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第10話 『地底にて、生存を叫ぶ』

「さ、させませんっ! 『我が地平に果ては要らず』……!」

「なっ」


 しかし、俺の頭部をトマトみたいにつぶしてしまうかに思えた前足は、突如として現れた壁のようなものに阻まれた。

 土だ。迷宮の地面が盛り上がり、俺を守る即席の盾と化している。

 理解を超えた突然の出来事に、頭が『そばにいる魔族の少女がなんらかの魔法を使った』と推測を立てる。

 その時にはもう、肉体は俺の命令を待たずに動いていた。


「は、ぁぁ——」


 にぎったままのナイフを、くるりと半回転させて逆手にする。


「——ぁぁあああああああっ!!」


 そして、渾身の力を込めて横っ面に突き刺す。それは培った経験に基づく反射の行動、生存を望む本能の発露だった。


「ゥ——ッ、ガァァァ————ッ!」


 だが魔物ガルムもそれで死ぬことはなく、負けじと野生の本能を剥き出しにする。純粋な力の押し合いになれば不利なのはこちらだ。

 ならば。次の一撃こそは、本能ではなく理性によって下してみせよう。


「『放射せよ、光を呑む理想の刃』」


 手にした得物の能力を発現させるための呪文を口にする。

 俺がにぎるナイフ——『ラジエーター』の、突き刺したままの真っ黒い刀身が輝き始める。迷宮の闇の中でさえ際立つ漆黒の刃は、刃先までが急速に赤く染まり、さらに白に近い色に変化する。


「ギ——ガァァァァ——!?」


 じゅう、と肉を焼く音。刀身の変色は熱の放射を示していた。

 生きているのだから、本能が存続を望むのは当然のことだ。けれどそれだけではなく。

 俺は俺の意思で、自らの生存を叫ぶ。


「死んで、たまるかあぁぁぁぁぁっ!!」


 そうだ、まだ死ねない。この体にはまだ、なすべきことが残っている。

 刃が帯びた熱に魔物がひるむ。その千載一遇の機を今度こそは逃がすまいと、俺はばね仕掛けのように跳び起きる。

 そして——

 一歩。大きく踏み込みながら、ガルムの後方へと抜けるようにして黒体のナイフを振り抜いた。


「——————ギィッ」


 短い断末魔を上げ、ガルムが崩れ落ちる。それは単に姿勢を崩すという意味ではなく、文字通りの崩壊だった。

 血の噴き出た体躯は屋台で売られたスープの野菜みたいにぐずぐずに溶け、迷宮の地面へと染み込んでいく。

 死した魔物は、こうして迷宮へと消えるのだ。つまりこの現象……時に迷宮による死骸の採食とも囁かれる、死骸の消滅が起きたのなら、ひとまず危機は去ったということだ。


「……ふう。なんとか命を拾ったか」


 手元を見る。そこには熱の放射を終え、闇よりも黒い刀身を取り戻したひと振りのナイフがある。

 普段から携行するこいつは、ラジエーターという名を持つ一種の遺物ギフトだ。だがセレイナさんの見た目では等級はせいぜい尋常級コモン、そこまでの価値はない。能力も刀身が熱を放つというだけの地味な代物。

 しかし、それでも遺物ギフトであるからには不壊の性質を持つ。

 どれだけ乱暴に扱おうが折れず、刃こぼれもしないナイフ。そして手入れも不要というのは、日常使いの上で大変に便利である。そのために売らずに持っているのだ。


「イデア! 無事デスか……!?」


 と、そこへ慌てた様子のパンデクテスがやってくる。普段は無表情だが、今は形のいい眉を寄せ、顔にも焦りがにじんでいるように見えた。

 俺はラジエーターを腰のナイフケースにしまいながら答える。


「平気だ。どこか擦りむいたくらいはしたかもしれないが、大した怪我はない」

「よかった……。すみまセン、ワタシはまた役に立てませんでした」

「気にするなよ」


 こちらはそもそも、パンデクテスに対して戦闘面の援護など期待していない。不壊の性質を持っていようが、パンデクテス自身は非力だし、武器の扱いなども知らないだろう。

 だがパンデクテスはよほど悔やんでいるのか、唇を噛んでうつむくばかりだ。

 ……なんか、こいつ。

 今思うことでもないかもしれないが、前より表情豊かになってきていないか?


「あ、あの……! ありがとうございます、助けていただいて」


 横合いから話しかけられて振り向くと、そこには魔物に襲われていた少女がぺこぺことお辞儀をしながら立っていた。

 背中には少女の身幅よりは小さな黒い翼。やはり見間違いなどではなく魔族だ。

 魔族自体、初めて見る。なので魔族の持つ翼についても初見であり、俺はつい好奇心からまじまじと眺めてしまう。

 広げれば今よりは大きく見えようが、それでも空を飛べるようなサイズには思えない。そもそも飛行を旨とするものではないのだろうか。


「うぅっ、ごめんなさい、そんなに見られると……」

「あ——悪い。失礼だったな」

「い、いえ。ただその、気味が悪いかと思って。ふつうの人からすれば、わたしは……魔物みたいなものでしょうから」

「まさか。俺はそんな風には思わない」


 もう魔物もいないというのに、おどおどとした少女の目が驚いたように俺を窺う。


「俺はイデア。遺物ギフトハンターをやってる者だ。さっきの、魔法で俺を助けてくれたんだろ? ありがとう、あれがなければ危ないところだった」

「お礼なんて、そんな……! 助けてもらったのはソフィの方なのに——あ、わたしはソフィです。その、このたびは危ないところを助けていただき、誠に、ええと……っ」

「そんなにかしこまらなくてもいい。たまたま通りかかっただけなんだからな」


 俺がそう告げると、ソフィは安心したのかほうと息を吐く。彼女の必要以上に丁寧な態度は、それまでに人間に向けられてきた偏見や差別の裏返しだろう。

 魔族を厭う者は多い。そういう風潮、風土ができてしまっている。

 俺はといえば、職業上他者との付き合いは最低限にしている。なので、そうした世俗的な価値観とは無縁の身だった。


「少し気になります。ソフィはどうしてこんな迷宮の奥にいたのデスか?」

「え? え、えと……」

「パンデクテス。自己紹介くらいはしたらどうだ」

「む。それは確かに。人の世のマナーというやつデスね、では改めまして。ワタシはパンデクテス、すべての遺物ギフトの情報を備える個人単位の書庫であり、偉大なる叡智そのものデス。よろしくお願いします」

「ギフト……? 叡智……??」


 ソフィは見るからに困惑していた。そりゃそうだ。こんなぶっ飛んだ自己紹介があってたまるか。

 ていうか、遺物ギフトであることは秘密にしておいてほしかったが……まあ、それはこの際いい。

 子ども相手だろうが警戒は欠かせない。他者への信頼は致命的な隙を生む。

 だが魔族であるのなら、商会とのツテもあるまい。街に入れば迫害を受けるような境遇なので、そもそも商会の発行する紙幣を使うことすらままならないはずだ。

 その不遇さには同情するが、俺は金勘定で動く遺物ギフトハンターだ。彼女がパンデクテスを捕まえて売ろうとは考えないだろうと打算的に判断した。

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