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追憶のディルハイド 第2話

それから私は、塞ぎ込むようにして時を過ごした。

何十年、あるいは──何百年と。

時間の感覚など、とっくに失っていた。


私に力があれば、違う未来があっただろうか。そして、この命に──何の意味があるのか。

そう問いながら、ただ息をしていた。


蹂躙された記憶は、時を経てもなお、鮮明だった。

あの首が飛んだ瞬間。

あの斧が振りかぶられた角度。

あの血の匂い、足音、声──。


何ひとつ、薄れることはなかった。


明くる日も、明くる日も、私は森の中の切り株に腰を下ろし、ぼんやりと過ごしていた。

そんなあるときだった。


「⋯⋯ディルハイド?おーい、ディルハイドー!」


どこからか、声が聞こえてきた。

それはあまりに唐突で、間の抜けた響きだった。

私は周囲を見回す。誰も、いない。

「誰だ⋯⋯!私を呼ぶのは誰だ!」


声は木々のざわめきに呑まれ、返事もない。ただ、風が吹き抜ける。


──だが次の瞬間、耳ではなく、“内側”に声が響いた。

「君の心に話しかけてるから、実体は無いよ?」


楽しげな声音に、思わず苛立ちが走る。

私は低く唸るように問い返した。

「誰だ⋯⋯!私に、何の用だ⋯⋯!」

すると、風のように、ふっと問いが返ってきた。


「君はさぁ──強くなりたいかい?」

「⋯⋯何を言っている?」

「え?そのままの意味だよ。強くなりたいかい?」


思考が揺らいだ。

まるで、水面に石を投げ入れたように──内心が波紋を広げて、ざわめいていく。

私は、目を閉じて深く息を吸う。


──おかしい。

ついに、精神が壊れたか。

長すぎる沈黙が、私の理性を腐らせたのか。

あるいは、あの“罅”で魂の何かが壊れていたのか。


「あれ、強くなりたくないの?ダークエルフなのに、もったいないなぁ」


口調が軽くなる。

だが、その裏にある“知性”と“確信”が──本能的に、私の警戒心を強く刺激した。

「⋯⋯名を名乗れ!貴様は、何者だ⋯⋯!」


風は笑う。

心の奥底に、薄ら笑いを落としていった。


「名前なんて、いる?んー、まぁ⋯⋯RPGでは最初に名前を決めるしね。じゃあ、そうだな──『ヘッレ』にしようかな?」


「“ヘッレ”か⋯⋯強くなる、というのは⋯⋯具体的に、どういうことだ?」


「も〜う、細かいなぁ!そういうの、今どき流行らないよ?“強くなりたかったら、強くしてあげる”って言ってるのに──それ以上、何を求めるの?」


──私は、ずっと願っていた。

兄上のようにとは言わない。

それでもせめて、肩を並べられるくらいには。

いや、でも、いつか──それ以上に。


ダークエルフとして生まれたことは、誇りだった。

だがその稀少性は、次第に“足枷”へと変わっていった。

強くあることを求められ、期待され、それでも届かない現実に、ただ、ただ、押し潰されていった。


もし──もっと平凡な種族に生まれていたら。

何気ない成果で称えられ、小さな幸せに満たされていたのだろうか。

満ち足りた心で、兄と笑い合えていたのだろうか──。


「⋯⋯で、どうするの?強くなりたいの?」


私の一言で何が変わるのだろうか。

しかし、これがその機会であるのならと思ったとき、ふと言葉が溢れた。


「私を⋯⋯強くしてほしい。後世に語り継がれる程の力が欲しい」


「そうこなくっちゃ!あ、そうそう、君はダークエルフなのにちょっとビジュアルが良くないよね〜。別の世界にいいモデルがいたから、うり二つにしとくね〜」


ヘッレがそう言うと、私の身体にねじ曲がるような激痛が走った。


