目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第一章 ノエルナ村を守れ!後編

第7話 自責を越えて

ディルハイドは右手を翳し、低く呪文を吐き捨てた。

「⋯⋯フリュスタ」


瞬間、彼の足元から霜が音もなく広がり、大地を這うように凍結の波が奔る。

氷は地面を突き破る牙のように、次々とシリスたちに襲いかかる。

瞬く間に辺りの温度を奪っていった。

息を吸うだけで、肺が切り裂かれるような冷気──。

凍てついた空気の中、シリスは走り出す。


「⋯⋯遅い!!」


シリスはその牙を八艘飛びのようにかわしながら、軽く宙に跳ねた。

風を蹴って、逆手に構える。


「スルムスピョート!!」


その手から放たれたのは、雷の槍。

光速をも凌駕する一閃が、氷の牙を蹴散らし、地面を抉りながら真っ直ぐ貫き──


「──ッ!?」


ディルハイドが咄嗟に腕を交差させた瞬間、目の前に分厚い氷壁が現れ、雷槍が突き刺さる。

轟音と閃光。

氷壁は粉砕し、粉雪のように宙を舞った。


「さすが“雷帝”。一撃の速さが尋常ではないですね」

ディルハイドの口元に怯えはなかった。

むしろ、その目に宿ったのは──歓喜。


「⋯⋯面白い。やはり、貴様を越えねば、“あの日”は終われぬ!」


ふたりを尻目に、リーシュは目を見開き、身体が震え、動けなくなっていた。

「何だ、この高等魔法の応酬は⋯⋯私には何も⋯⋯」


そのとき、シリスの怒声が飛ぶ。

「リーシュ!!狼狽えるな!!貴様もエルフの端くれなら、戦って死ね!!あの“聖戦”から帰った意味が、今なら分かるはずじゃ!!」


(聖戦⋯⋯)


──リーシュの脳裏に、かつての光景が奔った。


----------


王都・シルトファード。

ストラガン王国に栄光の凱旋旗が翻った。

空は晴れ渡り、祝福の鐘がいくつも重なり合って鳴っていた。

石畳の道には、溢れんばかりの民衆の歓声。子どもたちは小さな旗を振り、大人たちは涙を浮かべ、皆が同じ言葉を叫んでいた。


「勇者様、万歳!!」

「魔王を倒してくれてありがとう!」

「私たちの誇りだ!」


拍手と歓喜、称賛と名誉──すべてが、まるで絵本の中のような光景だった。

私たちは、たしかに魔王を討った。

命を削り、すべてを懸けて、あの絶望を乗り越えたのだ。

仲間たちと並んで立った王都の広場──その誇らしげな顔が、今も瞼の裏に残っている。


式典のあと、私たち四人は一度解散し、それぞれの時間を過ごしていた。

もう剣を抜かなくてもいい。

そう信じていた。


──だが、訪れたはずの平和は、一瞬の幻にすぎなかった。


空が割れた。

夕暮れよりも深く、紅蓮よりも毒々しい紫炎が突然、王城の尖塔を貫いたのだ。


まるで、天から地獄が流れ落ちてくるような──あの色。

轟音。

煙と爆風と、炎の咆哮。


「なっ⋯⋯なんだ、これは⋯⋯」


私は無意識に一歩、後ずさっていた。

視界がぐにゃりと歪み、次に目を開けたときには、王都のあちこちから炎柱が上がっていた。

紫の炎が街を囲んでいる。

逃げ場は、もう無い。

私はすぐさま城下町から城内を目指し、駆け出した。


「みんな⋯⋯!」


胸が苦しい。

全力で走っても、間に合わない気がした。


石畳が熱を帯びている。

焼けた木々の香りが鼻を刺す。

赤子の泣き声。

悲鳴。

誰かが潰されたような音。

そんな地獄を裂くように、突如、前方の瓦礫から泥の塊がうごめいた。


「⋯⋯っ、なんだあれは⋯⋯!?」


それは、泥人形。

人の形をしているようだが、ただ、四肢をぶらつかせて、私に向かってきた。


「邪魔をするな!⋯⋯スターキヴィン!!」


風が咆哮のように巻き起こり、地を這って泥人形を吹き飛ばす。

腕がもげ、頭部が砕け、泥に還っていく。

だが、それで終わりではなかった。


「まだ来るか⋯⋯!」


瓦礫の影から、さらに数体が姿を現した。

まるで、獲物を見つけたかのように、私の行く手を塞ぐ。


「スターキヴィン!スターキヴィン!!」


連続詠唱。

喉が焼けるように痛い。

それでも、止めなかった。

進まなければ──早く、仲間たちのもとへ行かなければ。

泥の敵を振り払いながら、私は必死で走り続けた。


すると、

「⋯⋯っ、そこの者!止まれ!」


鋼の叫びが響いた。

前方に、騎士団の一団がいた。

蒼銀の鎧をまとい、剣を構える姿に、私は一瞬、安堵しそうになった。


「リーシュ様!?無事でよかった!しかし⋯⋯王城は、もう⋯⋯!」

騎士の声は、涙で濡れていた。


「状況はどうなっている!」

「状況は⋯⋯最悪です。我々は“聖戦”だと告げられ、直ちに召集されました。ですがこれは⋯⋯“聖戦”なんかじゃない⋯⋯!ただの、虐殺です⋯⋯!!」

声を振り絞るその姿に、私は言葉を失った。


「敵は、“異世界”から来た黒いエルフふたりだと⋯⋯。そして、恐らく『シュルツピア』からの襲来だと言われています」

(異世界⋯⋯以前長老が話していたことと似ているな⋯⋯)


