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第十七話 悪だくみと計略

「私は必要に迫られても詠めるかどうか……」

 中の君が悩ましげに言った。


「…………」


 さすがにそれはそれで少々問題がある。

 女性にとって楽器と歌は絶対に必要な教養なのだ。


 殿方は苦手でもなんとかなるのだが女性は歌が出来ないと婿取りの時に困る。

 最初のうちは親が代筆すると言っても最後には自分で懸想文に返歌をしなければならないのだ。


 意味もなく詠むほどではなくても、必要に迫られて詠めないのはダメだろう。

 特に入内したら何かと詠まなければならなくなるはずなのだ。


 というか入内できなかったら貴族の婿を迎えることになるのに歌が詠めなかったら困りますわ!



 数日後――



 朝早くに頼浮の歌が聞こえた。


「君が振る そでれにし 朝露あさつゆは 我が涙をや 思ひおこせと」


 後朝きぬぎぬの歌(朝、恋人のところから帰ってから贈る歌)のようにも聞こえるが、おそらく『触れにしふれた』と言いたいのだろう。


 どうやらお父様が死穢しえに触れたらしい。

 となると潔斎けっさいのために邸にいるはずだ。


 私はお父様の元へ向かった。



「お父様、今はまだ中の君の母君の喪中もちゅうではありませんの?」

 私はお父様と御簾越しで向かい合って言った。


「そうだが、お前には関係ないだろう」

「お父様と中の君にはあるでしょう」

「それはまぁ……」

「私、心配ですわ」

「姫様、気にしすぎですわ。怨霊なんて」

 打ち合わせ通りトメが言った。


「怨霊!?」

 お父様が目をく。


「そうね、そうかもしれないわね」

 私がトメに答える。


「どういうことだ!?」

 思った通りお父様が食い付いてきた。


 怨霊というのは恐れられているのだ。

 何かというと陰陽師や僧侶に祈祷きとう読経どきょうをさせるのも怨霊が怖いからである。


 大貴族は病の時は陰陽師や僧侶に祈祷や読経をさせるんですの。


 私が痘瘡もがさかかった時に陰陽師や僧侶が祈祷していたのもそのためですのよ――医者も呼びましたけど。


「いえ、いいんです。トメの言うとおり、気にしすぎていたようですわ」

 私がそう言って部屋に戻ろうとすると、

「待ちなさい! どういうことだ!?」

 お父様が私を引き止めて訊ねる。


「昔の皇后様で喪中に入内した方が不幸になったと。早くに崩御され、残された皇子様も第一皇子にもかかわらず春宮には立てなかったと……」


 私がそう言うと、お父様はハッとしたように息を飲んだ。

 その皇后の喪は祖父だったから結び付けて考えていなかったらしい。


 まぁ実際こじつけですしね。


「そうですよ。姫様の喪ではありませんし、たたられるいわれはありませんよ」

 トメが言った。


「い、いや、別に祟ったわけでは……」

 お父様は慌てたように言う。


「祟りは別の話ですわ」

「他にもあるのか!?」

 お父様が声を上げた。


「それはいくらでもありますわよ。他の女が産んだ娘が入内して幸せになるなんて、誰だってうらみたくなりますわ」

 私の言葉にお父様が青ざめる。


 娘を入内させるのは帝の外祖父がいそふになりたいからだ。

 入内したところで娘が皇子を産まなかったり、産んだけれど春宮(というか帝)になれなかったりしたら意味がない。

 私は、言葉もない様子のお父様を残して部屋に戻った。


 これだけ脅せば、きっと中の君は演奏しなくていいと言って下さるはず。



 部屋に戻る途中、機織はたおりの音が聞こえてきた。


 縫い物だけではなく、染色や機織りも妻がやる(か、あるいは使用人に指示をする)。

 だから七夕で棚機つ女たなばたつめの織姫に縫い物などが上手くなるように祈るのだ。


 それはともかく、そろそろ麻の収穫作業をしている頃だろう。

 私は当然、見たことはないが歌で詠むことはある(見聞きしたことないものや土地を歌に詠み込むのは普通ですのよ)。


夏衣なつごろも ひもくれないに 染まるとや 夕暮れ時の 白きひとえは」

 私はなんとなく歌を詠んでみた。


 まだ日が暮れるまでには間がありますけどね。


 頼浮の声は聞こえてこない。


 今日はいないのかしら。


 随身というのは仕事として近衛府という役所から派遣されているのでない時もあるのだ。

 その時――。


の花の ひとえの色は 夏衣 たつ田の山に 昇る月かも」

 頼浮の声が聞こえてきた。


 なかなかですわね。


 こうやって歌のやりとりをするのは楽しいですわ。



 数日後――



 お父様もお母様も何日待っても演奏しなくていいとは言ってこない。


 もしかして中の君にだけ話して私には言っていないとか?


