「キャーッ!!」
「ダズ兄、助けて!!」
市場の奥から、子供たちの叫び声が響いた。
その声に、空気が一瞬にして張り詰める。
「なんや!どないした!」
ギャレットが走り出す。
反射的に、大輔もその背を追っていた。
狭い通りを抜けた先──
そこには、ダイアウルフが数頭、唸り声を上げて威嚇していた。
牙をむき、子供たちを囲むように地を掻くその姿は、明らかに“街の景色”には不釣り合いだった。
「モンスターが街に下りてくるなんてあり得へん!何があったんや!?みんな!この場から離れるんや!」
ギャレットは腰の双剣を抜き放つ。
その鋭い刃が、太陽の光を反射して閃いた。
大輔も、すぐに身構える。
その手には、“マスターソード”。
と、その瞬間。大輔の目の前に、唐突にウィンドウが現れた。
-----------
「ゆうしゃさま! “かんそう” と こえに だして ください!」
------------
ジョルジュウィンドウの文字がスムーズに流れる。
大輔は呆れながら、
「やっぱりこの前のはわざとだったんだな⋯⋯かんそう⋯⋯あっ、もしかして“完全装備”の略か?まぁいいや、“かんそう”!」
その声に応じるように、眩い光が大輔の身体を包み込む。
それは、ノエルナ村で“覚醒”したときの姿。
光が収まり、そこに立っていたのは──勇者大輔。
マスターソードとドラゴンタイプの防具が、蒼く輝く。
「うわぁ、なんやあれ!」
「めっちゃかっこええやん!」
緊迫した空気をよそに、子供たちが歓喜の声を上げる。
「これが⋯⋯“勇者”なんか⋯⋯?」
ギャレットはその姿を見て、目を見開く。
「ギャレット!よそ見すんな!子供たちを守るぞ!」
大輔はそう叫び、ダイアウルフの群れに向かって剣を構える。
その姿は確かに──“勇者”だった。
そして、敵に向かって走り出す。
──だが。
「⋯⋯勇者ぁ、舐めてもらっちゃ困るで?」
ギャレットがニヤリと笑い、軽く肩を回すように構えたその瞬間。
鋭い風を裂く音と共に──大輔の目の前で、二頭のダイアウルフが一瞬で断ち割られ、血飛沫が舞った。
「⋯⋯えっ?」
思わず大輔が足を止める。
ギャレットは、二本の剣を構えたまま、地を蹴った姿勢で静止していた。
双剣はすでに、血に濡れている。
「⋯⋯さっき言うたやろ?ワイは商才からっきしでも、“これ”で飯食えてるんや!」
ギャレットは体勢を戻し、双剣に付いた血を振り払う。
「モンスターは保護対象なんやけどなぁ⋯⋯でも、ワイの子らには手ぇ出させへんで?」
口角は上がりながらも、視線は鋭く“獲物”を貫く。
残るダイアウルフが遠吠えを上げると、どこからともなく増援がやって来た。
現れたときよりも頭数が増え、唸り声を上げながら一斉に襲いかかってくる。
大輔も咄嗟に動き、マスターソードを振りかぶる。
「おらあぁぁぁぁ!」
ギャレットが笑った。
「君が一頭殺っとるうちに、ワイが全部片付けたるわ!行くで!“ファニー”!」
右手を伸ばしそう叫ぶと、持っていた、ぐにゃりと湾曲した剣が伸び、ダイアウルフの群れの脚に次々巻き付くように絡まり、動きを止める。
「動いたら脚が飛ぶで?まぁ、これから身体も吹き飛ぶけどな!」
ギャレットは“ファニー”を右手に持ったまま、脚を取られもがく群れに突っ込み、左手に持つもう一方の剣を振り抜く。
「“クイップ”!ツッコミや!」
大衆の視覚に残るのは、ダイアウルフの群れをなぞる剣の軌道だけ。
次の瞬間──群れは次々に宙に跳ね上がり、肉と骨を分断され、地に散った。
「は、速っ⋯⋯人の速さじゃない⋯⋯全然見えなかった⋯⋯」
大輔は驚きのあまり、脱力して口をぽっかりと開けていた。
するとそこに、頬をぷくっと膨らませたファナが駆け寄ってくる。
「だいふけ、わらひのまふぉうれいっほうひまう!」
大輔は前をぼんやりと見たまま、
「⋯⋯ファナ、もう終わったよ」
「ふぇ?もうおわっふぁんれふか?」
