結界協会の飛空挺がやってきた翌日の朝、僕は庭から町の中心を確認した。目線の先には、結界を張るための装置が設置されている高い塔があり、その横に結界協会の飛空艇が停留されている。
いつまで滞在するんだろうと疑問に思っていたところ、飛空艇と塔の間の橋が上がり、係留ロープが外された。どうやら、結界の魔力充填が終わったようだ。結界協会の飛空艇は、仕事を終えたのを誇らしげにしながら、トレッタニアにから離れていった。
その姿をやるせない気持ちで見送り、僕たち三人はいつもの職場へ向かうことにした。
やってきたのは飛空艇が集まる港だ。僕たちはここで飛空艇からの荷下ろし作業を手伝うことで生計を立てている。トレッタニアには貿易都市なので日々たくさんの荷物が行き来することから、仕事に困ることはなかった。
三人で協力しながら荷下ろしをしていると、まだ気持ちが荒ぶっているゴコロが愚痴をこぼし出す。
「ちっ! なんであんなやつらに頼らないと生きていけないんだよ! ふざけんな!」
「まだ言ってるの? いい加減気持ち切り替えなさいよ。ほら、これ持って」
「おう……でもよ! カホだって悔しいだろ!? 絶対あいつらが何かしたのに、何にも分かんないなんてよ!」
「それは……そうだけど……」
カホに指示されたゴコロが大人でも三人がかりで持つ巨大な荷物を軽々持ち上げながら食い下がる。僕たちのことを知らない商船の大人がギョッとした目で見てきたが、カホは気にしていない様子でゴコロをなだめていた。
まぁ、ゴコロの気持ちはよく分かる。僕も、結界協会の飛空艇を見てからずっと憂鬱な気持ちだった。
気持ちを落ち着かせようと空を見上げるが、そこには僕たちの気持ちを表すようなグレーの空が広がっていた。なんだか気が滅入る。今日は曇天だ。
「はぁ……ゴコロはまったく……ねぇ、ハル、今日って、雨降るかな?」
「んー? どうだろうね? かなり曇ってるけど、降らないときもあるし」
カホと並んで大きな荷物を運びつつ、今日の空模様について話すことにした。荷下ろし中に振ってくると、カバーをかけたりしないといけないので大変なのである。
幸い、午前の作業中に雨に降られることはなかった。
お昼になったので、港の休憩室に行き、僕たちを雇ってくれているオジサンたちと昼食を取ることにする。カホが作ってくれた和風弁当を食べつつ、オジサンたちが「カホちゃんはいいお嫁さんになるねー」なんて話し、照れたカホがゴコロの背中を思いっきり叩く。ゴコロがむせた後キレそうになっていたとき、それは起こった。
トレッタニアに設置されている緊急警報用の鐘が空島中に鳴り響いたのだ。
「カンカンカンカン!!」
随分騒がしい音だ。初めて聞いた鐘の音に立ち上がるが、なんの警報だったか覚えておらず、周りの大人たちの顔色を見た。彼らは一様に真っ青になって、そこらにある武器になりそうな物に手を伸ばし出した。
「こいつはやべぇ! ハルたちもこっちこい! 避難警報だ!」
「避難警報? な、なんなんですか? この鐘の音は?」
「鳥獣が島に侵入したときの警報だ! いいから俺たちについてこい!」
「はぁ!? 鳥獣だ!? 昨日、結界協会のやつらがきたばっかじゃねぇか! ……やっぱりあいつら! おい! ハル! カホ!」
「うん! 行こう! カホ!」
「わかった!」
「おい! おまえら! どこに行く気だ! 戻ってこい! ガキども!」
僕たちは、オジサンたちの静止の声を聞かずに走り出した。走りながら空を見上げる。すると、トレッタニアの結界にぽっかりと穴が開いているのを見つけ、そこから五匹の鳥獣が島内に侵入するのを確認した。
「二人とも! 戦えるな!」
「もちろんだ!」
「うん!」
僕たちは、自宅に帰ってきて、それぞれの刀を手に取る。そして、すぐに鳥獣が向かった町の方へと駆け出した。
