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第六話

「2人とも、やめなさい」

 ミューズは動揺する心をどうにか落ち着け、声を発した。

「なっ、うるせぇよ!」

 グレンはフルーツが盛られたデザート皿も床に投げ落とした。ガラス製のデザート皿は先に落とした皿とぶつかり、音を立てて割れた。

マナーや礼儀を子供たちに教える教育係、ジュディは子どもたちが学園から帰ってから邸宅にやってくる。

(だから、私がちゃんと言わないと。何か、何か……)

 ミューズが頭の中で必死に言葉を探す中、メイドたちが静かに落とされた食事の後始末をする。グレンとセレーネはミューズを見据え、周りの子どもたちは心配そうにミューズの顔を窺っている。

 そんな時、一番年下の双子が手を繋いで食堂に入って来た。

「遅くなってごめんなさい……」

 異様な雰囲気を感じ取ったのか、双子は身体を寄せ合っている。ミューズは双子の元に歩み寄り、視線に合わせて屈む。

「おはようございます。ジャスミン、ロイ」

「おはよう」

「おはよう、ママ……」

 寝ぼけた様子のジャスミンがそう言ってミューズの手に触れる。その姿にミューズは頬が緩む。

(ママ?か、可愛い……)

「あまりお眠りになれなかったかしら?さ、朝食にしましょう」

 2人はパアッと笑顔を見せ、ウキウキと席に着いた。

「グレン、セレーネ。嫌なら食べなくても良い。着替えて学園に行く準備をしなさい」

 それまで黙っていたノアが静かに言う。2人は彼の言うことであれば聞くのか、不貞腐れた顔をしながらも食堂から出て行った。


「ごめんなさい、お母さん。みんな本当は良い奴なんだ」

(え?)

 朝食が済み、身支度を終わらせた子どもたちが学園への馬車に乗る少し前のこと。邸宅の玄関で子どもたちの様子を見ていると、1人の少年がミューズに話しかけた。彼は昨日、ティータイムの時にひとり頭を下げて出て行った少年だ。

「大丈夫よ。いきなり知らない人と暮らすなんて受け入れられなくて当然のことです。あなたは……ええと」

「あ、ぼくイアンです。8歳!」

「イアン……。良い名前ね」

 歪んだ制服のネクタイを直しながら、ミューズはそう言った。すると彼は照れたように笑った。

「ぼくのお母さんが付けたんです。施設の大人が言っていました」

(お母さん、か……)

 イアンはどうして公爵邸にやって来たのだろう。孤児院にいた子と一口に言っても、必ずしも酷い仕打ちを受けた子ばかりではない。中には、本当の親をずっと慕っている子もいるはずだ。

「……あのね、無理に私のことを『お母さん』と呼ばなくていいのよ」

「え?……ううん、ぼくはいいんです」

 イアンは困ったようにそう言って、学園へ向かう子どもたちの輪の中へ入って行った。とても8歳とは思えない礼儀正しさだ。

ノアと共に学園に向かう馬車を見送る。

「子どもたちがあんな風に暴れるのは初めてだ。しばらく家に残ろうか?」

 馬車が見えなくなると、ノアはそんなことを言った。彼ですら知らなかった子どもたちの一面に、ミューズが向き合わなければならない。そう考えると、気が遠くなる心地がしたが、そうも言っていられない。

「そんなことをしたら、公爵様が女に現を抜かして業務を疎かにしていると思われるわよ」

 ありもしない醜聞で結婚が遠のくようなことは、今、一番避けたい事態だ。ミューズは控えていた隣国行きの馬車にノアを押し込んだ。

「いってらっしゃいませ、公爵様」

(できることから、やらないと)


 9時を過ぎるとセシルが公爵邸にやって来た。

「おはようございます。こちら頼まれていた本です」

 セシルは6,7冊の本をミューズの机に積み重ねて置いた。今朝、セシルが子爵邸を出る前に電話をかけ、頼んでいたものだ。

「突然どうしたんです?国立図書館で子どもの行動心理に関する本を借りてこいだなんて」

 セシルは難しい顔をして本に目を通す。ミューズは今朝の出来事をセシルに話した。

「食べ物を床に落とす!?なんてこと……」

 絶句するセシルを横目に、ミューズは一番薄い本を手に取った。『子どもの教育のキホン』。絵や図を用いた育児本であり、街の本屋にも置いてありそうなものだ。積みあがった本の中には、明らかに研究論集のようなものもあった。

