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追憶のディルハイド 第5話

静寂を裂くように、紫炎が私の掌から噴き上がる。

その光は、昼の陽光さえもねじ曲げるほど濃く、深い紫。

それは、ただの炎ではない。

怒りでも、憎しみでもない。“断罪”だ。

思い切り、その炎を──王都の象徴である尖塔へと、叩きつけた。


紫炎が空を裂き、直撃した尖塔は、轟音とともに一瞬にして骨を砕かれたように崩れ落ちる。

白煙と破片が空へと舞い、鐘の音すらかき消えた。


「兄上!お待たせしてすみません!存分に暴れてください!」

「待ちくたびれたぜ弟ォ!」


兄上は意気揚々と城内に降り立ち、歓声のように笑いながら、無差別に斧を振り回す。

私もまた、“ゼノ・フラメディオル”を王都に乱発した。

整えもせず、狙いもせず、ただ感情のままに、紫炎を地に落とす。

──何も考えずに雑に放つ魔法は、美しくなかった。


ただ、シリスの銅像。

それだけは、狙い澄まして破壊した。

音もなく崩れ落ちた像の中から、蒼い石が転がり出る。

それは──主を失ってなお、私を睨みつけているようだった。


「“雷帝”め⋯⋯いつか必ず⋯⋯」


私は苛立ちを隠せず、燃え盛る街を見下ろしていると、兄上の動きが止まっていた。


「どうしました、兄上?」

私は兄上の近くに降り立った。

「弟ォ、何か目の前に出てるんだけどよォ、何だこれ?」

「これは相手の強さが数値化されて表示⋯⋯なっ⋯⋯勇者⋯⋯だと!?」

私の目の前の表示に、“勇者”の文字が。


そして、黒煙を裂くように、何者かが歩いてくる。

焦げた空気の中、赤銅の兜と鎧が鈍く光り、青白い剣が絶望を切り裂くように輝く。


「お前らか⋯⋯」

男が、低く言った。

「──俺たちの“栄光”に、水を差すのは」


その声には、怒りがあった。

悔しさも、呆れも、憤りも、全部あった。


(この出で立ち⋯⋯あのときの勇者に似ている)


すると、勇者は目を見開いた。

「⋯⋯リーシュ?何をしてるんだ⋯⋯?」


(リーシュ?あぁ、もしやヘッレが言っていた“いいモデル”のことか)


