言がこちらに向かっているのです」

「よく招待したわね」


 てっきり出入り禁止になったのかと思ってましたわ。


「別の少納言です」

 頼浮が私の考えを察して言った。


 少納言というのは――というか各官職の長官以外はほとんどがそうなのだが――何人もいるのだ。

 だから官職名の前に『何々の~』とつけて区別するのである。


「二人は部屋を出たんでしょ」


 中の君がいないのなら別に部屋に入られたところで構わない。


「いえ、今日は中の君の母屋で……」

「あら……」


 つまりこのままだと春宮と少納言が鉢合わせしてしまうのだ。

 だから私の判断を仰ぎに来たらしい。


「…………」

 私は考え込んだ。


 これは使えるかも知れませんわ――。


「いかがいたしますか?」

「いいわ。少納言をそのまま行かせて」

「……よろしいんですか?」

 頼浮が驚いたように言った。


 驚くくらいなら最初から追い返せばいいでしょうに。


「春宮様と中の君が一緒にいるのを見たって少納言が言い触らしてくれれば入内させるしかなくなるでしょう」

「…………」

 頼浮は呆れたのかしばらく黙っていたが、やがて、

「……分かりました」

 と答えた。


 これで今度こそ中の君を入内させるしかなくなるはずですわ!


「……箏の演奏を入れ替わったりして、そこまで中の君を入内させようとするのは何故ですか?」

 頼浮が訊ねた。


「気付いてたの?」

「あなたはあんなに下手ではありませんから」


 随分ずいぶんはっきり言うのね。


「中の君が春宮様を好きだからよ」


 そして私は好きではないから。


「好きなだけでは幸せになれないと思いますが」

「嫌いな人と一緒になったって幸せにはなれないはずよ。どちらにしても幸せになれないなら好きな人と一緒になった方がいいでしょう」

「…………」

 頼浮はしばらく黙っていた後、そのまま立ち去った。


 それにしても……揃いも揃っていなおほせ鳥だの呼子鳥だの古今伝授こきんでんじゅが好きですわね。


 もしかして殿方の間で流行はやっているのかしら……?



 少納言は、春宮と中の君が二人で過ごしているところに踏み込んだ挙げ句、すぐには春宮と気付かず(帝や春宮に直接会うことは稀なので少納言では顔を覚えてなくても無理はないのですわ)に騒ぎ立ててしまったそうだ。


 春宮が怒って口論になり、ようやく相手が誰なのか気付いた少納言は真っ青になったらしい。


 慌てて謝ったそうだが、その頃には人が集まってきて春宮と中の君が一緒にいたことを他の来客に知られてしまったとのことだった。


 これでもう中の君は入内するしかなくなくなりましたわ!


 と思いましたのに――。



 四十の賀の宴から何日もたったが、いつまで待ってもお父様もお母様も中の君の入内が決まったとは言ってこない。


 私は関係ないから教えてくれないだけで中の君には話したのかしら?


 中の君に聞きたいけれど――。


 私は、ちらっと外に目を走らせた。


 簀子すのこが濡れている。

 夕辺雨が降ったらしい。


 簀子はえんともいい、雨に濡れた縁を濡れ縁という。

 屋根がなくて雨が降ると濡れるので水が溜まらないように隙間が空いているが、それでもすぐには乾かない。


 見ている分にはいいのだが衣裳を引きずって歩かなくてはならないため裾が濡れてしまう。


 大貴族の邸は家族がそれぞれ違う対屋たいのやという建物に住んでいて、よその対屋へは簀子を通らなければならないのだ。


 私が迷っていると――。


「夏に咲き 風の吹くよを 野で見つつ 雉子きぎす言祝ことほげ 都さかえよ」

 頼浮が孔雀を見ながら歌をえいじているのが聞こえてきた。


 それは雉子きじじゃなくて孔雀……(『きぎす』というのは『きじ』の別の言い方ですのよ)。


 ていうか賀歌がかみたいだけど――。


 賀歌というのはお祝いの歌ですのよ。

 新年おめでとうとかご出産おめでとうとかご長寿おめでとうとかいうときに詠みますの。


 でも、なんで今?


 誰かのお祝いの宴に行くか歌合うたあわせにでも出るのかしら?(そう言う時に事前に詠んでおくことはあるんですのよ。いきなりだと上手く詠めないかもしれないでしょう?)


