ファナが雑貨屋から出ると、大広場にはすでに数人の使者が待っていた。
麻のような白衣に身を包み、胸元には黄金の刺繍で神紋を描いている。
背筋をぴんと伸ばしたその佇まいは、ただの案内役というより“神殿の権威”を背負った存在そのものだった。
「あっ、ファナ。この人たちが神官様のところへ案内してくれるって」
大輔が軽く会釈すると、使者たちは小さく頷くだけで言葉を返さない。
ふたりが使者の後について街路を歩き始めると、周囲の人々の視線が突き刺さるように集まった。
道端で籠を抱えた農婦、店先に立つ少年、干した魚を並べる老人まで──誰もが手を止め、大輔とファナを見送る。
それは敵意ではなく、ただ珍しさと好奇心の混じった眼差し。
「⋯⋯なんか、ずっとジロジロ見られてるんだけど」
落ち着かない声を漏らす大輔に、前を歩く使者が振り返らずに答える。
「この国には、他国の人の来訪がほとんど無いのです。メガロフォスと違って、観光名所もありませんので」
「でも、農作物が採れるし、肉や魚もあるから、食事だけでも来る動機にはなりそうだけどなぁ。あっ、海もあるって聞きましたけど⋯⋯」
「⋯⋯むしろ、セオカト自体が流入を規制しているのです」
声色は淡々としているが、その奥に宗教的な確信が潜んでいた。
「どうしてですか?」
「このセオカトの土地は、“イートゥセウ”──神から与えられた聖なる大地。年に三度、豊穣をもたらす奇跡の地です。そこに“穢れ”が入れば、途端に土は痩せ細る。⋯⋯実際、昔の戦争⋯⋯“四国大戦”で“イートゥセウ”は一度その力を失ったのです」
「じゃあ、今またそれがあるってことは、先人の努力の結果ってことですね」
「常に神は私たちを見ています。私たちの進む道が正しければ、神は必ず手を差し伸べてくださるのです」
(国自体が神への信仰にどっぷり浸かってる感じなのか⋯⋯)
石畳の道を曲がると、空気が変わった。
ざわめきと様々なの匂いで満ちていた露店通りが途切れ、視界に飛び込んできたのは荘厳な石造りの神殿群。
正面にそびえるのは、巨石を積み上げて造られた白灰色の大神殿。
正面の柱は十数本、陽を浴びて鈍く輝き、まるで神々の背骨のように大地を支えていた。
その両脇と手前に、少し小ぶりながらも存在感を放つ神殿が並び立つ。
配置は菱形──頂点に大神殿、その下に三柱の神殿。
遠目にも分かる整然とした形は、信仰そのものが国の秩序を形作っているかのようだった。
(おぉ⋯⋯すげぇ⋯⋯パルテノン神殿みたいだな⋯⋯)
大輔は使者に問う。
「この建物ってそれぞれに意味があるんですか?」
「セオカトは三柱環(さんちゅうかん)制と言って、国家運営を三つの神殿代表による合議で決めています」
使者は指をさしながら、
「向かって左側は、命の神殿“プロゾイ”、中央は恵みの神殿“ハリ”、右側は交わりの神殿“アタラギ”です。そして、大きな神殿が、それぞれの代表が集合し、決議する“エントゥセウ”です。これから我々が向かうのは“エントゥセウです”」
「そこに神官様がいるんですね」
「正しくは、“大神官”という職ですが、皆は親しみを込めて“神官様”と呼んでいます」
「そうなんですか⋯⋯で、大神殿には、あの階段を上る以外道は無いんですよね?」
大輔が指をさす。
「はい、もちろんです」
(マジか⋯⋯数百段はあるように見えるぞ)
大輔が少しげんなりしていると、ファナが、
「大輔、階段があって楽ですね!ノエルナ村の急な山道はほとんど舗装されてなかったので、それに比べたら優しいです」
「そうなの?ちょっと比較が分かりにくいけど⋯⋯まぁ、上るしかないか⋯⋯」
一行は大神殿へ向けて階段を上る。
「ふん♪ふん♪ふん♪」
ファナは軽く跳ねるように、軽快に上っていく。
(あの細い身体のどこにそんな体力あるんだよ⋯⋯)
大輔はまだ三分の一ほどしか登ってないが、すでに息が切れ始めている。
(あぁ、腹減ったなぁ⋯⋯だからバテてるのか⋯⋯)
使者たちも普段から上り慣れているようで、淡々と、一定のペースで登っていく。
ファナは振り返り、大輔に手を差し伸べる。「大輔、大丈夫ですか?私が引っ張っていきますか?それとも、背中を押しましょうか?」
「いや、流石にそれはダサいから⋯⋯」
大輔は一歩一歩、マスターソードを杖代わりに、確実に歩を進める。
ふと振り返ると、街が一望出来るほどの高さまで到達した。
(はぁ、はぁ⋯⋯街の規模はそこまで大きくないんだな。奥には田畑と森と、所々に家がある)
