(このあと、いつ風呂に入れるか分からないからな。ゆっくりするか)
大輔は脱衣場に着くと、早速服を脱いだ。
風呂の引き戸を開けると⋯⋯
「お?」
「えっ?」
湯気がもわりと押し寄せ、視界が白く染まった先に浮かび上がったのは、褐色の肌を持つ黒髪短髪の女性。
肩から二の腕にかけて、滑らかな曲線の下に鋼のような筋肉が見え隠れする。
浴槽の縁に片腕をかけ、金色の瞳でこちらを射抜く笑み。
「あっ、すみません!」
大輔は顔を伏せながら、引き戸を閉めた。
すると、戸の奥から、
「にーちゃん、アタイは気にしないから、一緒に入ろうぜ?これも神様のお導きだろうしさ!」
妙に明るい声が、浴室内に響く。
「いや、俺が気にするし⋯⋯」
言い終えるより早く、ザバァッと大きな水の音がしたかと思いきや、引き戸が勢いよく開いた。
「なーに恥ずかしがってんだ、ガキじゃあるまいし!さっ、入ろうぜ!」
仁王立ちした女性は一切身体を隠さず、大輔の腕を引っ張る。
(何だこの力?女の力じゃないぞ?それに筋肉がすげぇ!⋯⋯いや、胸とかは見てない、見てないぞ⋯⋯)
「よいしょー!」
その掛け声と同時に、女性は軽やかに浴槽へ飛び込み、白い飛沫が湯面を弾けさせた。
つかまれた腕が引かれ、大輔の身体もふわりと宙に浮き──
次の瞬間、ザバン!と音を立てて湯に沈む。
熱と湯気が全身を包み、視界は白く、耳の奥では水泡が弾ける音がぱちぱちと響いていた。
「ハハハ!まさか風呂覗かれるとは思わなかったなー!」
湯船から顔を出した大輔は「ぷはっ!」と声を出し、顔を拭う。
「覗きじゃなくて、風呂に入ろうと思ったんだよ!」
「そうなのか?それならアタイは大歓迎だぞ?異国の男と風呂に入るなんてなかなか無いからな!」
彼女は肩まで湯に沈み、じっと大輔を観察する。
「な、なんだよ⋯⋯」
「⋯⋯ふーん、にーちゃん、身体は貧相だけどなかなかいい目してるじゃないか」
その金色の瞳が、獲物を見定める猛禽のように鋭く光った。
「それはどうも⋯⋯ってかここに泊まってるのって俺たちだけじゃなかったのか?」
「あぁ、アタイは宿泊の手続きする前にいつも風呂に直行するからな」
「⋯⋯いいのかそれ?」
「ぜーんぜん大丈夫!家よりここにいるほうが多いから、常連みたいなもんさ」
「⋯⋯ってことは南の国の行商人なのか?」
「そうそう、アタイは自分のとこで育てた野菜や果物を他の国に運んでるのさ。たまに配送代行みたいな感じで、肉や魚もね」
「だからムキムキなんだな⋯⋯」
「ん?ムキムキって何だ?アタイ褒められてる?」
「まぁ、そんな感じかな」
「そっかぁ、初めて会ったのに褒めてくれるのかー!にーちゃんいい奴だな!」
彼女は大輔に近寄り、肩に腕を回し、抱き寄せるように頬ずりした。
(いや!何か当たってる!思ったより柔らかい⋯⋯違う!何だ思ったよりって!)
「おっ、そういや、にーちゃんはどこから来たんだ?」
(ギャレットのときは濁したけど、ここでは素直に言っちゃっても大丈夫か⋯⋯?)
