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第七話

 生垣の後ろには子どもが二人しゃがんでいた。二人ともフワフワとした癖のある金髪だが、一人は短髪で、もう一人は長い髪を高い位置で一つ結びにしていた。ミューズは反射的に後ろに引いた身体を戻し、二人に問いかける。

「何をしているの?ジャスミン、ロイ」

 子どもたちの中で最年少の双子だ。確か、ジャスミンが姉でロイが弟だった。お揃いの白い寝巻を着た二人は慌てふためいて手に持っていたものを身体の後ろに隠す。ミューズが身体を少し傾けると、小さな身体が隠していたものが呆気なく分かった。

「お菓子?お夕飯足りなかったの?」

 二人はクッキーが数枚入っている小さな袋を持っていた。ジャスミンにはピンク、ロイには黄色のリボンで袋は閉じられていた。

「あのね、テオ兄ちゃんがくれて……その、早く食べろって」

 弟のロイがジャスミンを庇うように前に出た。他の子どもたちの前だと取られてしまうのだろう。7歳にして、姉を守る動きを見せるロイは、中々たくましい子のようだ。

「そうなの。歯はちゃんとお磨きなさいね」

(あのテオも、この子たちのことが可愛いのね)

「ふふ、テオ兄ちゃん見た目怖いけど優しいんだよ!」

 ミューズの心を読んだかのようにロイは笑って言った。

 ぶっきらぼうで、常に無表情なテオだがきょうだいには優しいのかもしれない。ミューズは今朝の「みんな本当は良い奴なんだ」というイアンの言葉を思い出した。

「ママも食べるっ?」

 ジャスミンが持っていた袋をミューズへ近づける。くりくりとした丸い目が、とても愛らしい。

「良いの?じゃあお1つよろしい?」

「僕のも一個あげる!」

(やっぱり可愛い……)

 ミューズは双子を隣に招き、1つずつクッキーを受け取る。クッキーを口に入れると、甘いバターの香りが広がった。


 双子を別邸まで送ってから私室に戻り、ノアの滞在先に電話を掛ける。しかし電話が取られることはなく、ミューズは机の上に置かれた一通の手紙に視線を移した。

それは今日の昼、ミューズはジュディが来る前に読み終わらせようとページを捲っていた時に届いたものだ。結局、今まで封を切ることができていなかった。

 手紙の差出人を見て、ミューズの身体に一瞬緊張が走った。はやる心を抑えながらペーパーナイフで封筒を切る。

『小説の連載について打ち合わせのため、明日10時に出版社までお越しください。ご都合が悪い場合は連絡をお願い致します。 グリーン出版』

(一体何かしら……)


 翌日。

 朝食をとり、子どもたちを見送るとミューズは馬車に乗り、手紙に書かれた時刻通りに出版社に到着した。

 グリーン出版は皇家が保有するセニョーダ領の城下町にある。並木通りに一際大きなレンガ造りのその建物には、その名にふさわしく緑のツルが建物の上の方まで生い茂っていた。建物の周りにはプランターが並べられ色とりどりの花が咲いており、陰気な雰囲気はない。

(小説の連載、ね……)

 公募の合格通知以降、グリーン出版からはなんの音沙汰もなかった。ノアとの婚約記事を発行したのもグリーン出版だったため、ミューズは完全に白紙になったものと思い込んでいた。貴族女性は結婚すると、次期当主になる場合や事業を起こすでもない限り仕事をすることはないからだ。

 馬車を降り、目を凝らして手紙に押されたグリーン出版の印章を見つめるが、怪しい箇所はなく、手紙は限りなく本物に近い。

「帰りは公爵領の入口まで一人で帰るわ」

 若い御者にそう告げ、出版社の重厚なドアを開ける。窓から差し込む光だけを頼りに中を見渡す。人々が忙しなく中を行き交い、とても声を掛けられるような雰囲気ではない。

 中には1つの騒がしい行列が出来ていた。その先頭の方へ目をやると『スクープ受付』と、天井から吊り下がった看板に書かれていた。

 ミューズは思わず持っていたカバンで顔を隠す。白いシャツに赤色のロングスカートを合わせ、ジャケットを羽織ったその姿はとても貴族女性には見えないが、貴族を専門に追いかけている記者には顔が知られていることだろう。