「失礼。申し遅れましたが、私はディルハイドと申します。その“リーシュ”という方とは別人でして」


私は目線はそのままに、

「兄上。彼は勇者です。今こそヤルドたちの敵(かたき)を討ちましょう」

「ウォォォォォ!お前が勇者かぁぁぁぁァ!!ぶっ殺してやるゥ!!」


勇者は咆哮に応えるように剣を構える。

「敵(かたき)?何の話だ!」


兄上は、大斧を思いきり水平に振り被る。

しかし、勇者はそれをいとも容易くかわし、兄上の右腕を裂いた。

返り血を浴びながら、勇者は低く言い放つ。


「⋯⋯デカブツ。がら空きだ」


兄上はよろめきながらも、口元を吊り上げた。

「グゥゥゥゥ⋯⋯やるじゃねぇかァ、勇者ァ!滾るぜェ!」

その一瞬の隙に、私は手を掲げ──“ゼノ・フラメディオル”を、無造作に街へ向けて撃ち放つ。

紫炎が炸裂し、さらなる混乱が街を包む。


「貴様ら⋯⋯目的は何だ!」

剣を構えながら、勇者が怒声を上げる。


私はただ、静かに応えた。

「──正義の、誇示だ」

「⋯⋯これが、“正義”だと?」

「そうだ。これが私の“答え”だ」


言葉を遮るように、荒々しい叫びが響く。

「オラァ!くらえぇぇぇェ!!」

兄上が大斧を、まるで巨大な槍のように構えて突進する。

地が揺れ、空気が裂ける。

勇者は即座に剣を構えて受け止めるが──


「ぐっ⋯⋯なんて力だ⋯⋯!」

「ぶっ飛べええぇぇェ!!」


兄上の圧倒的な膂力が防御ごと押し通し、勇者は弾かれるように黒煙の奥へと吹き飛ばされた。


地を砕きながら滑る勇者の姿に、兄上は高らかに吼える。

「こんなに骨のある奴と戦うの、楽しいなァ!さっさとかかって来いよォ!」


私は無言で地に手をつき、静かに詠唱する。

「⋯⋯レールダンス」

その瞬間、街の石畳が脈打ち、地面の隙間から粘土のような質感の泥が溢れ出す。

ぬるりとした泥から、次々と“泥人形”が立ち上がった。

私は、この街の市民を──一人たりとも逃がすつもりはなかった。


すると、遠くから声が響く。

「ジャン、大丈夫か?」

「⋯⋯ヒール!」


黒煙の奥から、駆け寄る二つの影が現れる。戦士と、女魔法使い。

勇者の仲間たちだった。

三人の影が並び立ち、再びこちらに歩み出す。


「おォ?三対一かァ?面白ェ!かかって来いやァ!」


女魔法使いが一歩前に出て、詠唱する。

「ピーラヴリース!」

光が収束し、鋭い矢となって兄上へと奔る。

兄上は咄嗟に頭を低くし、両腕を交差して防御する。

「効かねぇッ!!」


だが、その防御を解いた刹那──

目の前に、両手斧の戦士が迫っていた。

「くらえっ!!」

火花を散らして、斧の連撃が兄上の身体を裂く。

刃が肉を穿ち、腕を削る。


「グッッッ!!」

兄上は呻き声を上げて数歩後退し、大斧を肩に担ぐように構え直した。


そこへ──

「一文字斬りっ!!」


勇者の剣が疾風のごとく横薙ぎに奔る。

兄上の腹が斬り裂かれ、空中に鮮血が弧を描いた。


(ほう⋯⋯なかなか、やるではないか)


片膝をついて、傷を押さえながら肩で息をする兄上。

私は冷ややかに笑いながら問いかけた。


「兄上、手加減でもされていたのですか?」

「グゥゥゥ⋯⋯身体が鈍っちまってたなァ。準備運動は、終わりだァ」


傷口から滴る血をものともせず、兄上は肩を揺らして笑う。


「傷の具合は?回復、させましょうか」

「血ィ抜けて、ちょっとクラクラするくらいがよォ──」


振り向いた兄上の目は、まるで炎を呑んだように輝いていた。

「キマって、気持ちいいんだぜェ?」


私は目を伏せ、わずかに息を吐く。

「⋯⋯そうですか。無理はなさらずに」

「──遊びは終わりだぁぁぁァッ!!」


兄上は獣のような咆哮を上げながら、一直線に女魔法使いへと突進した。


「え、わ、私⋯⋯!?」

「フェリス!!」


戦士が女魔法使いの前に出て、両手斧を構える。

だが、その動きを兄上は読んでいた。


「来ると思ったぜェッ!!」

大斧を、下から強かに突き上げる。

打ち上げられたように戦士の左手の斧が宙を舞い──


「ぐっ⋯⋯!」

肩が奇妙な音を立てて外れ、彼の体勢が崩れる。


「終いだぁぁァ!!」

兄上が咆哮とともに、大斧をその場に投げ捨てる。

重々しい金属音が地を震わせた。

そして、肩越しに差していた双斧を、抜き放つ。

風を裂くような軌道。

その一閃は、まるで十字架を刻むように──


「オラァあああッ!!!」


振り下ろされた双斧が、クロスするように戦士の胸元を切り裂いた。

火花と血飛沫が、紅蓮の軌道を描く。


「⋯⋯がはっ⋯⋯!」


深く斜めに走る致命傷。戦士は仰向けに倒れ、その瞳から光が失われていく。

女魔法使いは、その場で声を失い、唇を震わせながら一歩、また一歩と後ずさった。


「クート!!⋯⋯フェリス!ヒールだ!早く!」

勇者の怒声が飛ぶ。

彼の声が、どこか焦りと迷いを含んでいた。

女魔法使いは泣きながら、震える声で詠唱を重ね、戦士に向かって回復魔法を放つ。


その光景をよそに、勇者が兄上に斬り込む。

怒りと動揺が混ざった刃は、鋭さを保ちながらも、どこか粗雑だった。

「おォ?勇者ァ!余裕の無ぇ太刀筋だぞォ?大丈夫かァ?」


兄上が血に濡れた双斧を振り回しながら笑う。その足元に、戦士の血が広がり続けている。

私は、そんな様子を黙って見つめていた。

僅かに目を閉じ、思考を巡らせる。


(奴らには回復役がいる⋯⋯繰り返されると、こちらが不利だ)


すぐに、ある記憶が呼び覚まされる。

──兄上を蘇らせた、あの霧。


(確か、あの霧は⋯⋯“死者を呼び戻す”だけでなく、“蘇生を拒む”力も⋯⋯)

