官邸の扉が開くと、雰囲気は一変した。
白と深い木目の壁。
無駄な装飾はなく、静まり返った廊下が奥へと伸びている。
外の華やぎとは真逆の、実務的で質素な空気。
「⋯⋯もっと豪華なのかと思ってた」
大輔がぽつりと漏らす。
「外見着飾るんはこの国の得意技や。首相は応接室におるで。こっちや」
ギャレットが先導しながら、歩調を緩めず案内する。
廊下を抜け、やがて三人は一枚の扉の前に立つ。
重厚な木製の扉には、真鍮の取っ手と、小さな名札が添えられていた。
ギャレットは立ち止まり、三本の指でコンコンコン、と扉を三度叩く。
「ダズ・ギャレット、参りました」
静かな宣言──その直後。
「ギャレット!ちゃんと“アレ”言わんと!怒るでしかし!」
扉の向こうから、地鳴りのような声と共に、飛び出す関西弁。
大輔は思わず反応する。
「⋯⋯怒るでしかし?」
表情に “今なんて言った?” という戸惑いがにじみ出る。
ギャレットは一度頭を掻いたあと、諦めたように、ため息をつく。
「⋯⋯メガロフォス共和国国境警備隊本部統括隊長兼、メガロフォス共和国治安維持及び外敵対策本部特別顧問兼、 非常災害緊急対処評議会外部参与、ダズ・ギャレット、参りました」
「長いわ!全然覚えられへんねん!はいりなはれ!」
大輔は少しだけ、尊敬の眼差しを向ける。
「よく覚えられたな⋯⋯」
「このくだりは毎回やらされるんや。嫌でも覚えるわ」
ギャレットはまんざらでもない表情で扉を押し開ける。
その先に広がっていたのは、広々とした室内と柔らかな光──
そしてその中央、意外な姿が目に飛び込んできた。
小さな白い毛むくじゃらの生き物が、まるで自分が登場するタイミングを待っていたかのように、三人の前にぴょんと現れた。
ふわふわとした二足歩行の体、丸い耳が愛らしく、すぐにファナの目を引いた。
「わぁ!もふもふで可愛いです!」
ファナは嬉しそうにしゃがみ込み、手を差し出して頭を撫でた。
生き物は気に入ったのか、すり寄りながら、嬉しそうに「ムー!ムー!」と鳴く。
その可愛らしい声に、大輔もファナの横にしゃがみ込んだ。
「もしかして、これがムームーか?」
「そうや。この国の固有種のモンスターや」
ムームーはファナの手を軽く舐め、またすり寄りながら、あたかも自分が大事にされていることを確かめるように、ファナの足元をぐるぐる回っていた。
その様子に、三人の顔にも自然と笑みがこぼれる。
するとそこに、
「おいコラ!ワシに会いに来たんちゃうんか!それ、ワシちゃうぞ!」
叫んだ声は、妙に耳に残るクセになるテンションだった。
その声の方を向くと、オールバックに眼鏡をかけた男が立っていた。
細い目が三日月のように笑い、着ているスーツはやけにピシッとして、どこか華奢な印象を受ける。
「⋯⋯やっさん?」
大輔は、無意識に心の奥から何かが引き出されるように呟いた。
「お?兄ちゃん、ワシのこと知っとるんか?異世界でも人気者っちゅうことかいな!」
男は勢いそのままに近づいてきて、足元のムームーを蹴飛ばしそうになる。
「あっぶな!ムームー、どこ見とんねん!」
本気のツッコミをかましながら、大輔の目の前に立ちはだかる。
「兄ちゃんが“勇者”なんやって?ウチのダンジョンに穴開けたらしいやないか。⋯⋯どういうつもりや?怒るでしかし!」
男は眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げ、ギラリと凄んできた。
その視線は、まるで物理的に額を押されるような圧をともなっていた。
「い、いや⋯⋯遺産だとは知らなくて⋯⋯申し訳ありませんでした!」
威圧に耐えきれず、大輔は素直に直角に腰を曲げ、頭を下げる。
それを見たファナも、慌てて一緒に頭を下げた。
「勇者はん、素直でよろしい!」
部屋の奥から、別の声がした。
