静寂を裂くように、紫炎が私の掌から噴き上がる。
その光は、昼の陽光さえもねじ曲げるほど濃く、深い紫。
それは、ただの炎ではない。
怒りでも、憎しみでもない。“断罪”だ。
思い切り、その炎を──王都の象徴である尖塔へと、叩きつけた。
紫炎が空を裂き、直撃した尖塔は、轟音とともに一瞬にして骨を砕かれたように崩れ落ちる。
白煙と破片が空へと舞い、鐘の音すらかき消えた。
「兄上!お待たせしてすみません!存分に暴れてください!」
「待ちくたびれたぜ弟ォ!」
兄上は意気揚々と城内に降り立ち、歓声のように笑いながら、無差別に斧を振り回す。
私もまた、“ゼノ・フラメディオル”を王都に乱発した。
整えもせず、狙いもせず、ただ感情のままに、紫炎を地に落とす。
──何も考えずに雑に放つ魔法は、美しくなかった。
ただ、シリスの銅像。
それだけは、狙い澄まして破壊した。
音もなく崩れ落ちた像の中から、蒼い石が転がり出る。
それは──主を失ってなお、私を睨みつけているようだった。
「“雷帝”め⋯⋯いつか必ず⋯⋯」
私は苛立ちを隠せず、燃え盛る街を見下ろしていると、兄上の動きが止まっていた。
「どうしました、兄上?」
私は兄上の近くに降り立った。
「弟ォ、何か目の前に出てるんだけどよォ、何だこれ?」
「これは相手の強さが数値化されて表示⋯⋯なっ⋯⋯勇者⋯⋯だと!?」
私の目の前の表示に、“勇者”の文字が。
そして、黒煙を裂くように、何者かが歩いてくる。
焦げた空気の中、赤銅の兜と鎧が鈍く光り、青白い剣が絶望を切り裂くように輝く。
「お前らか⋯⋯」
男が、低く言った。
「──俺たちの“栄光”に、水を差すのは」
その声には、怒りがあった。
悔しさも、呆れも、憤りも、全部あった。
(この出で立ち⋯⋯あのときの勇者に似ている)
すると、勇者は目を見開いた。
「⋯⋯リーシュ?何をしてるんだ⋯⋯?」
(リーシュ?あぁ、もしやヘッレが言っていた“いいモデル”のことか)
「失礼。申し遅れましたが、私はディルハイドと申します。その“リーシュ”という方とは別人でして」
私は目線はそのままに、
「兄上。彼は勇者です。今こそヤルドたちの敵(かたき)を討ちましょう」
「ウォォォォォ!お前が勇者かぁぁぁぁァ!!ぶっ殺してやるゥ!!」
勇者は咆哮に応えるように剣を構える。
「敵(かたき)?何の話だ!」
兄上は、大斧を思いきり水平に振り被る。
しかし、勇者はそれをいとも容易くかわし、兄上の右腕を裂いた。
返り血を浴びながら、勇者は低く言い放つ。
「⋯⋯デカブツ。がら空きだ」
兄上はよろめきながらも、口元を吊り上げた。
「グゥゥゥゥ⋯⋯やるじゃねぇかァ、勇者ァ!滾るぜェ!」
その一瞬の隙に、私は手を掲げ──“ゼノ・フラメディオル”を、無造作に街へ向けて撃ち放つ。
紫炎が炸裂し、さらなる混乱が街を包む。
「貴様ら⋯⋯目的は何だ!」
剣を構えながら、勇者が怒声を上げる。
私はただ、静かに応えた。
「──正義の、誇示だ」
「⋯⋯これが、“正義”だと?」
「そうだ。これが私の“答え”だ」
言葉を遮るように、荒々しい叫びが響く。
「オラァ!くらえぇぇぇェ!!」
兄上が大斧を、まるで巨大な槍のように構えて突進する。
地が揺れ、空気が裂ける。
勇者は即座に剣を構えて受け止めるが──
「ぐっ⋯⋯なんて力だ⋯⋯!」
「ぶっ飛べええぇぇェ!!」
兄上の圧倒的な膂力が防御ごと押し通し、勇者は弾かれるように黒煙の奥へと吹き飛ばされた。
地を砕きながら滑る勇者の姿に、兄上は高らかに吼える。
「こんなに骨のある奴と戦うの、楽しいなァ!さっさとかかって来いよォ!」
私は無言で地に手をつき、静かに詠唱する。
「⋯⋯レールダンス」
その瞬間、街の石畳が脈打ち、地面の隙間から粘土のような質感の泥が溢れ出す。
ぬるりとした泥から、次々と“泥人形”が立ち上がった。
私は、この街の市民を──一人たりとも逃がすつもりはなかった。
すると、遠くから声が響く。
「ジャン、大丈夫か?」
「⋯⋯ヒール!」
黒煙の奥から、駆け寄る二つの影が現れる。戦士と、女魔法使い。