景色を望む大輔に、
「大輔、あともうちょっとですよ!頑張ってください!」
ファナの励ましがこだまする。
(もうちょっとって、まだ三分の一くらいあるじゃんか⋯⋯めっちゃキツいな⋯⋯まぁでも、ファナが楽しそうなのは救いか⋯⋯)
使者とファナから遅れること数分、大輔は遂に大神殿に辿り着いた。
「あ〜、やっと着いた⋯⋯はぁ〜」
後ろに手をつき、脚を投げ出して座ったが、
「大神官様方がお待ちですので、参りましょう」
と、使者たちは休む間を与えず、大神殿の中へと入って行った。
「大輔、ほら、行きましょう?」
ファナは明るい表情で両手を差し伸べ、大輔は「まだ休ませてくれ」と言わんばかりの顔をしたが、仕方なくその手を取り立ち上がり、使者たちの後へ続いた。
大輔とファナが重い扉をくぐると、外の喧騒が嘘のように音が消えた。
中は広大な石造りの空間。
外観の豪奢さとは裏腹に、内部には余計な装飾がほとんどなく、ただ高く伸びる天井と巨大な柱が威圧的に立ち並んでいる。
正面には広い円形の壇があり、その奥に三つの席。
だが、それぞれの席の横には厚い石壁がそびえ、互いの姿は決して見えないように区切られていた。
さらに正面には半透明の布が垂らされ、背後から差す光によって「そこに誰かが座している」という影だけが浮かび上がっている。
(これが⋯⋯三柱環の席か)
大輔は自然と背筋を伸ばす。
空気はひんやりと冷たく、香の煙がゆるやかに立ち上り、神殿全体を満たしていた。
その香りは心を落ち着けるどころか、逆に息苦しいほどの重圧を与えてくる。
使者たちが膝をつき、低く声を響かせる。
「大神官様方、勇者殿と、その御伴の方をお連れしました」
布越しに動く影。
その瞬間、空気が張り詰めた。
人の気配でありながら、圧倒的に「人ならざる」存在のようにも感じられる。
ファナはきょとんとした顔で辺りを見回し、無邪気に囁いた。
「すごいですね⋯⋯大輔、ここ」
「あぁ、いろんな意味でな⋯⋯」
大輔は額に汗を浮かべながら、小さく息をついた。
「下がってよろしい」
三つの席の真ん中から、年老いた男の声がして、使者たちは無言で大神殿を後にした。
そして、再び年老いた男の声が響く。
「勇者殿、遠いところからよく来てくださった。感謝する」
「は、はい」
「サイラから聞いていたが、本当に女神様を連れているとは⋯⋯どういうことなのだ?」
「いや、こっちが聞きたいんですが⋯⋯」
「勇者殿が見て、女神様ではないと?」
「その⋯⋯可愛いからとか、では⋯⋯無いんですよね?」
大輔が確認するように問いかけた言葉に、ファナは目を伏せ、少し嬉しそうにはにかんだ。
しかし、場の空気は数秒、凍りついた。
(あー、やっぱり違うんだ⋯⋯)
真ん中の席からの咳払いがひとつ、神殿内に響き、空気を整える。
「この状態で女神様とお話をするのは大変失礼なので⋯⋯」
それぞれの席に掛けられていた布を、大神官たちは自分で外し、姿を現した。
「女神様、高いところからお話することをお許しください。我々はお互いの姿を見せることを禁忌としておりまして」
そう言って真ん中の席から現れたのは、老人の男。
ファナは大輔の服の袖を二回、少し引っ張り、
「さっきから女神様って誰のことを言ってるんですか?」
大輔は子供に説明するように、
「俺が“勇者殿”って呼ばれてたら、あとは誰がいるかな?」
「⋯⋯えっ?私?」
ふたりの話をよそに、真ん中の席の老人が片膝をつくと、両隣の大神官も、その姿が見えているかのように、同時に片膝をついた。
老人が先陣を切って名乗る。
「私は恵みの神殿“ハリ”の大神官、コスタスと申します」
向かって左側の席には、淑女と呼ぶに相応しい、品のある女性。
「私は命の神殿“プロゾイ”の大神官、ディミトラと申します」
右側の席には、聡明そうな、4〜50代くらいの髭を蓄えた男。
「私は交わりの神殿“アタラギ”の大神官、マルコスと申します」
ファナはぽかんとした顔で三人を見つめ、袖をもう一度そっと引っ張る。
「大輔⋯⋯私、どうしたらいいんでしょうか」
「いや、俺に聞かれても⋯⋯」
三柱の大神官は片膝をついたまま、揃って頭を垂れる。
「私たち三柱環は、この瞬間を幾世代も待ち望んで参りました。どうか⋯⋯セオカトを、そしてこの大地をお救いくださいませ、“豊穣と戦の女神”⋯⋯フレイヤ様」
(⋯⋯フレイヤ?確か⋯⋯北欧神話の女神だよな?ここは古代ギリシャっぽい雰囲気なのに?どういうことだ?)
