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第9話 『魔族の少女』

 パンデクテスに聞こえないよう、小さくつぶやく。

 考えるな。こいつは遺物ギフト、人間じゃない。少なくとも今は……今日が終わるまでは余分なことに気を回すな。

 自分に言い聞かせて、迷路の中を進む。

 まさしく人生のようだと悟ったようなことを漏らしてしまいそうなほど入り組んだ回廊を抜け、前方を歩く単眼の巨人のような魔物を隠れてやり過ごし、遺物ギフトを探す。

 だが、そう簡単に迷宮の宝が見つかるようなら、俺たち兄妹はもう少しいい生活ができている。

 そもそも遺物ギフトなど、月にひとつ発見できればいい方。

 昨日はふたつ見つけて、さらに今日も見つけるなどというのは、さすがに期待しすぎだろう。隠し通路でも見つけられれば別だが、それもそう簡単には気付けない場所にあるものだ。


「うぅ、こんなはずでは……。ワタシの有用性を証明するはずが、未だ成果ゼロとは。穴があったら入りたいとはこのことデス」

「気を落とすなよ、この仕事はこんなモンだ。さあ、あんまり奥まで行って戻れなくなっても困る、そろそろ地上に引き返すぞ」

「え? デスが、帰り道はもうわからなくなってしまいました……」

「俺は覚えてる。なんだ、本当に迷ったと思ってたのか?」


 振り向いてみると、パンデクテスが小さな口をあんぐり開けていた。

 どういう反応だと怪訝に思ったが、表情に乏しいこいつが表す精一杯の驚きであるとすぐに気付いた辺り、俺もこいつに慣れてきているらしい。


「……イデアに助けられてしまいました。本当はワタシがイデアを助けないといけない立場デスのに」

「元々さして期待はしてないから心配するな。……で、突然地面を引っ掻き始めてどうした」

「穴を掘りたいデス。ワタシが埋まるための穴を……」

「やめんか」


 俺が売り飛ばせなくなるだろうが。


「元よりワタシの細腕では無理な話でした。すみまセン。ですが、次こそは必ずやイデアのお役に……!」

「……ああ。じゃあ、入口に戻るぞ」


 次など来ない。そう知っているから、生返事を返すことしかできない。

 悔しさに小さな両手をぎゅっとにぎり、ありもしない次の機会に向けて奮起する姿を見て、心がきゅうと縮むような痛みを感じる。

 それに、気付かないふりをして踵を返そうとした瞬間。


「————きゃあああああああああっ!?」


 通路の先から、誰かの悲鳴らしきものが響いた。

 罠、という言葉が真っ先に頭をよぎる。ハンターとして当然の警戒だ。

 ……だが、こんな迷宮の奥地で待ち構えるのも不自然ではないか。人が来るのを待つのに適した場所ではない。


「パンデクテス、予定変更だ。声の主を確かめる」

「わかりました」


 逡巡の末、声の元へと向かう。俺は取り立てて善人ではないが、助けを求める誰かを見殺しにするのも目覚めが悪い。

 床を蹴って駆け、角を曲がる。

 行き止まりになった壁のそばに、人影があった。そしてそのそばにはこの迷宮でもっともありふれた狼の魔物、ガルム。

 魔物に襲われている! 助けに入る判断を刹那で下し、俺は足を止めることなく接近する。

 その途中、襲われている人影と目が合った。

 それは俺と同年代くらいの少女だった。薄暗い迷宮の中では単なる黒髪とも見まごう紫色の髪。リディアに比べれば小柄だろうか、狂暴な魔物を前にくりくりとした瞳を涙ぐませている。

 だが髪や体格や表情など、その背に存在する異質なソレに比べれば特徴とは呼べまい。


「——魔族?」


 無意識につぶやく。少女の背からは、真っ黒い翼が生えていたのだ。

 魔族——人型でありながら決してヒトではない種族。彼らは魔物と同じ魔法器官を備えている。

 翼、角、もしくは尻尾。眼前にいる狼の魔物ガルムは額に角を有しており、紫髪の少女は翼を持つ。それらは本質的には同じ、魔法を使用するための器官。

 ゆえに、魔族はその脅威と魔法器官による容姿の違いにより、多くのコロニーで迫害されている。彼らは知性持つ魔物として、一般に忌み嫌われる存在なのだ。


「だから、どうした!」


 俺は足を緩めず、腰に帯びたナイフを引き抜く。

 魔族だろうが関係ない。人前に姿を現さない彼らだけに、この目で見たのは初めてで驚いたが、助けを必要としていることに変わりはないはずだ。

 魔族の少女に注意を向けたガルムのくびを目掛け、黒い刀身を振り下ろす。硬い肉をぶちぶちと断つ感覚。


「ガァ————ァァァッ!!」


 手ごたえはあった——が、まだ浅い。相手は魔物、尋常の動物とは違う。

 振り向く黒毛の狼。襲撃を受け、その殺意迸る眼光はそれ自体が刃物のように俺を突き刺す。

 だが、その程度で臆するようなら俺は今日までに百度は死んでいる。

 振るわれる前脚の鋭い爪先をかわし、横にナイフを振り抜く。黒い刃先は魔物の眼球を斬り裂いた。


「ァァアアアアッ————」


 うなり声を上げ、ガルムが怯む。

 チャンスだ。今度こそは確実に殺しきる。俺は裂帛の気合いを以て、その喉元にナイフを突き出す——


「ぐっ……!?」


——はずが、逆にガルムの方にのしかかられる。

 相手の体長は二メートル近くある。一気に覆いかぶされては跳ねのけるのは至難の業だ。

 迷宮の固い地面に押し付けられる。上体を足で押さえつけられ、自由を奪われる。

 まずい状況だが、対処を誤らなければどうとでもなるはず。この程度の窮地、俺は何度も切り抜けてきた。

 まだなんとかなる。冷静であるよう努め、俺は今にも喉笛を喰い破ってきそうな眼前の巨躯をにらみ、付け入る隙を探そうとする。


「イデアっ!!」


 そこへ。上下が逆さまになった視界の端で、駆け寄ってくるポンコツが見えた。


「バカッ、お前……! なにやってんだ、逃げろ!!」


 反射的に叫ぶ。それが致命的な失態だった。

 なんてことだろう。バカは俺だ。あいつはそもそも遺物ギフト、仮にガルムの鋭い爪を突き立てられようが、太い牙で噛みつかれようが、その美しい肢体に傷のひとつも付きはしない。

 あらゆる遺物ギフトは不壊の性質を持つ。

 そんな子どもでも知っていることに、五年も遺物ギフトハンターをやっている俺が即座に思い至らないなんて——


「——ああ、くそ。結局、ドジ踏んで死ぬのかよ」


 拘束を抜け出す唯一の機を逸し、俺を押さえつけるのとは逆の足が目前に迫る。頭蓋ごと押しつぶすつもりか。痛そうなのでできれば頸動脈を食い千切るとかにしてほしかったが、文句を言っても聞きはすまい。

 わかってる。これは俺の甘さが原因だ。

 あいつを心の底から遺物ギフトだと思いきれなかった、俺の甘っちょろさが招いた失態。代償が死というのはあまりに重いが、悪いのは俺なので納得はしてやる。

 親を、故郷のみんなを見捨てて五年——まったく無意味な延命だったな。

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