翌朝、俺と魔王リディアは村を発つことになった。見送りに来てくれたドロシーは、睡眠によって魔力と体力を回復させたようで、昨夜よりも顔色が良くなっていた。
「そうだ。良かったらこれを」
ふと思いついた俺は、ドロシーに星空を閉じ込めたようなガラス玉を手渡した。
「わあ、すごく綺麗なガラス玉ですね」
「これは合図玉と言います」
「合図玉?」
「困ったときに割ると、ヒーローが助けに来てくれるすごいアイテムです」
俺の言葉を聞いたドロシーは、目をぱちくりとさせた後、くすくすと笑い始めた。
「ヒーローだなんて、ふふっ」
そして合図玉を太陽に透かして覗き込んだ後、悪戯っぽい表情で俺のことを見た。
「私はもう子どもじゃないんですよ?」
「それなら、勇気の出るお守りだとでも思ってください。これを持っているとヒーローが見守っていてくれる、みたいな?」
「ヒーローには見守っていないで助けに来てほしいです」
「あはは、本当ですね」
「でも、素敵な品をありがとうございます。お二人とも、お元気で」
* * *
ドロシーの住む村から出発した俺たちは、しばらく無言で歩き続けていた。あの村での出来事は、考えることの多いものだったからだ。
「これで、よかったんですかね」
ついに我慢のできなくなった俺は、魔王リディアに質問をした。
「その……冒涜的な行為は止めた方が良いと思うのですが、彼女のあれが冒涜的なのかどうか、俺にはよく分からなくて……」
「あれが冒涜かどうかは、他人が決めることではなかろう」
「一般的には……いえ、一般的ではないから冒涜と決めつけるのは良くないですよね」
ドロシーには悪意が一切無いように見えた。悪意が無ければ良いのかと聞かれると返答に困るが、少なくとも悪い感情を持ってあのようなことをしているわけではなさそうだった。
「どちらにしても、ただの旅人である妾たちが、わざわざ他人の世界を踏み荒らすことはあるまい」
「そうですね。俺にはドロシーさんの世界を変えることは出来ません。彼女の世界を変えることが、正しいことなのかも分かりません」
ドロシーは今、少なくとも彼女の中では、幸せな世界で暮らしている。
それが世間一般で言う幸せな世界とはかけ離れていたとしても、今この瞬間の彼女の世界は、平穏な幸せに包まれている。
ただドロシー自身が、その幸せな世界が欺瞞だということに、気付いている可能性が高い。
もし、彼女に今とは別の世界を提示してあげられたとしたら……。そして彼女自身の選択で、新しい世界を選んでもらえたとしたら……。そのとき彼女の手を引いて、彼女をあの世界から引っ張り出すことが出来たとしたら……。
その行動は、明るい未来へと繋がるのではないだろうか。
「でも俺には、そんなすごいことは出来ませんでした」
「ドロシーの世界を踏み荒らさずに、彼女をそこから引っ張り出す……難しいじゃろうな。少なくとも、彼女自身が現実を受け入れることを拒否している状態ではのう」
俺は自分の力量を把握しているつもりだ。そこから導き出される答えは……俺ではドロシーを救えない。
「だから、まっすぐな正義のヒーローに任せることにしました」
「ここで『自分が彼女のヒーローになる』と言えないところが、ショーンのモテない理由よな」
「それに関しては否定できませんね」
俺の力でドロシーを救えたなら、一番良かった。しかし俺では力不足だ。彼女を救う方法がまるで思いつかない。
だから、俺に出来ないことを成し遂げてくれそうなヒーローに任せる。
自分の力ではどうすることも出来ないと分かったとき、誰かの力を借りようとするのは、決して悪い選択ではないはずだ。
「カッコ悪いですけどね」
「まあしかし、ショーンはそれでよいと思うぞ。それこそがお主という存在であるからな」
「カッコ悪いことが、俺の個性ってことですか?」
俺のこの質問に、魔王リディアは何も答えなかった。
うわあ、魔王リディアは、カッコ悪いことが俺の個性だと思ってるんだ……。
「しかしショーンよ。ヴァネッサを正義のヒーローとして向かわせるのは、悪手じゃと思うぞ」
