「ファナさん⋯⋯」
自分の家に戻った大輔は、それに気づきながらも、まだ嗚咽していた。
装備は解除され、手元には“マスターソード”のみが残っていた。
「勇者様、よくぞ戻られました。素晴らしいご活躍でした。それにしても⋯⋯勇者様はお優しいのですね」
ジョルジュはしゃがみ込みながら、そっと大輔の背中に手を添えた。
そのとき──
静かな風もないはずの空間に、ふわりと空気が波打った。
大輔のベッドの上に、やわらかな光が降りる。
粒子が集まり、揺らめく光輪が天井から降り立つように浮かびあがる。
そこに、ひとりの人影が現れた。
「⋯⋯まだ依頼は来ていないはずですが⋯⋯」ジョルジュが目を細める。
大輔は顔を上げ、虚ろな目をやる。
光が徐々に形をなし、やがて──
金の髪が、ふわりと靡く。
ローブの裾が静かに揺れ、長い耳が光に透けるように浮かび上がる。
女性は目を閉じたままベッドにゆっくりと座り込み、ちらりとこちらを見た。
その瞳は、たしかに──
「⋯⋯勇者、様?」
大輔の目は光を取り戻し、見開いたまま動けなかった。
鼓動が、喉の奥で何度も跳ねる。
そして、絞り出すように──
「⋯⋯ファナさん?あぁ⋯⋯ファナさん!ファナさーん!!」
一気に立ち上がった大輔は、ベッドに駆け寄り、涙をこぼしながらファナを強く抱きしめた。
まるで、二度と離さないとでも言うように。
「よかった⋯⋯よかったあぁぁぁぁ!生きてた⋯⋯ファナさん⋯⋯!」
「ちょっと勇者様、子供みたい⋯⋯でも、嬉しいです⋯⋯」
ファナもそっと目を閉じる。
涙が頬を伝い、彼の背中に腕を回す。
──ふたりを包む空間は、やさしい夕暮れのようだった。
まるで“世界”が、ふたりの再会を祝福しているかのように。
「キャー!素敵!キャー!」
ジョルジュは両手で顔を隠しながら、指の隙間からのぞき見していた。
(ん?なんかお兄の部屋が騒がしいな⋯⋯友達でも来てんのかな?
)大輔の部屋のドアの前に、見るからに白ギャルの女子高生がひとり。
大輔の妹、田中かなた。
ブロンドベージュの髪色にピアス、シュシュで束ねたサイドポニーテール、制服は着崩し、ネイルは生活に支障をきたしそうなくらい派手なもの。
かなたは大輔から貰った鍵をゆっくり、音が鳴らないように回す。
そっとドアを開け、泥棒のように慎重に入る。
ドアを閉め、靴を脱ぎ、廊下をすり足で歩く。
リビングのドアを少しだけ開けて、中を覗く。
(⋯⋯コスプレパーティーか?めっちゃ入りづらいじゃん。それにお兄は泣きながら女の子と抱き合ってるし。どういう状況?)
すると、テーブルの上に、プリンの空き容器を見つけた。
蓋には「かなた」の文字。
(あっ⋯⋯!大事に取っておいたのにー!!)
怒りはすぐに沸点に到達し、その状況などお構い無しに、思い切りリビングのドアを開けた。
「誰だウチのプリン食ったのはー!!」
一瞬静まり返る部屋。
大輔、ファナ、ジョルジュはその声がしたほうを見た。
「か、かなた?来てたのか?」
「お兄!どういう状況なのこれ!しかもウチのプリン!名前書いてる意味ないじゃん!」
「それは、こいつが⋯⋯」
大輔はジョルジュを指差す。
かなたはジョルジュを鋭く睨む。
「はぁ?このジイさんが?ねぇあんた、いい歳して何してくれてるわけ?名前書いてあんでしょ?しかも人んちのもの勝手に食べて!どんな人生送って来たんだよ!」
「えっ⋯⋯そこまで言わなくても⋯⋯うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
ジョルジュはテーブルに突っ伏して泣き始めた。
大輔は立ち上がり、両手で“まぁまぁ”とジェスチャーをしながら、
「かなた、落ち着いて」
「はぁ?落ち着いたほうがいいのはお兄なんじゃないの?昼間から女抱いてさぁ!」
「あ、いや、その⋯⋯これには訳が⋯⋯」
ファナは少しムッとしながら立ち上がり、
「勇者様は私を命懸けで守ってくれたんです!」
「⋯⋯勇者?お兄が?そういう設定のコスプレパーティーなの?」
かなたは腕を組み、蔑んだ目で大輔を見る。そんなかなたの背後に立つ影が。
「⋯⋯ご免」
かなたは首の後ろをトン、と叩かれ気を失った。
大輔は「あっ」と、声にならない声のあと、
「ジョルジュ、手荒な真似はやめてくれよ?大事な妹なんだから」
「すみません勇者様、人生を否定されたのでつい⋯⋯」
ジョルジュは座りながら手で口を覆い、少し悲しそうな顔をしている。
「“カッとなって”ってか?まぁ、状況見ての判断だろ?ありがとな。あ、ファナさん、ちょっとこっちに座ってもらえる?」
ファナはテーブル横の座布団に座り、大輔はかなたを抱きかかえ、ベッドに寝かせた。
「⋯⋯で、どこから話せばいいかな⋯⋯」
照れくさそうに頭を掻きながら、大輔はファナの隣に腰を下ろした。
ふと、ファナが口を開く。