現れたのは、七三分けにギョロっとした目をした男。こちらもスーツ姿だ。
大輔が顔を上げる。
「⋯⋯きよし師匠?」
「勇者はん、ワシのことも知っとるんか?」
男は眉を吊り上げながらも、口元にはうっすら笑みを浮かべている。
どうやら、ちょっと嬉しいらしい。
「いや、俺の世界にそっくりな人たちがいるから、つい声に出ちゃって⋯⋯」
すると、眼鏡の男が声を張り上げる。
「それはドッペルゲンガーっちゅうやつやな!」
「何、覚えたてみたいに言うてんねん」
ギョロ目の男が眼鏡を掴んで投げる。
「メガネメガネ⋯⋯」
地面に這いつくばり、眼鏡を探している。
「見えとるやろ、はよ拾ってこいや!」
眼鏡の男は、迷いなく一瞬で眼鏡を拾い、かけ直した。
(YouTubeで見た漫才みたいだ⋯⋯すげぇ⋯⋯)
大輔はそのやり取りに一瞬感動したが、すぐに我に返る。
「ギャレット⋯⋯首相って、もしかして⋯⋯」
「せや。目の前におるふたり──ヨコヤス氏とニシキヨ氏が、この国、メガロフォス共和国の首相や」
「首相が⋯⋯ふたり?」
「この国の法律では、首相の人数に上限はないんや。⋯⋯まぁ、実際に三人以上になったことは一度もないんやけどな」
すると、ニシキヨが一歩前に出て、改めて名乗る。
「私はメガロフォス共和国首相、ニシキヨと申します」
「ワシが同じく、ヨコヤスや」
ギャレットも続けて、
「そういえば、ワイも名乗ってへんかったな」
すると、大輔が少し意地悪そうに、
「ダズ・ギャレットだろ?もう分かってるから大丈夫。それとも、また肩書き言うか?」
それにヨコヤスが食いつく。
「おぉ、それええなぁ!」
ギャレットはすかさずツッコミを入れる。
「なんでやねん!もうええわ!」
大輔はクスクスと笑ったあと、
「じゃあ、俺も──俺は田中大輔って言います」
ファナはムームーとじゃれ合いながら、
「私はファナです」
自己紹介が終わると、ニシキヨが真顔で口を開いた。
「勇者はん、早速やけど──面接や」
「⋯⋯面接?」
「君がこの国の代表として“モノマヒア”に出場するのに相応しいか、ちょっと確認させてもらうで」
ギャレットが反論する。
「師匠、面接なんかせんでもええんちゃいます?タナカは絶対戦力になりますって。勇者に代表になってくれって言ってたんちゃうんですか?それに──優勝すれば、この国はもっとええ国になります!」
大輔はまたしても既視感⋯⋯いや、既聴感を感じる。
(関西弁の田中呼び、タイキックが飛んできそうだな⋯⋯ってかギャレット、ちゃっかり俺を西の代表にしようとしてるな⋯⋯)
ニシキヨは、やわらかく諭すように答える。
「でもな。確かめなあかんことが、あるんや」
そして、
「ダイスケはん。──ほな、ボケてくれ。」「⋯⋯えっ?」
一瞬、部屋の空気が止まった気がした。
大輔は、真顔のままフリーズする。
「ウチは“笑いの国”やからな。代表になるんは、それ相応の“お笑い力”が求められるんや」
ヨコヤスは革張りのソファに座りながら、煙草の煙をくゆらせ、神妙な顔で頷く。
ニシキヨは続ける。
「芸は国技や。モノマヒアに出るモンには、その国の誇りを背負ってもらわなあかん。つまり──笑いの質が問われるっちゅうことやな」
ギャレットは真顔で言い放つ。
「⋯⋯それが、メガロフォスの“文化”や」
部屋の空気は、真剣なのかふざけているのか、境界が一瞬あいまいになった。
大輔はゆっくりと、ギャレットの方を見やる。
「なあ、ギャレット。今、冗談じゃなくて“本気”で言ってる?」
「当たり前や。死活問題やぞ?」
即答。
(何なんだこの国⋯⋯常識が分からなくなる⋯⋯
)大輔の脳裏に、ふと、ノエルナ村での出来事が走馬灯のように駆け巡る。
そこには緊迫した命のやり取りがあった。
(真剣勝負で笑いの質⋯⋯?この前、そんなもんあったか?)
