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第4話 『偽りの絆』

「ほっ」


 そこへ、俺はフォグメイカーを放り投げた。


「なッ——」


 緩く放物線を描き、奈落へ落ちていく遺物ギフト。その軌道を、呆気に取られた様子でコルセスたちは目で追った。


「なにしてんだてめぇ!! 貴重な遺物ギフトを捨てやがるだと!?」

「別に捨てたわけでもないさ。強いて言えば、底に置いたんだよ」

「あぁ……っ!?」


 食ってかかる勢い。まあ、当然だろう。俺も追い詰められた状況でなければ、絶対にやりたくない一手だ。

 希少級レア遺物ギフトとくれば、一年中迷宮に潜ってもひとつかふたつ程度しか見つからない等級。それを自ら手放すなどありえない。


「知ってるとは思うが、遺物ギフトは不壊の性質を持つ。別にこの高さで落とされたって壊れたりなんかしない。迷宮の底まで下りれば、フォグメイカーはどこかに転がってるよ」

「……自分から遺物ギフトを手放せば命が助かるとでも思ったのか? だったら腹いせにお前をぶっ殺して、それからゆっくり迷宮の底の遺物ギフトを探してやるよ」

「そうか。それなら、仕方ないな」


 俺は呼吸を整え、腰に帯びたケースからナイフを引き抜く。かすかな迷宮の光さえ呑む漆黒の刀身。

 武器を手にした俺を見て、眼前の三者がかすかに色めく。


「ガキが、そんな小さな得物でおれたち三人を相手に勝つつもりか? 女の前だからって格好をつけるのも大概にしろ」

「勝てないだろうな。俺も多少腕に覚えはあるが、さすがに三人同時はキツい」

「わかってんなら——」

「でも、ひとり、できればふたりは必ず殺す。万が一いけそうなら三人目も殺す」


 俺の落ち着きようを見てそれがハッタリではないと悟ったのか、コルセスは言葉を呑み込む。

 事ここに至り、こちらも腹は括っている。

 大人三人を相手にしては、俺もおそらく生きられまい。だがここで死ぬわけにはいかない。

 家で待つリディアのために。それから追加で、妙な巡り合わせで出会ってしまった、少女の姿をした遺物ギフトのために。

 あとは——

 まだなにかひとつ、あった気がするのだが。


「ちッ、面倒なことを……」

「兄貴、ど、どうしますか?」

「狼狽えてんじゃねえよバカ。別にちょっと斬られたり刺されたりしたくらいで人間そう簡単に死にゃあしねえよ」


 ここで引いてくれる利口さに期待したかったが、駄目か?

 手の内でナイフをくるりと半回転させ、逆手にしてにぎり込む。戦闘に備えて肉体の隅々にまで意識を届かせ、神経を集中させる。

 死に臨む覚悟が伝わったのか、互いの空気が緊張を帯びた。


「……そいつは、遺物ギフトか」


 その時、コルセスの視線が俺の手元に留まる。そして若干の逡巡のあと、ちっ、と舌打ちをした。


「命拾いしたな、てめえ。ツラは覚えたぞ」

「あ、兄貴っ。いいんですかい?」

「うるせえ。行くぞ、底まで下りてさっきの遺物ギフトを回収する。文句あっか?」

「いっ、いや、文句なんてそんな。めっそうもございません」

「なら黙って歩けバカ。二重バカが」


 コルセスたちは踵を返し、俺たちを見逃して去っていく。俺は慎重にその背を見送り、通路の先へ消えていったのを確認してようやく一息ついた。


「別に、手品程度の能力しかないんだがな」


 暗闇よりもなお黒い、その刀身を少し眺める。コルセスにしてみればこれは特大のリスクに見えたことだろう。

 人間を『品物』として見ているからこそ、やつは感情ではなく合理を優先する。

 モタモタしていたら底に落ちたフォグメイカーは、たまたま通りかかった別のハンターが回収するかもしれない。あるいは狼の魔物ガルムが巣に持ち帰るかも。

 そこであえて危険を冒し、等級も能力も不明な遺物ギフトを持った俺と戦うなんてことはしない。底に下りれば、少なくとも希少級レア以上の遺物ギフトであるフォグメイカーが回収できるのだから。