「ぎゃああああああああああ!!」


のたうち回り、もがき、苦しみ、意識は途切れ途切れに飛び、永遠に感じるほどの時間だった。



「⋯⋯ハイド?ディルハイド?起きてー?終わったよー?」


私は目を覚ました。

もう何年も眠っていたような感覚だった。

起こした身体に違和感を感じながらも、近くの池で顔を洗おうと、水面を覗き込んだとき──


「うわぁぁぁっ!これが⋯⋯私?」

「そうだよ!どう?カッコいいでしょ?気に入った?」

ヘッレの声は、底抜けに明るい。

まるで誰かに贈り物を渡したような──そんな口調で。


私は、ゆっくりと自分の顔に触れた。

切れ長の目。

スッと通った鼻筋。

少し薄い唇。

シャープな輪郭。


すべてが、かつての“私”と違っていた。

触れるたび、知らない誰かをなぞっているようだった。


──そして、それは顔だけではなかった。

内側から、滾るような魔力が沸き上がってくる。

まるで──体の奥に、溶岩が流れているような。

脈動し、暴れ、押し広げようとする、剥き出しの“力”。

こんなにも、抑えられない魔力を感じたことはなかった。


私は震えながら、拳を握った。

「これが⋯⋯力か⋯⋯」

だが、それは歓喜ではなかった。震えていたのは、興奮ではなく、恐怖だった。

“自分じゃない何か”が、内側から目を覚ましていく──そんな感覚に、私は怯えていた。


しかし、ヘッレはそれをあっさりと見破った。

「え?ビビってるの?あー、そっか。この前はケチョンケチョンだったもんねー」

「⋯⋯何を言っている」

「じゃあさ、ちょっと実戦といこうか?」

「⋯⋯実戦、だと?」

「うん。僕が相手用意してあげるから。さ、行ってきなよ?」


すると、目の前に──

「⋯⋯“界紋の罅”!?あれは全部⋯⋯貴様が⋯⋯!」

「え?何のことかなぁ?さぁ、行くの?行かないの?」

「くっ⋯⋯!」

私は、躊躇した。


この裂け目の先に、何がある? 罠かもしれない。

また、自分が壊れてしまうのではないか。

あのとき──私の仲間は、無残に土へと還った。

私自身も、誇りも、誓いも、すべて踏み砕かれた。


「こんなもの⋯⋯もう、二度と開いてほしくなかった⋯⋯」


けれど。

胸の奥で何かが、じくじくと疼いていた。

それは恐怖ではない。

諦めでもない。


──悔しさ。


「もし⋯⋯私が、この先で何かを変えられるのなら」

「お?行く気になった?」

「その先に“救い”があるかどうかは知らん。けれど、行かねばならぬ理由なら──山ほどある!!」


私は吠えるように叫び、界紋の罅へと足を踏み出した。


「おぉ〜〜カッコいいね〜〜〜〜!!でもねぇ、どうなるかは“シナリオ次第”だからね?」

ヘッレの楽しげな声が追いかけてきた。

だがもう、振り返らなかった。


そのとき──


「おゥ!俺も混ぜろよォ!“いせかい”に行けるんだろォ?」

聞き覚えのある、陽気で無鉄砲な声。

私は振り返らず、罅の向こうへ入った。

だが、後ろから響くあの足音は──間違いなく、あの男のものだった。


あの日、断ち切られた絆。

それが今、再び隣にある。


裂け目の向こうに待つのが地獄でも──。

ふたりなら、笑って壊せる気がした。




──界紋の罅を抜けた瞬間。


どんよりとした鉛色の空の下、地鳴りのような軍靴の音と、重苦しい殺気が空気を震わせた。

広大な原野の左右には、それぞれ数万の兵。揃いの甲冑、突き立てられた軍旗、びっしりと並ぶ戦列。

剣も槍も、今にも交錯しようとしている──その最前線の、ど真ん中に。


私たちは、いた。


「⋯⋯えっ?」

「⋯⋯おォ?」


兄上と目を合わせる。 

すると、不思議そうな顔で、

