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第21話 セオカト入国

大輔とファナは宿舎の外に出た。

早朝の空気がひやりと肌を撫でる。

馬車に乗り込むと、すぐに車輪が土を踏み、湿った音を響かせながら進み出す。


御者が言っていた、「真っ暗な中を走るのは危ない」の意味が、すぐに分かった。

道は一応舗装されてはいるものの、少し外れれば黒く沈む湿地帯──一度落ちれば、足場も視界も奪われ、どうにもならなくなるだろう。

道の途中には、所々にすれ違うためのスペースがあり、度々セオカトからの行商人が大きな荷物を背負って待っていたり、台車を引いた者もいたりと、輸送はひっきりなしに続いていた。

それでも、彼らは馬車を見ると、にこやかにこちらに手を振る。

大輔とファナはそれに応え、手を振っていた。


「南の国の人たち、みんないい人そうだな」「はい、楽しみですね」

その声を最後に、大輔の瞼はじわじわと重くなる。

馬車の揺れが子守唄のように体を包み、意識がゆっくりと沈んでいく。


「大輔、寝てても大丈夫ですよ?」

「⋯⋯うん、でも⋯⋯」

言いかけた言葉を、柔らかな両手がそっと遮った。


「⋯⋯じゃあ、ちょっとだけ、こっちに」

囁きはあくまで自然を装っているが、その声色はどこか甘い。

頭をやさしく抱き寄せられ、視界はゆっくりと左へ傾く。

頬に触れたのは、手の温もりよりさらにやわらかな感触。

(あ⋯⋯これは⋯⋯)

昨夜、大輔が眠れなかったことを気にしているのだろうか。

指先が大輔の頭を撫でるたびに、疲れと緊張が溶けていく。

その心地よさに抗えず、大輔は深く息を吐き──静かに眠りに落ちた。


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「⋯⋯にいちゃん!デスピサロが強すぎて倒せないんだよ」

「大輔、とっておきの裏技があるんだぞ?」

「え?何で逃げてるの?逃げられないのに」「まぁ見てろって」

「にいちゃん、やられちゃうよ?まだ逃げるの?」

「“にげる”を8回やったあとに攻撃するとな⋯⋯」

「えっ!こうげきが全部“かいしんのいちげき”になってる!」

「そうだ、これで楽に倒せるんだ」

「にいちゃん、すごい!」

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「⋯⋯すけ⋯⋯大輔?着きましたよ?」

「ん⋯⋯うん?」

大輔が目覚めると、窓の外には賑やかな街中の風景があった。

(何だ今の夢⋯⋯俺に兄貴なんて⋯⋯)


木枠と布で作られた露店が道の両脇にぎっしりと並び、干した魚の匂い、焼き立てのパンの香り、香草の爽やかな香りが入り混じって鼻をくすぐった。

人々は軽やかな足取りで店と店の間を行き来し、商人は声を張り上げ、客は笑いながら品を手に取る。

メガロフォスで見た商店や子供市場とは違い、簡素な作りではあるものの、活気づいている。


「兄ちゃん!セオカトに着いたで!もう少ししたら使者が迎えにくるから、ついてってな?」

「はい、分かりました。長時間お疲れ様でした。ありがとうございました」

大輔とファナは馬車を降り、御者と別れた。


「いっぱいお店がありますね!ちょっとだけ見てみませんか?」

「下手に動くと迎えに来てくれる使者に迷惑かかるぞ?」

「あっ⋯⋯そうですよね⋯⋯」


少しだけシュンとしたファナが、おもむろにローブのポケットに手を入れると、ムームーが吐き出した緑色の石が入っていた。

(あ、これ⋯⋯ペンダントにできないかな?)

ファナが周囲を見回すと、通りの端にこじんまりとした雑貨屋が見えた。

軒先にはガラス細工や革紐のアクセサリーが吊るされ、きらきらと輝いている。

「大輔、すぐ戻るので⋯⋯あのお店に行ってみてもいいですか?」

「あぁ、そこならいいよ」


ファナは小走りで雑貨屋へ向かい、木製の扉を押して中へ入った。

軋む音とともに、木の匂いとほんのり甘いオイルの香りが鼻をかすめる。


「あのー、すみません」

ファナが声をかけると、カウンターの奥から白髪まじりの髭を生やした店主がにこやかに現れた。


「お嬢ちゃんいらっしゃい、何か欲しいものがあるのかい?」

「この石をペンダントにしてほしいんですが⋯⋯」

ファナが店主にムームー石を見せると、

「は?えっ⋯⋯ええええええええええええええええええええ!!」

その叫び声は店の外まで聞こえたらしく、道行く人たちが窓から店内を覗いていた。

「あれ、まだムームーのよだれついてましたか?」


ファナはムームー石をひっくり返したりしながらまじまじと見つめていると、店主の顔から血の気が引いていた。

指先を小刻みに震わせながら、ファナに手招きして近くに寄せ、小声で、

「お、お嬢ちゃん⋯⋯これ、どこで⋯⋯?」

声はかすれて、今にも裏返りそうだ。

「西の国の、かんてい?っていうところにいたムームーがくれました」


店主は息を詰めたまま数秒固まり、ようやく大きく吐息を漏らした。

「⋯⋯その石は“ムームー石”って言ってな、世界的にも超がつくほど貴重な宝石だ。今じゃ博物館でしか見られない。その価値は⋯⋯そうだな、町をいくつもまるごと買えるくらいだ」

「へぇ~、そうなんですね」

ファナには全く見当がつかず、そもそも興味がなかった。


店主は呆然としたまま数秒、それから自分の声の大きさを思い出したのか、

「いやぁ⋯⋯まさか本物をこんな間近で見れるとは思わなくて叫んじまった⋯⋯ハハハ⋯⋯」

と年甲斐もない照れ笑いを浮かべた。

そしてふっと目の奥を輝かせる。


「お嬢ちゃん、俺で良ければ、その石でペンダントを作らせてくれないか?」

「本当ですか?でも⋯⋯」

「いやいや、盗んだりしないさ」

「いえ⋯⋯今、お金を持っていないので、また出直して来ます」

「なーに、お代は気にしなくていい。こんな仕事、何回生まれ変わったって出来やしないからな」


店主は震えていた指をようやく落ち着け、今度は職人としての誇らしげな笑みを見せた。

ファナは申し訳なさそうに唇を噛みながら、握りしめていたムームー石を差し出した。

石は光を受けて淡く輝き、店主の手に移るとき、ほんの一瞬だけ温度を持ったように見えた。


「じゃあ⋯⋯よろしくお願いします」

「あぁ、確かに預かった。そうだな⋯⋯明日の夕方には渡せるように、俺の職人人生を懸けて作らせてもらうよ」

言葉と同時に、店主の眼差しが鋭く、そして優しく光った。

「それと、一応名乗っておこうか。俺はヴァーゴっていうんだ。よろしくな」

「私はファナって言います」

「ファナちゃん、ね。いい名前だ。じゃ、明日の夕方、またおいで」

「はい!ありがとうございます!」


ファナは石を預けた手の感触を胸に残したまま、ぱっと花が咲いたように笑顔を見せた。

ヴァーゴもまた、年甲斐もなく頬を緩めた。



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