目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第18話 東の悪魔

取り残された大輔とファナ。

ファナが抱きかかえているムームーが、ファナの顔色を伺うようにじっと見つめている。


「ムームー、そろそろお別れみたいです」

ファナが頭を撫でながらそう言うと、突然ムームーがブルブルと震え出し、身体の内側から緑色の光が漏れる。


「ムームー?どうしたんですか?」

ファナがムームーの両脇を持ち、向かい合わせになったそのとき、ムームーは口から何かを吐き出し、ファナの額に直撃した。

「痛っ!⋯⋯何ですか?」

それは、ペンダントトップに収まりそうな大きさの石。

まるで研磨されたかのように楕円に丸く、滑らかな曲線を描いている。

床に落ちた石を、ムームーを抱えながらファナが拾い上げた。

「綺麗な石⋯⋯」

陽の光に透かすと、緑色の中に何かがゆっくりと対流しているのが見える。


「ムー!ムー!」

「えっ?私にくれるの?」

「ムゥー!」

「ありがとう⋯⋯どこから出て来たかには目を瞑りますね」

ファナは苦笑いしながら、ローブのポケットに入れた。

すると、ムームーはファナの腕から床に飛び降り、ファナに振り返り手を振ったかと思えば、自分専用の小さな扉から、応接室を出て行った。


その様子を黙って見ていた大輔が、

「ファナ、行こうか」

と、おもむろに声に出し、複雑な気持ちを抱いたような微笑みを見せる。

「⋯⋯大輔?大丈夫ですか?」

ファナは、大輔が少し元気がなさそうなのを察したが、

「うん、大丈夫だよ」

大輔はそう言うと、応接室の扉を開け、ファナも後について行き、部屋を出た。


ふたりが官邸を出ると、玄関の扉の横の壁に寄りかかり、腕を組むギャレットがいた。

彼は前を見たまま、

「タナカ、もう行くんか?」

「あぁ、のんびりしていきたいところだけどな」

短いやり取りの間、風が二人の間を抜けていく。


「今から敵同士やな⋯⋯それだけは回避したかったんやけどな」

「⋯⋯もし、モノマヒアで当たるならそうだけど⋯⋯それ以外は“友達”じゃダメなのか?」


その言葉に、ギャレットの眉がわずかに動き、大輔を見やる。

「⋯⋯友達?」

大輔はまっすぐに彼を見つめ、言葉を重ねる。

「俺は国の思想や考え方に添えないだけで、ギャレットのことが嫌いとか、憎いとか、そんなこと一切ないぞ?むしろ、めっちゃいい奴だと思ってるから」


一瞬、ギャレットは視線を落とし、何かを噛みしめるように黙った。

やがて鼻で小さく笑い、顔を上げる。

「タナカ⋯⋯やっぱりオモロイなぁ、君は」

その口元は、どこか照れくさそうで、それでも嬉しそうだった。


「あ、せや。ファナちゃん?」

「はい⋯⋯?」

ギャレットの目が一瞬だけ鋭く光り、声も低く落ちる。

「君の“あの風”は攻撃魔法やろ?得意技なんかもしれんけど、いずれ“東”が必ず目ぇつけるで。せやから、マジでアカンってなったとき以外は使わんほうがええで」


一拍置いて、表情がふっと緩む。

口の端が上がり、悪戯っぽい笑みになる。

「今のところ、この世界の住人で知っとるのはワイだけや。こんな優越感、なかなか無いで?オモロすぎるやろ!せやから、出来れば次に攻撃魔法使うときにも立ち会いたいんや」


「⋯⋯?」

ファナはその理由が分からず、きょとんと首を傾げる。

「⋯⋯大衆の素のリアクションほどオモロイもんは無いで?」


(本当に、どんなときでも“笑い”が軸にあるんだな)

大輔は、この国の呼吸をほんの一端だけ掴めた気がした。


ファナは少し眉をひそめながらも、

「よく分からないですけど⋯⋯マジでアカンってなったとき以外は、魔法を使わないようにします!」

両手を胸の前で握り、決意の表れのように意気込んだ。

ギャレットは満足げに頷き、

「よっしゃ、それでええ」と短く返した。


「ギャレット、そろそろ行くよ」

大輔が声をかける。

「おう、元気でな」

ファナが軽く会釈しながら、

「お世話になりました」

ギャレットはニヤリと笑い、

「攻撃魔法、使ったらアカンで?」


ふたりは官邸を後にし、門の向こうへ歩み去っていく。

残されたギャレットは、しばらくその背中を目で追っていた。

陽は傾き、石畳の上に長い影が伸びる。

その影が門の外に溶けて見えなくなると、柔らかかった表情がすっと消え、眉間に皺が寄る。


門番の足音や庭の噴水の水音が、やけに遠くに聞こえる。

ギャレットは小さく息を吐き、心の中で呟いた。

(みすみす勇者を手放して⋯⋯上は何を考えてるんや?)


