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終章 みやの栄えを

第二十九話 青い鸚鵡(オウム)の香炉

 数日後――


 私(左大臣の大君の方)は松姫から頂いた物語を全て読み終えた。


 やはり桜の枝を全部切ったとは書いてなかった。

 そもそも〝女〟が出てくる前に桜を贈ったのは別れるときの一枝だけで、再会後は贈っていない。


 思い込みだったのだ。

 読む前に吉野の枯れた桜の話を聞いていたから。


 そして縫い物。


 物語の姫君は縫い物が上手かった。

 だから継母は姫君に大量の縫い物を押し付けたのだ。


 けれど中の君はお世辞にも上手いとは言えなかった。

 お母様が中の君に縫い物をさせていたのは中の君が……あまり得意ではなかったからだ。


 左大臣家の娘として婿を取ることになるのなら縫い物が上手くなければならないから。

 そうの演奏も同様で、物語の主人公は名手で妹に手ほどきしていた。


 ついでにいうと物語の主人公は〝中の君〟ではなかった。


 というか〝中の君〟と書いてあるところは無かった――松姫の書いた物語には。

 それも私の勘違いだった。


同胞はらから〟と書いてあったのが〝女〟と一緒に出てきた場面だから当然なのだが。


 松姫の物語には〝女(意地悪をしていた姫君)〟は全く出てこなかった。


 そして孔雀や鸚鵡オウムの香炉は〝女〟と一緒に出てきたのだから当然、松姫が書いた物語には出てきていない。


〝女〟が出てきてからの話は松姫以外の誰かが書いたのだろう。


 時々あるのだ。

 物語の先を読みたいと思った別の誰かが勝手に続きを書いてしまうことが。


 あるいは、そもそも続きではなく別の話が混同されたのかもしれない。

 継子いじめ譚は人気があるから多くの人が書いていた。


 どちらにしろ、松姫の物語は私や中の君の話ではなかったのは間違いない。


 疑問は解けましたけど……。


 いなくなった人達は戻ってこない。

 もう取り返しが付かないのだ。


 私は深い溜息をいた。



 数日後――



 私(左大臣の大君の方)はお父様と御簾越しに対面していた(親子でも普通は御簾越しですのよ)。


「春宮様が?」

 私が聞き返した。


「ああ。中の君のことをお知りなって出家なさると仰って……。今は寺に駆け込んだりしないように皆で交替で見張っているんだ」

 お父様の言葉に私は溜息をいた。


「それで、春宮様に中の君のことをけいしようかと思うのだが……」

 お父様が言った。


「……それだけでは同じだと思いますわ」

「しかし春宮様が出家なされたりしたら……」


 うち(お母様の家)だけではなく、皇族も昔から色々と揉めているのだ。

 特に跡継ぎの問題では。


 帝には皇子みこがお一人しかいらっしゃらないから春宮が出家してしまったら帝の弟宮おとうとみやのどなたかが春宮に冊立さくりつ(決まると言うことですわ)されることになるが――。


 今、と言ったことでお分かりでしょうけど帝の弟宮はお一人ではありませんのよ。


 しかもそれぞれ母君が違うから貴族の政争が子供の喧嘩に思えるような大きな争いが起きるのは目に見えている。

 母君方は皆、大貴族の姫なのだ。


 春宮というのは母方の力が強い皇子がなる。


 大貴族達は娘が皇子を産んで外戚になれることを期待して入内させるのだ。


 先帝の時は最初の皇子を産んだのが皇后だったので今上帝はそれほどめずに春宮になり即位した。


 だが今上帝には皇子がお一人しか産まれなかった。


 そのたった一人の皇子が出家してしまって次の帝になれなくなったら――。


 もうこれ以上、犠牲者を出すわけにはいかない。

 これ以上、無意味な争いをしてはいけないのだ。


「お父様、春宮様をここへお呼びください」

「何を言って……」


 出家してしまったりしないように内裏から出られないようにしているのだ。


 左大臣邸に来るために内裏から出たらその足で寺に駆け込んでしまうかもしれないと危惧きぐしているのだろう。


「春宮様に中の君の遺品をお渡しすると申し上げて下さい。出家していたらお渡ししないと。そうすれば少なくとも、ここへ来る前に寺に行ったりはしないはずですわ」

 私はお父様に言った。


「私が春宮様を説得します」

 私がきっぱりと言い切ると、

「分かった。なんとか貴族達を説得してみよう」

 お父様は疲れた表情でそう答えた。


「トメ、文を書くから紙を」

 私は筆をった。



 数日後――



 春宮が左大臣邸に行啓ぎょうけい(春宮がお出掛けになるという事ですわよ)された。


 私が合図をすると女房の一人が春宮の前に箱を置いた。


「それは私がお母様から頂いた物なのですが、中の君に差し上げようと思っていたものです」

 私の言葉に春宮が顔を上げた。


「あげようと?」

 春宮が聞き返した。


「中の君は鳥がお好きだったでしょう。ですから、きっとそれも気に入ると……」

「渡してないなら遺品ではないだろう! 愚弄ぐろうする気か……!」

 春宮が声を荒げて私の言葉を遮った。


「それをよくご覧下さい」

 私の合図に女房が箱から中身を取り出し、包んでいた布を開く。


 中に入っていたのは青い鸚鵡オウムの香炉だった。


鸚鵡オウムか……いつか本物を見せてやりたかっ……」

 春宮が途中で言葉を切った。


 香炉を包んでいた布の内側に書かれた歌に気付いたのだろう。

 筆跡にも。


常世物とこよもの 橘のは 背子せこの 元へ行きなむ 春の宮へと〟


「これは……」

 春宮が顔を上げて私を見る。


「私を信じていただけませんか? 決して後悔はさせませんわ」

「……分かった」

「その香炉は中の君だと思ってお持ち下さい」

 私がそう言うと春宮自ら大事そうに香炉を布で包み直した。


「では待っている……内裏で」


 春の宮で――。


「出来れば本物の鸚鵡オウムを用意しておいて下さいませ」

 私がそう言うと春宮はちらっと笑みを浮かべた。


 あら……。


 春宮もなかなかすてきな殿方ですのね。


 夜中に庭を徘徊はいかいしたりしなければ、ですけど。



 数ヶ月後――



 春宮が待ちかねているということで中の君のが明けると早々に私は入内することになった。



 牛車が内裏に到着した。

 ここからは牛車を降りて歩いていく。

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