勇者の仲間たちだった。
三人の影が並び立ち、再びこちらに歩み出す。
「おォ?三対一かァ?面白ェ!かかって来いやァ!」
女魔法使いが一歩前に出て、詠唱する。
「ピーラヴリース!」
光が収束し、鋭い矢となって兄上へと奔る。
兄上は咄嗟に頭を低くし、両腕を交差して防御する。
「効かねぇッ!!」
だが、その防御を解いた刹那──
目の前に、両手斧の戦士が迫っていた。
「くらえっ!!」
火花を散らして、斧の連撃が兄上の身体を裂く。
刃が肉を穿ち、腕を削る。
「グッッッ!!」
兄上は呻き声を上げて数歩後退し、大斧を肩に担ぐように構え直した。
そこへ──
「一文字斬りっ!!」
勇者の剣が疾風のごとく横薙ぎに奔る。
兄上の腹が斬り裂かれ、空中に鮮血が弧を描いた。
(ほう⋯⋯なかなか、やるではないか)
片膝をついて、傷を押さえながら肩で息をする兄上。
私は冷ややかに笑いながら問いかけた。
「兄上、手加減でもされていたのですか?」
「グゥゥゥ⋯⋯身体が鈍っちまってたなァ。準備運動は、終わりだァ」
傷口から滴る血をものともせず、兄上は肩を揺らして笑う。
「傷の具合は?回復、させましょうか」
「血ィ抜けて、ちょっとクラクラするくらいがよォ──」
振り向いた兄上の目は、まるで炎を呑んだように輝いていた。
「キマって、気持ちいいんだぜェ?」
私は目を伏せ、わずかに息を吐く。
「⋯⋯そうですか。無理はなさらずに」
「──遊びは終わりだぁぁぁァッ!!」
兄上は獣のような咆哮を上げながら、一直線に女魔法使いへと突進した。
「え、わ、私⋯⋯!?」
「フェリス!!」
戦士が女魔法使いの前に出て、両手斧を構える。
だが、その動きを兄上は読んでいた。
「来ると思ったぜェッ!!」
大斧を、下から強かに突き上げる。
打ち上げられたように戦士の左手の斧が宙を舞い──
「ぐっ⋯⋯!」
肩が奇妙な音を立てて外れ、彼の体勢が崩れる。
「終いだぁぁァ!!」
兄上が咆哮とともに、大斧をその場に投げ捨てる。
重々しい金属音が地を震わせた。
そして、肩越しに差していた双斧を、抜き放つ。
風を裂くような軌道。
その一閃は、まるで十字架を刻むように──
「オラァあああッ!!!」
振り下ろされた双斧が、クロスするように戦士の胸元を切り裂いた。
火花と血飛沫が、紅蓮の軌道を描く。
「⋯⋯がはっ⋯⋯!」
深く斜めに走る致命傷。戦士は仰向けに倒れ、その瞳から光が失われていく。
女魔法使いは、その場で声を失い、唇を震わせながら一歩、また一歩と後ずさった。
「クート!!⋯⋯フェリス!ヒールだ!早く!」
勇者の怒声が飛ぶ。
彼の声が、どこか焦りと迷いを含んでいた。
女魔法使いは泣きながら、震える声で詠唱を重ね、戦士に向かって回復魔法を放つ。
その光景をよそに、勇者が兄上に斬り込む。
怒りと動揺が混ざった刃は、鋭さを保ちながらも、どこか粗雑だった。
「おォ?勇者ァ!余裕の無ぇ太刀筋だぞォ?大丈夫かァ?」
兄上が血に濡れた双斧を振り回しながら笑う。その足元に、戦士の血が広がり続けている。
私は、そんな様子を黙って見つめていた。
僅かに目を閉じ、思考を巡らせる。
(奴らには回復役がいる⋯⋯繰り返されると、こちらが不利だ)
すぐに、ある記憶が呼び覚まされる。
──兄上を蘇らせた、あの霧。
(確か、あの霧は⋯⋯“死者を呼び戻す”だけでなく、“蘇生を拒む”力も⋯⋯)
私の両手から、もやもやと紫紺の霧が湧き上がる。
それは地を這い、空気を染め、静かに戦場を包み込んでいく。
「なっ⋯⋯何だ、この霧はっ?」
勇者が目を細め、霧に意識を向けた、その瞬間──
「よそ見すんなァ!!」
兄上が叫びながら地に捨てた大斧を拾い上げる。
地面を斬り裂くように振るうと、破砕の波動が地面を抉りながら、石畳ごと相手陣営を襲った。
「うわああああ!!」
「きゃあああああ!」
勇者たちは黒煙と土煙に呑まれ、視界の中から弾き飛ばされていった。
私は霧に包まれたまま、ひとり、静かに口元を綻ばせる。
「ある仕掛けをしました。──まぁ、せいぜい“死なないように”頑張ってください」
その直後だった。