僕たちが到着した時には、町の中は大混乱だった。
「いやー! 助けてー!」
「に、逃げろー!」
建物の中に逃げ込み固く扉を閉ざす人、訳も分からず逃げまどう人、鳥獣の姿を見て震えて動けなくなっている人がいた。
みんな、空島の中にいれば安全と思っていたのだろう。だから、どうやって鳥獣から逃げればいいか分からない様子だった。
そんなパニック状態の中、僕たちの見える範囲で若い女の人が転んでしまい、それを見た一匹の鳥獣が目を光らせる。奴は急降下して女の人に向かって鉤爪を開いた。空中に攫う気だ。
「俺が行く!」
大きな声を出して前に出るゴコロの手は、その威勢に反して震えていた。
里を滅ぼされたときのことを思い出しているのだろう。それにゴコロは、僕と同じように鳥獣に掴まれ空に落とされたことがある。トラウマになっていても不思議はない。
だから、キミなら出来ると伝えたくてゴコロの肩に触れた。
「ゴコロ、僕たちは剣聖の一番弟子だ。絶対に負けない。僕たちは最強だ。ゴコロは、タイドウ師匠の剣を受け継いだんだろ? あんなやつ余裕だよ。それに前だって一匹仕留めただろ? 僕は見てた。ゴコロはあの時から一番戦ってた。やれるよ」
「……おう。すぅぅぅ……」
ゴコロの震えがぴたりと止まり、両腕に筋力が込められていく。さらに遅れて剣気を纏い出した。刀から黄色いオーラが発しはじめ、ゴコロの身体に吸い込まれる。
ゴコロは、刀を上段に構え、地面を割りながら鳥獣との距離をつめる。
「轟砲の太刀! 破砕殺! オラァ!!」
ゴコロが飛び上がり、そのまま刀を振り下ろした。鳥獣がゴコロに気づいたときには、刀が頭にぶつかっており、そいつは、斬られるというよりも押し潰されるように地面に沈められた。あまりの威力に鳥獣ごと地面が砕け、舗装されていた石畳が土煙を上げて飛び散る。
「ふぅぅ……」
剣気を解放し、深呼吸するゴコロの足元には、頭蓋をバラバラに砕かれ、ぐしゃりと身体を横たえた鳥獣がいた。遅れて、血の雨が降ってくる。
確かな手ごたえを感じて口角が上げたゴコロが、腰を抜かしていた女性に喝を入れた。
「おまえ! さっさと逃げろ! 食われちまうぞ!」
「ひっ!? あ! ありがとうございます!」
お姉さんがゴコロに睨まれて建物の中に逃げ込んでいった。良かった。助けることができた。僕たちが人を救ったんだ。
「おい! そっちにも行ったぞ!」
安心するのも束の間、僕たち目掛けて、別の鳥獣が突っ込んできた。
「私がやるわ……」
カホも緊張した表情だ。ゴコロと同じように肩に触れる。
「カホ、カホは誰よりも努力家で、キミの剣は、誰よりも綺麗だ。ボタモチ師匠だって、キミの才能を認めてたはずだ」
「でも……師匠は……」
師匠の名前を聞いて暗い顔をするカホ、事情を知っている僕は別の言葉を投げかけることにする。
「じゃあ! 僕とゴコロを信じろ! カホのことは僕たちがずっと見てきた! カホは誰よりも強い! 誰よりも優れた技術を持ってる!」
「やっちまえ! カホ!」
「……うん!」
カホが刀を前に出し、右足も前に出して低く構える。やつの突進をいなすつもりだろう。
静かに構えるカホの刀から桜色のオーラが発せられ、カホの身体に飲み込まれる。剣気は練り終わった。
そこに、鳥獣のクチバシが、カホを貫こうと真っ直ぐに突っ込んでくる。クチバシが刀の先に触れた瞬間――
「流花の太刀……椿……」
カホの剣は、ほんの少しだけ、ヤツのクチバシに触れただけで突進の軌道を大きく変えた。鳥獣の突進が直角にねじ曲がり、建物に激突する。激突した鳥獣を見ると、奴の首と胴体はすでに切り離されていた。
「よし! 僕たちは戦える! 最強だ! 負けるはずがないんだ!」
「ああ!」
「そうね!」