(あ、あった)

 顔を逸らした先に『一般受付』という文字が目に入った。そこは端正な制服を着た二人の女性が並んで座り、誰一人として並んでいない。

「恐れ入ります。文芸部門の方と約束をしている者ですが」

「ミューズ様でございますね。お待ちしておりました、ご案内いたします」

 一人の女性受付員が立ち上がり、先導する。彼女が操作する昇降機に乗り5階まで上がった。1階の喧騒とは打って変わって静けさのあるフロアの奥の一室に通される。そこには多くの机が並び、また大量の書類が積みあがっていた。

「こちらが当社の文芸部門でございます。担当の者を呼びますので少々お待ちください」

 受付員はそう言って部屋から出て行った。ミューズの他に人はほとんどいない。数人が机に向かってなにか書き物をしている程度で、空いている机のほうが多い。そして彼らもミューズを気に留める様子もなく、一心不乱にペンを走らせている。

(邪魔するわけにもいかないし、何か本を持ってくれば良かったわね……)

 紙とペンを取り出し、新しく書く作品のプロットを作り始めた。ミューズはいつも、空いた時間があれば本を読むか、小説のアイデアを考えている。


 プロットを半分ほど書いた所で、バタバタと慌ただしい足音が迫ってきた。

「こんにちは、スーザンと申します。この度ミューズ様の担当になりました」

「ごきげんよう。ミューズ・ラ・ニューヤドと申します。お会いできて嬉しいわ」

 スーザンは紺色のジャケットスーツに肩まで伸びた茶髪を内巻きにしている爽やかそうな女性だった。ミューズより少し年上の彼女は、早速抱えていた書類の山をかき分け始める。

「ミューズ様がエントリーされた小説、とっても良かったです!今、この小説を全体的に加筆修正して新聞に連載しようという企画が進んでいるんです。それで……」

 スーザンが書類の山から取り出した1枚の企画書を見せる。そこには一週間に一度のペースで、新聞紙の半面を連載小説に充てると書かれていた。

(こんなに……!)

「お、その人が例のお嬢様か?」

 声質は渋いが、軽快な口調が部屋に響いた。その方に目を向けると、瘦せ型で顎ひげを生やした中年の男性が「よう」と部屋の入口で片手をあげ、ミューズたちの方へやって来た。スーザンは立ち上がって彼を手で示す。

「文芸部門の責任者のオスカーです。最近文芸部門に来たんですよ」

「文芸は地位が低いからな。実質左遷だ」

 オスカーはそう言い捨てて煙草を取り出す。

「ちょっとオスカーさん!窓を開けずに煙草吸わないでって、いつも言ってますよね?」

 オスカーは「はいはい」と生返事をして傍にある窓を開けて煙草をふかす。

(オスカーってどこかで聞いたような……)

 ミューズの記憶を辿ると、一つ、同じ名前がヒットした。

「オスカーってまさか、私たちの記事を書いた人でいらっしゃる?」

 『セントルの独り身公爵と直情径行な令嬢が滑り込み婚約か』という見出しで、ミューズが直々にゴミ箱に投げ捨てた、あの記事だ

 ミューズが尋ねると、オスカーは眉を顰めて煙草を灰皿に押し付けた。

「良いだろ別に。お前らお貴族様は大量の資産をお持ちなんだ。俺らの食い扶持稼いで何が悪い」

「良くありませんわ!貴族の資産は国政に関する最終決定とそれに付随する責任に対するもので、好き勝手書かれる対価ではありません!」

 ミューズが立ち上がって詰め寄る。むせそうなほど煙がかかるが、気にしている場合ではない。しかしオスカーは2本目の煙草に火をつけ、煙とミューズを一緒に払った。

「あーあー、うるさい。アンタのお相手が抗議したお陰で俺はこうして文芸部門に左遷だ!」

(……ノアが?)

