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第3話 師匠と弟子

 僕は、結界協会の飛空艇とそれに悪態をつくゴコロを眺めながら、自分たちが幼少期を過ごした村の事を思い出していた。



 僕たち3人は、〈剣聖の里〉と呼ばれる小さな空島で育った。僕たちは、物心ついたときには孤児だったらしく、そんな孤児たちを善意で引き取るお人好しが集まったのが剣聖の里の始まりだったという。


 剣聖の里には、孤児たちに剣を教えるのが伝統になっていて、僕たち3人もそれに漏れず剣を教わった。それぞれ異なる師匠に師事していたが、どの師匠もとても強くて優しい人たちだった。


 だけど、そう思えるようになったのは、剣聖の里に引き取られてから1年が過ぎた頃だったと思う。引き取られすぐの頃、僕は島に馴染めず、顔も思い出せない両親の事を想い、泣き叫んでいた。たしか、2歳か3歳くらいの頃だったはずだ。泣いていたのは強烈なトラウマのせいで、今でもたまに夢に見るほどだった。


 僕の本当の両親との思い出は、そのトラウマになった時の記憶だけだ。


 逃げまどう母に抱きかかえられ、山の中を走り周り、周囲の大人たちが次々と鳥獣に食われていく光景が今でも目の裏に焼き付いている。


 そして、ついには隣を走っていた父親も鳥獣に捕まってしまう。父が空中に持ち上げられ、手足を引き裂かれ、血の海が僕と母を飲み込み込んだ。それを見て、母は座り込んで動けなくなってしまった。絶望して空を見上げていた母の頭が、次の瞬間には、消し飛んだ。別の鳥獣に捕食されたのだ。僕は泣き続けていた。もう抱きしめてくれる人はいない、僕を愛してくれる人はいない、と幼いながらに分かったのかもしれない。


 次に覚えている記憶は、剣聖の里の剣士が僕を抱きかかえ、割れる大地を飛び越え、飛空艇に乗り込んだ時のことだ。後ろから地響きと轟音が聞こえる中、僕は保護された。


 こうして僕は、剣聖の里がある空島までやってきて、孤児院に入れられた。周りには同じような境遇の子供たちがいて、保母さんも優しく接してくれたが、僕の寂しさが癒えることはなかった。


 毎日、毎日、泣いては寝て、泣いては寝てを繰り返していたと聞く。


 そんな日々が数か月続いた後、僕を孤児院から連れ出してくれて剣を教えてくれたのが、テンガイ師匠だった。テンガイ師匠との出会いはこんな感じだ。


「おめぇが毎日泣いてるってガキか?」


「ぐすっ……」


 突然、孤児院にやってきた筋骨隆々の男に恐怖を覚え、目を逸らす。


 初めて会った時のテンガイ師匠は不愛想で、すごく不機嫌そうな顔をしていた。黒髪であご髭を生やしたガタイのいい怖い大人。そんな印象だったと思う。袴と羽織姿で腰には刀をさし、右手を刀の柄にのせていた。このときの師匠は37歳くらいだったはずだ。


 僕が目を逸らしたまま、またボロボロと声も出さずに泣き始めると、師匠が開いている左手を僕の頭にポンと乗せて、一言、言葉をかけてくれた。


「……悔しかったな。俺が強くしてやる。ついてこい」


 短い言葉だった。だけど、その言葉にすごく惹かれるものがあって、僕は気づけば師匠の袴を強く握りしめていた。


 幼い僕が何を思ったのかはしっかりとは思い出せない。

 『やっと僕の悔しさを理解してくれる人が現れた』と思ったのか『両親の仇を討つため強くなりたい』と思ったのか『ついてこい、と僕の事だけを見てくれたことが嬉しかった』のかは分からない。もしかしたら、全部なのかもしれない。


 とにかく、僕は、不愛想な剣術バカの男に引き取られることになった。


 だけど、テンガイ師匠の家に招かれ、2人っきりの生活が始まっても、僕が泣き止むことはなかった。朝起きても、ご飯を食べていても、師匠の隣で木刀を振っていても、突然涙が溢れ出してしまう。止めようと思っても止めれない。自分自身も訳が分からないぐちゃぐちゃな感情の中、声を殺して泣き続けた。


