やがて、一行はダンジョンの出口へとたどり着いた。
そこには、金属でできた門と、読めない文字が書いてある看板──まるで、テーマパークのアトラクションのゲートのようなものがあった。
「えっ、このダンジョンって⋯⋯観光地なのか?」
思わず漏れた大輔の声に、男が振り返って笑う。
「そやで。これもワイの国の貴重な収入源や。ダンジョン体験、人気やねん。ただし、君らがいたのは“侵入禁止エリア”。あそこはホンマに危ないから、一般人は立ち入り禁止なんや」
すると、どこからかガタゴトと車輪の音が近づいてくる。
見れば、四足歩行の動物が引く、馬車に似た乗り物がゆっくりとやって来て、彼らの目の前で止まった。
御者台から一人の男が飛び降り、軽く礼をするように帽子を押さえる。
「ギャレット隊長、お疲れ様です。お迎えに上がりました。⋯⋯そちらの方々は?」
ギャレットと呼ばれた男──すなわちさっきの双剣の男は、口元だけで笑って言う。
「ダンジョンに穴開けた犯人や。すぐにでも檻にぶち込みたいとこなんやけどなぁ──」
そこまで言って、ちらりと大輔とファナを見る。
「⋯⋯“国賓”かもしれんなぁ。せやから、丁重にな?」
その目は笑っているのに、どこか底が読めない。
「分かりました。では、お二方もお乗りください。」
御者の男が一歩下がり、手で馬車の扉を開ける。
ギャレットが先に乗り込むと、大輔とファナも無言でそのあとに続いた。
内装は思ったよりも質素で、クッションのほころびた座面に、古びた木のきしむ音がする。
ギャレットは足を組みながら、窓の外を見ていた。
やがて馬車は静かに揺れながら動き出す。
──どこかへと走り出した。
大輔とファナが窓の外に目をやると、次第に街並みが広がっていく。
石畳の通りには行き交う人々、肩越しに荷物を運ぶ商人、店先で元気に呼び込みをする声が響く。
通り沿いには、高くそびえる石造りの建物が並び──中でも、ひときわ目を引くのは数多の飲食店だった。
色とりどりの看板に、香ばしい煙。
細い路地からは、スパイスや焼きたてのパン、煮込み料理の香りが、風に乗って鼻をくすぐる。
ファナは、頬をふにっと緩ませて、ぼんやりと呟いた。
「大輔〜、お腹空きましたね⋯⋯」
「⋯⋯そういえば、家に帰ってから何も食べてなかったな」
大輔も、腹の奥からぐぅ⋯⋯と小さく音が鳴った。
ギャレットが突然、腹を抱えて笑い出す。
「ハハハハハ!なんや君ら、観光に来たんか?えらい余裕やなぁ?」
馬車の中に響く笑い声に、大輔もファナも思わず身をすくめる。
だが、ギャレットは楽しそうに続けた。
「いやぁ、ホンマ、君らオモロイわ。せやな、ちょっと寄り道でもしよか?」
ちらりと横目でふたりを見ながら、にやりと口元をゆがめる。
「ほら、せっかく異世界に来たんや。腹が減ってちゃ、戦えへんやろ?おーい、マス!ちょっとここらで止めてくれへん?」
ギャレットが御者に声をかけると、馬車はゆっくり、ギィィ⋯⋯と車輪の音を残して止まった。
すると、その動きに気づいた通行人たちが足を止め、次々にこちらへ目を向ける。
ギャレットが先に馬車から降りると、あっという間に周囲がざわめき始めた。
「やっぱり隊長や!今日もサボりに来たんか?」
「アホ、業務に決まっとるやろ!今日“も”って何やねん!」
「隊長、次のポストは観光大使なんか?」
「誰が客寄せムームーや!ちゃうわ!」
ギャレットは手を振りながら、人の波を掻き分ける。
それでも、ツッコミは忘れない。
周囲の人たちの顔を見れば、彼の人望の厚さが手に取るように分かる。
大輔とファナも馬車から降り、その光景を見つめる。
「ムームーって何ですか?」
ファナがぽかんとした顔で首をかしげる。
「分かんないけど⋯⋯たぶんパンダみたいに、愛嬌がある生き物なんだろうな」
そう答える大輔に、ファナはふと何かを思い出したように微笑んだ。
「パンダ⋯⋯あっ、かなたさんの部屋にあったぬいぐるみ!確かに可愛いですね!」