私の両手から、もやもやと紫紺の霧が湧き上がる。

それは地を這い、空気を染め、静かに戦場を包み込んでいく。


「なっ⋯⋯何だ、この霧はっ?」

勇者が目を細め、霧に意識を向けた、その瞬間──


「よそ見すんなァ!!」


兄上が叫びながら地に捨てた大斧を拾い上げる。

地面を斬り裂くように振るうと、破砕の波動が地面を抉りながら、石畳ごと相手陣営を襲った。


「うわああああ!!」

「きゃあああああ!」

勇者たちは黒煙と土煙に呑まれ、視界の中から弾き飛ばされていった。


私は霧に包まれたまま、ひとり、静かに口元を綻ばせる。

「ある仕掛けをしました。──まぁ、せいぜい“死なないように”頑張ってください」


その直後だった。

霧の向こうから、どこか掠れた──

それでも懇願の色を帯びた声が届く。


「リ⋯⋯リーシュ⋯⋯」

「助けて⋯⋯くれ⋯⋯」

「私たち⋯⋯パーティー、だよね⋯⋯?」


声の主は、さきほど倒れた勇者たち。

まだ意識があるのか、それとも──

霧の中で“死にきれていない”のか。


視界が完全に開ける前、私は別の“気配”を感じ取る。

歩を進めながら、言葉を落とした。


「この霧は蘇生魔法を無効化するので──彼らは、もう死ぬだけですよ」


すると、霧の向こうから姿を現した男がいた。

銀の長髪、切れ長の目、どこか“私に似た”──細身で長身のエルフ。


すると、兄上が目を丸くした。

「おォ?弟にそっくりだなァ?お前」


「貴様が“あのお方”が言う、“いいモデル”という奴か?そして“エルフ”か⋯⋯。その貧弱さ、私こそが“本物”というところか」


その男こそが、“リーシュ”という男。

すぐにでも殺せる距離──それでも私は静かに彼を観察する。


(完全に戦意を喪失しているな⋯⋯)


だが、次の瞬間──彼はくるりと背を向け、黒煙の中へと駆け出した。


「ブフッ!!アイツ逃げたぞォ?追いかけて潰すかァ?」


「兄上、奴を今殺したとて、何も面白いことはありませんよ。いずれ、私が全てのエルフを消滅させます」


──私は、ふと思った。


なぜ、逃がした?


あのときの私と、同じ状況だったはずだ。

心が折れ、絶望の中で、ただ“生”に縋ったあの瞬間と。


それを、私は見逃した。


無意識に──シリスが語った“正しさ”を、否定したかったのか。

あるいは⋯⋯私の“力”が、今ではないと、どこかで悟っていたのか。


「おい、弟ォ」

兄上が、今にも息絶えそうな勇者たちの隣にしゃがみ込み、こちらを見ている。


「こいつらどうするんだァ?殺っちまうかァ?」

「兄上にしては珍しいですね。普段なら息の根を止めているのに」

「放っといたらもう死ぬしなァ⋯⋯そもそもよォ、“かたき”って何だァ?」


私が呆れてため息をついたその瞬間──

ピシリ、と透明な空に走る罅。

それは音もなく拡がり、辺りの空気ごと、静かに、確実に崩れ始める。

「兄上!早くこちら側へ!」

「うおッ!何だァ?」


それと同時に、勇者たちは界紋の罅に吸い込まれた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うぉぉぉぉぉぉ!」

「きゃあああああ!」


彼らの身体は空間の裂け目に吸い込まれ、まるで存在ごと“持っていかれた”かのように、跡形もなく消えていった。

その傍らに──なぜか勇者が着けていた鎧だけが転がっていた。


直後、場違いなほど軽やかな声が耳に届く。「おーい!シリスは見つかったかい?」


まるで散歩中の知人を見つけたかのような、気の抜けた声色。

だが、その声が響くだけで、周囲の空気は一段と冷えた。


「ヘッレよ。その前に、勇者たちをどうするつもりだ?」

「まぁ、僕にもプランがあるからね」


「⋯⋯まぁいい」


私がわずかに目を伏せたとき、兄上が眉をひそめるように顔を傾けた。

「弟ォ?また誰かと話してるのかァ?」

「失礼、兄上は先に帰っていて下さい。ここではもうやることも無いでしょう」

「そうかァ?じゃあそうするかァ」


兄上は大斧を片手に、ぽりぽりと頭を掻きながら、また現れた界紋の罅へと向かう。

そして、裂け目の中に足を踏み入れ、何事もなかったように──消えた。


王都は未だに紫炎が燃え続け、黒煙が空を覆っている。

もはや人の気配は一切無く、街そのものが、ただの廃墟に変わり果てていた。


私は苦虫を噛み潰したように、

「シリスに関してだが⋯⋯“雷帝”として神のような扱いを受けている」


私の表情が見えているのか、ヘッレは、まるで見下ろすように、馬鹿にするように言った。「ふーん。羨ましいんだ?」


私は思わず舌打ちをした。

「チッ⋯⋯そんなことは無い」


その言葉を口にした瞬間、何かが、胸の奥で引き裂かれたような気がした。


『後世に語り継がれる程の力が欲しい』


それを体現した男が、すでに存在している──

その事実が、今さら私の胸に突き刺さる。憎悪は、増すばかりだった。



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