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第8話 『すれ違う心』

『早く外へ運んでくだサイ。一晩過ごしてわかりました、本の姿はなんだか窮屈デス。やはり自分で土を踏んで、風を感じられるヒトの姿の方が精神的によい気がします』

「浮いてたじゃんお前。土踏んでないじゃん」


 そんな人らしいことを言わないでくれ。生きていることを意識させないでくれ。

 口ではなんでもない風を装いつつも心に秘めたそんな思いとは裏腹に、家を出たとたん、パンデクテスは人間の姿に戻った。当然だ、本の姿でいる約束はあくまで家の中だけの話なのだから。


「でもなあ。昨日も言ったがお前の姿は目立ちすぎる。この辺は人気ひとけがないからいいけど、街中を通れば人目につくぞ」

「……だめでしょうか? イデアがどうしてもと言うのなら、本に戻りマスが」

「う」


 ヒトの見た目に戻ったパンデクテスが、窺うように俺を見つめる。

 櫛で梳くまでもなく流麗な白い髪。地底の薄闇を払うような黄金の輝きを湛えた双眸。

 卑怯だ。さっきまでただの本だったくせに。こんな目で頼まれたら誰だって首を縦に振る。


「わ……わかった。少し迂回して、街の周りを通って迷宮に行こう」

「おおっ。さすがはイデア、話がわかりマス。ワタシの能力スキルを引き出す適性がないのは残念ですが、暫定ではなく本当のマスターにしてあげたくなってきました」

「そりゃどーも」


 呆気なく流されてしまった自分に若干の嫌悪を抱きつつ、先を歩く。パンデクテスの何気ない願いを承諾してしまったのは、もしかすると罪悪感からだったのかもしれない。

 俺は今日、パンデクテスを売る。

 その罪滅ぼしとばかりに今、俺はささやかな願い事を聞いてあげたのではないか。

 ……なんて浅ましい。本当のマスターになどなれるはずがない。


「むむっ、なんデスかその薄い反応は! なりたくはないのデスか、このワタシの真なるマスターに!」

「別にいいよ、なれなくても。俺は……俺はただ、いい兄貴でいたいだけだ」


 追ってきたパンデクテスに対し、つい本音で答えてしまう。

 そうだ。俺がいるべき場所はこの人形のそばではなく、かけがえない妹の隣。そのはずだ。


「ふむ……やはり不思議な関係デスね。リディアを庇護することで、イデアに格別メリットがあるとは思えませんが」

「メリット? バカかお前は。兄と妹ってのはそんな損得勘定じゃないんだよ」

「損得ではない。では一体なぜ、イデアはリディアを養っているのデスか?」

「決まっている。俺が兄貴だからだ。お兄ちゃんってのは、妹を守るものなんだよ」


 疑問を挟む余地などない。俺は兄で、リディアは妹なのだから、俺はリディアを守る。

 そうしなければならない。


「……?? 理由になっていません。バカはアナタでは?」

「うるさいなっ。わからねえよ、遺物ギフトのお前には……!」

「ああっ。怒りまシタか? イデア、待ってください。ワタシはあまり早く走れまセン」

「そりゃ走ってないからなお前!」


 後ろをふよふよ浮きながら付きまとう。人目につくと大変なのでやめてほしい。……いや、浮いてるんだか浮いてないんだかよくわからない高度なので、遠目に見るぶんなら大丈夫か。

 ともあれ早朝、俺たちはそろってデーグラムの迷宮へと足を運ぶ。

 理由は昨夜、パンデクテスが俺の遺物ギフト捜索についてきたがったからだ。なんでも道具として役に立つところを見せたいらしい。

 俺としては今すぐにでも商会に引き渡したいところだが、しかしこれはこれで都合がよかった。

 というのも、デーグラムにおいてプロメテウス商会本部との窓口役を担当してくれているセレイナさんだが、受け付けの時間は昼から夕方までなのだ。

 まったくお役所仕事この上ない。が、あの人にも遺物ギフトの買い取り以外の仕事があるのだし、そもそも朝っぱらから遺物ギフトを持ち込む者もそうはいないので仕方がない。

 今から迷宮に行けば、帰る頃には昼過ぎか、遅くとも夕方だろう。ならばちょうどいい。帰りに適当な理由をつけてセレイナさんのところへ向かうだけだ。

 実際に今日の探索で遺物ギフトが見つからなくても構わない。見つかれば、それはそれでいい。売り飛ばす道具がひとつからふたつになるだけのこと。


「さ、迷宮に入るぞ。くれぐれも気を付けろよ、お前はこの仕事に関しちゃ素人なんだから」

「ふふん、心配は無用。ワタシは遺物ギフト、不壊の性質を持つ以上、どんな魔物や罠でも平気デス。それにハンターについては素人でも、遺物ギフトに関しては誰よりも詳しいプロです」

「……その詳しいっていう知識、自分で取り出せないくせに」


 おそらくだが、パンデクテスという遺物ギフトに適合する人物であれば、その能力を通し、遺物大全パンデクテスが持つ知識を引き出せるのではないだろうか。

 そんな考察をしてみたが、しかし適性のなかった俺には関係のない話だ。

 商会に売れば、きっと商会を通してどこかの金持ちの手に渡るだろう。今度は適合する使用者に巡り合えるといい——

 そんな勝手極まる願いを胸に、俺は迷宮の床を踏む。


「——」


 迷い、罪悪感、無駄な思考。

 すべてを肺の中の空気とともに吐き出し、棄てる。

 ここはもう迷宮。悪意と罠と魔物がひしめく死地だ。余計なことを考えて集中を乱せば命を落としかねない。

 苦節五年、せっかく伝説級レジェンダリー遺物ギフトを手に入れたというのに、こんなところで死んでたまるか。

 今日だけだ。今日だけ乗り切って、パンデクテスを金に換えてしまえば、二度とこんな危険な稼業に身を投じる必要もなくなる。

 幸福な未来が待っている。リディアといっしょに生きていく、俺にとって最上の未来が。


「行くぞ、パンデクテス」


 俺とお前の、最初で最後の迷宮探索だ。


 *


「ありまセンね、遺物ギフト……」

「……そうだな」


 迷宮をさまようこと、体感で三時間。

 あの賊どもとまた鉢合わせるなんてことを避けるため、昨日とは違う道を選んで進む。天井と壁に囲まれた、圧迫感のある、通路然とした廊下だ。


「どうしましょうイデア、ワタシ、もう完全にどこをどう進んでいるのかわからなくなりました。ここどこデスか?」

「このポンコツめ」

「ああっ、禁句を口にしましたねー……!」


 道なら俺が覚えている。なにも問題はない。

 あれだけ息巻いていたポンコツテス、もといパンデクテスがまったく役に立たないのは若干意外だったが。


「パンデクテス、なにかないのか。遺物ギフト発見レーダーみたいな。そういう隠し能力的なの」

「ワタシをなんだと思っているのデスか!? そんな能力は……ない……はずデス…………おそらく」

「なんでそこで自信なくしてんだよ」


 こいつまさか、自分の遺物ギフトとしての能力もわからないのか。

 呆れたやつだ。それじゃまるで。


「……本当に、人間みたいじゃないか」

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