一方、首相官邸──重厚な扉で隔てられた執務室。

厚いカーテンが外の光を遮り、机上のランプが静かに書類を照らしている。


「お二方、お疲れ様です。勇者の件はどうなりましたか?」


ニシキヨは喋りながら、革張りのソファに腰を下ろす。

「おたくらの言う通りにしたで」

ヨコヤスはすぐに煙草に火を付け、ドサッと音を立てて隣に座った。

煙がゆらりと天井へ昇る。

「⋯⋯ホンマにやり方が汚いで、“東”は」

「“根回し”と言って頂けますか?」


長い金髪を肩に垂らし、緑がかった瞳を細めた男が、作り笑いを浮かべながら二人の向かいに腰掛ける。

色白で長身、そのスーツの皺ひとつない着こなしが、余計に冷ややかさを際立たせていた。「勇者はどのような方でした?」


ニシキヨは本心を話す。

「私らの感覚では“笑えん”男やった」

「そうですか⋯⋯」

ジェフは脚を組み、カフスを指で軽く弾く。

「私たちの国では、それは審査基準ではありませんので──どうでもいいのですが」


ヨコヤスが前のめりになり、

「おい、コラ。いちいち癇に障るやっちゃな、お前」

「お前ではありません」

ジェフは唇だけで笑い、緑の瞳を細める。


「ジェフ・クリオノハートという名前がありますので」


「⋯⋯チッ!キヨ!お前に任せるわ」

ヨコヤスは突然立ち上がる。

「ヤス、どこ行くんや?」

「⋯⋯散歩や!」

咄嗟に出た言葉に違和感を覚えながらも、煙草を灰皿に押し付け、革靴の音を響かせながらドアを開け放つ。


ニシキヨは苦笑いをしながら、

「すまんな、すぐ火ィついてまうんや」

「いいえ、貴方のほうが話が通じるので好都合ですよ」

ジェフの笑顔にニシキヨは笑顔を返しながらも、背筋にひやりとしたものが走る。

この男の笑顔は、どこまでも冷たい。


「では、先程の続きを。入った情報によると、勇者はダンジョンに穴を開け、ゴーレム一体は行方不明、ミミック一匹を討伐。そして子供市場に現れたダイアウルフも討伐したと」


「せや。でも、ダイアウルフは一頭だけやと。それ以外の十数頭はウチのギャレットが討伐したって回収班が言っとったわ」


「流石“メガロフォスの青蛇”ですね。軍の保有を禁止されている世界情勢にも関わらず、ひとりで一個大隊級の戦闘力があると言われるだけあります」


ジェフは腕を組み、少し考える素振りを見せる。

「しかし、これではまだ勇者の実力は未知数ですね⋯⋯もう少し派手に結界を開けたほうがよかったでしょうか?」

「⋯⋯あの程度で正解やったと思うけどな」

「いやいや、死人が出なければ試練になりませんよ?あの場所の存在は、貴方がたも見て見ぬふりをしているではないですか」


わずかに空気が重くなる。

ニシキヨは一瞬だけ目を細める。

その様子を、ジェフは見逃さなかった。


「⋯⋯まぁ、いいでしょう。最低限の仕事はして頂いたので、結界は元に戻しましょう」

ジェフは足を組み直し、軽く指先で膝を叩く。

「それと、私の国でメガロフォスの観光プランを国民に大々的にアピールしましょう。この国では、インバウンドは命綱ですからね」


すると、ニシキヨはわずかに前傾し、声を落とす。

「あと、あの約束、もちろん覚えとるな?」「“青蛇”のことですか?」


ジェフの笑みは揺るがない。

「本当によろしいのですか?国にとって貴重な戦力ですよ?それに、暗殺のほうが合理的かと」

「いや、モノマヒアで盛大に“スベって”もろてな⋯⋯そのほうが大衆の訴求力も下がるやろ?その為に勇者も諦めたんや。頼むで?ジェフ」

(あいつの笑いは偶然の産物や。計算も脚本もない、ただの場の空気に乗っただけの笑い──そんなもんで国民の心を掴まれてたまるか) 


ジェフは小さく首を横に振り、ため息をひとつ。

「何と効率の悪い⋯⋯そして保身の為に権力を利用するとは、国家元首としてあるまじき行為ですね」


一瞬だけ、緑の瞳に冷たい蔑みが宿る。

だが次の瞬間、その瞳に愉悦が滲む。

「そういった、人間の欲を剥き出しにした考え⋯⋯面白いですねぇ。醜態を晒してでも縋る姿勢⋯⋯控えめに言ってもクズですね」


ジェフは、権力者が屈し、頭を垂れる瞬間を思い返す。

その光景は、何度見ても甘美だった。

そして、今、またそれが見られるかもしれない。

ジェフは小さく笑った。

それは冷笑とも、歓喜ともつかない響きだった。

高ぶる気持ちを押さえ、彼は我に帰る。

「いいでしょう、貴方の理想を私のシナリオに組み込み、素晴らしいドラマを創り上げましょう。全ては私の国、クロス=アージュ科学連邦の為に!」


ニシキヨは少し不機嫌そうな顔をしながらも、ゆっくりと右手を差し出す。

ジェフは口元だけで笑い、その手を握った。

温もりはなく、硬い石を掴んだようだった。「──呉越同舟、ですね」

「⋯⋯何やそれ?」

「古い言葉ですよ。意味は──そうですね、“同じ船に乗って共に進む”といったところでしょうか」


ジェフはあえて本当の意味を伏せた。

仲が悪い者同士が一時的に手を組む──そんな皮肉を、わざわざ教える義理はない。

むしろ、自分だけがその真意を握っているほうが面白い。

ふたりは同時に手を離し、互いの視線を一瞬だけ絡ませた。

その奥にあるものは、協力か、疑心か。

まだ誰にも分からない。


ここに、東の“クロス=アージュ科学連邦”と西の“メガロフォス共和国”の間に、水面下で条約が結ばれた。


一旦落ち着いた空気の中、ムームーが執務室に姿を現した。

すると、すぐ嫌な気配を感じたのか、ジェフに向かって「グルルルル⋯⋯」と、睨みながら威嚇をした。

(ムームー石を手に入れて、研究費用のあてにしようと思いましたが⋯⋯いつ石を吐き出すんですかね)


ジェフの蔑んだ視線は、氷の刃のように鋭く冷たかった。

その瞬間、ムームーは耳を伏せ、音もなく部屋を出て行った──まるで、この場に長くいてはいけないと本能で悟ったかのように。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?