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追憶のディルハイド 第3話

私は宙に舞い上がり、戦場を俯瞰した。

両軍の兵士は、合わせて四割ほど減っていた。


兄上の軌道は、蛇が這うように不規則で──やがて円を描き、その中には、もはや原型を留めぬ肉片が散乱していた。

「兄上には、正義も悪も存在しないのだろうな⋯⋯」


そのとき、私の頭にあの飄々とした声が響いた。

「調子はどう?何か掴めたかな?」

「ヘッレか⋯⋯私は、目が覚めたようだ」

「そう。ならよかった!じゃあ、そろそろここも終わらせよっか?」

「終わらせる?」

「うん。この原野一面──ディルハイドの即死魔法で、一発だよ!」


このような言葉を、明るい口調で言い放つ神経というのはどういうものであろうか。

戦闘種族である私が、戦い以外の、ただの一言で悪寒が走るとは。

そして、ヘッレは妙なことを言い出した。


「ディルハイドはもう、その魔法を“知ってる”し、使えるはずだよ。覚醒したらそうなるように、ずっと前から仕込んでおいたんだ。だって君が“強くなりたい”って言ったからさ。⋯⋯だから、ちゃんと準備しておいたんだよ?」


即死魔法など、今まで使えたことが無い。

しかも、複数名⋯⋯いや、都市の人口に匹敵する人数を一度に即死にするなど、そんなことがあり得るのか。

それに、“準備しておいた”とはどういうことなのか。

私は、ヘッレに言われるがまま、記憶に無い記憶を探った。


ある訳が無いのだ。

そもそも、知らないのだ。

そんな大それた魔法⋯⋯。







⋯⋯あった。

私は、知っている。

いや、“知ってしまっている”のだ。


その名前、構築式、発動後の光景──すべてが、脳裏に焼き付いたように浮かんでくる。

あたかも、初めから自分の魔法であったかのように。

私は、今まで感じたことが無い高揚感に浸っていた。

「⋯⋯ハハハッ⋯⋯素晴らしい⋯⋯!常軌を逸している!ならば、終わらせよう!⋯⋯小さく弱い者たちよ!力の前にひれ伏せ!」


「⋯⋯“バナファウル”」


原野よりも大きな、布のような黒いヴェールが、波打ちながら戦場を覆う。


そのヴェールが、兵の一人に触れた瞬間──その身体は、塵となって崩れた。


音もなく、悲鳴もなく。


それは“死”ですらない、“削除”だった。


それに気づいた両軍の兵は、敵味方関係無く一方向へ逃げ惑う。

その群れは徐々にヴェールに呑まれ──





原野は、静まり返った。






そこに、場違いな陽気な声がした。

「ディルハイド!すごいじゃん!やったね!やっぱり君に期待して正解だったよ!ほら、見て?ほら、ほら⋯⋯ね?すっからかん!って⋯⋯あれ?」


ヘッレが何か見つけたようだ。

私も原野に目をやると、兵も、騎馬も、散らばった肉片も消えたはずの地に、影がひとつあった。

「あ⋯⋯兄上⋯⋯」


そこには、兄上──ボルドゥーンが無傷のまま横たわっていた。

「あれ⋯⋯しまった⋯⋯脳筋のこと忘れてた⋯⋯ごめんよ」


私は、現実を瞬時には受け入れられなかった。

「私が⋯⋯兄上を⋯⋯」

「本当にごめん、ディルハイド。生き返らせることは出来るからさ⋯⋯」

ヘッレの声は、いつもの軽さの中に、初めて“後悔”という色を含んでいた。

それが逆に、耳にざらついた。



だが──私は現実を“受け入れた”途端、

「⋯⋯フフフフフッ。ハッハッハッハッハ!!」


声が、喉の奥から吹き出した。

吐き出すような笑いだった。


「私が!あの最強の兄上を一瞬で殺した!一生敵わないと思っていた兄上を!」


見上げた空は、いつの間にか奇妙に澄んでいた。

吹き抜ける風が、微かに残る血の匂いを遠くへさらっていく。

世界はあまりに静かで──私の声だけが、虚空に反響していた。


「⋯⋯これが⋯⋯力か?これが、私がずっと欲しかった“力”なのか!?兄上を!この手で!殺せるほどの!!」


「ディルハイド⋯⋯期待して正解っていうのは、あくまで僕の個人的な意見だからね。⋯⋯君はもう戻れないよ?」


ヘッレの声は遠く感じた。

だが、それに答えるのに、ためらいは無かった。


「戻る?どこに?私はもう、振り返ることは無い。全てねじ伏せればいいだけだ。違うか?ヘッレよ」


「んー、まぁ、君がいいならいいよ。さぁ、帰ろうか」


ヘッレがそう言うと、界紋の罅が、兄上の亡骸の側に開いた。

それは巨体を難なく吸い込んだ。

私も近づき、その淵を覗いた。

そして迷いなく、一歩を踏み出した。




気がつくと、私たちは見慣れた森にいた。

そよ風が吹き、葉の擦れる音が聞こえる。

鳥のさえずりも、虫の羽音も、以前と変わらぬ“平穏”を演出していた。


隣には、眠るように横たわる兄上。

「ヘッレよ、生き返らせると言っていたが⋯⋯」


私は独り言のように呟いた。

しかし、返事は無い。

