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第二十七話 物語の作者

「入れ替わりを考えたのはわたくしです」

 女房が胸を張る。


 私(左大臣の大君の方)が訊ねると女房は自慢げに答えた。


「姫様が中の君に嫌がらせをしているというのを聞いて腹が立ったんですわ。それでわたくしが言い返したら証明しろって言われたんですの。例えば……あっ!」

 女房がそこまで言って言葉を切った。


 思い当たることがあったらしい。

 この女房が全く何もないところから思いついたのではなく、そういう風に考えるように仕向けられたのだ。


「その女房の名前、知ってる?」

「はい」

 女房が名前を挙げる。中の君の女房の一人だ。


 その時、外からかすかな咳払いが聞こえた。

 さっきから庭に頼浮がいて話を聞いていたのだ。


「もういいわ。私は箏のお稽古をするから」

 私がそう言うと女房は下がった。


「今の女房が言った者ですが今朝、邸を出ました」


 夕辺の騒ぎで襲撃者が捕まったと聞き、部屋の入れ替えをそそのかしたのが自分だと知られると思って逃げたのだろう。


「逃げるということは予想していたのよね」

「ええ、指示した者に報告に行ったところを取り押さえるのが一番確実かと思いまして」


 どうやら、わざと逃がして尾行させているらしい。


 それなら遠からず誰が狙わせたか分かるだろう。

 どちらを狙ったのかも。



 数日後――



 松姫が左大臣邸うちを訪ねてくれた。


 あれから松姫とは何度か文のやりとりをしていた。

 私が物語のことを色々と訊ねたのだ。


 細かいことをあれこれと訊ねる私に、直接会って話した方が早いということで訪ねてきてくれたのである。


「あの継子いじめ譚の続きを随分ずいぶん気にされているのですね」

 松姫が言った。


「ええ、……幼馴染みの男と再会してからどうなったのか気になってしまって……」

 私が答える。


「そうですね……親しくなってから男と結ばれて……男が大貴族だったことが分かって北の方を見返して……」


 よくある継子いじめ譚だ。

 けど――。


「続きがありますの!? 松姫様は続きを読まれましたの?」


 もしかして本当は続きがあったのに、なんらかの理由でなくなってしまったのだろうか。

 大雨か洪水で濡れてダメになってしまったとか、火事で焼けてしまったとか、あるいは――。


「いえ……」

 松姫は決まりが悪そうな表情で目を伏せてから、

「まだ途中なんです」

 と答えた。


「作者の方は書いてる最中という事ですか?」


 それとも松姫が書き写している途中ということだろうか?


 ただ、それだと松姫は今、読んでいるという事になる。

 しかし――。


「松姫様が娘時代に読まれていたのでは……」

 私が訊ねる。


 実際、紙は古びていた。

 最近になって続きが手に入ったとか?


「実はあれは私が書いたものなんです」

 松姫が恥ずかしそうに打ち明けた。


「あそこまで書いた後は紙が手に入らなくてそのままになってしまって……」


 紙というのは貴重なのだ。


 少納言の姫(前世の私ですわよ)ですら書き写す物語を厳選しなければならなかったり、検非違使けびいし別当べっとう(検非違使庁の長官)だった人が歌集を作る時に検非違使庁で使い終わった書類の裏を使ってしまったりするくらいには手に入れるのが大変だった。


 検非違使別当(さすがに使ったのは異動後)ですら歌集を作るのに書類の裏を利用したくらいなのだから当然それより低い官職だともっと手に入りにくい。


 私が危惧きぐしたのもそれなのだ。

 もしかしたら他の事に裏を使ってしまったから無かったのではないかと思ったのである。


 古い物語――に、限らず書き物――が残らないのもそのせいだし、逆に日記が残りやすいのもこの為である。


 物語を引き継いだ人がそういう者に興味がなかったり、紙が必要なのにもかかわらず手元に他になかったりすると裏を使われてしまう。


 だからよほど面白くない限り世代をるごとに数が減っていってしまうのである(日記は作法や慣習などを記録したもので必要とされるから沢山書き写されるので残りやすい)。


 どうやら今回、礼になるようなものが他になかったのであの物語を贈ってきてくれたらしい。


 書きかけの物語が礼になるのか?

 くどいようですけど――。


 なんですのよ。


 物語そのものには価値がなくても唐櫃からびついっぱいの紙には価値があるんですの。

 裏に別の何かを書き写したり出来ますし――例えば歌集を作ったり――、仮に裏も使っていたとしても子供の手習いなどにも使えますから。


 贈答用の物語は豪華な装丁が施されているが自分用に借りた物を書き写した場合は普通の紙に書いてある。

 左大臣の大君わたしだって自分用に書き写したものは特に装丁はしていないし、場合によっては書きし損じの紙の裏を使ったりしている。


 装丁そうていが施されていないのは誰かから借りた物語を自分用に書き写したものだからと思っていたのだが違ったらしい。


 物語というのは口実だったのだ。

 左大臣に裏紙をどうぞというのもはばかられるので『大君は物語が好きと言っていたから』という理由で贈ってきたのだろう。


 まさかホントに物語を読むとは思っていなかったようだ。

 ましてや内容に突っ込まれるとは予想もしていなかったから困惑したらしい。


 私は私でお礼を送られるほどのことをしたとは思っていなかったから、本当に物語を譲ってくれたのだと思ってしまっていた。

 けど――。


不躾ぶしつけなことを伺いますけど、従妹の方のわれた事故というのはどのような……?」

「石段で足を踏み外したんです。従妹は足が不自由で……それで母は足が治るように祈願きがんに行こうと誘ったんです」


 ……。


 嘘ではないだろう。

 仮に暴走した牛車に跳ねられたと答えるのが恥ずかしいと思ったのだとしても石段で足を踏み外したというだけでいいのだ。

 足が不自由だったなどという説明は必要はない。


 松姫のお母様が後悔していたのも足が不自由な姪を石段があるような寺に誘ったからだ。

 足が不自由でなければ石段を踏み外してしまったところで『運が悪かった』ですんでいただろう。


 だとすれば松姫の従妹は前世の私ではない。

 私は足が不自由ではなかった。


 ただ――。


「では桜の枝を全部切ったというのも松姫様がお考えになったことですの?」

 私の質問に、

「え……私、そんなこと書いていましたか?」

 松姫は驚いたような表情を浮かべた。


 そういえば……。


 後で確かめる必要があるが、言われてみれば全部切ったとは書いてなかったかもしれない。


 噂を聞いていたから花を贈られたというのを読んで枝を全部切ったのだと思い込んでしまっただけということは考えられる。


 松姫は少し物語の話をしたところで早々に帰っていった。


 わざわざ来ていただいたのだし本当ならもっと話したいところだったのだが、なんだか気分が優れなかったので引き止めなかった。


 トメから松姫が牛車に乗って門を出たという報告を受けたところで私は意識を失った――。

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