静謐な大神殿に、その祈りの言葉が反響する。
ファナは両手を胸の前で慌てて振りながら、困惑を隠せない。
「わ、私、普通のエルフですよ?それに、私の名前はファナです!」
それに続くように、大輔は右手を上げながら、
「あ、ちなみに俺は田中大輔です!」
またしても数秒、空気が凍る。
(何だよ!俺をスカウトしたいんじゃないのかよ!また代表不合格か?)
大輔の言葉に一切反応せず、ディミトラが静かに言う。
「否。命を預かる私の目には、確かに神の光が映っております」
マルコスも低く頷く。
「交わりを司る私には分かります。貴女の存在は、国と国を繋ぐ力があります」
コスタスは深く頭を下げたまま、声を震わせる。
「そして豊穣の座を預かる私には、抗えぬほどの力が感じられるのです」
大輔は横目でファナを見る。
彼女は顔を赤くしながらも、本気で困惑し、首を横に振り続けていた。
(⋯⋯いや、どう見てもただのエルフの女の子だろ!)
コスタスは続ける。
「フレイヤ様がセオカトに降臨されたので、今宵、街の大広場で豊穣祭を執り行わせていただきます。本来であれば、この時期には行わず、それぞれの町や村での催しではありますが、今回は特別に披露いたします」
ファナは首を振るのを止め、大輔のほうを見ながら、
「ほーじょーさいって何ですか?」
「穀物や農作物が豊かに育ちますようにとか、いっぱい採れたよ、ありがとうってお祈りする儀式のことだよ」
「そうなんですか⋯⋯それはちょっと楽しそうですね!」
(ファナは切り替え早いな⋯⋯)
「⋯⋯では、開催まで時間がありますので、軽食をご用意しております。私たちは一度、ここで失礼致します」
コスタスはそう言うと、大神官たちは布を戻し、その場から去って行った。
「大輔、ご飯ですって!よかったですね!」「うん⋯⋯やっと食べられる⋯⋯」
すると、使者たちがやって来て、大神殿内の食堂へと、大輔たちを案内した。
(食堂なんてあるんだなー。まぁ、国会議事堂にもあるし、普通か)
そこにはビュッフェスタイルのように、パンと3種類の料理が並んでいた。
「わぁ〜!美味そう〜!いただきます!」
大輔は切れ目が入ったパンを選び、ひとつの料理を挟み、かぶりつく。
「うぉ!これ美味い!腹減ってたから尚更美味いなぁ⋯⋯」
大輔は目を閉じながら咀嚼して、しっかりと味わっている。
ファナは大皿に全種類の料理を一気に盛り、ローテーションしながら食べている。
「う〜ん!美味しい!西の国とはまた違う味付けです!」
大輔は、大神官たちが言っていたことをファナに確認する。
「ファナ?自分が女神だっていう自覚とか、周りからも女神だと認識されてたことはある?」
「全然ないれふ」
ファナは料理が口に入ったまま話す。
「そうだよなぁ⋯⋯でも“フレイヤ”って名指しだったのは何なんだろう?あの人たちは俺たちには無い、第六感みたいなのがあるのかな?」
「よふわかいまへんれ」
「ファナ、ずいぶん他人事だなぁ」
ファナは口の中の物を飲み込み、
「だって、心当たりが無さすぎるので⋯⋯人違いじゃないんですかね?」
「誰かがプラカード持ってきて、“ドッキリ大成功!”とか?」
大輔はジェスチャーをしながらおどけて言うが、ファナは首をかしげる。
「⋯⋯何ですかそれ?」
「まぁ、そりゃ分からんよな⋯⋯」
結局、答えは出ないまま、腹ごしらえは続いた。