大輔は少し神妙な顔つきで、
「⋯⋯異世界、から来たんだ」
「えっ?じゃあ、にーちゃんが勇者?」
(嘘だろ?またすぐ知ってる人に会えるとか)
「まぁ、一応そうなんだけど」
「そっかそっか!ここにいるってことは、『セオカト』に行くのか?」
「『セオカト』?」
「そう、南の国は『セオカト』って名前なんだ。それなら、神官様たちに挨拶しないとな。それと⋯⋯」
──一拍、湯気と水音だけが流れる。
金色の瞳が、からかうように細められた。
「⋯⋯モノマヒアの代表になるかもしれないんだろ?」
「あぁ、そうなんだけど⋯⋯西の国では不合格だったんだ」
女性は「ぶっ!」と吹き出したあと、
「アーッハッハッハッハ!!不合格って!!不合格とかあるのか?面白ぇ〜!!」
(ある意味これも自虐ネタの“笑い”か⋯⋯)
しばらく湯面を叩きながら笑ったあと、少し考える素振りを見せて、
「⋯⋯じゃあ〜、アタイらと組む可能性がある、ってことだな?」
「ん?“アタイら”って?」
「アタイはね──モノマヒアのセオカト代表なんだよ」
(男も女も関係無く戦うのか⋯⋯そしてこの人とも戦う可能性が⋯⋯)
「強そうだもんな⋯⋯」
「いやいや⋯⋯」
女性は目を伏せ、含み笑いしながらそう言った。
謙遜しているのかと思ったその瞬間、金色の瞳は鋭く、口角は上がる。
「“強い”んだよ」
その眼差しと語気に、大輔は少したじろいだ。
狙いを定められた気持ちになり、さり気なく話題を変えた。
「あ、そうだ。西の国のギャレットって知ってる?」
「あぁ、“メガロフォスの青蛇”だろ?知ってるさ」
(え?何その中二っぽい二つ名!唆るじゃんか!俺も欲しいなぁ⋯⋯)
「あいつは、この世界で5本の指に入るくらい強いからなぁ。一度手合わせしてみたいんだよな。まぁ、アタイも勝つ自信はあるけどな!」
「もしかしてギャレットと知り合いだったりする?」
「何回か話したことはあるぞ。あいつにはウチの国の行商人がよく世話になっててな。西の国はたまにモンスターが出るんだけど、“青蛇”やその部隊が護衛してくれるんだよ。だからセオカトでは“青蛇”は人気者なんだぞ?」
(やっぱりあいついい奴だな⋯⋯)
大輔は少しのぼせてきた気がして、
「じゃあ、俺はそろそろ上がるよ」
「そうか?じゃあ、仲良くなったんだ、背中流し合おうぜ?」
(何だそれ?やっぱりこの人距離感バグってるぞ)
「ま、まぁいいけど⋯⋯」
ふたりは湯船から上がり、大輔は彼女に背を向ける。
すると、クスクスと笑い出しながら、手ぬぐいで大輔の背中を擦る。
「勇者、背中ちっちぇな!これで世界背負えんのか?」
「力強いって!背骨折れるわ!」
「ハハハ!あんた面白ぇな!そういや、名前聞いてなかったな?」
「俺、は、田中、大、輔、って、言う、んだ」
背中を強い力で擦られるたびに、言葉がぐらつく。
「アタイはサイラだ!よろしくな、ダイスケ!よし、交代だ!」
サイラが背を向けると、筋肉の凹凸が彫刻のように陰影を作る。
(背中でけぇ〜。鬼の顔が見えるぞ⋯⋯)
大輔が背中を擦ると、
「ダイスケ!もっと力入れろ!ヒャハハハハ!くすぐってぇよ!」
「けっこう力入れてるんだけど?」
(すっかり場の雰囲気に飲まれてるけど、俺、初めて会った女の人とふたりきりで風呂入ってるんだよな⋯⋯)
「よーし、じゃあ、今日はここらでお開きだな!ダイスケ、楽しかったぞ!無理やり引き込んで正解だった!ハハハハハハ!」
「ははははは⋯⋯」
ふたりは風呂場を出て、脱衣所で身体を拭き、服を着る。
「ダイスケ、今日はひとりか?」
「いや、連れがいるんだ」
「おいおい、異世界に女連れて来たのか?ダイスケは隅に置けねぇなぁ!」
「バカ!そんなんじゃないって!」
「なぁ、ちょっとでいいから紹介しろよ?」
サイラはニヤニヤしながら言った。
(いずれまた会うだろうし⋯⋯ちょっとくらいなら⋯⋯)
「しょうがない、じゃあ部屋に行こうか」
大輔とサイラは宿舎の二階に上がり、部屋の前まで来た。
大輔は部屋の扉をノックする。
「ファナ?入るぞ?」
「連れはファナっていうのか?可愛い名前だな!」
しかし、反応が無い。
大輔がゆっくりと扉を開けると、ランプが灯ったままの部屋で、ファナはベッドに丸くなって寝ていた。
「あれ、寝ちゃったか⋯⋯」
大輔が頭を掻いていると、後ろにいたサイラは目を見開いた。
「あっ⋯⋯えっ⋯⋯?」
「サイラ、どうした?」
サイラは一歩、後ずさる。
その足が廊下の板を軋ませた。
「ダイスケ⋯⋯どうして⋯⋯」
声は先程までの豪快さを失い、掠れて震えている。
「え?何が?」
「どうして⋯⋯ここに“女神様”がいる⋯⋯?」
その瞳はファナを射抜くように見つめ、全身の筋肉が固まっている。
「女神様?ファナが?まぁ、それくらい可愛いってのも分かるけど」
「最上級の⋯⋯神様。現人神だったのか⋯⋯?」
(あれ、そういうことじゃなかった?)
