ギャレット、大輔、ファナの三人は、再び馬車へと乗り込んだ。
乾いた木の車輪が軋むたびに、午後の静けさがかすかに乱れる。
傾きはじめた陽が、通りに影を落とし、それらは疲れた旅人のようにだらりと伸びていた。
ギャレットは、ばふっと音を立てて座席に腰を下ろし、背もたれに身体を預ける。
両手を頭の後ろで組み、わざとらしくため息を吐いた。
「あ〜あ、もっと君らに色々見せたかったんやけどなぁ。こんなん、とばっちりやで。何でモンスターがあんなとこにおんねん」
大輔は向かいの席に腰掛け、眉をひそめる。
「普段はいないのか?」
「まぁ、おるっちゃおる。けどな、街と生息域の間には“結界”が張ってあるんや。普通は越えられへんのやけどな」
「結界?」
「そや。ウチの国で作ったもんやない。“東”や。あいつらの技術や」
ギャレットは組んだ手を崩し、淡々と続けた。
「年に何度か、東の技術者が点検しに来とるんや。基本、ワイら西は補強や巡回くらいしかできへんからな。壊れたら、自分らだけじゃ直せへん。借り物の盾みたいなもんやな」
馬車が石畳の段差に乗り上げ、小さく跳ねる。ファナは窓の外を覗き込み、景色を見ながら「わぁ」と小声で呟いたが、ふたりには届かない。
大輔は姿勢を直し、問いを重ねる。
「じゃあ、結界が破られたってことか?」
ギャレットは視線を窓の外に滑らせ、しばし沈黙する。
「ワイは“偶然”ってやつを信じとらんで」
「人為的に⋯⋯?」
「この辺のモンスターに、あんな芸当はできん。偵察で把握しとるし、例外なんか出たこともない。⋯⋯つまり誰かが意図して手ぇ出したっちゅうことや」
空気が少し冷えた気がした。
ファナは外の花を見て微笑んでいたが、大輔の表情は険しい。
ギャレットはそこで一度、大輔を正面から見据える。
「⋯⋯勇者。君が来て、街で初めて被害が出た。これ、ほんまに偶然やと思うか?」
言葉に針のような鋭さが混ざっていた。
大輔は口を開きかけて、黙る。
ギャレットは視線を外し、軽く鼻で笑った。「ま、君が悪いってことやないで?ただ──君が来たことで、動き出す奴らがいる⋯⋯そういうことや」
背もたれに体重を預け直し、声を低くする。「それとな、魔法は元々この世界には無かったんや」
大輔が目を上げる。
「え?」
「神様の贈り物でも、自然に湧いたもんでもない。人工的に作られた力や。そして、それを最初に実用化したのは──“東”や」
ギャレットは前のめりに、両肘を両膝に乗せ、続ける。
「東は“力は道具”って考え方や。効率と制御の塊やな。これは憶測やけど、回復を無効化する術式や、防御ごと街を閉じ込める仕組み、とか、兵器に仕上げる日も近いと思っとる」
ファナは窓から風を受け、飛んでいる数羽の鳥に目を細めた。
「今の魔法は回復と防御しか無いんや。表向きには“医療支援”とか言っとるけど、そのうち攻撃も、って可能性もあるで。魔法の仕組みの詳細は国家機密みたいなもんやし、東を敵に回すんは賢明じゃないで」
そこで、ギャレットの声にわずかな熱が混ざった。
「だからや──この国の事情、少しは分かっといてほしいんや。⋯⋯もしウチの国に立つ気があるなら、話は早いんやけどな」
ギャレットは薄く笑った。
だがその目は笑っていなかった。
大輔は小さく息を吐き、
「考えておくよ」とだけ答えた。
やがて馬車の速度が落ちる。
「そろそろ首相官邸や」
ギャレットは大輔に視線を送り、にやりと笑う。
「あんまり固くならんようにな。君、東の人間みたいにノリ悪そうやから」
「まぁ⋯⋯関西ノリはちょっと苦手で」
「なら覚えとき?この国は“笑い”を最重要視しとる」
「笑い?」
「すぐ分かるわ」
窓の外には、まるで絵画のように整えられた道が広がっていた。
官邸へと続く石畳のアプローチには、左右に美しく刈り込まれた植木と、季節の花々が整然と並ぶ。
噴水からは、さらさらと水の音が流れ、光を受けてきらきらと宝石のようにきらめいている。馬車はその近くに停車した。
「わぁ〜!綺麗ですね!」
ファナは目を輝かせて馬車を降り、小走りで花壇へ寄っていく。
色とりどりの花に顔を近づけ、深く息を吸い込む。
大輔も、
「⋯⋯貴族の屋敷みたいだな」
と小さく呟いた。
ギャレットは窓の外を指差す。
「ここも観光地や。あの塔からは、この国が一望できるんや。天気がよけりゃ、北の雪山や南の田畑も見えるで」
その声が、大輔にはほんの少し誇らしげに聞こえた。
馬車から降りたギャレットが、御者の肩をぽんと叩く。
「マス、お疲れさん。ありがとな」
大輔も後に続き、門の前に立つ二人の門番が直立し、敬礼を送った。
「およばれしたから顔見せに来たで?」
「ギャレット隊長、お疲れ様です。どうぞお入りください」
門番は手慣れた動作で門を開く。
その向こうには、重厚な玄関扉と、白い壁が陽に照らされる官邸の正面が静かに構えていた。
大輔は、その佇まいに一瞬、足を止める。
“いよいよ来たか”という気配を、建物自体が放っている気がした。
そして三人は、門をくぐり、無言のまま建物の中へと足を踏み入れた。