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第20話 鋼の肉体の女

(このあと、いつ風呂に入れるか分からないからな。ゆっくりするか)

大輔は脱衣場に着くと、早速服を脱いだ。

風呂の引き戸を開けると⋯⋯


「お?」

「えっ?」


湯気がもわりと押し寄せ、視界が白く染まった先に浮かび上がったのは、褐色の肌を持つ黒髪短髪の女性。

肩から二の腕にかけて、滑らかな曲線の下に鋼のような筋肉が見え隠れする。

浴槽の縁に片腕をかけ、金色の瞳でこちらを射抜く笑み。


「あっ、すみません!」

大輔は顔を伏せながら、引き戸を閉めた。

すると、戸の奥から、

「にーちゃん、アタイは気にしないから、一緒に入ろうぜ?これも神様のお導きだろうしさ!」

妙に明るい声が、浴室内に響く。

「いや、俺が気にするし⋯⋯」


言い終えるより早く、ザバァッと大きな水の音がしたかと思いきや、引き戸が勢いよく開いた。

「なーに恥ずかしがってんだ、ガキじゃあるまいし!さっ、入ろうぜ!」

仁王立ちした女性は一切身体を隠さず、大輔の腕を引っ張る。

(何だこの力?女の力じゃないぞ?それに筋肉がすげぇ!⋯⋯いや、胸とかは見てない、見てないぞ⋯⋯)


「よいしょー!」

その掛け声と同時に、女性は軽やかに浴槽へ飛び込み、白い飛沫が湯面を弾けさせた。

つかまれた腕が引かれ、大輔の身体もふわりと宙に浮き──

次の瞬間、ザバン!と音を立てて湯に沈む。

熱と湯気が全身を包み、視界は白く、耳の奥では水泡が弾ける音がぱちぱちと響いていた。


「ハハハ!まさか風呂覗かれるとは思わなかったなー!」

湯船から顔を出した大輔は「ぷはっ!」と声を出し、顔を拭う。

「覗きじゃなくて、風呂に入ろうと思ったんだよ!」

「そうなのか?それならアタイは大歓迎だぞ?異国の男と風呂に入るなんてなかなか無いからな!」


彼女は肩まで湯に沈み、じっと大輔を観察する。

「な、なんだよ⋯⋯」

「⋯⋯ふーん、にーちゃん、身体は貧相だけどなかなかいい目してるじゃないか」

その金色の瞳が、獲物を見定める猛禽のように鋭く光った。


「それはどうも⋯⋯ってかここに泊まってるのって俺たちだけじゃなかったのか?」

「あぁ、アタイは宿泊の手続きする前にいつも風呂に直行するからな」

「⋯⋯いいのかそれ?」

「ぜーんぜん大丈夫!家よりここにいるほうが多いから、常連みたいなもんさ」

「⋯⋯ってことは南の国の行商人なのか?」

「そうそう、アタイは自分のとこで育てた野菜や果物を他の国に運んでるのさ。たまに配送代行みたいな感じで、肉や魚もね」

「だからムキムキなんだな⋯⋯」

「ん?ムキムキって何だ?アタイ褒められてる?」

 「まぁ、そんな感じかな」

「そっかぁ、初めて会ったのに褒めてくれるのかー!にーちゃんいい奴だな!」

彼女は大輔に近寄り、肩に腕を回し、抱き寄せるように頬ずりした。

(いや!何か当たってる!思ったより柔らかい⋯⋯違う!何だ思ったよりって!)


「おっ、そういや、にーちゃんはどこから来たんだ?」

(ギャレットのときは濁したけど、ここでは素直に言っちゃっても大丈夫か⋯⋯?)

大輔は少し神妙な顔つきで、

「⋯⋯異世界、から来たんだ」


「えっ?じゃあ、にーちゃんが勇者?」

(嘘だろ?またすぐ知ってる人に会えるとか)

「まぁ、一応そうなんだけど」

「そっかそっか!ここにいるってことは、『セオカト』に行くのか?」

「『セオカト』?」

「そう、南の国は『セオカト』って名前なんだ。それなら、神官様たちに挨拶しないとな。それと⋯⋯」


──一拍、湯気と水音だけが流れる。

金色の瞳が、からかうように細められた。


「⋯⋯モノマヒアの代表になるかもしれないんだろ?」

「あぁ、そうなんだけど⋯⋯西の国では不合格だったんだ」


女性は「ぶっ!」と吹き出したあと、

「アーッハッハッハッハ!!不合格って!!不合格とかあるのか?面白ぇ〜!!」

(ある意味これも自虐ネタの“笑い”か⋯⋯)