駆け寄って、拳を合わせた。里が滅んでから6年、これまで磨いてきた剣技が通用すると分かって僕たちは笑顔を浮かべる。
次は僕の番だ。僕は左手に装着したガントレットを握りながら、次の敵を探した。空を飛んでいるのは、あと三匹。手分けした方がよいとみんなと話す。
「私はあっちに!」
「なら俺はあっちだ!」
「わかった! 二人とも! 僕たちは最強だ! 余裕で勝とう!」
路地で三手に別れて走り出す。あと三匹、一人一殺で片が付く。
不安を感じながらもさっきの二人の雄姿を思い出しながら、空を見上げる。鳥獣が進む方に進路を合わせ、長い階段を駆け上がった。もう少しで追いつく。あいつは、僕が倒すんだ。走り続け、石畳の階段をのぼりきると、そこに鳥獣がいた。
「ママー! ママをはなせー!」
「いいから逃げて! お願いだから!」
「誰か助けてー!」
「うわぁぁー!」
いつも僕のことをからかいにくる子どもたちが、鳥獣目掛けて石を投げたり、木の棒を振りかざしていた。鳥獣の鉤爪の下敷きになっているのが、誰かの母親なのかもしれない。
「みんな! 離れて!」
叫んでから、腰の鞘を左手で握り、刀の柄に右手を添える。あんなやつ、師匠の技の前では紙切れも同然だ。
刀の声を聞き、刀の力を感じる。すると、青いオーラが滲み出してきた。それを自身の体内に取り込み、気と混ぜ合わせる。
〈剣気〉、それは剣聖の里に伝わる秘伝の技術で、刀の力と剣士の力を融合させることで莫大な剣技を放つ必殺の技である。
剣気を纏い切った僕は、呼吸を整えて、更に深く構えた。前のめりになり、倒れそうになる。
「すぅぅ……神速の太刀。疾風」
左足を踏み込み、前へと進む。数十メートル離れていた鳥獣の首が一瞬で目の前に迫っていた。刀を振り抜き、そして、鞘に納める。キンッ。次に地面に足をのせたときには、鳥獣の首は吹き飛び、バランスを崩した胴体は、階段の下に落ちていった。
「ママー!」
子どもの一人が、捕まっていた母親に抱きつき、その人も抱きしめ返す。良かった。無事だったみたいだ。
「は、ハル? なのか?」
「泣き虫ハル? つ、強かったのか?」
他の二人は呆然と僕を見ている。そんな子たちに大きな声で指示を出した。
「みんなは建物の中に避難して!」
「あ! うん!」
三人が母親を支えるように、避難しようと歩いていく。
僕は、残りの鳥獣はどこにいるのかと、手すり越しに町の全体を見渡した。下の方でカホとゴコロが一匹ずつ、敵を倒し終わったのを確認できた。『よし!これで僕たちの勝ちだ!』ガッツポーズをとろうとした。だけど――
「ああ! ヤーク! 誰か! 誰か助けて!!」
後ろから悲鳴が聞こえ、すぐに振り返る。さっき助けたはずの母親の声だった。
なんで!? 五匹だったはずじゃないのか!?
「ヤーくん! ヤーくんを離せ! このこの!」
「ハル! ヤーくんが! ヤーくんが!」
子どもたちが、僕の事を見て、助けを叫んでいた。
三人のうちの一人が巨大な真っ赤な鳥獣に捕まれているのだ。大人の十倍はある大きさのそいつは、目を細めて獲物のことを見ていた。
通常サイズの鳥獣の二倍以上の大きさで、どこか知性を感じさせるその顔は、明らかに他の鳥獣とは異質だった。
だからなのか、周りにいる人たちの顔は絶望的で、青ざめている。『あの子はもう助からない。それに自分たちも』そんな思いが感じ取れた。
でも、それよりも、そんなことよりも、僕にはそいつに見覚えがあり、身体中の血液が沸騰しそうになる。
「おまえ……おまえー!! 師匠の宝剣を!!」
僕は激昂した。そう、あいつは、あのとき、師匠が僕を助けに空に飛び込んでくれたときに、師匠の宝剣を奪い、丸飲みにしたやつだったのだ。
剣聖たちと戦っていた七匹の巨大鳥獣のうちの一匹が僕の目の前に姿を現したんだ。