「弟ォ⋯⋯だよなァ?顔は違うけど⋯⋯弟だなァ」

「その件は後程」


ヘッレは“実戦”だと言っていたが、まさかこれほど大規模な一触即発の状況だとは──  

予想すら、及ばなかった。


空気に、私たちの“存在”だけが裂け目のように浮いていた。  

どこにも属さず、どこにも理解されず、ただそこに“ある”だけの異物。


しかし──  

兄上は、子供のように目を輝かせ、辺りを見回す。


「⋯⋯弟ォ!すげぇなァ!これが“いせかい”かァ?」

「⋯⋯恐らく。無限にある世界のひとつなのでしょう──そして間もなく、戦が⋯⋯始まります」


両軍の前列がざわめき始めた。

 私たちを指差す者、身構える者、魔法陣を展開する者── だがそのとき、地を震わす怒号が戦場を割った。


「うぉぉぉォ!!来るぞ、来るぞォ!!皆殺しだァァァ!!!」

──兄上だった。


満面の笑みで、大斧を肩に担ぎ、ただひとり、土煙を巻き上げ、兵の群れへ突っ込んでいく。

その咆哮に呼応するように、両軍から一斉に鬨の声が上がる。

剣が、槍が、叫びが、命を奪い合う音を鳴らし──“戦争”が始まった。


「兄上!!⋯⋯くっ⋯⋯やはり、相変わらず好戦的な人だ⋯⋯」


すると──兄上の姿が、音もなく視界から掻き消えた。


次の瞬間。  

戦列の奥で、爆風のような衝撃と共に、数百人の兵と騎馬が── まるで紙人形のように宙を舞い、肉と鉄と血煙となって飛び散った。


空が、赤く染まる。

──まさに、ただの“一撃”だった。


「ダーッハッハッハッハァ!!最高だぜェ!! おい弟ォ!どっちがたくさん殺せるか勝負だァ!!」


私は呆然としながら、両軍の群勢にもみくちゃにされ、人々の亡骸を見つめて、思い出していた。


──かつて、この光景の“逆側”に立っていた仲間たちを。

勇者たちに、無慈悲に、不条理に、命を消されたあの日を。

そして今──  兄上は、まさに同じことを繰り返している。


「私は、どうしたらいい?」

無意識に漏れた言葉だった。

変わりたいと願って、ここへ来た。 

だが、“変わりたい”とは──何なのだ?


このままやり過ごせば、何か変わるのか?

そんな問いが脳裏で渦巻く中──

「うおああぁぁぁ!」


私が背後の奇声に振り向いた瞬間── 

ひとりの兵の刃が、すぐそこまで迫っていた。


(勇者め⋯⋯勇者めッ!!)


──そうだ。 

あのときと、まったく同じだった。

声を飲まれ、剣を向けられ、殺されかけた、あの瞬間と。


「⋯⋯フラメディオルッ!!」


火球の連弾が、咄嗟に、無意識に、翳した十指から放たれた。 

兵たちを薙ぎ払い、大地を燃やし、記憶の亡霊ごと、焼き焦がした。

私の周りを、悲鳴や絶叫が包み、兵たちは距離を取った。


「おォ!!弟ォ!!いつの間にそんな強ェ魔法使えるようになったんだァ?」


遠くから──  

兄上が、戦場に似つかわしくないほど、屈託のない笑顔で叫んでいた。

そして、その顔のまますぐ殺戮を楽しんでいた。


私は自分の両手を見ながら、可能性を確信した。

「これは⋯⋯この力があれば⋯⋯ハハッ⋯⋯ハハハハハハッ!」


─それは、勝利の笑みではなかった。

吐き出したのは、 怒りか、憎しみか、あるいは⋯⋯哀しみだったのかもしれない。


正義とは、何か。

理不尽か。

不条理か。

正しさか。

──いや、違う。

正義とは、“力”以外の、何物でもない。

力が全てだ。


私は──力を手に入れた。


勇者も。  

シリスも。  

いずれ、正義の名のもとに、殺す。



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