師匠が剣聖になってから半年後、僕たち剣聖の里の住人は、別の空島に移り住むことになった。
昔から決められていた通り、7人揃った剣聖が世界を救う旅に出るためである。剣聖たちが島を出ると、何かあった時に子供たちを守る力が不足する。だから僕らは、人口が多い島へと移り住むことになっていた。
テンガイ師匠を含めた7人の剣聖は、鳥獣に苦しめられている世界中の人たちを助けにいく。凄く立派な事だし、世界中の人たちのためにもやるべきことだと思う。それに、僕がこの里を出る事も別になんの問題もない。
ただ、師匠と離ればなれになることだけが、寂しかった。
だけど、何年も剣術を磨いてきて、剣聖を夢見てきた師匠にそんなことを言えるはずもない。
だから、カホとゴコロに涙目になりながら、「僕だってすぐに師匠くらい強くなって、後を追うんだ! 剣聖は7人かもしれないけど、弟子が同じくらい強かったらきっと同行を許してくれるよね!」と意気込んでいたことを覚えている。2人は「きっとそうだよ!」「俺もハルより強くなったるからな!」と肩を抱いてくれた。
♢
剣聖の里を出発する当日、結界協会が用意した巨大な飛空挺に村人全員で乗り込んだ。里の住民千人ほどが全員乗り込めるほどの大きさの船だった。
そして、もう一隻、剣聖たち7人が乗り込むための小型船も用意されていた。その船は何故か島の反対側に停留されていたので、師匠たちは僕たちが飛空艇に乗り込むのを見届けてから、そこに向かうことになっていた。
だから、小さな港で、僕らはお別れの挨拶をすることになったんだ。
「それじゃあな、ハル坊。達者でやれよ」
「はい! 師匠も旅のご無事をお祈りしています!」
「はは! 俺の弟子にしちゃあ随分礼儀正しく育ったもんだ……俺は誇らしいぞ、ハル坊!」
「師匠……うう……」
師匠にぐしぐしと頭を撫でられ、それに『誇らしい』なんて言ってもらえて、すごく嬉しかった。目の中に涙が溜まってくる。
「おいおい。その泣き虫なところはなおさねぇとな? 男だろ?」
頭から手を離そうとしていた師匠がもう一度強く頭を撫でてくれた。こうして、この人の大きな手で撫でられることも、しばらくはないのだろうと思うと、すごく寂しくなってしまう。
だから僕は、「はい……」とだけしか答えることができなかった。
いつまでも「ぐすぐす……」と鼻を鳴らしている僕を見て、師匠は、僕のお父さんは、僕が泣き止むまで頭を撫で続けてくれた。
それから、なんとか涙を止め、テンガイ師匠とちゃんとお別れをした。飛空艇から徒歩で離れていく師匠の後ろには、残り6人の剣聖たちも付き従っている。彼らも、ゴコロやカホなどの弟子たちと別れを済ませ、晴れやかな顔で姿を消していった。
ここからの記憶は曖昧になってくる。
テンガイ師匠は丘の向こうに消えるまで、何度も振り返って手を振ってくれたと思う。ううん。振ってくれていたんだ。ここまではハッキリと覚えている。
飛空挺が動き出し、空島から離れ出す。
師匠と今度会えるのはいつだろうか、なんて考えてボーッとしていたら、突如として巨大な爆発音が聞こえてきた。周りの大人たちが騒ぎ出す。
「な、なんだ!?」
「なんの音だ!?」
「おい! あれを見ろ!」
誰かが指をさした。その方角を見る。島の反対側で火柱と煙が上がっていた。
さっき、剣聖たちが向かって行った方向だ。
「……師匠?」
何が起こっているのかわからず呟いたら、今度は、すごく近くで爆発音が響き渡った。
「な!なに!?」
僕たちが乗っている飛空挺のプロペラが燃えていた。そして、飛空挺の結界が上の方からゆっくりと消えていく。
「結界が!? し、島に戻れ! 鳥獣が来るぞ!」
「舵! 操船手なにしてんだ!」
飛空艇を空島に引き戻そうと、大人たちが騒ぎ立てていた。
僕は不安で固まってしまった。甲板の上をバタバタと大人たちが走り回っているのを見ても、何をすることもできない。みんな必死だったと思う。だって、もしこのまま墜落したら、雲海に飲み込まれ、全員助からないから。
