大輔の家に着いた、大輔とファナ。
玄関のドアを開けると、どこかゆったりとした香りが漂っていた。
「ジョルジュ⋯⋯また勝手にやってんな?」
リビングへのドアを開けると、案の定、テーブルには紅茶の湯気とジョルジュの姿。
「おや、勇者様、ファナ様。お帰りなさいませ。この紅茶、華やかな香りが心を落ち着かせますなぁ⋯⋯」
上品な所作でカップを掲げながら、ジョルジュはどこか満足げな顔をしていた。
大輔は不思議そうに、
「あれ、紅茶なんて家にあったっけ?」
「ええ、この缶の紅茶ですが──」
「あ、それ、大学のときのサークルのイベントで貰ったやつだったかな?たぶん、賞味期限切れてるぞ?俺、紅茶とか飲まないし」
ジョルジュは缶の底をくるりと返して確認する。
「ふむ。2024年3月。ですが、“熟成”と思えば、これもまた乙な味わい」
「物は考えようだな⋯⋯」
ジョルジュは紅茶をすすり、ふぅ、と息をついたあと、
「それにしても勇者様、心なしかお顔がスッキリされたようですが⋯⋯お楽しみでしたか?」ニヤニヤした顔で大輔を見る。
「バカ言うな!」
ファナは特に気に留めるわけでもなく、
「大輔、さっきのでスッキリしたんですか?」
「ファナ!その言い方は一番ダメ!語弊があるとかのレベルじゃないから!」
ジョルジュは満足げに紅茶をすすり、静かにこう付け加える。
「依頼前の息“ヌキ”とは⋯⋯勇者様もやはり“男”なんですねぇ」
「ジョルジュ!息抜きの“抜き”が絶対片仮名だろそれ!違うからな!」
ファナは小首をかしげて不思議そうに聞いた。
「“ヌキ”って、何ですか?」
「ファナああああああああ!!」
大輔が盛大に床に崩れ落ちる。
その様子をジョルジュはにこにこと眺めたのち、ふっと目を細め、静かに立ち上がる。
「勇者様。貴方との、こういう他愛のないやりとりが、本当に愛おしいのですが⋯⋯」
柔らかな口調のまま、けれど瞳の奥には静かな決意が宿っていた。
「そろそろ、行かれますね?」
大輔は床から起き上がり、口元を引き締めた。
「あぁ、行くさ。今回も依頼達成して、ちゃんと帰って来るからな」
ジョルジュは深く一礼する。
「私は、いつまでもお待ちしております。勇者様、ファナ様──いってらっしゃいませ」
そして、言い添える。
「あ、“マスターソード”も忘れずに」
大輔はその柄を握り、ファナはそれに寄り添う。
ふたりの足元から、やわらかな光が生まれ、柱となって天井へ伸びる。
その輝きに包まれたふたりの姿は、ゆっくりと、静かにその場から消えていった。
辿り着いた先は、ダンジョンのような場所。
手掘りのような荒い場所もあれば、ブロックのような岩を綺麗に積み上げられた天井や壁の場所もある。
「うわぁ、RPGの世界だなぁ」
大輔は少し胸が高鳴りながら、仄暗い道を歩く。
するとその先に、宝箱のようなものを見つけた。
「大輔、あれは何ですか?」
ファナが近づいていくと、大輔は急に既視感に襲われる。
(⋯⋯ん?ダンジョンで宝箱にエルフ⋯⋯)
「ファナ!開けちゃダメだ!」
大輔がそう叫んだとき既に、
「うわぁ〜!暗いよ〜!怖いよ〜!」
ファナはミミックに上半身を食われていた。(セリフまで完璧だ⋯⋯)
大輔は少し感動しながらも、
「ファナ!ごめん!ちょっとお尻押すからな!」
「えっ!?私が動けないのをいいことに?」
「これが一番ベストな方法なんだよっ!」
大輔はファナのお尻を、少し強めに押し込んだ。
すると、ミミックはオエッと奇声をあげ、ファナを吐き出した。
即座に“マスターソード”を構えた大輔は、一閃。
「おりゃ!」
ミミックを倒した。
(あの漫画、まさか役に立つとは⋯⋯)
「大輔、ごめんなさい⋯⋯ベトベトになっちゃいました⋯⋯」
ファナは座り込み、髪の先からミミックの唾液をぽたぽた垂らしながら、少し萎えている。
大輔は顔をしかめつつも、やんわりと声をかけた。
「拭くもの持ってないしなぁ⋯⋯ファナ、申し訳ないけど、このまま先に進もう?」
「はい⋯⋯」
ファナはぺたぺたと靴音を響かせながら、とぼとぼと歩く。
その後ろ姿を見て、大輔は苦笑いを浮かべつつも、歩みを進めた。
(とりあえず、このダンジョンから抜け出さないとな⋯⋯)
すると、奥の通路から、ズン⋯⋯ズン⋯⋯と重低音が響く。
地面が微かに揺れ、土埃が舞い上がる。
「ファナ、何か来るぞ!」
大輔が警戒を強める。
姿を現したのは、巨大なゴーレム。
金属と石でできた体躯は、ダンジョンの天井すれすれまでそびえ立つ。
(うわっ!でけぇ!)