どうやら、こちらからの干渉は不可能なようだ。


空は高く、雲がひとつ流れていた。

あまりに静かで、あまりに平和だった。


「⋯⋯知らない記憶をまた、探ってみるか⋯⋯」

私は目を閉じ、意識を深く沈めた。

思考の中に入り込み、先程のように、記憶の断片を呼び戻す。

「⋯⋯?これか⋯⋯?蘇生魔法⋯⋯」


両手から、霧のように現れた紫紺の魔力が、兄上の身体を静かに包み込んだ。


すると、その中から、

「グゥゥ⋯⋯」

唸るような声。


「⋯⋯兄上?」

「⋯⋯んォ?ここは⋯⋯?」

「兄上、帰って来たんですよ」


むくりと起き上がる兄上の姿は、まさに“生還”そのものだった。

死んだはずの肉体が、何事もなかったかのように動き出す──だが、それを見ていた私の胸の内は、あまりにも冷えていた。


「おい!競争はどうなったァ?俺の勝ちかァ?」

「⋯⋯いえ、兄上は順調でしたが⋯⋯殺されてしまいました」

「はァ?俺が殺されたァ?誰にだァ?そんな強ぇヤツいなかっただろォ?」


ふと、兄上は何かに気づく。

「⋯⋯おォ?でも、黒いデカい布みたいなやつが流れてきて⋯⋯そのあとから覚えてねぇんだよなァ。夢でも見てたかァ?」


私は言葉を選んだ。

あの瞬間の映像が脳裏に蘇る。

兄上の存在を忘れるほど、己の力に陶酔し、放った即死魔法。

本当のことなど言えるはずも無かった。


「⋯⋯“勇者”に殺されました」

「ゆうしゃ?」

「はい、“正しさ”の為なら、無慈悲に、不条理に命を奪う野蛮な輩です。以前話した、ヤルドを殺したのも勇者です」

「よく分かんねぇけどよォ、俺が死んだってことは“ゆうしゃ”って奴は強ぇってことだろォ?それにヤルドを殺したんなら⋯⋯ぶっ殺すしかないよなァ?」

「そうですね。勇者狩り、ですか⋯⋯」


少しの沈黙のあと、あの軽快な声がした。

「ディルハイド、記憶を探って蘇生魔法出来たんだね!対応力が素晴らしいね!」

「ヘッレよ。私の呼びかけを無視して静観していたな?それに、貴様が生き返らせると言っていなかったか?」


すると、兄上が不思議そうな顔で、

「弟ォ?誰と話してんだァ?」

「あっ⋯⋯失礼、兄上。少し疲れたので、ひとりにさせてもらえませんか?」

「おォ?そうかァ。じゃあ俺はあっちで斧でも振っとくかァ」


私の胸に残るのは、僅かな罪悪感ではなかった。

ただ、利用する関係になったという安心感だった。


「ディルハイド、自分が脳筋殺したのに、勇者のせいにするなんて酷いね〜」

「兄上は見ての通りの人だ。言いくるめるのは容易い。それに、万が一兄上が逆上したとて、私には敵わない」

「へぇ、ずいぶん自信がついたねぇ。あ、そうだ、さっき勇者狩りって言ってたじゃない?もうひとりさ、殺したい奴がいるんじゃない?」


一拍の沈黙。

私は、静かに反応した。


「⋯⋯何故それを知っている!やはりあれは貴様の仕業か!」


「⋯⋯じゃあ聞こう。君はさ、素質も無いのに強くなりたかったんだろ?でも、なれなかった。仲間を皆殺しにされたとき、君はどうした?戦った?」


「それは⋯⋯」


「戦闘種族のダークエルフが、対話でその場を凌ごうとした結果、殺されかけて辛うじて生還。“僕のおかげ”でね」


「⋯⋯貴様!!」


「君にはね、きっかけが必要だったんだ。些細なものではなく、頭を思いっ切り殴られるくらいのね。そこまでしないと、君は自分の生きる意味を見いだせなかった。そうじゃない?」


「⋯⋯言わんとすることは分かるが⋯⋯仲間たちは無駄死にだった」


「⋯⋯でもさ、意味のない死なんて、本当にあると思う? 君がここにいる時点で──少なくとも、誰かの死は何かを残したはずだよ。だからこそ、君はそれまで以上に力を渇望し、手に入れたんだ。勇者たちの存在も大きいでしょ?その事実を、そろそろ受け入れたほうがいいよ?」


紫紺の魔力の余韻が、まだ指先に残っていた。

それは温もりでも誇りでもなく──“喪失を証明する手触り”だった。


「それに君は僕に言った。『振り返ることは無い。全てねじ伏せればいいだけだ』って。なのに、ぶり返してるの君じゃないのかな?」


──一瞬、森の中の音が、すべて消えた気がした。


「⋯⋯分かってる、そんなことは、とうに⋯⋯」

声はかすれ、言葉が喉に引っかかる。


「けれど、それを受け入れた瞬間、私は私じゃなくなる気がして──!」


ヘッレは優しく諭す。

「だから言ったじゃないか。君はもう、戻れないって」


私は、深く息を吐いた。

「⋯⋯そうだな。私は一度、“正義”を自分の中に宿した。ならば──たとえどれだけ血を流そうとも、それを貫くほかに、歩ける道はない」


もう、信じられるのは自分自身しかいない、そう思った。

だが、気づけばヘッレの言葉に頷いている自分がいる──それが何より、恐ろしかった。



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