──そして今、目の前のハードルは「ボケろ」だった。
大輔は右手で頭を抱えながら、
「⋯⋯俺、命賭けで戦ってきたんだけど⋯⋯」
すると、ヨコヤスは笑いながら、
「せやろな。せやけど、命賭けて“スベったら”どうなるか、分かるか?」
煙草の煙を吐き出し、続ける。
「ウチでスベることは、“死”や。せやから、ウチの代表がスベったら、それはこの国がスベって死んだんと同じや。ワシらの面子も、名誉も、全部地に落ちる。モノマヒアではな、“剣の一閃”も、“間の取り方”も、スベったら命取りなんや」
大輔は言葉を返せなかった。
そして、ニシキヨがボソッと声を漏らす。
「ダイスケはん、ボケれんのんか?」
少しの間、沈黙が続く。
ニシキヨの目を見開いた眼力と、おちょぼ口がプレッシャーをかける。
大輔は、戦いと笑いがどうしてもリンクしなかった。
「⋯⋯すみません。俺は、力になれないと思います」
「そうか⋯⋯なら、ダイスケはんをウチの代表に据えるんは無理やな」
そのとき、ギャレットは顔を伏せながら、大輔の正面に立った。
大輔の両肩を、手を震わせながら握る。
上げた顔は、鬼気迫るものだった。
「おいワレ!何もせんと諦めるんか?ワイの子らの顔見たやろ!ここで恥かいても何かしら見せようって度胸は無いんか!」
大輔は揺さぶられ、肩に痛みを感じながらも、一切ギャレットの顔を見ないまま、
「ごめん、ギャレット。お前の気持ちに寄り添いたい気持ちもある。今のやっさんの話を聞いて、俺には戦いに於いての“笑いの質”や“スベる”感覚が理解出来ない。それに──スベらない保証が無い。⋯⋯だから、この国の代表にはなれないって思った」
「⋯⋯チッ!」
ギャレットは舌打ちをして、大輔を突き放すように押し、応接室を出て行った。
ギャレットの行方を見届けたあと、ニシキヨは言う。
「ダイスケはん、あんさんは他の国の代表になるかもしれん。せやから敵同士や。でも、他の国の国家元首には、あんさんがこの世界におることを伝えておいたで。馬車も手配しといたから、それに乗って他の国の使いと落ち合ったらええ」
大輔は困惑の表情を浮かべる。
「どうしてそこまで⋯⋯」
背を向けるニシキヨ。
「この世界、まだ分からんことだらけやろ?最初で最後の“餞別”や。健闘を祈るで、“勇者”はん」
ヨコヤスは煙草を灰皿に押し付けながら、
「ホンマにキヨはお人好しやな。おい勇者、せいぜい頑張りや。この世界には癖の強い奴ぎょうさんおるからな。覚悟しとき」
そう言い放つと立ち上がり、ニシキヨの後を追う。
ニシキヨとヨコヤスが部屋を出ようとしたとき、ニシキヨが、
「せや、ダンジョンの件とモンスター討伐の件も、水に流したるわ。次は無いで?」
そう言うと、ふたりは応接室を後にした。