大輔が“マスターソード”を構えたそのとき──ファナが一歩前に出た。
「大輔!ここは私が!」
ファナが両手を翳し、詠唱する。
「清き風の流れのもとに、邪気を払い給え──スターキヴィン!」
巨大な暴風がダンジョンに巻き起こり、ゴーレムに直撃した瞬間──ダンジョンの天井を勢いよく突き破り、ゴーレムは遥か彼方へ消えていった。
崩れ落ちた岩の破片が、次々と床に転がる。
「⋯⋯あれ?私の魔法、こんなに強かったかな?」
ファナがぽかんとした表情で、自分の手を見つめている。
大輔も目を見開いたまま言葉を失っていた。
「確かに、威力が増してるような⋯⋯」
“ついで”に、ファナの濡れた髪や服も一瞬で乾いていた。
「なんや!今の風は?ゴーレムがえらい飛んでったで!」
天井の大穴から陽が差し、その先から男の声がした。
「⋯⋯関西弁?」
大輔はすかさず体勢を取り直し、声の主に目を向ける。
逆光で顔はよく見えないが、穴の縁から、その男がこちらを見ているようだ。
「ん?見ぃひん顔やな?自分らどこから来たん?迷ったんか?」
唐突な問いかけに──大輔は、一瞬、思考を巡らせた。
(異世界って言って通じるか?記憶喪失のフリ⋯⋯いや、逆に怪しいか?いっそ“地球”とか言ったらSFになるし⋯⋯)
ちら、とファナを見るが、彼女も少し困った顔で首をかしげていた。──ならば。
「えーっと⋯⋯“東京”から、来ました」
その言葉に男は、
「とうきょう?聞いたこと無いなぁ⋯⋯何か、魂売った奴たくさん住んでそうな名前やなぁ?」
そして、男はその穴から飛び降り、大輔とファナの前に降り立った。
「よっ、と。⋯⋯自分ら、格好からして、この世界の人間ちゃうな?」
この男──
青い短髪に、笑っているような目。
口元は口角が上がり、少し気味悪さも感じる。
装備は機動力重視なのか、それほど重そうにも見えない防具。
何より特徴的なのは、腰に差した変則的な形のものと、細く鋭そうな“双剣”。
そして、彼の中で、点と点が線で繋がったようだ。
「あれ?もしかして“異世界”から来た“勇者”って君なん?」
大輔は目を丸くする。
「えっ?俺のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、四つの国が挙って君に“モノマヒア”の代表になってくれって言っとるらしいで?」
「は?四つの国が?」
(ジョルジュはそんなこと言ってなかったぞ?)
「それに、ワイもこの国の代表や。君が“モノマヒア”に出るんなら⋯⋯敵か味方になるやろなぁ」
男は大輔を横目に見ながらニヤリと笑う。
(こいつ、敵に回すとめちゃくちゃ厄介な気がするな⋯⋯)
すると、思い出したように、
「あ、そうや。君ら、国の“遺産”壊したから、捕まえないかんかったわ」
突然、男は腰に差した双剣を手に取る。
「手荒な真似はしたないんや。大人しくついてきてくれたらそれでええんやけど、どないする?」
大輔は即答だった。
「あぁ、分かった」
「大輔、壊したのは私だから、大輔は行かなくても⋯⋯」
不安そうに、大輔の服の裾を少し引っ張るファナの肩を、大輔は軽く叩き、微笑みながら頷く。
男はぽかんとする。
「ずいぶん“勇者”ってのは聞き分けいいんやな⋯⋯もっと好戦的やと思っとったんやけどなぁ」
大輔の目は、男を真っ直ぐに見つめる。
「ここで戦ったとして、何が残る?確率はどうあれ、仲間になるかもしれないんだろ?それに、俺“たち”が壊してしまったことは事実だ。申し訳ない」
男もしばらく黙ったまま、大輔をじっと見つめる。
やがて、ふっと鼻で笑い──
「⋯⋯君、オモロイな。ワイの行動が軽率やったわ。すまんな」
呆れたように肩をすくめて、双剣を腰に戻す。
「ほな、ついてきてもらおか?聞きたいこと、めっちゃあるしな」
そう言って男は踵を返し、先導するように歩き出す。
大輔とファナは顔を見合わせてから、無言でその背中を追った。