「この数なら、フミルケイ伯爵夫人が来る前には読み終わりそうね」

「教育係の先生ですよね?とても厳しい方だそうですよ」

 ミューズはまだ会ったことがないが、ノアによれば子どもたちに基礎教育と社交マナーを完璧に叩き込んだ敏腕教育係だそうだ。

「伯爵夫人に教育をしてもらえばよろしいのでは?そのための教育係でしょう」

 セシルは難しい顔をして積みあがった本を眺めた。

「これは憶測に過ぎないけれど、あの子たちは『私だから』ああいうことをしているのだと思うわ。だからこそあの子たちの気持ちを『私が』分かって接しなければ、きっと何の解決にもならないと思うの」

 ミューズは『子どもの教育のキホン』を閉じ、次の本へ移った。

 彼らは食事のマナーを知らないという訳ではない。知ったうえで、言葉にできない気持ちや主張を力任せに表現しているのだ。「母親役」になるのなら、向き合わなくてはいけないと、ミューズは強く思った。


 子どもたちが帰る一時間前、15時の鐘が鳴るのと同時に、フミルケイ伯爵夫人が公爵邸に到着した。

「ごきげんよう。ニューヤド伯爵令嬢」

 ミューズの私室で、フミルケイ伯爵夫人は優雅に礼をした。

「これからよろしくお願いいたします、フミルケイ伯爵夫人」

 ジュディ・ド・フミルケイ伯爵夫人。皺ひとつないシャツにスカーフをきっちりと締め、薄茶色の髪もまたきっちりと纏められている。年齢はミューズたちより15歳ほど上だが、その落ち着いた風貌からは貫禄がにじみ出ている。

 フミルケイ伯爵家はサンパング国の教育機関と教育制度を取り仕切っている。貴族家の子女たちが通う学園も初代フミルケイ伯爵が設立したものだ。

「ジュディとお呼びください。メイド長のカレンから今朝のことは既に報告を受けています。私の教育が至らないばかりに申し訳ございません」

 ジュディは深々と頭を下げた。

「いいえ、そんな……。あの子たちは恐らく私のことを試しているんだと思います。いきなり一緒に暮らすことになった大人が信頼できる人なのか、どの程度まで許してくれるのか、と。これは本に書いてあったことなのですが」

 ミューズは積み上げられた本と、朝食時に騒動を起こしたグレンとセレーネに関する資料を指さした。

「あの2人の過去を考えたら、大人に信頼を置けないのかもれません」

「この量を、一日で?」

 ジュディは積まれた本の表紙をざっと見ると、「信じられない」と言うような顔でミューズに視線を移した。

「今朝からなので半日ですね。必要な所をかいつまんで読みましたから、大した量ではありません」

「お嬢様は本を読むのに慣れていらっしゃいますから」

 セシルは紅茶を机に置きながらそう言った。ジュディは「コホン」と咳払いをする。

「それで、今後の対策ですが。次同じことをしたら夕食抜きにでもしますか?」

「そうですねぇ。食べ物を粗末にしたんですもの」

 ジュディの提案にセシルは同意する。

「いいえ、それはやめましょう」

ミューズがそう言うと、2人は驚いた顔をした。

「私達もそのように躾けられましたよ?一食ぐらいなら……」

「貴女たちの場合は良いけれど、私達の場合はまだ信頼関係が築けていないでしょう」

「信頼関係?」

 ミューズは紅茶を一口飲み、小さく息を吐く。グレンとセレーネが孤児院を経て公爵邸にやってくるまでの資料の文字を追う。

「そう。二人はお仕置きとして夕食を抜かれても、『親に捨てられるかも』なんて考えもしなかったんじゃない?それは親と子の間にきちんとした信頼関係があったからよ」

「あっ」

 セシルは目を見開き、口に手を当てる。

「生きていくのに必要なものを人質にする人だと学習されてしまったら『いつかまた捨てられるかも』って、言いたいことも言えなくなってしまうかもしれない。それは健全な家族関係ではないと思うわ」