しばらく湯面を叩きながら笑ったあと、少し考える素振りを見せて、

「⋯⋯じゃあ〜、アタイらと組む可能性がある、ってことだな?」

「ん?“アタイら”って?」

「アタイはね──モノマヒアのセオカト代表なんだよ」

(男も女も関係無く戦うのか⋯⋯そしてこの人とも戦う可能性が⋯⋯)


「強そうだもんな⋯⋯」

「いやいや⋯⋯」

女性は目を伏せ、含み笑いしながらそう言った。

謙遜しているのかと思ったその瞬間、金色の瞳は鋭く、口角は上がる。




「“強い”んだよ」




その眼差しと語気に、大輔は少したじろいだ。

狙いを定められた気持ちになり、さり気なく話題を変えた。

「あ、そうだ。西の国のギャレットって知ってる?」

「あぁ、“メガロフォスの青蛇”だろ?知ってるさ」

(え?何その中二っぽい二つ名!唆るじゃんか!俺も欲しいなぁ⋯⋯)


「あいつは、この世界で5本の指に入るくらい強いからなぁ。一度手合わせしてみたいんだよな。まぁ、アタイも勝つ自信はあるけどな!」

「もしかしてギャレットと知り合いだったりする?」

「何回か話したことはあるぞ。あいつにはウチの国の行商人がよく世話になっててな。西の国はたまにモンスターが出るんだけど、“青蛇”やその部隊が護衛してくれるんだよ。だからセオカトでは“青蛇”は人気者なんだぞ?」

(やっぱりあいついい奴だな⋯⋯)


大輔は少しのぼせてきた気がして、

「じゃあ、俺はそろそろ上がるよ」

「そうか?じゃあ、仲良くなったんだ、背中流し合おうぜ?」

(何だそれ?やっぱりこの人距離感バグってるぞ)

「ま、まぁいいけど⋯⋯」


ふたりは湯船から上がり、大輔は彼女に背を向ける。

すると、クスクスと笑い出しながら、手ぬぐいで大輔の背中を擦る。

「勇者、背中ちっちぇな!これで世界背負えんのか?」

「力強いって!背骨折れるわ!」

「ハハハ!あんた面白ぇな!そういや、名前聞いてなかったな?」

「俺、は、田中、大、輔、って、言う、んだ」

背中を強い力で擦られるたびに、言葉がぐらつく。

「アタイはサイラだ!よろしくな、ダイスケ!よし、交代だ!」

サイラが背を向けると、筋肉の凹凸が彫刻のように陰影を作る。

(背中でけぇ〜。鬼の顔が見えるぞ⋯⋯)


大輔が背中を擦ると、

「ダイスケ!もっと力入れろ!ヒャハハハハ!くすぐってぇよ!」

「けっこう力入れてるんだけど?」

(すっかり場の雰囲気に飲まれてるけど、俺、初めて会った女の人とふたりきりで風呂入ってるんだよな⋯⋯)

「よーし、じゃあ、今日はここらでお開きだな!ダイスケ、楽しかったぞ!無理やり引き込んで正解だった!ハハハハハハ!」

「ははははは⋯⋯」


ふたりは風呂場を出て、脱衣所で身体を拭き、服を着る。

「ダイスケ、今日はひとりか?」

「いや、連れがいるんだ」

「おいおい、異世界に女連れて来たのか?ダイスケは隅に置けねぇなぁ!」

「バカ!そんなんじゃないって!」

「なぁ、ちょっとでいいから紹介しろよ?」

サイラはニヤニヤしながら言った。

(いずれまた会うだろうし⋯⋯ちょっとくらいなら⋯⋯)

「しょうがない、じゃあ部屋に行こうか」


大輔とサイラは宿舎の二階に上がり、部屋の前まで来た。

大輔は部屋の扉をノックする。

「ファナ?入るぞ?」

「連れはファナっていうのか?可愛い名前だな!」


しかし、反応が無い。

大輔がゆっくりと扉を開けると、ランプが灯ったままの部屋で、ファナはベッドに丸くなって寝ていた。

「あれ、寝ちゃったか⋯⋯」

大輔が頭を掻いていると、後ろにいたサイラは目を見開いた。


「あっ⋯⋯えっ⋯⋯?」

「サイラ、どうした?」

サイラは一歩、後ずさる。

その足が廊下の板を軋ませた。 


「ダイスケ⋯⋯どうして⋯⋯」

声は先程までの豪快さを失い、掠れて震えている。

「え?何が?」

「どうして⋯⋯ここに“女神様”がいる⋯⋯?」

その瞳はファナを射抜くように見つめ、全身の筋肉が固まっている。

「女神様?ファナが?まぁ、それくらい可愛いってのも分かるけど」

「最上級の⋯⋯神様。現人神だったのか⋯⋯?」

(あれ、そういうことじゃなかった?)


