「あなた誰なの……?」
たぶん、昔のわたしのことを知っているのよね……。
【おいらはおいらだよ。名前はリアンナがつけて】
「つけてって言われても……。あなた、名前がないの?」
捨て子なのかしら。
【リアンナがおいらの名前を封印したんだよ。おいら、もう悪さはしないから、悪い名前は永久に捨てたんだ】
この名前のない誰かに、昔のわたしが封印を施した、と……?
名前を封印し、この本の中に存在を封印し、魔導図書館全体にも封印魔法を施した、と……?
「やっぱり
わたしにそんな大魔法が使えるとは思えないもの。
【リアンナは、まだ昔のことを思い出せずにいるんだね。でも大丈夫。おいらと一緒にいればそのうち思い出すさ~。だからおいらに名前をつけて】
「仮にわたしが、あなたに名前をつけたらどうなるの……?」
【2つ目の封印が解けて、体が自由になるんだ。そうしたらおいらは、リアンナの使い魔になるよ】
使い魔。
姉さんは使い魔を連れていたっけ。美しい水龍だった。
わたしも使い魔がほしかったけれど、わたしの
「残念だけど、わたしには使い魔に還元できるほどたくさんの
生まれながらに決まっている、魔法使いとしての『格』ね。
残念だけど、これは訓練でどうにかなる問題じゃないから。
【おいらはリアンナから
「そんな使い魔、聞いたことないわ……。そんなことができるのは、わたしたち幻想種と魔族の一部……あなた、もしかして魔族?」
【そうさ~。おいらは魔族。これ以上の素性は教えられないよ。リアンナに封印されているからね】
また昔のわたし……。
昔のわたしってなんなの……?
【リアンナが再び立ち上がる時、おいらはその手助けをするためにここで待ち続けていたんだ】
「それも昔のわたしの指示?」
【うんにゃ。おいらの意思だよ。リアンナに封印されて、ずっとこの中から外の世界を見続けて、リアンナのことも見続けて、おいら自身の考えでそうしようって思ったんだ】
「外の世界に何かあるの……?」
【それは自分自身で確かめたら良いよ。もう出かけるんだよね?】
この魔族は何を言っているのかしら。
外に出たって何があるわけでもないし、わたしはこの魔導図書館から出るつもりはない。ずっとここで知識欲を満たしながら、小さなオリジナル魔法術式を考える。
誰ともかかわらず、誰からも干渉されず、ここで1人。永遠にも思えるエルフの一生を、ゆっくりと静かに消費していくだけ。
「わたしはどこにも出かけない。悪いわね、あなたの封印は解いてあげられない。ほかをあたってちょうだい。もうわたしのことは忘れて。さようなら」
わたしの人生に変化はいらない。
ただ静かに暮らしたいだけだから。
踵を返して歩き出す。
それでも背後から声は投げかけられ続けた。
【おいらは頼まれたんだ。『1,000年経ったら必ず起こしてくれ』ってね】
1,000年ね。
ここに来てからそんなに時間が経っていたのね。
「それも昔のわたしから、かしら?」
歩みを止めて振り返る。
誰かと話すのも久しぶりだし、もう少しだけ相手をしてあげても良いか……。
【そうさ。『未来のわたしはあなたの名前を呼ばない。だからこの言葉を授けます』って】
何かの予言みたいね。
【『リアンナ。あなたの求める答えは、外の世界にある。このメッセージを受け取ったなら、迷わず歩き出しなさい。気持ちは言葉に、想いは態度に。今度は決して後悔しないようにね』】
求める答え?