そんな僕たちの前に、更に、絶望が迫ってきた。
「お、おいあれ! 鳥獣だ! 逃げろー!!」
「なんでだよ! ここはまだ島の結界内だろ! どうしてだ!」
空を見上げると、島を守っているはずの結界に穴が開いていることに気付いた。そこから次々に鳥獣たちが飛び込んでくる。そして、飛空艇にいる人間たちを襲いだした。
「いやぁー!!」
「やめ! やめろ! げぼっ! ……」
甲板の上に、人間よりも三倍は大きい巨大な鳥の魔物が降り立ち、人間を食い殺しだした。人を攫い、空中で丸のみし、ある時は急降下してきて鋭いクチバシで貫き、血を啜る。
そこら中に広がる血だまりと散らばる肉片を見て、両親が襲われた時のことがフラッシュバックした。身体は固まるどころか冷たくなり、視界がどんどん狭まっていく。
僕も、食べられるんだ。
「せめて、子供たちだけでも守れー!」
剣を抜く音が聞こえる。その音を聞いて、少しだけ視界が広がった。何度も聞いてきた音だから、安心した。剣さえ振るえばなんとかなると思っていた。
それに、剣聖の里の住人は精鋭揃いだ。本来、鳥獣なんかに負けるはずがないんだ。だけど大人たちは、どんどん高度を下げている飛空挺をなんとかしようとして、戦いに集中できていない。それに、守る者が多すぎて、次々とやられていってしまう。
千人いたはずの住民がいつの間にか、かなり減っていた。飛空艇はなんとか浮いているが、高度の下降は止まらない。プロペラからの火の手が甲板にまで到達し、辺りに火の粉が舞い始めた。
このままだと島には戻れない。そう判断した操船手が、落下するくらいならと、飛空艇を空島の壁面にぶつけることを選択した。目の前に岩壁が迫ってくる。
「衝撃にそなえろー!! 何かに掴まれー!!」
大きな衝撃。身体が放り投げられる。
飛空挺の前面の三分の一が岩壁に突き刺さり、停止していた。下は雲海だ。落ちたら死ぬしかない。でも、飛空艇は島に接岸し停止した。助かったのか?
「子どもたちを守れー!」
いや、何百という鳥獣たちがまだ大人たちを襲っていた。それに子どもまで標的にされていることにやっと気付く。
この船には僕の幼馴染も乗っているんだ。
「……ゴコロ? カホ?」
心細くなり、友達の名前を呼び、姿を探す。まさかもう? そう考えると怖くなった。そのとき、友達の一人の姿を見つける。
「くそくそ! 俺はタイドウの一番弟子! ゴコロとは俺のことだ! おまえらなんかにやられたりしねぇ! かかってきやがれ!」
ゴコロが剣を振るっていた。自慢の豪剣で小さめの鳥獣を一匹仕留める。
「よ、よし! ほらな! 俺だって戦えるんだ! うわっ!?」
次の瞬間、ゴコロは大きい鳥獣に刀を奪われ、獲物を丸飲みにされた。続けざまに鉤爪に胴体を捕まれ、空に持ち上げられる。
「なんだこいつ!? はなせ! はなせよ!!」
ああ……友達がやられているのに……僕はなんで……何もできないんだ……
声を上げることもできず、僕は真っ青になっていた。
すると、空の上から7人の影が落ちてきた。剣聖たちだ。
「……師匠?」
情けなく呟く。
「遅くなって悪かった」
僕の前に憧れのあの人が立っていた。両手を握りしめ震えているだけの僕の前に大きな背中が現れ、刀を握りしめている。
だけど、違和感に気が付いた。
師匠の姿がボロボロなのである。特に右半身が酷い状態で、黒く焦げ、肌が焼けただれている。
「し、師匠……」
なにがあったんですか? 聞きたかった。でも、そんな時間はない。
師匠が必殺の構えをとり、剣気を練り上げていく。
不安になり、他の剣聖たちのことも確認すると、全員が全員、大火傷を負っていた。ひどい人は両腕が無くなっていて、口で刀を咥えている人すらいる。
「弟子たちを守れ! 剣聖として! 役目を果たせ!」
師匠の叫びと共に、僕たちの反撃が始まった。
百匹はいただろう鳥獣がどんどん駆逐されていく。一人十殺どころではない。剣聖は一振りで三匹の鳥獣をいとも容易く斬りさいていく。
「剣聖が来てくれた……こ、これで助かった……」
隣のおじさんが呟く。