 グレンは生みの親に虐待を受けて育ち、頻繁に食事を抜かれていた。そしてセレーネは極貧家庭で育ち、幼い頃から働かされ、体調を崩した際に孤児院に捨てられていた。

「じゃあどうするんですか?」

「そうねぇ……」

 ジュディの言葉に、ミューズは腕を組んで天井を見上げた。10人子どもがいれば10通りの接し方がある。母親代わりとして、信頼を得ながらもただ甘やかすだけではいけない。

(正解ってあるのかしらね……)


 日が暮れ、19時を告げる鐘が鳴った。ミューズは一人、食堂で子どもたちを待っている。夕食前の子どもたちは、別邸の一番大きな部屋でジュディに勉強を見てもらい、時にはマナーや礼儀について教えられる。だから、朝と違い全員揃ってやって来るはずだ。

 ミューズはメイドたちが食器の準備をする様子を眺めながら考えていた。

 ノアはいない。結婚前とはいえ、今はミューズがどうにかしなければいけない。子どもたち全ての責任が、まるで自分一人に圧し掛かったような気さえする。

(アメリア様も、こんな気持ちだったのかしら)

 しばらくすると子どもたちが食堂にやって来た。メイドたちがサラダや分厚い牛のステーキが乗った皿の配膳を始める。少し遅れて、今朝はいなかった15歳のテオも入って来た。彼は昨日のティータイムに「俺は認めない」と、真っ先に出て行っており、ミューズに大きな反感を持つ者だろう。

 現に、ミューズとは目を合わさず、他の子どもたちと会話している。その様子は根から意地の悪い人間ではなさそうだ。

「それでは皆さん。いただきましょう」

 ミューズの挨拶で、一斉に食べ始める。ミューズは静かに様子を窺っているが、何か怪しい動きをする者はいない。

(夜はなにもしないのかしら?)

 ミューズは一息つき、カトラリーを持って肉を切る。そのタイミングを見計らっていたかのように、グレンとセレーネが立ち上がった。

「嫌!」

「俺も無理だもんね!」

 カトラリーを投げる音でミューズはハッとした。だが、朝よりミューズの心は落ち着いている。

「お止めなさい。」

 肉を切る手を止め、静かにカトラリーを皿の上に置いた。グレンとセレーネは互いを見合いながら、強い視線をミューズへ向けている。不信感、非難、不安……そのどれもが二人の表情を曇らせている。

「二人とも。食べ物を無駄にする行為は許されません。食材を育てた人や料理を作った人たちを侮辱する行為です。食器も、強い力で叩きつけるためにある訳じゃありません。そんなことあなたたちは理解できているはずよ」

「……」

 二人は何も言わずに席に戻った。二人の表情は硬いままメイドが持ってきた替えのカトラリーを受け取る。

「私はそのような行為は嫌いです。でもそれはあなたたち自身が嫌いということではありません。もし何か私に言いたいことがあるのなら、いつでも話してください。きちんと、言葉で」

 ミューズはそう言って子どもたち全員の顔を見やる。

「他のみんなもそうよ。直接話すのが躊躇われるのであれば手紙でも、メイドを介してくれても良いわ」

 子供たちの見せる表情は様々だった。静かに頷く子や、全く意に介していない子、鋭い視線を向ける子もいる。その違いは単に年齢だけに寄らないだろう。

(本に書かれた対応の仕方をなぞっただけだけど……これで良いのかしら?)

 グレンもセレーネも、注意をすればすんなりと従う。ただ暴れたいだけでやっているようには見えなかった。


 夕食後。

 子爵邸に帰るセシルを見送ると、ミューズは本邸には戻らず周辺を歩いた。昨日、子どもたちと顔を合わせた後、公爵家執事長のハドソンに一通り公爵邸を案内されたが、未だ行っていない所があった。

 本邸と別邸の間にある庭園である。中央に巨大な噴水があり、静かに音を立てて水が流れ落ち、水盤には夜空に浮かぶ月を映している。庭園は左右対称に生垣や花壇が配置され、レンガを敷いた小道が通っている。新鮮な水と草木、華やかな花の匂いが一面に立ち込めている。

 噴水近くに設置されたベンチに腰掛けると、ベンチの後ろにある腰の高さほどの生垣が大きく揺れた。風で揺れたとは思えない程の揺れだ。

(侵入者?いや、まさかね……)

 ミューズは恐る恐る生垣の後ろ側を覗いた。

「きゃあっ」


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