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第二十八話 物語の終わり

 私(左大臣の大君の方)が目を覚ますと、また陰陽師と僧侶達の祈祷や読経の声が聞こえていた。


「姫様……」

 トメが声を詰まらせる。


「今回は痘瘡もがさじゃないわよね?」

 そう言った私の声は驚くほどかすれていた。


「召し上がったものの中に毒が……」

「あなた達は大丈夫だったの!?」

 飛び起きたかったが身体が動かなかった。


 夢で見た物語の毒は今回のこと!?


「姫様方だけが召し上がられたので……」


 ならお菓子だろう。

 珍しくて数が手に入らないお菓子は主人しか食べない。


「妹達は!? 無事なの!?」


 物語で儚くなったのは末の妹だったはず。

 左大臣家うちなら四の姫だ。


「三の姫様も四の姫様もお元気です」

「元気?」


 まだ子供で身体が小さいのに?


「三の姫様と四の姫様は召し上がられませんでしたので」


 小さい子供がお菓子を食べなかった……?


「ご親戚の方が姫様方にとお菓子を贈って下さったんです。ただお客様がいらしたので数が足りなくて……姫様と中の君だけが……」


 三の姫も食べなかったのなら贈られたのは娘の人数分だけだったのだろう。

 だとすれば私達むすめを狙ったと言うことだが――。


 私達を親戚が狙った?

 一体なんの理由があって?



 数日後――



 陰陽師や僧侶の声が止まった。


 中の君は助からなかった。


 私達は沈痛な面持ちで墨染すみぞめの衣裳を着て俯いていた(に服す時に墨染めの色をまとった)。


 三の姫や四の姫、女房達は泣いていた。


「姫様、申し訳ありません!」

 女房の一人が泣きながら謝った。


「あなたが毒を入れたの?」

 私がそう言うと、

「そんな……! 違います!」

 女房が驚いたように首を振った。


「だったら謝る必要はないわ。他の人も同じよ」

 私は女房達を見回しながら言った。


「助けられなかったのは私も同じ。助けられなかったことが悪いことなら私も悪かったということになるわ。毒を入れたわけではない者が謝る必要はない」


 悪いのは毒を送ってきた者だもの。

 許せない――。



 数日後――



 お父様がやってきて毒を入れるように指示した者が捕まったと告げた。


 頼浮よりちかが、取り押さえた襲撃者の証言を聞いたり女房の後をけたりして襲撃の指示をした者を捕まえたのだ。


 私が倒れたと聞くと、検非違使でもないのに検非違使も顔負けの追求をして突き止めてくれたらしい。


 狙いは中の君だったから儚くなったと聞いて油断したようだ。

 それで発覚したのである。


 指示したのは――。


「どういうことですの!? どうして叔父様が……」


 トメは菓子を贈ってきたのは親戚だと言っていたが、てっきり親戚の名をかたった他人だと思っていた。


 左大臣おとうさまの娘全員を狙ったなら(お父様に対する)怨恨えんこんか、そうでなければ入内を阻止そししたい者がいたのだと。


 娘が入内して中宮になったらお父様の権力基盤は盤石ばんじゃくになる。


 それをはばみたい誰かだと思っていた。

 赤の他人の誰かだと。


 叔父様はお母様の弟だ。


 中の君とは血が繋がっていないが私や三の姫、四の姫は実の姪である。

 その私達に毒を盛るなんて――。


 毒だけではない。

 あの馬や盗賊も叔父様の差し金だったらしい。邸に押し入ってきた群盗も。


「私も知らなかったのだが……」

 そう言ってお父様が話してくれた。


 お父様の話を要約すると――。


 お母様のお父様(私の母方の祖父)の家と中の君の母君のお父様(中の君の母方の祖父)の家は昔、政敵同士だったらしい。


 そして、うち(お母様の一族)は婿(お父様)が左大臣にまでのし上がり、中の君のお母様の家は没落した。


 そんな昔のことを、と言いたいところだがお母様達の子供の頃の話なのだ。

 お母様達にとっては最近の話である。


 没落した中の君の母君の家は今や見る影もない(らしい)。


 中の君がしょっちゅう庭で鳥に餌をやっているのも姫君が気軽に外に出てしまえるほど小さい邸だったからなのだ。


 どんなに小さい邸でも普通なら姫は外に出たりしないから、そうなると中の君は庶民のような暮らしをしていたということになる。

 おそらく下働きもろくにいなくて自分達で身のまわりのことをやらなければならなかったのだろう。


 縫い物が下手だったのも練習になるほど沢山の衣裳を持っていなかったからか、あるいは、そもそも古い衣裳を着回していて新しく作ったりすることもなかったのかもしれない。


 弾ける楽器が無かったのも持っていなかったか、食うに困って売ってしまったか――。


 お父様が出世できなければお母様達がそうなっていたかもしれないのだ。


 中の君が春宮の子を産んだりしたら、そしてその子が次の春宮になったりしたら、それは中の君の家が盛り返す切っ掛けを作ってしまうことになるかもしれないのである。


 そうなったら次は自分達が中の君のような生活をしなければならないかもしれない。

 それを考えたら中の君を入内させるなんて、とんでもないということなのだろう。


 となると少なくともお母様や叔父様達は何があっても中の君の入内を認めてくださらなかったはずだ。

 入内どころか女官として出仕することすら。


 だからなのだ。私まで死にかけたのは。


 うちには三の姫と四の姫がいるし、叔父様や伯母様にも娘はいる。

 お母様にもまた子供が出来るかもしれない。


 左大臣家(というか、お母様の実家)から入内する娘を出せればいいなら私である必要はない。


 だから、あのお菓子は三個だったそうだ。

 三個なら四の姫には出されない。


 仮に私か三の姫が四の姫に譲っていたとしたら、譲った娘は菓子を食べないから誰か一人は助かる(中の君が譲っていたら別の手段を使っただろう)。


 叔父様は中の君の入内を阻止するためなら私達を巻き添えにすることさえさなかった。


 私の代わりに中の君を入内させるというのは最初から無理だったのだ。


 今回は本当に叔父様一人が仕組んだのだとしても、もしかしたら叔母様や、最悪お母様が手を下そうとしたかもしれない。


 そして、あの物語のように三の姫や四の姫が命を落としていたかもしれないのだ。

 そんな危険はおかせない。


 その時、女房が文を持ってやってきた。


「姫様、松姫様のお邸からこれが……」


 それを読んだ私の手から文が落ちた。


「なんてこと……」


 松姫の侍女からの文だった。

 うちから帰った後、体調を崩して寝込んでしまいはかなくなったという知らせだった。


 予想しておくべきでしたわ……。


 菓子を出された客というのは松姫だったのだ。

 それで松姫は儚くなった。


 うちのつまらない争いに巻き込んでしまった……。


 松姫にはなんの関係なかったのに……。


 私は溜息をいた。


 元々私は春宮への入内が決まっていたのだし、私や三の姫、四の姫を殺してでも中の君の入内を阻止しようとしたくらいだから中の君を代わりに、というのは無理だったのである。


 もう、どうにもならない――いえ、最初からどうにもならないことだったのだ。


 庭の向こうの方を深緑の位襖いおうを着た随身が歩いているのが見えた。


 好きな人と結ばれるなんて物語の中だけ――あり得ないことだから皆そういう物語に憧れるのだ。


 さようなら……。


「お父様、私、入内します」

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