 なんで声を殺していたのだろうか。恥ずかしいからか、負けたようで悔しいからか、大人に迷惑がかかると考えていたからだろうか。


 そんな僕にテンガイ師匠がまた、ポソリと呟きながら、大きな掌を頭にのせてくれる。


「ボウズ、泣きたい時は思いっきり泣け。それで、男なら前を向け。俺がそばにいてやるから」


「……ぐすっ……ぐすっ……あぅ、あああぁぁ……うあああぁぁん!」


 僕は、剣聖の里に来て久しぶりに大声で泣いた。師匠の大きな掌の体温を感じながら、師匠の袴を握りしめて、大声で泣き続けた。


 それから師匠は、僕が泣いていても嫌な顔一つせず、本当にずっとずっとそばにいてくれた。文字通り、朝から晩までだ。


 突然、夜中に泣き出してしまうこともよくあったと思う。だけど、そのときには僕を背中におぶってくれて、泣き止むまで一緒にいてくれた。今でもよく覚えている。師匠の大きな背中と、そのときに素振りしていた木刀の風を切る音を。師匠は剣術バカで、あの時は口数も少なかったけど、すごく優しかった。僕は、温かくて大きな背中に包まれ、風切り音を子守歌にして、よく眠りについていた。


 そんな日々を過ごしていたら、僕の心に変化があって、徐々に泣く頻度が少なくなり、テンガイ師匠のことを本当の父親のように思うようになり始めた。昔のトラウマが完全に無くなったわけではないが、僕を愛してくれる人がいるんだと実感でき、この人のことなら信頼してもいいんだと分かったんだと思う。


 こうして、3年間をテンガイ師匠と共に過ごすことで、僕たちは家族になった。剣術の師弟であり、父親と息子なのだと、僕は思っている。


 これは、僕が6歳になった頃の話だ。


「師匠! 師匠はいつ剣聖になるんですか!」


 6歳の僕は、テンガイ師匠に向かって剣を振り回しながら、話しかける。


「ああ? それは、ハル坊……うーむ……」


 師匠は、カンカンと僕の剣を弾きながら渋い顔をする。


 〈ハル〉というのは、僕の名前だ。トラウマのせいで名前を思い出せなくなったボクに師匠が付けてくれた自慢の名前である。


「そりゃあまぁ、俺がもっと強くなってから、だろうな」


 師匠は、さっきまでは余裕そうな顔だったのに、僕の質問を聞いて、困り顔になってしまった。木刀を握っていない方の手で顎髭を触り、目を逸らされる。


「隙あり!」


 ここぞとばかりに、すねを狙って木刀を振るった。でも、さっとジャンプされて避けられる。


「悪ガキめ。いっちょまえに心理戦を使うようになりやがったか」


「ぎゃ!?」


 師匠が呆れ顔をしながら、トトン、と木刀を僕の両肩に振り下ろした。一本の剣からの攻撃のはずなのに、同時に殴られたかのように感じる。そして痛い。僕は木刀を落として膝をついた。


「ぐぅぅ……」


「お、よく泣かずに堪えた。偉いじゃないか」


「……へへ」


 褒められて嬉しくなり、顔を上げる。師匠は優しく微笑んでくれていた。


 剣の修行を続けてきて、少しは腕前も上がってきたこの頃の僕は、自分の師匠が一番カッコよくて一番強いのだと信じ込んでいた。だから、いつ、師匠が〈剣聖〉になるのだとしょっちゅう質問していた覚えがある。


 剣聖の里には、7人の最強の剣士を〈剣聖〉として選定する風習がある。この時には6人の剣聖が選ばれていたタイミングだった。

 だから、最後の一人こそがテンガイ師匠なのだと、僕は事あるごとに言い続けていた。


 剣聖が7人揃うと世界を救うために旅に出る、とのことではあったが、師匠と離ればなれになる寂しさよりも、ずっと剣聖を目指して頑張っている師匠の夢が叶うことの方が大切で、 本当に毎日のように『師匠は剣聖になれる! すぐなれる! なるべきだ!』とはしゃいでいたのを覚えている。


「明日! 明日にでも選ばれますかね!」


 肩の痛みを忘れるように努めて立ち上がり、木刀を握って、テンション高めに剣を振るう。また、カンカンと木刀がぶつかる音が鳴り響いた。


「んー……いやなぁ、ハル坊、俺に剣聖なんてなれるかねぇ。いやな、もちろん諦めてなんてねぇぜ? でも、弟子もおまえだけだし、もう40のオッサンだしよ……」


「師匠なら絶対なれます! だって! 師匠は誰よりも強いから!」


「ハル坊……」


「師匠は最強です!」


「……ありがとよ……」


「何か言いましたか?」


 師匠が聞こえない声量で何かを呟いた。それに、なんだか顔を伏せて鼻をかいている。どうしたんだろうか?