「どうしてですか?」
ドロシーの元にヴァネッサを向かわせるという案に、魔王リディアは賛成ではないようだった。難しい顔で唸っている。
「ドロシーの問題は、正義のヒーローとは相性が悪いからじゃ。ドロシーは、世間一般で言う正義とは反する世界で生きておるじゃろう? ヴァネッサのまっすぐなところは長所じゃが、短所でもある。ヴァネッサは、それこそドロシーの世界を踏み荒らしてしまうのではないか?」
「正義とは、その内容はもちろんですが、タイミングも正義を正義にするのだと、俺は思っています」
「タイミングとな」
この世界に、絶対の正義はない。タイミングが正義を作ると言っても過言ではないだろう。
よく出される例だが、相手が憎み合っている国の兵士であろうと人を殺すことは悪だ。しかし相手の国と戦争中であれば、相手国の兵士を殺すことは正義とされる。
……正直、この例は俺にはよく分からない価値観だが、正義をよく表していると思う。
正義とは『タイミング一つで姿を変える、よく分からないもの』だ。
「確かに今の状態でドロシーさんにヴァネッサさんをぶつけるのは悪手だと俺も思います。しかしヴァネッサさんが呼ばれるのはドロシーさんが合図玉を割ったとき、つまりヒーローを必要とするときです」
「ドロシーの世界が保たれている間は、ドロシーは合図玉を割らない。そういうことじゃな?」
「はい。ドロシーさんが合図玉を割るのは、彼女の世界が壊れたときです。その時点でなら、ヴァネッサさんの正義は正義になり得るのではないでしょうか」
俺の言葉を聞いた魔王リディアは、口の端を上げてニヤリと笑った。
「……ショーンよ。お主、ラッキーメイカーを使ったな?」
「さあどうでしょう」
「フッ。ラッキーメイカーを消したいと言いながら、能力を使いまくりではないか」
ラッキーメイカーを消したい気持ちは本当だ。しかし事実として今の俺はスキルを所持している。スキルを所持しているのに使わずに最悪の結末を迎えてしまったら、きっと俺は後悔をする。そうならないために使うだけで、別にスキルを使ってチートを披露したいわけではない。
「合図玉をヴァネッサさんに渡そうと言い出したのは、リディアさんですよ?」
「あの場でたくさんあるアイテムの中から、合図玉を取り出してヴァネッサの興味を引いたのはショーンであろう?」
どうやら魔王リディアは、俺がラッキーメイカーを使ったと確信しているようだ。
「それはさておき、ショーンよ。ヴァネッサと一つずつ持つことにしたものを、勝手に他の女にあげるのは良くないと思うぞ。妾はお主をそんな軽薄な男に育てた覚えはない」
「そもそもリディアさんに育てられた覚えがないです」
「ああ可哀想に。ヴァネッサもドロシーも、悪い男に引っかかってしまったのう」
「俺は悪い男じゃないですよ」
確かにヴァネッサと二人で分けたものを、勝手にドロシーに渡したのは、良くなかったかもしれないが。
「でもあの二人なら上手くやれると思うんです。タイプが違うからこそ補い合える気がします」
「戦闘力は低いが、基本的にまっすぐで太陽のような性格のヴァネッサ。戦闘力は高いが、精神的に脆く危ういところのあるドロシー。確かに悪い組み合わせではないのう」
あの状態のドロシーをヴァネッサが救ってくれたら、これ以上のことはない。それに戦闘力から考えて一人旅が危険だろうヴァネッサの旅に、ドロシーという強い仲間が加わったら、安全な旅になるはずだ。
「またどこかで二人と再会できると良いですね」
「……で、どっちが本命なんじゃ?」
「えっ!?」
俺がしみじみとしていると、魔王リディアが変なことを聞いてきた。
「元気でドジっ子なヴァネッサか? 薄幸で守ってあげたくなるドロシーか?」
「いえ、俺はそんなんじゃ」
「なるほど。乳のデカい方か」
「何がなるほどなんですか! そんな決め方はしませんよ!?」
「そうか。それはすまなかった」
俺に自身の言葉を否定された魔王リディアは、しかしまだニヤニヤと笑っている。
「ショーンは貧乳が好みじゃったのか」
「乳で女性は選びません!」