「でも綱渡りだったな……! はあーっ、今回ばかりは死んだかと思ったぞ。人生ヤバかった瞬間ランキング五位には入るな。間違いなく」


 一位は五年前、故郷が壊滅した時で確定として。それから迷宮に入り浸りなもんだから、死にかけた経験など両手の指では収まらない。

 迷宮の罠をうっかり踏み抜いて壁に押しつぶされそうになったこと。帰り道を間違えて三日近く迷宮をさまよったこと。魔物の巣モンスターハウスに迷い込んで命からがら逃げ出したこと。あとは今回のように、遺物ギフトを狙って誰かに襲われたことも初めてではない。

 まったくパンデクテスの言う通り、地に足をつけて生きたいものだ。


「そうだ、パンデクテス。平気か? なんとかお前が生体遺物ギフトだってことは気付かれなかったみたいだが」


 後ろを振り向き、肩を縮こまらせる少女へと問いかける。

 パンデクテスは俺を見上げると、それでようやく危機が去ったのだと理解したように肩の力を抜いた。


「イデア——」


 そうして、目をわずかに細める。彼女がなにを思っているのか。これからなにを言うのか、俺はまるで予想ができなかった。

 だから、不覚にも。本当に不覚ながら、虚をつかれたのだ。


「——ありがとう、ございます。すごく怖かったデスが、おかげで助かりました」

「……お前」

「さっきの方たちじゃなく、ワタシを見つけてくれたのがイデアでよかった。ワタシのマスターがアナタで……よかった」


 表情に乏しかったパンデクテスが、不意に口元をほころばせる。それは表情の上ではわずかな変化ではあったが、安堵という感情を自然に、そして雄弁に表していた。

 笑ったのか、こいつ。

 その素朴な笑顔に目を奪われる。緊張が過ぎ去り、落ち着きつつあった心臓の鼓動がひと際強く脈打つ。

 ……ずるい。なんだよこいつ、人間じみた感情トコもあるんじゃないか。

 いや、最初からそうだったのか。顔に出づらいだけで、こいつには自分の意志がきちんとある。なにせ生体遺物ギフトだ。

 生きているのなら、動いているのなら、そこには意志があって然るべきだ。窮地に陥れば当たり前に怖がり、そこから助かれば当たり前に安堵する。

 その目をそらしたかった自明の理に、俺はどうしようもなく気が付いてしまった。


「あ。ですがあくまでイデアは暫定マスターなので。暫定デス、暫定。そこは勘違いしないように」

「へいへい、わかったよ。それでいい」

「物分かりがよくて大変結構デス。……でも、イデアのこと、少しは信頼してあげマス。改めてよろしくお願いします、イデア」

「ああ……こっちこそ。まあ、なんだ。仲良くやろうぜ、パンデクテス」


 はい、とパンデクテスは俺の隣に並ぶ。顔こそもう無表情に戻ってはいたが、近しいその距離感に彼女なりの好感が現れているようだった。

 俺の返事はうまくできていただろうか? 内心の不安が漏れ出てはいなかっただろうか?

 不安。そう、俺はパンデクテスの態度に不安を覚えた。なによりもその、無機質な彼女が垣間見せた笑顔に困惑した。

 ああ——本当に、なんてことだ。こいつの笑顔なんて見なければよかった。

 俺はこいつを商会に引き渡す。伝説級レジェンダリー遺物ギフトとして、金に換えるのだ。

 でもそれは。コルセスがやろうとしたことと一体なにが違うというのか。

 人を売るのと、なんら変わらないんじゃないのか?

 パンデクテスと並んで迷宮の出口へ向かう。その間ずっと、俺の臓腑はねじ切れそうだった。

 金が要る。金が要るのだ。俺がひとりで生きていくのならいい、でも、俺は妹を助けなければならない。絶対に、なにを差し置いてでも。

 だから俺はこの胸を蝕む罪悪感とともに、最後はパンデクテスを裏切るだろう。

 それまで怪しまれぬよう、警戒されぬよう、築くしかない。いずれ自らの手で壊すことが決まっている、偽りの関係を。

 地獄にいるような心持ちだったが、事実、ここは地の底。迷宮を出ても、そこにあるのは不平等と不公平だけが敷き詰められた箱庭だけ。

 この世はまさに地獄そのものだ。そのことだけは、ずっと前から知っていた。

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