ホントに? 師匠はあんな姿で、本当に助かったの? すぐに治療しないと師匠が死んじゃう、それに気づいて、やっと僕の足は前に動く。
「刀を……刀を抜け!」
腰の刀を抜き、周りを確認した。
ゴコロのことは、タイドウ師匠が助けてくれていた。ゴコロは、柱に捕まって震えている。カホも、うん、あそこにいる。大丈夫だ。
「僕も戦え……戦え……師匠を守るんだ……」
自分に言い聞かせ、構えを取った。
そのとき、そこら辺にいる鳥獣よりも更に大きな鳥獣が姿を現す。
真っ赤な鳥獣、真っ青な鳥獣、緑の鳥獣、紫、黒、白、黄色の鳥獣たち。人間の十倍はあろう巨大な鳥獣が7匹。
剣聖と全く同じ数のそいつらが、剣聖たちを一人ずつ相手にし始めた。剣聖たちの快進撃が止まる。巨大鳥獣に相手取られ、やられはしないが、即殺できない。かなりの強敵らしい。
その隙をつくように、どこからか「ピュー」という吹き笛のような音が聞こえてきた。何かの合図だったのか、剣聖たちを相手している奴ら以外の鳥獣たちが、一斉に子供を襲い始めた。
「なんだこいつら! うわっ! はなせ!」
「やだ! 助けて!」
「ああ!?」
ゴコロとカホ、僕も鉤爪に捕まった。今では、『叫ばなければ良かった』と思っている。
「師匠!!」
でも、このときの僕は、怖くて怖くて、一番強い人のことを呼んでしまった。
「っ!?」
師匠と目が合ったときには、僕たち剣聖の弟子たちは、空に放り投げられていた。
あっという間に飛空挺が小さくなってゆく。すぐに意識が飛ぶと思った。でも、意識が飛ぶ前に、目の前に信じられないものが見えてしまう。
師匠たちが、飛空挺から飛び降りてきたのだ。
7人の剣聖が、ボロボロの姿で、僕たちの方に真っ直ぐ落ちてくる。
落下しながら巨大な鳥獣に剣を振るっているが、空中では上手く身動きがとれず、次々に宝剣を奪いとられていく。
巨大鳥獣たちは、剣聖たちの宝剣を全て丸呑みすると、それ以上追撃するのをやめ、つかず離れずの距離を保ちだした。
それを隙とみて、師匠が僕の元へと辿り着いた。テンガイ師匠に抱きしめられる。下は雲海、地上なんてものはない世界だ。落ちたら、終わりなんだ。
「師匠! 師匠! ごめんなさい! 僕なんかのせいで!」
抱き着き、顔を胸に押し付け、必死に謝った。僕が叫ばなかったら、師匠までこんなことになんてならなかったはずだ。せっかく夢を叶えて、これからってときに、僕なんかのせいで師匠まで。
「大丈夫だ! おまえは俺が守る! 丸まれ!」
師匠が空を仰ぎ、僕を投げようと構える。まさか、僕だけを助けるつもりなのか?
「イヤだよ! 僕も! 師匠と死ぬ! 離れたくない!」
「バカやろう! おまえが死んだら誰が俺の剣を伝えていくんだ! おまえは! 俺の一番弟子だろうが!」
「ぐっ!?」
〈一番弟子〉だなんて、言われたことなんてなかった。涙を流しながら、身体を丸める。しゃべることができなくなった。
「生きるんだ! 俺たちの分まで!」
投げられるとわかった。助かるとわかった。でも、僕なんかより、この人を助けたかった。
「し、師匠は死なない! 師匠は最強だ! 空の上だって! きっと! きっと飛べます!」
最期に、僕は訳のわからないことを言っていたと思う。目を瞑っている中、僕が上昇を始める少し前、師匠の最期の言葉が聞こえてしまった。
「ごめんな……飛べなくて……おまえは俺の誇りだ……ハル坊……」
「うう……ししょー!!」
物凄い力で、僕は空に解き放たれた。信じられないスピードで上昇していく。必死で目を開き、あの人の姿を探す。雲海の下に消えていく師匠の顔は、最期の最期まで笑っていた。『後悔はない』そんな顔に見えた。でも、逆に僕の心には、大きな罪悪感が植え付けられることになる。
空島の上まで身体が到達したとき、僕と同じように助けられた剣聖の弟子たちが8人いた。みんながみんな、泣きながら師匠の名前を叫んでいた。地面を叩き続ける者、呆然と雲海の下を見つめる者、抱き合う者。
ここにいるみんなが、自分が一番尊敬する人を失ったんだ。