サイラの金色の瞳は、湯気の残る空気の中でわずかに揺れた。

力強い肩が、今はかすかに震えている。

「サイラ?大丈夫か?」

「アタイは⋯⋯部屋には入れない。ダイスケ、悪いけど、ここでお別れだ」

背を向けたサイラは少し振り向き、視線の先に眠るファナを確かめていた。


「そうか?じゃあ、またな、サイラ」

「あ、あぁ⋯⋯またな⋯⋯」

そう言って、サイラは数歩歩いて、立ち止まる。


「⋯⋯ダイスケ、女神様は、死んでも守れよ」


「えっ?あぁ、もちろんだ」

放心した表情のまま、サイラは階下に消えた。

(最上級の女神様を連れた、勇者ダイスケ⋯⋯何者なんだ⋯⋯?)


部屋に入った大輔が、そっとファナに布団をかける。

すると──

「大輔⋯⋯」

(ん?寝言か。ファナの寝顔見るの初めてだ⋯⋯人形みたいだな)


大輔はファナのベッドの端に腰を下ろし、まじまじとファナの顔を見つめていると、ファナが掛け布団を蹴飛ばす。

「おいおい、寝相悪いなぁ。かなたみたいだ」

大輔が苦笑いしながら、また布団をかけようとしたとき、ファナは大輔のほうへ寝返り、抱きついた。

「え?ちょっと、ニーブラみたいになってるって!ファナ?起きてるのか?」

ファナはすぅ⋯⋯と寝息をたてている。

(無理やり剥がして起こすのも可哀想だな⋯⋯かといってこの状況は、俺の精神上よくないけど⋯⋯しょうがない⋯⋯)


大輔はファナに抱きつかれたまま、仕方なく寄り添うように横になり、眠りにつ⋯⋯けなかった。

(全然寝れない。ファナは全然離れそうにない。むしろたまにギュッとされる。顔に柔らかい何かが当たってる。何の修行だこれ?)


大輔の精神を削りながら、時間はゆっくりと進み、空が少しずつ明るくなってきた。

(一睡も出来ないまま朝になった⋯⋯。今日は何事もなく終わればいいな⋯⋯)

はぁ、とため息をつくと、


「んっ⋯⋯ん?」

ファナがゆっくりと、ぼんやりした目を開き、目の前の大輔を見つめる。

「ファナ、おはよう⋯⋯」

大輔はばつの悪い笑顔を見せる。「⋯⋯???」

ファナは一拍おいて、現状を理解した。


「わあああああああ!」

驚いて飛び起き、壁に張り付く。

「大輔!夜這いですか?」

「違う違う!ファナに布団かけたら抱きつかれて動けなくなったから⋯⋯それに、無理に起こすのも可哀想かなって思って⋯⋯ごめん」


ファナは顔を真っ赤にしながら、

「私、変な寝言言ってなかったですか?」

「いや、俺の名前呼んだくらいで別に」

「そうですか⋯⋯よかった」


(かなた⋯⋯俺は耐えたぞ!)


ファナはホッとしたのも束の間、眠そうな大輔を見て、

「⋯⋯大輔、もしかして寝れなかったですか?」

「あぁ、全然寝れなかったよ⋯⋯いや、ファナは悪くないんだ、俺が⋯⋯その⋯⋯変に意識しちゃったから」

苦笑いする大輔に、ファナは頬を染めながらゆっくり近づく。

「私は⋯⋯ぐっすり寝れました。大輔が、そばにいてくれましたから⋯⋯」

「ファナ⋯⋯」

「大輔⋯⋯」

見つめ合い、ふたりの世界になった瞬間──


「おはようさん!さぁ、南の国に行くで!」

御者がノックも無しに部屋の扉を勢いよく開けた。 

ふたりは同時に、驚きながら声の主に顔を向ける。

「「お、おはようございます⋯⋯」」


ふたりは声を揃えて、少し残念そうに挨拶した。

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