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第12話 『迷宮の罠を越えて』

「……えっと、あんまり訊きたくないんだけど。今なにした?」

「す、すみません……ここ、埃っぽくて。それでわたし、くしゃみをしたら勢いで一歩踏み出しちゃって……」


——そのまま、床のスイッチを踏んでしまったわけだ。

 なるほど。原因については納得できた、だが結果は?

 地響きの音は強まり、通路全体の揺れもひどくなる。次第に立っているのも難しくなってくる。

 なにが起きているのか、周囲の状況を確認しようとする。だがその前に、真後ろのパンデクテスが焦りのにじむ声で叫んだ。


「頭上デス! 上を見てくだサイ!」

「上——」


 反射的に天井を見上げる。その天井が、ゆっくりと迫るように落ちてきていた。

 嘘だろおい。


「——嘘だろおい!!」


 驚きのあまり思ったことをそのまま口に出してしまった!

 迷宮の罠。遺物ギフトを盗み出そうとする輩を排除しようとする、迷宮の自衛機構……なのかはあいにく、迷宮とお話をした経験がまだないのでよくわからないが。

 確かなのは、このままだと俺たちは三人仲良くぺしゃんこになるってことだ。


「ふたりとも、急いで駆け抜けるぞ!」

「了解デス!」

「は、はい——!」


 さっきまでの慎重さをかなぐり捨て、俺たちは一心不乱に前方へと走る。

 通路は直線だったが、まだ果ては窺えない。もし行き止まりだったら?


「……待てよ、パンデクテスは遺物ギフトだからぺちゃんこにはならないか。よし、最悪パンデクテスに支えてもらおう。こう、つっかえ棒みたいに」

「ムチャを言わないでくだサイっ」


 俺としては本気だったが、幸い薄闇の向こうに別の部屋らしき空間が窺えた。問題は、迫りくる天井の落下に間に合うかどうか。

——間に合わない。

 走りながら再度頭上を窺い、確信する。

 俺は歯を食いしばって、天井が頭頂部を打つ前になんとか通路を走り抜けた。

 だが次の部屋に入っても一息つくことはせず、俺は弾かれたように背後を振り返る。そこには俺より遅れて走るソフィとパンデクテスの姿があった。

 そう、間に合わない——俺はともかくとして、ふたりの速度では。


「引っ張ってやる、急げっ!」


 俺は一歩、通路の方へと戻りつつ、ふたりに向けて両手を伸ばす。

 落下する天井が間近に迫る。揺れは一層強く、地響きの音も先ほどより大きくなって鼓膜を叩く。

 足を止めていても心臓の鼓動は収まらない。ふたりが俺の手をつかんでから引っ張って、それでも間に合うかどうか。

 パンデクテスとソフィは差し出された俺の手を見ると、瞬時に意図を察し、懸命に進みながら腕を伸ばす。

 ふたりが俺の手に触れるまでの、ほんの二秒にも満たないわずかな猶予に、叫び出したいほどの焦りを覚える。もう俺の身長では天井に触れてしまうため、腰を落とさないと立つことさえできない。

 まだか。まだか。焦燥に耐えながらその瞬間を待つ。

 そして、ふたりが同時に、俺の手をつかんだ。


「————っ!!」


 瞬間、全身のバネを最大限に駆動させて後方へ腕を引きつつ、その勢いのまま部屋の方へと倒れ込む。


「わぁー」

「きゃあっ!」


 ずん。ひときわ強い地響きとともに、天井が床に落ち、通路を完全に塞ぐ。

 間一髪で通路から脱出できた俺たちは三人そろって床に倒れ込んでいた。というか、俺が引っ張ったまま倒れたものだから、俺を下敷きにしてふたりが乗っかっていた。


「……なんとかなったのはいいが。重たいんで、早いところどいてくれるか」


 すぐ胸元にはふたりの顔。俺が指摘すると、


「わわっ、すみません!」


 ソフィは間近な距離に緊張でもしたのか、頬を紅潮させ、あたふたとしながらすぐに離れてくれた。

 やはりソフィは素直だ。一方でパンデクテスはと言えば——


「重い? 暫定マスターと言えどレディに対していささか失礼デスよ、イデア。先ほどのポンコツ呼ばわりといい、イデアはどうもワタシに対してのみ礼儀を欠いているように思いマス。いい機会ですからこのままワタシについてもう一度説明してあげましょう」


 一歩も動かずこの有り様だった。なにがレディだ。

 ソフィの爪の垢を煎じて飲ませてついでに尻を五、六回ほど叩いてから売り飛ばしてやりたい。


「いいですか、ワタシこそは莫大にして深遠な遺物ギフトの情報を記録した個人単位の書庫、偉大なるパンデク——」

「よし、わかった。こっちで勝手にどかしてやる、ポンコツテス」

「——ポンコツテス!? なんですかその不敬にして不遜な呼び方はっ、即刻訂正を要求し、って、わー」


 パンデクテスひとりなら大した重量ではないので、俺は強引に上体を起こす。俺に乗っかっていたパンデクテスはものすごく間の抜けた声を上げながらごろんと転がり落ちた。


「この部屋に遺物ギフトは見当たらない。どうやらまだ先があるようだ、警戒を欠かさずに進んでいこう」

「は、はい。さっきはごめんなさい、ソフィのせいで」

「起きたものは仕方がない。無事に切り抜けられたんだから、あまり気に病むな」

「……あの、それと、パンデクテスさんがむくれてます」

「拗ねさせとけ。じき飽きて戻る」


 パンデクテスはまた文句を言っていたが、無視を決め込むことにする。俺だけでも緊張感を保たねば。ここは地底のどこよりも危険な、迷宮の中なのだ。

 事実、そこからも道のりは過酷さに満ちていた。

 俺たちは今にも崩れ落ちそうに古びた橋を渡り、頭上で巨大な鎌が振り子じみて揺れる通路を通り抜け、広間に点在する燭台に決められた順番で火を灯す謎の仕掛けを解く。繰り返すが迷宮に対して疑問を覚えるのはとうにやめた俺なので、意味だの理屈だのについては考えないこととする。

 そうして、俺たちは長い冒険の果てにようやく最後の部屋へとたどり着いたのだった。


「あ……! 見てくださいイデアさん、あれ……っ!」

「この距離だとよくは見えないが……なにかあるな。鉱物のような……」


 広間の奥に台座があり、そこには白くにごった半透明の鉱物のような、大きな結晶が鎮座していた。間近に見てみなければ詳細はわからないが、台座に置かれてある以上は遺物ギフトに間違いない。

 しかし問題は、俺たちのいる場所からその台座までが、明らかに人体に悪影響を及ぼしそうな緑色の液体で満たされた堀によって隔てられていることだった。

 助走をつけて跳んでも、とても跳び越えられはしないだろう。


「どうしたもんかね、この推定毒沼。ここまで来て引き返すってのも癪だ、なんとかしたいところだが」

「ふむ。イデアが泳いで渡るというのはどうデスか?」

「毒沼つってんだろバカ」


 もしかしたらたまたま緑色をしているだけの健康に優しい液体であるという可能性は、とても命を賭けられるほどには高くないように思えた。

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