サイラの金色の瞳は、湯気の残る空気の中でわずかに揺れた。
力強い肩が、今はかすかに震えている。
「サイラ?大丈夫か?」
「アタイは⋯⋯部屋には入れない。ダイスケ、悪いけど、ここでお別れだ」
背を向けたサイラは少し振り向き、視線の先に眠るファナを確かめていた。
「そうか?じゃあ、またな、サイラ」
「あ、あぁ⋯⋯またな⋯⋯」
そう言って、サイラは数歩歩いて、立ち止まる。
「⋯⋯ダイスケ、女神様は、死んでも守れよ」
「えっ?あぁ、もちろんだ」
放心した表情のまま、サイラは階下に消えた。
(最上級の女神様を連れた、勇者ダイスケ⋯⋯何者なんだ⋯⋯?)
部屋に入った大輔が、そっとファナに布団をかける。
すると──
「大輔⋯⋯」
(ん?寝言か。ファナの寝顔見るの初めてだ⋯⋯人形みたいだな)
大輔はファナのベッドの端に腰を下ろし、まじまじとファナの顔を見つめていると、ファナが掛け布団を蹴飛ばす。
「おいおい、寝相悪いなぁ。かなたみたいだ」
大輔が苦笑いしながら、また布団をかけようとしたとき、ファナは大輔のほうへ寝返り、抱きついた。
「え?ちょっと、ニーブラみたいになってるって!ファナ?起きてるのか?」
ファナはすぅ⋯⋯と寝息をたてている。
(無理やり剥がして起こすのも可哀想だな⋯⋯かといってこの状況は、俺の精神上よくないけど⋯⋯しょうがない⋯⋯)
大輔はファナに抱きつかれたまま、仕方なく寄り添うように横になり、眠りにつ⋯⋯けなかった。
(全然寝れない。ファナは全然離れそうにない。むしろたまにギュッとされる。顔に柔らかい何かが当たってる。何の修行だこれ?)
大輔の精神を削りながら、時間はゆっくりと進み、空が少しずつ明るくなってきた。
(一睡も出来ないまま朝になった⋯⋯。今日は何事もなく終わればいいな⋯⋯)
はぁ、とため息をつくと、
「んっ⋯⋯ん?」
ファナがゆっくりと、ぼんやりした目を開き、目の前の大輔を見つめる。
「ファナ、おはよう⋯⋯」
大輔はばつの悪い笑顔を見せる。「⋯⋯???」
ファナは一拍おいて、現状を理解した。
「わあああああああ!」
驚いて飛び起き、壁に張り付く。
「大輔!夜這いですか?」
「違う違う!ファナに布団かけたら抱きつかれて動けなくなったから⋯⋯それに、無理に起こすのも可哀想かなって思って⋯⋯ごめん」
ファナは顔を真っ赤にしながら、
「私、変な寝言言ってなかったですか?」
「いや、俺の名前呼んだくらいで別に」
「そうですか⋯⋯よかった」
(かなた⋯⋯俺は耐えたぞ!)
ファナはホッとしたのも束の間、眠そうな大輔を見て、
「⋯⋯大輔、もしかして寝れなかったですか?」
「あぁ、全然寝れなかったよ⋯⋯いや、ファナは悪くないんだ、俺が⋯⋯その⋯⋯変に意識しちゃったから」
苦笑いする大輔に、ファナは頬を染めながらゆっくり近づく。
「私は⋯⋯ぐっすり寝れました。大輔が、そばにいてくれましたから⋯⋯」
「ファナ⋯⋯」
「大輔⋯⋯」
見つめ合い、ふたりの世界になった瞬間──
「おはようさん!さぁ、南の国に行くで!」
御者がノックも無しに部屋の扉を勢いよく開けた。
ふたりは同時に、驚きながら声の主に顔を向ける。
「「お、おはようございます⋯⋯」」
ふたりは声を揃えて、少し残念そうに挨拶した。