その言葉に、大輔は一瞬、現実世界の妹の姿を思い浮かべたが──すぐに表情を戻す。
その間に、ギャレットと市民たちの応酬も一段落ついたようだった。
「こっちや。ついてき」
にやりと笑うギャレットは、ひときわ狭い、石造りの建物の間──細い路地へと入っていく。
途端に、さっきまでざわついていた市民の声が、少しだけ低くなる。
「隊長、あのふたりを“あそこ”へ連れて行くんか?」
「一応、観光地やしなぁ⋯⋯隊長が力入れとるのもあるやろ」
「まぁ、この国のこと知るなら一番早いやろなぁ⋯⋯」
ヒソヒソと交わされる言葉の意味は分からない。
だが──何かが確かに“変わった”のは感じた。
大輔とファナは顔を見合わせる。
「何か、騒々しいけど⋯⋯大丈夫か?」
「あの人、何考えてるか分からないです⋯⋯」
小声でそう言い合いながらも、ふたりは迷いなくその後を追った。
僅かに陽の光が届くその道をしばらく歩き、抜けた先には──
「いらっしゃいませ!」
「このブレスレット、ゴーレムの欠片を使った手作りやで!」
「そこの兄ちゃん、ちょっと寄ってってやー!」
大きな市場のような場所が広がっていた。
色鮮やかな果物や野菜を並べた店、
香ばしい匂いの立ち上る飲食店、
木彫りや魔石を使った郷土品を扱う土産屋。
細い通路の先まで、所狭しと店が立ち並び、人の熱気で満ちている。
ただ、ひとつだけ──明らかに“普通”と違うものがあった。
「ここはな、“子供市場”や」
ギャレットの声が、すぐ隣で静かに響いた。
ファナがゆっくりと辺りを見回す。
活気のある呼び声。
楽しげなやり取り。
笑顔。
──けれど、そのどれもが、まだ幼さの残る声と手によって動いている。
「働いてる人が、みんな子供です⋯⋯」
ファナの言葉は、驚きというよりも──戸惑いに近かった。
隣でじっと様子を見ていた大輔が、小さく息を吐いて問いかける。
「なぁ、なんで子供しかいないんだ?」
ギャレットは、しばらく市場の光景を見つめたあと、静かに口を開いた。
「この国の人間は、ほとんどが商売人や。商才の無い人間は、淘汰される。まぁ、ワイも淘汰された側なんやけど、少なからず商売人やない奴もおる。けどな、それで飯食えるんは、一握りや」
言葉を切ったギャレットは、近くの屋台で元気に声を上げる少年をちらりと見て、続けた。
「ここのチビたちはな──孤児や、育児放棄で捨てられた子らや。ワイが援助して、ここで商売のいろはを学ばせとる。もちろん、指南役に大人も雇っとる。稼げれば、自信になる。売れれば、“自分にも価値がある”って、そう思えるようになるやろ?この国で生きていくには、その心構えが基本や」
すると、ひとりの小さな女の子がファナに駆け寄って手を取り、声をかける。
「ねぇちゃん、お腹空いたやろ?うちがご飯作ったるから、食べていかへん?」
その子の純粋無垢な、上目遣いの瞳をファナはしっかりと見つめてしまい、
「うぅ〜ん、かわいい〜!遠慮なく頂きます!」
あっさりと女の子に手を引かれ、ファナは食堂へと連れて行かれた。
ギャレットは苦笑いしながら、「商魂逞しいわ。こんなん見せられたら、ワイも頑張らなあかんなぁ」
ぽりぽりと頭を掻きつつ、ふたりのあとを追って歩き出す。
その背を見ながら、大輔はしばらくその場に立ち尽くしていた。
──胸の奥に、拭えない違和感があった。
(俺の住む世界が正しいとは言わないけど⋯⋯かと言って、何かを変えようとするのも、違う気がする)
子供が商売をして、売れたら価値があると信じて生きている。
この国の“当たり前”は、あまりに自分の常識と違っていた。
(⋯⋯これは、俺の“正義”で測れるもんじゃない)
でも──それでも。
ファナの笑顔。
女の子のまっすぐな目。
そして、子供たちを見つめるギャレットの背中。
(何が正しいかなんて、分からない。でも、目の前のことからは、逃げたくない)
そんなふうに思ったとき、ふわりと風が吹き抜けた。
大輔はそっと息をついて、歩き出した。
──そのときだった。