 僕は本心を言っているだけなのに、師匠は何か思うところがあるらしく、すっと目を閉じて、その状態のまま僕の剣戟を捌き続けた。


「すごい! 目をつぶってるのになんで!?」


「おめぇくれぇの攻撃、寝てても捌けるぜ。ほらよ。腰が入ってねぇぞ!」


「うわっ!」


 剣を絡め取られ、両手から木刀が離れてしまった。バランスをくずして尻餅をつく。


 やっぱりこの人は凄い。僕もこんな強い男になって、いつか世界を救う旅に同行するんだ! それにいつか、師匠が引退したときにでも、剣聖なんかになっちゃったりして……いや、それは高望みかな……でも! がんばるぞー!


 この時の僕はお気楽にそんなことを考えていたと思う。


 そしてまた、空中から落ちてきた木刀をキャッチして、師匠に斬りかかった。いつか、この人みたいになることを夢見ながら。


 僕が汗だくになって、そのまま眠ってしまった後、師匠が何か呟いていたような気がする。なんだっただろうか。


「ハル坊……おまえさんが俺を肯定してくれるから、俺は頑張れるよ……こんな、おっさんになるまで惨めったらしく続けてきた剣も、おまえのおかげで成長できた……ありがとよ……」


 師匠の言葉は覚えていないけど、僕が寝た後も、ずっと、いつまでも鳴り続ける剣を振る風切り音は、今でもよく覚えている。



 それから1年後、僕が7歳になった頃、師匠が剣聖に選ばれた。40代で剣聖となった人物は初めてのことで、村のみんなは驚いていた。ほとんどの人は20代で選ばれるので師匠は遅咲きなのだという。


 遅咲だろうとなんだろうと、剣聖は剣聖だ。一番強い師匠が選ばれるのは当たり前だと僕は思っていた。


 そして、今日は宝剣授与式だった。剣聖には一人一人に〈宝剣〉が与えられ、その力を開花させることで更なる高みへ踏み込めるのだと聞く。つまり、師匠がもっと最強になるということである。


 僕は、剣聖になった師匠を讃えるべく、意気揚々と宝剣授与式に出席した。


 村の全員が見守る中、師匠が村長から宝刀を受け取る。これで、師匠も正式に剣聖の仲間入りだ。身体の底から嬉しくて、厳粛な授与式中にも関わらず、大きな声を出してしまった。


「師匠ー! おめでとー! ございまーす!」


 授与式にいた皆がポカンとして、遅れて村長が「静かにせんか!」と怒り、村の皆が大笑いした。


「はははは! パチパチパチパチ!」


 そして、村長の声を無視した皆が師匠に拍手を送ってくれる。


 師匠が僕の方に手を振ってくれて、誇らしくて、嬉しくて、誇らしくて、泣くほど嬉しかった。カホに「泣き虫は治んないね」とからかわれたけど、嬉しくて泣くのは良い事だと思う。この時の涙を僕は一生忘れないだろう。


 みんなが師匠を認めてくれたことと、師匠が夢を叶えたことが、自分のことのように嬉しかった。


 そういえば、剣聖が持つ宝刀には、本人が一番大切にしている物を文字として刀身に刻むと聞いている。刻む場所は柄の下に隠れるので見えないが、師匠がどんな文字を刻んだのか、少し気になった。


 でも、それよりも、毎日毎日、真夜中まで修行してた師匠が、やっと剣聖に選ばれたことが嬉しくて、誇らしくて、宝剣の文字のことは頭から抜け去った。


 僕も師匠の弟子として、恥ずかしくない男にならなければ!


 そんな気持ちでいっぱいだったんだ。

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