 私は首を傾げながらも紙に頼浮の歌を書いてみた。


つに咲

ぜの吹くよ

で見つ

ぎす言祝げ(

やこさかえ


〝なかのきみ、きをつけよ〟


 中の君の危険を知らせているものだが私に教えてくれているのだろう。


 頼浮がどの程度、中の君のことを知っているかは分からないが、中の君は歌が得意ではないから沓冠くつかぶりには気付かないはずだ(沓冠は紙に書かないと分かりづらいんですのよ)。

 それはともかく――。


 外部からの侵入者なら身体を張ってで求めるのが随身の勤めなのだから何もないうちから警告したりはしない。


 中に入り込んだ者(つまり客)に気を付けろと注意を促しているのだ。

 おそらく来客の予定を聞かされたのだろう。


 そういえばなんだか使用人達が騒々しいような気がする。

 今は桜の季節ではないからまた桜の枝が届いたというわけではないだろう。


 今度は藤の花でも贈ってきたのかしら。


「なんだか騒がしいわね」

 私が誰にともなく訊ねるように言うと、

「方違えのお客様だそうです」

 トメが答えた。


 婿以外で邸に入ってこられるのが方違えの客である(宴の客が泊まることもありますけど)。

 不届き者はこの方違えを利用して女性の元に忍んでくる。


 三日続けてが婿入りの条件から忍んできたとしても婿にはなれないし、だからといって入内できなくなるというものでもないのだが――。


 ただ、忍んできた不届き者との間におかしな噂が立ってしまったら入内できなくなるかもしれない。


 せっかく中の君の入内が決まりそうなのに邪魔させるわけにはいきませんわ!


「箏のお稽古をするわ」

 私はそう言って箏を用意させ、几帳を置かせた。


 やがて橘の匂いが近付いてきた。


「今夜はあなたが見張ってくれるのね」

 私は几帳越しに訊ねた。


「はい」

「なら不届き者はあなたが止めてくれるのね」

「…………」

「切り刻んで池に叩き込んでっていったはずよ」

「一応お客人ですから……」


 姫の元に忍んでくるのを許したわけではないとは言え泊まり客である。

 客を鯉の餌にするわけにもいかないようだ。


「お母様かお父様に中の君のところに不届き者を行かせるなって言われてないの? 春宮に入内するんでしょ」

「いいえ」

 頼浮が即答する。


「どういうこと? 春宮と一緒にいるところを見られて騒ぎになったんでしょ」

「ほんの数人ですから……。その方々には北の方様が口止めされました」

「口止めしたって漏れるはずよ」

「春宮様の評判に関わるからと……」


 あっ……!


 確かに春宮を持ち出されると迂闊うかつに漏らすことは出来なくなる。


 いずれ帝になるのだ。

 帝の名前に傷付けたとなれば他の誰におもねったところで出世は難しい。


「それに目撃した方が少なかったのと、中の君のことを知っている方があまりいないので、あなたと間違えられても困りますから」


 そういえば……。


 そもそも姫というのは外に出ないから人に知られる機会が少ない(どこの貴族でも)。

 だから婿取りのために使用人が意図的に噂を流したり外に聞こえるように楽器を弾いたりするのだ。


 まして中の君は最近うちに引き取られたのである。

 そのため中の君を知っている人は少ない。


 それに対して大君わたしは入内が決まっている姫として知られている(らしいですわ)。


 三の姫と四の姫はまだ裳着もぎがすんでいない子供だから、そうなると男と一緒にいた左大臣家の姫は私だと考える人が出てきてもおかしくない。


 春宮なら入内が決まっているのだから問題ないと思うかもしれませんけど、婚前交渉はダメなんですのよ(「養老令ようろうりょう」というものの「戸令こりょう」の項に書いてありますわ)。


「でも、今夜は婿取りではないのでしょう。だったら通していいとは……」

「…………」

「言われてるの!?」

「はい」


 私はちょっと考えてから――。


「なら中の君のところに案内していいわ」

 と言った。


 頼浮は驚いたらしい。息を飲んだのが分かった。


「……よろしいのですか?」

「ええ、中の君の母屋の塗籠ぬりごめに案内して中に入ったら戸を閉めて。閉じ込めて朝まで明けないで」


 庶民の家は知らないが、貴族の邸は屋内と言ってもひさし母屋もやも屋根と柱だけで壁が無い。


 だから夜は蔀戸しとみど妻戸つまどを閉めるが、それらはただの板で簡単に取り外せるから昼間はさえぎるものが無い状態になる。

 そのため御簾や几帳などで外から見えないようにするのだ。


 しかし母屋の中に一ヶ所だけ壁に囲まれている場所がある(ことがある)。


 それが塗籠ぬりごめである。

 そこだけは枢戸くるるどという戸以外からは出入りできない。


「後で文句を言われたらお客様の身を守るために安全なところにお入れしたと言えばいいわ。私の指示だって言って」

「分かりました」

 頼浮はそう言うと行ってしまった。


 今夜は私の母屋で一緒に寝るように中の君に言わないと。

 それにしても――。


 どうして、そこまで入内させようとしないのかしら……。



 その夜――



 果たして不届き者はやってきて打合せ通り頼浮が閉じ込めてくれたらしい。

 とはいえ頼浮だってずっと中の君の部屋だけ見張っているわけにもいかないだろう。


 随身というのは役人なのだ。

 当然、異動がある。

 いつまでも左大臣家うちの警護をしているわけではない。

 早ければ次の除目で異動してしまう。

 除目というのは年に二回あるのだ。


 そして私も、いつ入内が正式に決まってしまうか分からない。


 急がなくてはなりませんわ!

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