その瞬間だった。


空が悲鳴を上げたかと思うと、頭上から紫炎の火球が降ってきた。


「危ない、逃げろ!!」

私の声が届く前に、着弾した。


轟音と衝撃。

熱風が肌を削ぐ。

私は辛うじて吹き飛ばされるだけで済んだが、騎士たちは避ける暇もなく、一瞬で焼け焦げた。

叫ぶ間もなく、声すらも奪われて──灰となって崩れた鎧の残骸が、カラン⋯⋯と音を立てて転がった。


「⋯⋯ッ、クソっ⋯⋯!」


私はまた走り出した。

「みんな⋯⋯無事でいてくれ⋯⋯!」


焼け落ちていく街並み。

悲鳴を上げて走る人々。

折り重なる死体の山。

それを焼き尽くす、重く、淀んだ炎──


私はその地獄の中を、歯を食いしばって走り続けた。

足元の熱が、靴底を溶かしそうだった。

呼吸のたび、血の匂いと灰が肺に入ってくる。


それでも、止まれなかった。


そして──


城門の前で、私は見てしまった。


いや、“見てしまった”というより、目が逸らせなかった。

どれほど願っても、視界に焼きついたそれは、消えなかった。


──血を流して倒れ伏す、仲間たち。


「リ、リーシュ⋯⋯」

「助けて⋯⋯くれ⋯⋯」

「私⋯⋯たち⋯⋯パーティー、だよね⋯⋯?」


声が震えていた。

目の光は、もう残っていなかった。

それでも、私に手を伸ばしていた。


私は⋯⋯動けなかった。

なぜか、身体が鉛のように重く、脚がすくんだ。

(嘘だろ⋯⋯どうして⋯⋯どうして、こんな──)


そして、地を這う紫紺の瘴気の霧。

それをかき分けるように、ふたりの影が歩いてくる。

ひとりは、信じがたいほどの体躯。

地を踏みしめるたびに、瓦礫が砕ける音が響く。


もうひとり──

(⋯⋯なぜ、私と、顔が⋯⋯)


自分の分身のような男がいた。

頬の削げ方も、瞳の陰も、まるで鏡写しだった。

いや、それ以上に⋯⋯“自分よりも完成された何か”を、直感した。

その男が言った。


「この霧は蘇生魔法を無効化するので──彼らはもう死ぬだけですよ」


巨躯が目を丸くする。

「おォ?弟にそっくりだなァ?お前」


「貴様が“あのお方”が言う、“いいモデル”という奴か?そして“エルフ”か⋯⋯。その貧弱さ、私こそが“本物”というところか」


声は冷たく、嘲るように。

体の奥を、爪で引き裂かれるような感覚が走った。

(もう駄目だ⋯⋯何をしても⋯⋯)


死ぬ、と思った。

心の折れた音が、耳を貫いた。


誰一人、救えなかった。

仲間の叫びにも、震える声にも、私は応えられなかった。

その場から⋯⋯敵に背を向けて走った。


「ブフッ!!アイツ逃げたぞォ?追いかけて潰すかァ?」

「兄上、奴を今殺したとて、何も面白いことはありませんよ。いずれ、私が全てのエルフを消滅させます」


あざける声が背中から追いかけてくる。

そのあと、男女の悲鳴が響いた。

それでも私は、振り返らなかった。


脚が勝手に動いた。

嗚咽を押し殺し、血と焦げた臭いの中を、ただ走った。

手を伸ばしてきた仲間の思いを、踏みにじって。

(私は⋯⋯逃げたんだ)


----------


今でも、あの紫炎の色が、目蓋の裏に焼きついて離れない。

あのときの声、臭い、焼けた肌の感触。

震える脚は、今も、止まっていない気がする。


だが──

私は、“生きて”ここにいる。


恐怖と、後悔と、罪の重さに押し潰されそうになりながらも、それでも、こうして息をしている。心臓が打っている。

(だったら──)


リーシュは震える拳を握りしめたあと、その手を前に翳した。

「ジャン、クート、フェリス⋯⋯許してくれとは言わないが⋯⋯烏滸がましいと思われてもいい!私をまた、パーティーの一員として受け入れてくれ!⋯⋯“アイルヴェイン・クレスト”!!」


生まれた風刃は、轟音と共に空気を裂き、ディルハイドの真正面から迫る。

冷気の盾が展開されるも──


「突き破れッ!!」


鋭い風が盾を裂き、彼の肩をかすめた。

血が滲むローブに目をやりながら、

「ほう、やっとやる気になりましたか、“偽物”よ。あのときのように逃げればいいものを」


ディルハイドの口元が、僅かに釣り上がる。


「黙れ。私はもう逃げない──この手で⋯⋯贖って前に進む!」


雷と風をまとったふたりが、ディルハイドを正面から睨みつけた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?