テンガイ師匠の宝剣を飲み込んだ真っ赤な鳥獣と六年ぶりに再会した僕は、燃えたぎるような怒りを覚えて剣気を練り込んだ。腰を落とし、刀に右手を添える。
「神速の太刀! 疾風!」
すぐに刀を抜いて奴に向かって突っ込んだ。熱くなった頭と違い、居合いの剣技は冷静に奴の首を捉えるはずだった。
しかし、奴は僕の技に反応して飛び上がる。
「ああ! ヤーク!」
奴の鉤爪には、子どもが捕らえられたままだった。上空に逃げられ手が出せなくなる。
「ヤーくん! ヤーくん!」
「ハル! ヤーくんを助けてよ!」
「任せろ!」
子供達の懇願に即答し、建物の壁を蹴って奴に斬りかかった。でも、さらに上空に逃げた奴は、子供を攫ったまま離れていく。
「待て! 逃げるな!」
逃がす気なんかない。僕は、地上におりてすぐに走り出し、上空を飛ぶ奴の後姿を追う。
赤い鳥獣は、空島の端まで飛んでいき、港あたりでクルリとこちらに向き直った。そして、また目を細めて僕の方を見てきた。笑っているようで気味が悪く、そして怒りが湧いてきた。
まさか、またアレをやる気なのか。
奴の真下は雲海。空の世界だ。人が落ちれば助からない。
僕と鳥獣が睨み合っていたら、他の鳥獣を仕留めたカホとゴコロも合流する。
「おい! あいつって!」
「ああ! そうだ! 僕の! 師匠の仇だ!」
「ねぇ! 人が攫われてるじゃない! どうするの!」
「僕が絶対に助ける!!」
僕たちが必死に大声を出している様子がおかしいのか、真っ赤な鳥獣は、再び目を細める。
人の言葉がわかるっていうのか? だとしたら、なにが面白いっていうんだ。ふざけるなよ。
そして奴は、僕たちの方を真っ直ぐに見たまま、右足の鉤爪をゆっくりと開いた。
僕が、あのときの師匠たちと同じことをするって、知っているかのように。
「ああぁぁぁぁ!! ママー!!」
鳥獣から解き放たれた子供が空に吸い込まれていく。人は飛べない。このままだとあの子はもう助からない。
「カホ! ゴコロ! 二人はここにいて!」
「ハル!? 何する気!?」
「おい!! まさかおまえ!」
手を伸ばしてきた二人の腕を振り切り、僕は左手のガントレットを握りしめてから、手すりを飛び越えた。
目の前には何もない。灰色に染まった空と雲だけが広がる世界。その中心にポツンと落下していく子供が映っている。
師匠は、あのとき、僕のことをこうやって見たいたのか。
「ハルー!」
カホの声が背中から聞こえ、どんどん小さくなっていく。濃い雲がそこら中にある曇天の中を真っ直ぐ突き進んだ。身体中に物凄い風を感じながら、暗い空の中に浮かぶ子どもに近づいていく。ヤークと呼ばれた子どもだ。ついに、その子の元までたどり着くことができた。手を伸ばし、抱きかかえる。ヤークは気絶していた。右手でしっかりと抱きしめる。
「もう大丈夫だ」
周りを見る。赤い鳥獣は、あのときみたいに少し離れた位置で僕たちのことを眺めていた。一緒に急降下しながら、また面白そうに目を細めている。
「……おまえなんかに負けない……」
ぼそりと呟く。
「人間を舐めるな! 空はおまえらだけの場所じゃない!」
これまでずっと研究してきたことだ。失敗するはずがない。
僕は、強い信念を持って、自分自身とこれまでの六年を信じて左手を前に構えた。装着したガントレットを雲に向け、照準を合わせて内蔵したボタンを押する。すると、ガントレットの中からワイヤーが飛び出し、雲に突き刺さった。そこで、別のギミックを作動させる。
「展開!」
薬品を染み込ませたクラウドスパイダーの糸が、ワイヤーの先端から噴射し、雲の中に展開する。すると、ワイヤーがビン、と固定された。すぐにもう一度ボタンを握り込む。それと同時に、身体が思いっきり引っ張られた。
