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第5話 『破れない記憶』

 *


 コルセスたちがどこかで待ち伏せてやいないかとおっかなびっくり迷宮を出た俺たちだが、結論から言えばその警戒は杞憂だった。

 俺たちは何事もなく迷宮の入口にある階段を上り、外の土を踏む。

 迷宮の外に出てもはるか頭上には天井がある。それは天蓋てんがいと呼ばれる、俺たちを地底へ押し込めるセカイの蓋だ。

 光の差さぬこの薄暗い地の底こそが、人間の生きる場所である。ずっと昔はそうではなかったのだと俺は母より伝え聞いているが、今やそんなことは知りもしない人間も多いだろう。


「この迷宮はデーグラムってコロニーの近郊にある。そこに戻ったら、家に帰るぞ」

「コロニー。人間たちの集落のこと、でしょうか」

「おおむねそうだ。デーグラムはコロニーの規模としては大きい部類で、町と呼んでも差し支えない。だがもっと小さな、村や、パンデクテスの言った集落単位のコロニーも存在する」


 予想はしていたが、遺物ギフトであるパンデクテスに一般常識はないらしい。俺がコロニーのことを教えてやると、パンデクテスは「なるほどデス」と関心を寄せるようにうなずいていた。


「……しかし、街中を歩くにはお前は少し目立ちすぎるな」

「だめデスか? 目立つのは」

「人間社会ってのは基本、目立たない方がいいモンだ。とりわけ治安の悪い場所じゃあな」

「ふむ。確かに、さっきも襲われたばかりデスね。イデアの忠言には理があると判断します。であれば……」


 デーグラムのコロニーへと続く、踏み固められた土の道。地底に植物は乏しく、この辺りはたまに小さい雑草が目に入る程度の不毛の地だ。

 そこをパンデクテスとふたり歩きながら話していると、突如、隣にいるはずの姿が消失する。


『……しばらくこの姿を使います。よろしいデスね?』

「うわっ、びっくりした。本に戻れたのかよ、お前」


 地面の上には、ぱたぱたとページを広げる黒い本。あの小部屋の台座に置かれていた、黄金の装丁が施された分厚い書冊。


『なにをしているのデスか。早く拾ってください、イデア』

「本が独りでに動いてる……」


 パンデクテス、衝撃の本形態だった。

 この状態では浮かぶこともできないのか、土にまみれながら地面で表紙と裏表紙を開いたり閉じたりしてうごめく。

 なんか、生き物がのたうち回ってるみたいだ。


「気味わる……」

『え!? 今かなりひどいこと言いませんでしたか!?』


 しかも喋るし。本全体から音が発せられているような、妙な感じだ。

 でもまあ確かに、あの姿のまま連れ回すよりは、本を持ち歩いてる方がずっと自然か。

 それにこれなら、こいつを単なる本の遺物ギフトだと思いやすくなる。どうせ最後は売り飛ばして別れるのだ。あまり情を移すようなことは避けたかった。


「よし、わかった。じゃあ俺が運ぶから、パンデクテスはそのままでいてくれ」

『はい。丁重に運んでくださいね、くれぐれも』


 俺はパンデクテス(本形態)を拾い上げ、表面についた土を払ってやる。

 それからなんとなく、中を開いてみた。


「……知らない言葉だな」


 パンデクテスは自分のことを、すべての遺物ギフトの情報が集積されていると言っていた。パンデクテス自身がその具体的な内容を引き出すことができずとも、俺がこうして本の状態で中を見ればもしや……と考えたのだが。

 どのページを見てもカクカクとした、それでいて丸っこいような、奇妙な文字ばかりが連なっている。とてもこの世の文字体系とは思えない。

 やはり駄目か。まあいい。

 俺は指でページの端っこをつかみ、引っ張ってみた。


『——いだだだだだだだっ!? イ、イデア!? なにをしてくれちゃってマスか!?』

「あ、すまん。いや、やっぱり千切れないんだな、ページ」

『当たり前でしょう遺物ギフトなんデスから! ヒトの姿になろうが本になろうが、欠損することなどありません!!』

「生体遺物ギフトなんて初めてだからちょっと試したくなっちゃって。想像通り、遺物ギフトが持つ不壊の性質はきっちりあるんだな。よかったよかった」

『よくないデスよ!? 痛いものは痛いんですから、粗雑な扱いはやめてください! 丁重にと言ったばかりではないデスかぁ!』

「悪かった、もうしない。だからその本のままパタパタするの不気味だからやめてくれ」

『不気味!? この遺物ギフトの中でも頂点に位置する、すべての遺物ギフトを束ねると言っても過言でもないこのワタシに向かって不気味とはなんてしつれ——あッちょっと待って閉じないでくださっ』


 まだなにか言っていたが、無理やり閉じて小脇に抱えた。そのまま歩いていると、『不遜デス』『蛮行』『ぶっちゃけありえない』などとものすごく文句を垂れているのが聞こえてきたが、面倒なのですべて無視した。

 ……警戒されぬよう関係を築くとか、そんなことをついさっき考えていた気がする。もう既に大失敗したような。

 だが、これでこそ道具だ。遺物ギフトとは本来そういうもののはず。

 そうだ。本来を考えれば、こうして扱うのが正しい。まともに取り合う必要などない。

 ページを引っ張ったことではっきりした。いくら姿かたちが人間でも、こいつはやはり遺物ギフト、ただの道具——

——ワタシのマスターがアナタで……よかった。

 声とともに、頭の中で、ほっとしたように表情をほころばせる少女の姿が浮かぶ。


「本当に、失敗したな」


 道具。道具。道具。

 何度自分に言い聞かせても、脳裏の光景がそれを否定する。それは生体遺物ギフトである彼女の頁と同じで、破り捨てることのできない鮮烈な記憶なのだった。


『——? なにか言いましたか、イデア?』

「なんでも。帰りが遅くなっちまった、って思っただけだ。きっと妹が寂しがってる」

『イモウト、ふむ。イデアの母体より、イデアのあとに生まれたメスのことデスね』

「間違ってないけど嫌な言い方だな……」


 帰りが遅くなった、というのはごまかすために口にした言葉ではあるものの、事実でもあった。

 天蓋の下、太陽とかいう灼熱の球体も、月とかいう輝ける宝珠も窺えぬ時世ではあるが、生活のサイクルを作るための便宜上の昼夜が存在する。

 そして今は夜だ。夕方には戻るはずだったが、トラブル続きで遅れてしまった。

 この時間ではセレイナさんも今日の職務を終えているだろう。パンデクテスを商会に引き渡すのは明日に持ち越しだ。

 そしてそうなると、俺はこいつを家に持って帰らねばならない。歩きつつ、俺は慎重かつ大胆に問いを投げかけた。


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