目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第3話 『デッドエンド』

「くそっ——なんだってこう、すんなりいかせてくれないんだよ……!」


 悪態をつく。頭の中では、もっと早く教えてくれよ、しつこすぎるだろいつまで追ってくるんだよ、などと隣のパンデクテスや盗賊の連中への物言いがぐるぐる回っている。

 でも本当に悪いのは俺だということもわかっている。あいつらが執念深いことは予想していたことだ。要らぬ皮算用で気を抜いていた俺がバカだった。

 ここは迷宮、命を落とす要因になど事欠かない、最低最悪の働き口だってのに!


「なんだ、女連れだったのか? ハンターってのも気楽なもんだなぁ」

「……逃げるぞ!」

「わー」


 目が合うと、青髪は歯を見せて笑う。それは決して友好的な笑みではなく、相手を怯えさせる獣の威嚇そのものだ。

 俺は取り合わず、パンデクテスの手を強引に引き、逆側の出口から部屋を出る。

 そうして廊下に躍り出た俺は、焦燥に駆られたまままっすぐに走る。


「なんですかイデア、突然引っ張らないでくだサイ。ちょい痛いデス」

「なんでもなにもあるか、逃げるんだよ! それともお前にはあいつらが仲良くティーパーティーでもしようって連中に見えたか!?」

「うぅーん、どちらかと言えば血祭りちーまつりーって感じデスかね」

「ああくそ……最悪だ!」

「え? そんなに酷かったデスか? 今のギャグ。確かにちょっと強引でしたけど、えっ、最悪? そこまで言われるほどデス?」

「そうじゃない、お前のギャグなんか聞いてない! それより前見ろ前っ」


 こんな余裕のない状況で面白いことを言おうとしないでほしい。俺が前方を促すと、パンデクテスは納得したように「ああ」と短く息を漏らす。


「行き止まり、デスね。飛び降りられる場所もなさそうです」


 廊下は途中でぷつんと途切れ、奈落への崖際と化していた。

 迷宮の中はまさしく迷路。よくあることだ。だが、ここでその外れを引いてしまったのはまさしく最悪、幸運の揺り戻しということか。

 俺たちは廊下のふちで足を止める。それ以上踏み出せば迷宮の深部へ真っ逆さまなのだからそうするしかない。

 そして振り返れば、そこには当然、獲物を追い詰めて歓喜のひと時を迎えようとしている賊の三人。

 まさしく行き止まり、デッドエンド。逃げ場がない以上、俺の手にあるフォグメイカーの霧を出す能力もなんら役には立たないだろう。パンデクテスも頼れない。かといって、俺ひとりであの三人を倒すことも不可能。


「どうする。どうすれば、生きて帰れる……」


 詰んだ盤面の上でみっともなく思考する。そんな俺を、パンデクテスはなにも言わず黄金色の瞳でじっと見つめている。

 パンデクテスも遺物ギフトである以上なにがしかの能力はあるはずだが、俺に適性はなかった。遺物ギフトへの適性が後天的に変化することはあるそうだが、この一瞬でわけもなくそんな奇跡が起きるはずもない。

 だから、独力で切り抜けなければ。

 いかに絶望的な状況でも諦めるわけにはいかない。家でリディアが待っている。

 そうだ。俺には家族がいるのだから、今度こそは——


「……そうだ。役に立たない遺物ギフトなら、いっそ」


 いちかばちか、策とも言えぬ方途が浮かぶ。どうせ死の瀬戸際なのだ。やけっぱちだろうがなんだろうがやってやろう。

 しかしそれも、パンデクテスが推定伝説級レジェンダリー遺物ギフトだとバレちまえば終わりだ。とはいえ生体遺物ギフトなどという常識外れの存在、ふつうなら想像すらできないはず。


「パンデクテス。俺の後ろでうつむいて顔を隠せ。あと、浮くの禁止」

「むっ、なんデスか急に色々と……」

「急げ。距離があるから大丈夫だと思うが、念のためだ」


 パンデクテスの整った顔を見れば、遺物ギフトだと気付けなくとも相当の値が付くと思うだろう。遺物ギフトの横取りに人を狩るような連中だ、人を売ることにもためらいを覚えはすまい。

 パンデクテスは言われた通り、俺の背に隠れて下を向く。

 ……よし。はたから見れば怯えているだけの小娘だ。


「いいぞ。そのまま宙に浮くのもやめてくれ」

「わかりまシタ。地に足つけて生きます」

「……なんだか、妙に胸に刺さる言い方をするなぁ」


 遺物ギフトハンターという不安定な仕事の、不安定な部分が今まさに絶賛発動中なのだった。俺だってやりたくてやってるわけじゃないっての。

 ただ、商会に取り入るにはこの手しか——いや違う、俺はなにを考えている?

 今は目の前のことに集中しなくては。生死の瀬戸際だ。


「鬼ごっこはここまでだな、クソガキ。ま、運が悪かったと諦めるこった」

「コルセスの兄貴、あいつ後ろに女なんて庇ってますぜ? どうします?」

「あぁ、見た感じ小柄そうだ。あれなら大した荷物にもならねえし、遺物ギフトのついでに攫っちまうか。ツラはわからねえが、まあ穴さえ付いてりゃ買い手はつくだろ」


 コルセスと呼ばれた青髪の男が吐き捨てるように言う。どこまでも冷淡な、相手を『品物』としか見ていない声。

 同じ人間でありながら、良心を売り渡した迷宮の魔が一歩踏み出す。手には大振りな刃物。

 俺を殺してフォグメイカーを奪い、ついでにパンデクテスも奪うつもりだ。そうなれば結局、パンデクテスが遺物ギフトであることもバレてしまうだろう。


「——」


 ふと、背中越しに感じる体温が強くなる。後ろに庇うパンデクテスが、俺に額をあずけるように体を押し付けている。

 それはごくわずかにだけ現れた、こいつの怯えであると気付いた。

 ……ああ、生体遺物ギフトでも、あんなのにつかまるのは怖いのか。嫌なのか。

 そりゃそうか。下卑たことを抜かすさっきの言葉はパンデクテスにも聞こえていたはずだ。

 単純な気付き。だがどうということもなく、俺は予定通り手の中にある紫の籠、フォグメイカーを掲げるようにして見せる。

 本当に特別なことなどない。ただ、命を懸けてでもこの場を切り抜けなければならない理由がひとつ増えただけ。


「——欲しいのは、こいつだろ」

「あ?」

「能力もさっき見せたもんな。効果範囲の広さからして、きっと希少級レアの逸品だ。商会は相当の値札を付けてくれる」


 突然語り始めた俺を、コルセスは訝しげににらむ。

 俺は、脚が震えそうになるのを必死に耐え、精一杯の虚勢を張りながら言った。


「いいや、もしかすると至高級エピックにまで届くかもしれないぞ? さっきは俺も初めて使ったんで、能力に加減をしちまってた。こいつを売れば一生遊び放題だ」


 嘘である。さすがに至高級エピックほどの価値はあるまい。

 だが怪訝そうにしているコルセスも、その後ろの取り巻きも、俺の手にあるフォグメイカーの遺物ギフトに熱視線を注ぐ。


「なにが言いたい? セールストークのつもりなら意味ねえぞ。おれたちがやるのは取引じゃねえ、略奪だ」

「知ってるさ。だから、欲しいんだったらくれてやる」


 悪漢どもへの警戒は切らさぬまま、ちらと横に視線をやる。廊下の側方は迷宮の底につながる奈落。先ほどパンデクテスが言ったように、ここからでは飛び降りられそうな廊下もない。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?