本来、雲に人間の体重なんて支えられない強度はない。そのはずなのに、たしかに、ピンとワイヤーが張っていた。これまで研究してきた薬剤とモンスターの素材を合わせた装備のおかげだ。
僕は、ワイヤーに引っ張られ、曲線を描くように滑空し、上空に向かって身体を放り投げる。
「リリース!」
ボタンを押し、雲との接続を切って、ワイヤーをガントレットに収納する。あとはその繰り返しだ。僕は数回のワイヤー操作を駆使することで、空島まで戻ってきた。
空中から舞い戻り、港の地面に着地した僕と子供を見て、カホや大人たちが目を丸くしていた。そこにはたくさんの人がいて、ヤークの母親も駆け寄ってくる。
「この子を!」
「ああ! ヤーク! ヤーク! ありがとうございます!」
「ハル! 無茶しないで!」
「ボウズ……おまえ、飛んで……」
「ごめん! 僕はまだやることがあるから!」
みんなに囲まれたが、相手をすることなく、再度ワイヤーを雲に向かって突き刺した。もう一度ボタンを押し、身体を引き寄せる。再び、曇天の空の中へと飛び込んだ。
僕がやり残した事。あの赤い鳥獣の事だ。
僕は今、全身に感じている怒りを抑え、剣気を練り込むことに集中している。何度もワイヤーを射出した先に、真っ赤な鳥獣を捉え、急接近していく。奴は、僕が飛べるのを見た途端、背中を向けて逃げようとしていたのだ。
「おまえだけは! 僕が倒す!」
追って来た僕の声を聞いて、鳥獣が振り返る。ガキン! クチバシに刀をぶつけ、睨みつけた。
「卑怯者! おまえなんかに! 師匠が負けるはずがなかったんだ! 神速の太刀! つむじ風!」
飛んできた勢いのまま、身体を回転させ、クチバシを避けて奴の腹に向かって一文字に斬り裂いてやる。ガキン! 肉を斬ったはずなのに、なにか硬いものにぶち当たるが、お構いなしに刀を振りぬいた。
「キィェェェ!!」
肉が斬れ、腹から血が流れる。奴は奇声を上げていたが、それよりも、腹の中からこぼれ落ちた物に意識が吸い取られた。
それは、すごく見覚えがあるもので、師匠が誇らしげに僕に自慢してくれたものだった。
「……え?」
それは、刀だった。鳥獣は、鉄や鉱石を好む。だから、刀を食べることもある。剣聖たちの宝剣はおそらく全てがあいつらに食べられた。
でも、玉鋼で鍛えられた宝剣は、鳥獣なんかの消化器官では溶かしきることなんて出来なかったんだ。
師匠の宝剣がそこにあった。
「師匠!!」
そこにいる筈もない人の名を叫んで、空に身を投げる。身体を真っ直ぐにして必死に急降下して、右手を伸ばした。
「師匠!」
あの人の刀が、僕の手の中に収まる。
刀は刀、人じゃない。でも、僕の手の中には、たしかに、あの人の温もりがあるように感じた。
両手で抱きしめて身体を丸める。僕を守ってくれた人の剣が戻ってきて嬉しくって、でも、悔しくって泣きそうになった。
だけど、今そんなことをしている場合じゃないって、僕にだって分かる。ぐっと涙を堪えて、上空を見上げた。
ワイヤーを射出し、奴の近くまで高度を戻す。奴は、腹から出血しながらも、まだ健在であった。僕のことを恨めしそうに睨みつけ、襲う機会を伺っているように見える。
「……決着をつけよう」
ワイヤーで奴の周りと飛び回りながらつぶやく。腰のポーチに手を突っ込み、三本の試験管を指の間に挟み込んだ。
何年もずっと研究してきて、何百回と失敗して、ここまで辿り着いた自慢の薬だ。ついこの前、完成したばかりの僕の研究の結晶だ。その薬を雲に向かって放り投げる。三本の試験管が雲の中に吸い込まれ、すぐに「ボフン!」と爆発した。
そこに向かって身体を投げる。雲の上に着地した。
僕は雲の上に立っていた。
真っ赤な鳥獣が、羽ばたきながら僕を睨み続けている。面白くないものでも見るように。やっと笑うのをやめたようだ。ここからが真剣勝負だ。