「どうして私は勇者様のお家に来たんでしょうか?“あの世界から消える”ってことは、死ぬんだと思ってました⋯⋯」
どこか不安そうに、目を伏せる。
ジョルジュは顎に手を添えながら、いつもの調子で分析を始める。
「ふむ⋯⋯恐らく、ファナ様はもう故郷には帰れないでしょう。このことに関しては“あの世界から消えた”という説明で辻褄は合いますが⋯⋯しかし、なぜ勇者様の世界に来たのかという点においては──」
その言葉を、ゆるく、けれど力強く遮るように。
「まぁ、ファナさんが生きてたし、それでよくない?」
大輔の言葉は、理屈ではなく“想い”だった。
そして、それだけで十分だった。
ファナはそっと微笑んで、静かに、でも少し頬を赤らめて言った。
「勇者様⋯⋯あっ、その⋯⋯もう“さん”はやめてください。呼び捨てで、いいです。もう、そんなに⋯⋯他人でもないと思うので」
ふたりの間に、柔らかな沈黙が降りる。
大輔はもぞもぞと視線を泳がせながら、声のボリュームをほんの少し落として、つぶやく。
「じゃあ、俺も⋯⋯“勇者様”じゃなくて、“大輔”って呼んでほしいな⋯⋯」
ファナは一瞬、驚いたように目を瞬かせ──
そして、目を細めて、やわらかく頷いた。
「⋯⋯うん。大輔」
「ファ、ファナ⋯⋯」
お互いの声が名前を呼ぶたび、世界は少しずつ、“ふたりのもの”になっていく。
ジョルジュは両手でカメラのジェスチャーをしながら、画角にふたりを収める。
「あれ、目の前で“今日好き”始まった?」
「“今日好き”どころか中学生かっての」
ベッドで寝ていたかなたが、寝転びながら頬杖をついて起きていた。
ジョルジュは血相を変える。
「なにィ!急所に当てたはずだ!」
大輔は呆れながら、
「物騒なこと言うな。それにその“なにィ!”はキャプ翼のやつだな」
そのやり取りを尻目に、かなたが、
「お兄、その子とそのジイさんは誰なの?ちゃんと説明してよ」
「うん⋯⋯ちょっと長くなるけど⋯⋯」
大輔はこれまでの経緯を説明した。
「う〜ん、信じ難いけど、お兄は嘘つかないからな⋯⋯」
(出来のいい妹で助かった⋯⋯)
「でもさ、これからこの世界で生きていくとしたら⋯⋯国籍とか、戸籍とか、色々大変なんじゃない?」かなたが当たり前のように現実的な指摘をしてくる。
その横でファナが、
「こくせき⋯⋯と、こせき⋯⋯?」
と小声で繰り返す。
大輔は頭を抱えた。
「あっ⋯⋯そうだよな⋯⋯俺、そこまで考えてなかった」
「お兄、異世界行ってきたせいで、頭の中ファンタジーのまんまじゃん」
「うるさいな⋯⋯」
ジョルジュは真剣な顔で、
「アニメや漫画において、亜人やロボットが市民権を得る描写はありません。むしろ、完全にスルーされています。ということは──今回も“スルー”で問題ないかと」
大輔が即座に突っ込む。
「いやいやいや、スルーで問題あるだろ!?真顔で言うなよ!!」
かなたは起き上がり、胡座をかいて腕を組み、あきれたような目でジョルジュを睨む。
「まぁ、百歩どころか千歩譲ってそれでいくとして、住むところはどうすんの?」
場が、静まる。──と、次の瞬間。
「勇者様!!」
ジョルジュがスッと立ち上がり、前のめりに叫んだ。
「私という者がありながら、女とひとつ屋根の下で生活されるのですか!?それは⋯⋯それは許されません!!このジョルジュ、魂が泣きます!!」
「いや、お前と住むつもりないから。ってか、用がないときはテレビに帰って」
「テレビって!?テレビって言いました!?せめて“ジョルジュモニター”とかに⋯⋯」
ファナはいつの間にか、顔を真っ赤に染めて俯いていた。
「大輔と⋯⋯一緒に生活⋯⋯」
その声に、大輔の頬にもほんのり色が差す。
「これは“同棲”ってやつだよな⋯⋯?」
“ふたりの空気”ができかけた、その瞬間──
パンッと手を叩く音。
かなたが立ち上がり、あっさり言い放った。「はーい、じゃ、ファナっちはウチが預かるわ」
「「えっ!?!?」」
ファナと大輔が、ほぼ同時に声を上げる。
かなたはクールに続ける。
「女子が女子の家に住むのは自然だし。ってかお兄、ファナっちの中身ぜんっぜん現代仕様じゃないじゃん。説明も教育も、ウチがした方が効率いいじゃん?」
ジョルジュが感動して震え始めた。
「な、なんという⋯⋯現代知識という名の練気⋯⋯やはり“妹”という存在は、勇者様のもう一人の守護者⋯⋯!!」
かなたは“はいはい”といった感じで、
「そういう解釈でいいから、口閉じてて」
大輔はやや拗ねたようにファナを見た。
ファナは少し困ったように微笑んで、
「大輔の隣にもいたいけど⋯⋯まずは、ちゃんと“この世界のこと”を知りたいから。かなたさんに教えてもらえるなら⋯⋯頑張れそうな気がします」
「⋯⋯そっか」
少し寂しそうに笑う大輔を見て、かなたはニヤリと口角を上げて付け加える。
「まぁ、いつも通りたまには顔出すからさ」