そして、ギャレットは端末のようなものをポケットから取り出し、耳にあて、話をしている。
「あー、ワイや。モンスターがワイのシマで暴れとったから始末した。⋯⋯あ?しゃーないやろ!子らが怪我したらどないすんねん!お前しばくぞコラ!さっさと回収班回せボケ!」
ギャレットは苛立ちながら、ポケットに端末をしまう。
そこに、駆け寄ってくる子供たちの足音。
パタパタと地面を蹴る音は、まるで“安心”そのものだった。
「ダズ兄、めっちゃカッコよかったで!」
「ダズ兄戦ってるの初めて見た!」
「ホンマに強いんやな!」
ギャレットは苦笑いしながらも口元を緩め、しゃがみ込むようにして子供たちと目線を合わせる。
「お前ら、怪我無いか?」
その声にはもう、怒りの色はなかった。
むしろ、どこか安心したような響きすらあった。
「うん、大丈夫やで!ありがとうな、ダズ兄!」
子供たちの笑顔が並ぶ。
どれも無邪気で、生きていることそのものが嬉しそうだった。
大輔とファナは、その光景を少し離れた場所から見ていた。
「あいつ、いい奴なんだな」
「ほうれふね」
「ファナ、まだ口に入ってるのか?そろそろ飲み込めない?」
「なかなかかみいえあくて⋯⋯」
まだ頬をぷくっとふくらませながら、懸命に咀嚼しているファナ。
その顔は、どこか幸せそうでもあった。
すると、大輔の目の前に、またジョルジュウィンドウが現れた。
----------
「ゆうしゃさま そうび かいじょは “だっそう” と こえに だして ください」
----------
「だっそう⋯⋯あ、脱装ってことか?言葉のチョイスが微妙だけど⋯⋯まぁ、しょうがないか⋯⋯“だっそう”!」
その声に応じて、彼の身体は淡い光に包まれ、重厚な装備がひとつずつ霧のように消え去っていく。
次の瞬間には、いつものジャージ姿に戻っていた。
──非日常の幕がひとまず下りた、その余韻の中。
ギャレットがポケットからまた端末を取り出し、短く何かを話している。
「⋯⋯分かった。これから向かう」
振り返った彼の目は、どこか真剣な光を宿していた。
「首相からの呼び出しや。今の件、もう耳に入ったらしいわ。ワイも君らも対象や。ほな、行こか」
その言葉に、ファナがふと何かを思い出したように小さく声を上げる。
「あっ、ご飯のお金払ってないです⋯⋯」
ギャレットは歩き出しながら、ちらと笑う。「ワイの奢りでええで?君らにはええもん見せてもろたしなぁ」
少しだけ首をかしげたファナが、はにかんだように礼を言う。
「あ、ありがとうございます⋯⋯」
ちょうどそのとき──食堂の扉が開き、小さな足音が石畳を駆けてくる。
「ねぇちゃん、もう行くん? うちのご飯、どうやった?」
その声に振り返ったファナは、しゃがんで目線を合わせた。
「とっても美味しかったです!ありがとう⋯⋯頑張ってね」
その言葉に、女の子はぱぁっと顔を輝かせ、ファナに飛びつくように抱きついた。
ファナも驚きながら、その小さな体をそっと抱きしめ返す。
「いい匂い⋯⋯柔らかい⋯⋯女神様みたいや⋯⋯」
女の子から、ぽそりとこぼされたその言葉は、風に乗って、空に溶けていった。
ファナは少し照れたように微笑み、女の子の髪をそっと撫でる。
その横顔を見つめていた大輔は、ふと我に返る。
──胃袋が空っぽのままだ。
(また食いそびれた⋯⋯ノエルナ村ではパン、ここでは選び放題だったのに⋯⋯)
大輔はずるりと肩を落とし、小さく唸るように腹の虫が鳴く。
ため息をつきながら、とぼとぼとギャレットの後を歩き出した。
その横で、ファナは軽く振り返り、小さく手を上げる。
「また、ご飯食べに来ますね!」
声に応えるように、女の子は顔を輝かせた。
「うん、約束やで!」
その笑顔は、太陽に負けないくらい、まっすぐで眩しかった。
ファナが背を向けて歩き出しても、女の子はその場を動かず、精いっぱいの力で手を振り続けた。
──見えなくなるまでずっと。