わたしは何も求めてなんていないのに。
【ここまでがリアンナの遺した言葉だよ。そしてここからはおいらの言葉】
まあ良いわ。
最後に聞くだけは聞いてあげる。
【リアンナがここで本を読んでいた1,000年間に外の世界は大きく変わったよ。リアンナの知っている人たちはみんな死んでしまったんだ】
「それはそうでしょうね。1,000年以上生きるのは、幻想種くらいなものだし」
わたしたち幻想種は、できるだけ他種族とのかかわりを持たないようにする。
なぜなら、他種族の寿命は短く、必ず先に逝ってしまうから。大切に想っていた者が逝けば、誰だって悲しい。わたしたちの寿命が長いから人の生き死に無頓着になる……なんてことはなくて、その人と深くかかわっていればいるほど、ずっと悲しい気持ちが続くのだ。
幻想種の中でも、エルフの記憶力は随一。
時が経てば記憶が薄れて悲しい気持ちが和らぐ、なんてことはない。
だから、他種族とはかかわらないほうが良いの……。
【リアンナ。死んだのはみんなだ。種族は関係ない。本当にみんななんだよ……。リアンナの同族たちも、おいらの同族たちも、敵も味方もモンスターも、みんなみんな死んでしまった……】
「えっ……どういう……こと……?」
みんな死んだ……?
それって、姉さんや父さんや母さんやおじいちゃんやおばあちゃんや……?
【外の世界にいたみんなだよ。生き残ったのは、外の世界と空間を断絶させていたリアンナ、そして封印されていた、おいらくらいさ。もしかしたらおいらが観測できていないだけで、ほかにも同じようにして助かっている人がいるかもしれないけれどね】
「ウソよ……。幻想種が死ぬわけ……」
みんないつか人の形でいることに飽きて、存在は薄れていくけれど、死ぬなんてことはありえない。エルフも妖精も精霊も、みんなみんな永遠の時を生きる種族なのに……。
【ここから観ていただけだから、詳しいことはおいらにもわからないんだ。でもこれだけははっきりしている。外の世界は、一度、空間ごと消滅した】
「空間ごと消滅……? 意味がわからない……」
【詳しいことは、おいらにもわからないんだ。でも、この切り離されていたはずの魔導図書館にも少なからず影響があったみたいだね】
影響って……まさか――。
「ここの司書たちがいなくなったことや使い魔たちがいなくなったのって……」
【おそらくその影響だと思う。無人になっても、図書館自体がこの空間を維持するために、大量の
「そう……この空間……消滅するのね」
無言。
沈黙が肯定を表していた。
「わたしは……どうすれば良いの……?」
わたし、天涯孤独の身になってしまったみたい。
他人とのかかわりを断つ、なんて自分で選択しているような気になっていたけれど、もうわたしがかかわれる人が誰もいなかったなんてね……。
【おいらと一緒に外に出よう。おいらを封印した時、リアンナはもう1つ言葉を遺していたんだ】
「どんな言葉……?」
【『もしわたしが、昔の記憶を取り戻したいと願った時には、それを手伝ってくれるとうれしい』って】
記憶……取り戻したい……のかな。
でも知りたいことはある。
なぜわたしは自分の記憶を封印して、この魔導図書館に引き篭もったのか。
なぜ1,000年経った今のわたしにそれを思い出させようとしているのか。昔、悪さをしたという魔族を使って伝言まで遺して……。
【今のおいらにはわからないけれど、リアンナがそう言ったってことは、記憶を取り戻す方法があるってことだと思うんだ。だから、おいらと一緒に記憶を取り戻すための旅に出よう】
記憶を取り戻すための旅、か……。
メミニ。
ふと頭に浮かんだ言葉。
もうこの魔導図書館にいられないなら、動くしかない。
わたしが幻想種の最後の生き残りなら、知らないといけない。
みんなが生きた証を記憶し続けるんだ。
「あなたに名前を授けます。今日からあなたはメミニ。わたしの使い魔とします。
途端、赤茶色の書物から、目を開けていられないほどの光が溢れ出す。
反射的に目を背ける。
勝手に表紙が開いていき、中のページが高速で捲られていくのがかろうじて見えた。
やがて光が収束し、赤茶色の書物の中に戻っていく。
そむけていた視線をゆっくりと戻すと、そこにいたのは――。
【素敵な名前をありがとう。おいらの名前はメミニ。使い魔としてリアンナについていくよ。よろしく~。ニヒヒヒヒ】
全身真っ黒な小さな男の子だった。
見るからに生意気そうな悪ガキ……。
それに使い魔で人型って初めて見たわ……。