「他に相手がいないからって必死にもなるもんだな。ま、せいぜい飯代稼がせてくれや」

 ミューズは眉間に寄った皺を手で伸ばして笑顔を作る。

「人を貶す記事を書いて召し上がるご飯はさぞ美味しいでしょう。ですが古く痛んでいらっしゃいますから、いずれお身体を壊しますわ。お気をつけなさいな」

「まあまあ、ミューズ様落ち着いて……」

 スーザンはミューズの肩に手を当て、オスカーから引き離す。

「申し訳ありません。つい……」

「俺が左遷されてなかったら明日の朝刊一面にこう書いていたぞ『じゃじゃ馬お嬢、一介の記者を痛烈批判!若き公爵は被虐趣味か』ってな!ははは!!」

「オスカーさん!」

 スーザンはオスカーを一蹴して部屋から追い出し、席に座り直した。彼女は大きく溜息をついた。

「あれでも前までは敏腕ジャーナリストって言われていたんですけどねぇ」

「あら、そうなの?」

「はい。でも稼げるからって過激な記事ばかり書くようになってしまって……いえ、そんなことはどうでもよくて」

 スーザンは手をパチンと叩いた。

「ミューズ様の小説のことなんですが、少々恋愛の描写を入れてほしいんです」

「恋愛?」

「はい。より多くの方に読んでもらうためにも、と文芸部門の会議で」

 企画書を見せながら言ったスーザンの言葉に、ミューズは顔を曇らせる。

「でも私、恋愛ものは……」

「ああ、勿論結婚後で構いません。今、恋愛の描写を掲載すると憶測とか色々大変そうですもんね」

(そういうことじゃないんだけど……)

「私に恋愛なんて書けるかしら」

「大丈夫ですよ!ミューズ様も恋愛の1つや2つしているでしょう?それに、公爵夫人の書いたロマンス小説なんて、それだけで女性たちは沸き立ちますよ!」

 スーザンは楽しそうに企画書を眺めた。

「そのことなのだけど……私、本名で小説を掲載するのは控えたいわ。公爵夫人の肩書きで発表するのは、混乱を招いてしまうかもしれない。それに、他の物書きの方に対してフェアじゃないと思うの」

 ミューズがはっきりとそう言うと、スーザンは困惑の色で曇った顔を見せた。が、すぐに笑顔を作ってみせた。

「とにかく、ゆっくりで良いので書いてみてください。本名の件も含めて、またご連絡差し上げますね」

 スーザンの額には汗が滲んでいた。


 企画書と訂正事項などが書かれた書類などを纏めて鞄に入れると、スーザンは慌ただしく部屋を出て行った。これからまた他の作家との打ち合わせがあるそうだ。

 ミューズは1階へと降り、グリーン出版を出ると向かいの通りに本屋が数軒並んでいるのが目に入った。グリーン出版のある辺りは大型書店の他に古本屋や希少な資料を扱っている図書館、個人が出している本を扱う同人屋などが並んでいる。今となっては家から取り寄せることが多くなり足を向けることはなくなったが、本の好きなミューズにとって幼い頃は好きな場所だった。

(そういえば、新刊の注文をし忘れていたわ)

 ミューズはグリーン出版から少し離れた通りにある大型書店に向かった。先の戦争から数年経過したからか、道路は舗装され見通しも良くなっており、以前よりは息苦しさを感じない。大型書店に入り、目に入った案内図を見て目当てのコーナーへと歩を進める。

「あ、あった……」

 ミューズの好きな小説『ユートピア航海譚』シリーズの表紙を見つけ書棚へ駆け寄り、最新刊を目で追う。前の巻では主人公が見ず知らずの土地の長に捕まった所で終わっていた。

「きゃっ」

 不意にミューズの視界に男性の手が振り上げられ、咄嗟に頭をかばう。

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