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追憶のディルハイド 第4話

それから数ヶ月、いや、数年、ヘッレの声は聞こえなくなった。


私の世界では、もうやることが無かった。

ダークエルフは血の気が多い。

勝手にどこへでも向かい、暴れ回る。

出る幕など無かった。

手持ち無沙汰とは、こういうことらしい。


力を持つと、妙に冷静になれる気がした。

明らかに格下の相手には、この力など贅沢だとすら思えた。


すると、それは突然──そう、彼と初めて会話を交わしたときのように。


「⋯⋯ディルハイド? おーい、ディルハイドー!」

「聞こえている!」

「あれ、怒ってる? 手持ち無沙汰って感じ?」

ヘッレは、いつも私の心を覗いてくる。

いや、覗くというより、当ててくる。


「⋯⋯ああ、その通りだ。この力を、そろそろ存分に振るってみたいものだがな」

「ふふ、やっぱり」


くすくすと笑うその声が、胸の奥をくすぐった。


「そういえばこの前、僕が質問した“勇者以外で殺したい奴”ってさ、『シリス』って名前じゃない?」


その名を耳にした瞬間、意識より先に、身体がぴくりと反応した。

だが、理性は別のところに引っかかっていた。


「ヘッレよ⋯⋯その話をしたのは、もう数年前のことだが?」

「あれ? そうだったっけ? ああ、ごめんごめん。うっかりしてたよ。アハハ⋯⋯」


──いつもの調子だ。

つかみどころのない、得体の知れない存在。

そう分かっているつもりだった。

だが、どうにも引っかかる。


けれど──私には、“力を証明する機会”のほうが、ずっと魅力的だった。


「シリス⋯⋯あの蒼眼だけは、今も忘れられない」

「じゃあさ、またあの世界に行ってみよう? 今回はまず、『ストラガン王国』の王都『シルトファード』を落としてみない? もしかしたら、そこで“彼”が現れるかもよ?」

「⋯⋯ほう。それは面白いな」


「あとさ、シリスは『エルフ』っていう種族なんだ。あの世界には、エルフの住処が点在してる。片っ端から潰していけば、きっと最後に辿り着けるよ。『ノエルナ村』っていう、総本山にね」

「⋯⋯なるほど。悪趣味な発想だ」

そう言いながらも、私の心は静かに疼いていた。


「じゃあ決まり。今回は“シリス探し”がメインだね。あ、あと、相手のステータスが見える力も付与しといたからね。一応脳筋にも」

「そうか。まぁ、私には必要無いがな。ヘッレ、早速行くぞ」

「あれ、脳筋は連れて行かないの?」

「私はどちらでも構わないが⋯⋯兄上が“戦わない”と言うとでも?」

「そうだよね。じゃあ、あっちの世界で合流するようにしとくよ。ちなみに、『シュルツピア』っていう最南端の孤島からのスタートだよ。本当は『シルトファード』のど真ん中に送ってあげたいんだけど、なぜかうまくいかないんだよね〜」