霧の向こうから、どこか掠れた──
それでも懇願の色を帯びた声が届く。
「リ⋯⋯リーシュ⋯⋯」
「助けて⋯⋯くれ⋯⋯」
「私たち⋯⋯パーティー、だよね⋯⋯?」
声の主は、さきほど倒れた勇者たち。
まだ意識があるのか、それとも──
霧の中で“死にきれていない”のか。
視界が完全に開ける前、私は別の“気配”を感じ取る。
歩を進めながら、言葉を落とした。
「この霧は蘇生魔法を無効化するので──彼らは、もう死ぬだけですよ」
すると、霧の向こうから姿を現した男がいた。
銀の長髪、切れ長の目、どこか“私に似た”──細身で長身のエルフ。
すると、兄上が目を丸くした。
「おォ?弟にそっくりだなァ?お前」
「貴様が“あのお方”が言う、“いいモデル”という奴か?そして“エルフ”か⋯⋯。その貧弱さ、私こそが“本物”というところか」
その男こそが、“リーシュ”という男。
すぐにでも殺せる距離──それでも私は静かに彼を観察する。
(完全に戦意を喪失しているな⋯⋯)
だが、次の瞬間──彼はくるりと背を向け、黒煙の中へと駆け出した。
「ブフッ!!アイツ逃げたぞォ?追いかけて潰すかァ?」
「兄上、奴を今殺したとて、何も面白いことはありませんよ。いずれ、私が全てのエルフを消滅させます」
──私は、ふと思った。
なぜ、逃がした?
あのときの私と、同じ状況だったはずだ。
心が折れ、絶望の中で、ただ“生”に縋ったあの瞬間と。
それを、私は見逃した。
無意識に──シリスが語った“正しさ”を、否定したかったのか。
あるいは⋯⋯私の“力”が、今ではないと、どこかで悟っていたのか。
「おい、弟ォ」
兄上が、今にも息絶えそうな勇者たちの隣にしゃがみ込み、こちらを見ている。
「こいつらどうするんだァ?殺っちまうかァ?」
「兄上にしては珍しいですね。普段なら息の根を止めているのに」
「放っといたらもう死ぬしなァ⋯⋯そもそもよォ、“かたき”って何だァ?」
私が呆れてため息をついたその瞬間──
ピシリ、と透明な空に走る罅。
それは音もなく拡がり、辺りの空気ごと、静かに、確実に崩れ始める。
「兄上!早くこちら側へ!」
「うおッ!何だァ?」
それと同時に、勇者たちは界紋の罅に吸い込まれた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うぉぉぉぉぉぉ!」
「きゃあああああ!」
彼らの身体は空間の裂け目に吸い込まれ、まるで存在ごと“持っていかれた”かのように、跡形もなく消えていった。
その傍らに──なぜか勇者が着けていた鎧だけが転がっていた。
直後、場違いなほど軽やかな声が耳に届く。「おーい!シリスは見つかったかい?」
まるで散歩中の知人を見つけたかのような、気の抜けた声色。
だが、その声が響くだけで、周囲の空気は一段と冷えた。
「ヘッレよ。その前に、勇者たちをどうするつもりだ?」
「まぁ、僕にもプランがあるからね」
「⋯⋯まぁいい」
私がわずかに目を伏せたとき、兄上が眉をひそめるように顔を傾けた。
「弟ォ?また誰かと話してるのかァ?」
「失礼、兄上は先に帰っていて下さい。ここではもうやることも無いでしょう」
「そうかァ?じゃあそうするかァ」
兄上は大斧を片手に、ぽりぽりと頭を掻きながら、また現れた界紋の罅へと向かう。
そして、裂け目の中に足を踏み入れ、何事もなかったように──消えた。
王都は未だに紫炎が燃え続け、黒煙が空を覆っている。
もはや人の気配は一切無く、街そのものが、ただの廃墟に変わり果てていた。
私は苦虫を噛み潰したように、
「シリスに関してだが⋯⋯“雷帝”として神のような扱いを受けている」
私の表情が見えているのか、ヘッレは、まるで見下ろすように、馬鹿にするように言った。「ふーん。羨ましいんだ?」
私は思わず舌打ちをした。
「チッ⋯⋯そんなことは無い」
その言葉を口にした瞬間、何かが、胸の奥で引き裂かれたような気がした。
『後世に語り継がれる程の力が欲しい』
それを体現した男が、すでに存在している──
その事実が、今さら私の胸に突き刺さる。憎悪は、増すばかりだった。