「……おまえなんかに、師匠の剣は負けてない。師匠は最強だ。怪我をしてなかったら……僕が足を引っ張らなかったら……師匠が積み上げてきたものは! ただ飛べるだけのやつになんかに! 負けやしない! それを今日! 証明する!」
目から涙が溢れていたが、無視して構える。奴との決着は師匠の宝剣でつけたくって、刀身だけになった刀の柄に布を巻き付け、居合いの構えを取った。
剣気を練り込みながら、呼吸を整える。宝剣の力を引き出すことなんて僕には出来ないかもしれない。だけど――
「今だけは、一度でいいから力を貸してくれ」
語り掛け、僕の涙が刀身に触れた時、宝剣が応えてくれるように、光り出した。緑色の優しい光を纏い、宝剣のまわりに風が集まってくる。
「ありがとう……」
そして僕は、その力を身体の中に取り込んだ。今まで感じたことのないほどの力が流れ込んでくる。
腰を低く落とし、宝剣を左の腰に添えた。必殺の一撃、居合いの真髄だ。
「……神速の太刀……瞬風!!」
雲を蹴って奴の喉元に迫る。奴と目があった。おまえなんか怖くない。師匠の剣を見ろ! その一心で、刀を滑らせた。
宝剣から嵐のように風が吹き荒れ、迎撃してきた鳥獣の鈎爪を粉々に破壊する。風の刃は勢いを止めることなく、奴の首に到達し、刃が入った。
ついに、師匠の仇を取ることができた。巨大鳥獣の首と胴体が二分されたのだ。
終わった……いや……
「ありがとうございます……師匠……力を貸してくれて……」
宝剣を見つめてお礼を言う。
倒した相手の残骸が空の藻屑になるのを確認してから、ワイヤーを射出して空島に戻ることにした。さっきまでの事が幻だったんじゃないかと疑ってしまい、何度も右を見る。だけどそこには、師匠の刀が握られている。
つまり、師匠が居なくなってしまったことも事実で、悪夢でも幻でもなく、本当のことなんだ。宝剣の感触は、その事実を嫌でも突きつけてきた。
「ぐっ……師匠……」
師匠の宝剣は、鞘もなく、柄さえない状態だった。刀身以外は消化されたのか、剥き出しの状態の宝剣を手にしたまま、仲間たちがいるトレッタニアの港まで戻ってくる。
港に着地した僕の元に、カホとゴコロ、それに仕事でお世話になっている人たちや助けた子供たちが駆け寄ってきた。
「ハル! やったね!」
「おまえすげーな! ホントに飛んでんじゃねーか!」
「……」
みんなは凄く嬉しそうで、はしゃいでいたり、お礼を言ったりしてくれたが、僕は答えることができず、下を向く。
そんな僕の様子に違和感を覚えたのか、徐々に周囲が静かになり、カホとゴコロが僕の右手に握られた宝剣の存在に気が付いた。
「それって……」
「テンガイのかよ……」
「うん……」
短く答えて、鳥獣の血で汚れた師匠の宝剣を自分の着物でゴシゴシと拭いた。無言で出来るだけの手入れをしていく。刀身だけなので、すぐに綺麗な姿に戻すことができた。
手入れが終わった後、ふと、宝剣に刻むという文字のことを思い出す。
剣聖が持つ宝剣には、剣聖本人が一番大切にしているモノを文字として刻むという伝統がある。それは、刀身の柄に当たる部分に刻まれるらしい。
師匠はどんな文字を刻んだのだろうか。
僕は、両手で宝剣を持って、そっと右手を開いた。
「……あぁ……あぁ……」
僕はその文字を見て、息が止まりそうになった。
師匠のことだ。〈努力〉とか〈勇気〉とか〈信念〉とか、カッコいい言葉を彫っているのだ思っていた。
でも――
刻まれていた文字は――
【弟子】だった。
「……あぁぁぁ! 師匠! 師匠! 僕なんか! 僕なんかが! あぁぁー!!」
嬉しくって、悲しくって、誇らしかった。
一番大切にされていた。
でも、そんな人を殺してしまった。
何年も師匠が積み上げてきたものを失わせてしまった。
でも、やっぱり、すごく、誇らしかった。
「師匠ー!!」
僕はとまらない涙を抑えるなんてせず、へたり込んで、ずっと、その文字のことを見つめ続けた。