その言葉に続くように、無音の亀裂が空気に現れた。

界紋の罅。

そして、世界そのものが悲鳴を押し殺しているかのように、静かに、深く口を開いた。

だが、私はもう迷わない。


「じゃあ頑張って、ディルハイド!」

ヘッレの明るい声が背中を押した。


私は、ゆっくりと罅の縁に近づき、足をかけた。途端に、重力が消える。

身体がふわりと浮き上がり、視界が反転した。


風が、ない。

音が、ない。

ただ意識だけが引きちぎられるように遠ざかり──




──次に見えたのは、穏やかな海だった。


陽光が水面を照らし、波は緩やかに砂をさらっている。

白く乾いた砂浜の向こうには、鬱蒼とした森と、そそり立つ岩肌が影を落としていた。


「ここは⋯⋯あのときの⋯⋯」


私は砂を踏みしめ、無言で島の奥へと歩き出す。

森の中は静かで、木々のざわめきすらどこか遠く、記憶のなかの風景と寸分違わぬままだった。


やがて木々が開け──

視界の先に、かつて“旅の一団”と遭遇し、蹂躙された草原が広がっていた。

何も無いはずのこの場所に、血生臭い臭いが、風に運ばれてきた気がした。


でも──何も変わっていない。

だが、私が変わった。


ここに来て冷静でいられるのが、自分でも不思議だった。

今度は、“狩る”側として、ここに立っている。


するとそこに、

「おォ?弟ォ?ここも異世界かァ?」


あの陽気で豪放な声が、森の影からぬるりと湧き上がった。

兄上は周囲を見渡しながら、ゆっくりと草原へ歩み出てくる。


「はい。そして⋯⋯ここでヤルドたちが殺されました」


兄上は黙ってしゃがみ込み、無言で草の根元に手を置いた。

その仕草は、意外にも静かで──まるで死者を弔うようだった。


「ここでかァ⋯⋯この世界には“ゆうしゃ”って奴はいるのかァ?」

「どうでしょう⋯⋯遥か昔にはいましたが⋯⋯」


兄上は手をはたきながら、すっくと立ち上がる。背筋が伸び、斧の柄が太陽を反射して光った。


「じゃあ、早速行こうぜェ!」

「向かうのはいいですが、この島は海に囲まれています」


兄上は少し黙り込んだあと、唇を尖らせてこう言った。

「⋯⋯泳ぐしかねぇかァ?」

「兄上、私は泳げないので⋯⋯私の魔法で飛んで行きましょう。そこまで速くはないですが」

「おォ?弟ォ!そんな魔法も出来るのかァ?俺は空飛んでみたかったんだよォ!」


その声には、まるで子供の好奇心のような高揚があった。

私は小さく息を吐き、思う。

──兄上の童心には、別な意味で助けられている。

しかし、彼を地上に放てば⋯⋯そのあとに誰かしらの“掃除”が必要だ。

無論、言わずもがな──私にその役が回ってくるのだが。


「さぁ、兄上。王都へ向かいましょう」


私は手を翳し、魔力の波を広げる。

兄上の身体がふわりと浮上し、やや遅れて、私自身も宙へと舞い上がった。


「うぉぉぉぉォ!全部ちいせぇなァ!」


空を切りながら叫ぶ兄上の声が、上空に反響する。

その姿はまるで、斧を持った巨人の子供だった。


「兄上、身体を動かそうとせず、水に浮くように力を抜いてください。落ちますよ」

「おォ?おォォ!?これ、おもしれぇなァ!!」


私は視線を遠くへ移す。

空から見下ろす景色は、どこまでも穏やかだった。

小さな集落、整然と並ぶ田畑。

羊を追う少年の姿。

野良犬を追いかける子どもの笑い声。


それらすべてが──ただの“風景”に見えた。


山を越え、谷を越え、川を越える。

やがて王都の尖塔が、遠くに小さく見えてきた。


この人々の生活に、何の意味があるのか。

私は、そう思ってしまった。

彼らは知らない。

空の上から、何者かがこの世界を見下ろしていることを。

そのまなざしが、どれほど冷たいものかを。


力でねじ伏せられるなど、微塵も思っていないのだろう。

自らの“日常”が、どれほど脆いものかも。


いずれ、私が蹂躙するかもしれないのに──その未来すら、誰ひとり予感していない。


私は、目を伏せた。

何に対してか、もう分からなかった。


