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第二十五話 嫌疑と二度目の襲撃

 少し荒っぽい足音が聞こえた気がして私(左大臣の大君の方)は振り返った。


 古参の女房がその女房に注意しようとしたようだが、それより先に――。


「姫様! わたくし、悔しいですわ!」

 夕食を持ってきた女房が私の前にぜんを置きながら言った。


「何かあったの?」

「姫様が疑われているんです!」

「あっ、しー!」


 別の女房が慌てて止めようとしたのを見て本当に疑いが掛かっているのだと分かった。

 でも――。


「何の疑い?」

 私が訊ねると女房達が気まずそうに顔を見合わせた。


「中の君のことですわ」

 女房が答える。


 他の女房達が黙らせようと必死で目配せをしている。


「姫様があの蛇を贈ったり、夜中に襲撃させたと……」

「およしなさい!」

 とうとう年配の女房が叱り付けた。


「…………」


 一瞬、言葉もなかったが考えてみたら疑わしいのはお母様と私しかいない。


 お母様は、中の君の母君がお父様の妻だったから、私は春宮に入内することになっているから、どちらにしろ殿方をめぐっての嫉妬しっとという事になる。


 ということは頼浮の歯切れが悪かったのも私を疑っていたからですの?


 では以前、蛇の箱のことを聞いたときに返事を躊躇ためらったのも私がとぼけているか、疑われていないか探りを入れたと思っていたからなのね。


 傷付きましたわ! と言いたいところですけど他に疑わしい人はいないのだから仕方ありませんわね。


 とはいえ嫌がらせをしたときの記憶を失っているのでないなら私がやったわけではないのだけれど――。



 翌日――



 私(左大臣の大君の方ですわよ)は箏のお稽古を始めた。

 最近は皆、私が稽古を始めると黙って部屋を出ていくようになった。


 頼浮を呼ぶときだけ人払いをするのは不自然だから有難いですわ。


 そう思っていると中の君がツユと一緒にやってきた。


「中の君、どうしたの?」

「箏を教えていただこうと……」

「いいわよ。では一緒にお稽古しましょう」

 私がそう言うと中の君が隣に座った。


 それ以来、時々中の君が箏のお稽古に来るようになった。



 数日後――



 その日も私は中の君と箏のお稽古をしていた。


「伏せて下さい!」

 不意に頼浮の声がした。


 と、思うと几帳が倒れてきた。

 几帳と一緒に何かに押し倒される。


「きゃ!」

 私と中の君が几帳の下敷きになって倒れた。


「そのまま伏せてて下さい!」

 耳元で声がしたかと思うと私と中の君を押した何かが離れた。

 おそらく頼浮だろう。


 金属がぶつかる高い音が何度も響く。


「姫様!」

 邸のあちこちから駆け付けてくる足音が聞こえる。


 しばらく金属音や男達の声が聞こえていたかと思うと、やがて静かになった。


「姫様! ご無事ですか!?」

 女房達が私と中の君の上に倒れていた几帳をどかしたので起き上がる。


「中の君、大丈夫?」

 私は中の君に声を掛けた。


「は、はい……」

 中の君が震える声で返事をする。


 思わず安心した時、手がぬるっとした。

 見ると赤い液体が付いている。


「中の君!? ホントにケガはしてない!? 痛いところは……!?」

「ありません。お姉様こそご無事ですか?」

「ええ……」


 ということは、この血は……。


……!」

 私は、とっさに『頼浮』と言い掛けてから、

「トメ、皆が――随身達が無事か聞いて!」

 と、トメに言った。


「随身の一人がおケガを……」

「かすり傷です。大した事はありません」

 頼浮がトメを遮る。


 私は几帳の影から外を覗いた。

 深緑の位襖いおうそでが切れて黒くなっているところがある――おそらく黒いのは血だろう――けれど立って他の随身や郎党と話している。


 命に別状はなさそうだけれど――。

 今回は私と中の君のどちらが狙われたの?


 二人で箏を弾いていたのは分かっていたはずだから、そうなると二人共?



 翌日――



 深緑の位襖を着た随身が庭を見回っているのが見えたので箏を弾き始めた。


 六位の随身は皆、深緑の位襖だから頼浮ではないかもしれない。

 だが頼浮なら来るはずだ。


 私が箏を弾いていると橘の香りが近付いてきた。


「昨日はありがとう」

「いえ……」

 頼浮の歯切れが悪い。


 具合でも悪いのかしら。

 もしかして昨日のケガが……。


 そう思った時、そういえば疑われている(かもしれない)んだったということを思い出した。


 もしかして、昨日のことも私がやらせたと思っているのかしら……。


 その時、不意に頼浮が離れていった。

 入れ違うように簀子を歩く女房の足音が近付いてきた。


「姫様、北の方様がお呼びです」

「分かったわ」


 どうやら頼浮は女房が来るのを見て離れたらしい。



 北の対へ行くとお父様とお母様がいた。


「なんでしょうか」

 私がそう言うと、

「昨日のことなのだけど……」

 お母様が切り出した。


「随身が捕まえた男が……」

 お父様が言葉を切ると、

「あなたの女房の手引きであそこまで入ったと言ったそうよ」

 お母様が後を引き取って言った。


「…………」

 私はなんと答えていいか分からなかった。

 もちろん私はやらせていない。


 ただ、昼間にあそこまで入ってくるには邸に詳しい者の手引きが必要なのも事実なのだ。

 私が頼浮に聞こうとしたのもこれである。


 まさか私の差し金にされるとは思わなかったけれど……。


 でも、どんな理由を付けたのかは分からないけれど私が妹を殺そうとしたなら入内は中の君の方がいいという事にならないかしら。


 妹を殺そうとした(と思われている)姫を妻にしようという殿方はいないだろうから私は婿を迎えられなくなるかもしれないけれど……。


 左大臣おとうさまに出世を手伝ってもらえるならそんな姫でも妻にしようという奇特な方がいるかもしれないが――。


 ただ、そういう妻がいると出世も難しいような気も……。


 私が考え込んでいると――。


「おそれながら……」

 庭で控えていた頼浮が声を出した。


「襲ってきた賊を捕らえた随身か。どうした」

 お父様が話すように促す。


「私の報告の仕方が悪くて誤解されてしまったようですが、大君の差し金という意味ではありません」

 頼浮が言った。


 あら……。


 疑っているのだと思っていたのに……。


 それとも疑ってはいるけれど確証もないから庇ってくれてるの?


「姫に懸想している者が女房を抱き込んで忍び込むのはよくありますので」


 そうなのだ。


 懸想文けそうぶみのやりとりを飛ばしたいとか、一夜を共にしたいだけで妻にする気はないとか、相手にしてもらえないから(何度文を贈っても返事がもらえないのは婿にする気がないという事ですわよ)とか、そういう殿方が女房に金を掴ませて手引きさせるのはよくあるのだ。


 三日間通ってしまえば婿になれるのだし(妻にしたい場合は)。


 だから左大臣家うちのような大貴族は身元の確かなものしか女房として雇わないようにしているのだが、既に雇われている者が抱き込まれてしまうとどうしようもない。


 お父様は女房に手引きさせるということに思い当たることがあるのか気まずそうに黙ってしまった。


 その心当たりが中の君のお母様でなければいいのだけれど――。

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