 私は演奏するのだから中の君が演奏しないことをわざわざいう必要はないけど……。



「あの……中の君は喪中では……」

 私は思い切って北の対へ行くとお母様に訊ねてみた。


「もう喪は明けているそうです」

 お母様が言った。


「明けている? 中の君が来てからまだそんなにたっていないでしょう」


 の期間は一年である。


「殿に知らせが届くまでに時間がかかったそうですよ」

「そうだったんですか」


 そうなると宴までに上手くなるしかない。

 と、言いたいところですけど――。


 無理ですわ!


 なんとかしなくては――!



 四十よそじの賀の日の朝――



 私(左大臣の大君の方)は宴の前の最後のお稽古のために中の君のところへ行った。


 中の君が手を止めると溜息をいた。


 無理もありませんわ。

 私だって頭を抱えてますもの。


 ちらっと中の君の指に視線を走らせる。


 爪が割れていればケガをしたからという口実で演奏を断れたのだが、中の君の指は相当丈夫なのかここのところずっと朝から晩まで稽古していたにもかかわらずわずかなひびすら入っていない。


「大君、中の君」

 お母様がお稽古をしている私達のところに来た。


「良い知らせですよ」


 今の私達にとって〝良い知らせ〟というのは宴の延期だけですわ――できれば一年くらい。


「春宮様がお忍びで行啓ぎょうけいして下さるそうです」


 中の君が息を飲んだのが分かった。

 春宮に自分の…………あまり上手いとは言えない箏の演奏を聴かれたくないのだろう。


 お母様も、春宮に中の君の演奏を聴かせれば幻滅して『中の君を妃として迎えたい』と言うのをやめると思ったのだろう。


 狐の鳴き真似をしながら庭を徘徊はいかいするような方が箏の腕を気にするとは思えませんけど。


「それに右大臣様や大納言様もいらして下さるそうです」


 なんですって……!


 では公卿は全員来るのだ(以前お母様からいらっしゃる方を聞いておいたんですのよ)。


 春宮が来ることより公卿が全員揃う方が遥かに困りますわ!


 公卿達に中の君の演奏を聴かれたら誰も入内に賛成してくれなくなりますわ!


 と言うより絶対反対されてしまいますわ!(楽器の演奏というのはそのくらい大事な教養なんですのよ!)


 となると何があっても中の君の演奏は聴かせられませんわ!


 こうなったら――。



 宴の時間――



「お姉様、私には無理です……」

 中の君が真っ青な表情で言った。


 私達は邸内にある広い部屋にいた。

 御簾の向こうには大勢の客がいるのが気配で分かる。


 公卿だけなら十人ほどだが、中納言や参議(いわゆる中級貴族ですわ)、それにトメによると下級貴族達も大勢招かれているらしい。


 中の君の入内を阻止するために集められるだけ集めましたのね。


 一番いい席には春宮がいる(らしいですわ。御簾があるので私達からはお姿は見えませんけど)。


 いくら広い部屋だと言っても全員は入れないのでお父様とお母様、右大臣と大納言の方々以外は庭にいる。


「中の君、確かに聴いている方は大勢いるけれど、これは娘達わたしたちからお父様へのお祝いよ。気持ちがこもっていればいいのよ」

 私がそう言った時、

「そこにいるのが大君ですわ」

 お母様が御簾の向こうから中の君をした(御簾越しの上に夜なので暗くて顔が見えませんのよ)。


 中の君が青くなって私を見る。

 私はにっこりと笑った。


 私と中の君が座る場所を準備した女房に聞いておいて、中の君の座る予定のところに私が座ったのだ。


「おか……」

 中の君がお母様に声を掛けようとしたのを止める。


「言ったでしょう。大事なのはお祝いの気持ちよ」

 私はそう言って演奏を始めた。


 中の君が真っ青な顔で演奏を始める。

 緊張のせいかいつも以上に弾き間違いが多い。

 そして間違える度にさらに青くなって演奏がひどくなる。


 あまりにひどい演奏にお客さん達は全員黙り込んでしまい、静まり返ったところに私達の箏の音だけが響いていた。


 お母様は入れ替わりに気付いたらしく、私の方を睨んでいる(ようですわ。よく見えませんけど)。

 だが私と中の君が入れ替わっているとは言い出せずに黙っているらしい。


 春宮が突然行啓されたため私達が弾く場所やお父様達が座る位置が変更になったのだ。

 一番の上座には春宮に座っていただくことになるからである。


 だからお母様に叱られたら弾く場所が変わったから間違えたと言えば通るだろう。


 それはともかく、これで演奏が下手なのは大君、上手いのが中の君という事になる。

 上手くいけば中の君の方を入内――というのは難しい。


 もし入内は大君ではなく中の君を、と誰かが言い出したらお母様が『間違って中の君の方を指してしまった』と言うだろう。


 御簾で遮られていて顔は見えないから背格好が似ている私達を間違えることは普通にあり得るからだ。


 だが少なくとも中の君の演奏が上手くないという事は人に知られずにすんだ。

 次に中の君が演奏しなければならなくなるまでに上達してしまえば今日のことは私の調子が悪かっただけということに出来るだろう。


 中の君には私と同じくらいになるまでお稽古してもらうことになりますけど。

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