漠然とそんなことを思っていると、王都の上空に着いた。

遠目にも、街はどこか華やいで見えた。


「兄上、申し訳ないですが、ここで少し待ってもらえますか?」

「おォ?今すぐ下に降りて暴れたいところだけどよォ⋯⋯」


斧の柄を指で撫でながら、兄上はふてくされた声を漏らしたが──珍しく、抵抗はしなかった。

もしかすると、何か引っかかっていることがあるのかもしれない。

私はひとり、城下町へ降りた。


王都──シルトファード。

私の世界では見たことがない、豪華絢爛な石造りの街並み。

陽光を反射する半球の建物。

すれ違う市民の、彩り豊かな着衣。

笑い声と馬車の音と、聖堂から流れる鐘の音。

ただそれだけで、この場所が“豊か”であると分かった。


──そして、それを「美しい」と感じてしまった自分に、ほんのわずか、戸惑った。

(私は、確かめたいことがある)


道行く民に、声をかけた。

「そこの婦人、なぜ街にはこんなにも人が溢れているのだ?」


すると、彼女は怪訝そうに眉を上げた後、にこやかに言った。

「あんた、知らないのかい?今日は、勇者様が魔王を倒したお祝いなんだよ」


私は、無意識に眉を細めた。

「⋯⋯勇者?」

「そうさ。だからみんな舞い上がってるのさ」そう言って、婦人は屈託のない笑顔を見せた。

その笑みは、眩しいほどに無垢だった。


──だが、私には、あまりに遠いものに思えた。

(あのとき、私の仲間を“正義”と呼ぶ者たちが殺した。その“正義”を、今、皆が祝っている)


王都の空は青かった。

鐘は、祝福を告げていた。

人々は喜びに満ち、明日を信じていた。


──もし、あれが“正義”ならば。

私は──その正義ごと、この街を焼く。

そう心のどこかで呟いた自分に、気づかないふりをした。


もうひとつ、私は質問をした。

「婦人は──シリスというエルフの男を知っているか?」

「知ってるも何も、“雷帝”シリス様は、この世界の守り神のような人なのよ?ほら、あそこに銅像もあるでしょ?」


婦人が指差した先──神々しい白石の台座の上に、奴の像があった。

大きな噴水の側で、水音を背に、雷を背負うポーズのまま、天を睨む。

その眼には、蒼い石が埋め込まれていた。

あのとき、私が震えた蒼眼。

私の記憶にあるあの眼と──寸分違わなかった。


「“雷帝”か⋯⋯大層な二つ名だ」


私は、奥歯を噛み締める。

拳が震えるのを、袖の中で抑える。

(そうか──貴様は、英雄になったのか)


誰からも讃えられ、“正義”の名を欲しいままにし、私の仲間を、何のためらいもなく殺したその手で──世界の守護者を気取っているのか。


血の味がした。

それが怒りか、悔しさか、あるいは⋯⋯哄笑の前触れだったのかは、分からない。


「婦人よ、感謝する」

私は目を伏せ、その場を立ち去ろうとした──そのとき。


「く、黒いエルフがいるぞぉ!!」

甲高い男の声が、街に響き渡った。

瞬く間に、周囲の空気が変わる。

何気ない視線が、敵意と猜疑に変わる。


「おい、あれは伝説の話じゃないのか?」

「災いの前触れか?」

「くっそぉ、これでもくらえ!」


声と同時に、風を切る音がした。

ゴッ、と鈍い音を立てて、石が私の額に当たった。

流血が頬を伝い、滴となって石畳に落ちた。

その一滴が落ちる音が──私の中で何かを“終わらせた”。


(⋯⋯やはり、こうなるのか)


視線が、急激に冷えていく。

──私は、まだ何もしていないというのに。

(まぁいい、これで私は確信した。心おきなく王都を潰せる)


私は宙に浮き、街一帯を俯瞰できる高さまで上がった。


「おい、あいつ空を飛んでるぞ!」

「何する気だ!」


私は、格下にこの力を使うのは贅沢だと思っていた。

しかし、今回は特別に贅沢をさせてやろう。

もう、止められないぞ。

貴様らが悪いのだ。


私は、手を掲げた。

「──ゼノ・フラメディオル」



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