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第13話 『境界で揺れる』

「一応ソフィに訊いておくが、その翼で飛んでいく……っていうのは無理か?」

「すみません、これはあくまで魔法器官なので飛ぶためのものではないんです。高いところから少し滑空するくらいならともかく、純粋な飛行は……」


 やはりできない、か。そうだろうとは思っていたので気落ちすることではない。

 むしろ滑空程度なら可能だというのは驚きだ。空を往くというのはどのような感覚なのだろう。

 なぜだか無性に空想を刺激され、ぼんやりと考え込んでいると、ソフィは目線を落としてうつむいた。


「うぅ……お姉ちゃんだったら魔法で地面の土を操って、足場を作るくらいのことはできそうなんですけれど。ごめんなさい、ソフィには難しくってできそうにありません……」

「そういえばさっきも姉がどうだって言ってたな。姉妹がいるのか、ソフィ」

「はい。わけあって、もう何年も会ってはいないんですけど」

「ソフィ、気を付けてください。イデアは妹とあらば見境なく飛びつくシスコンの遺物ギフトハンター、つまりはシスコンハンターなのデス」

「それだとまた別の意味になると思うが……だいいち見境ないなんてことはない。他人の妹にまでそんなことするか」

「……え、イデアさん、ご自分の妹には飛びついてるんですか?」


——まずい、墓穴を掘った。

 今すぐに話をそらさなければ。年上の威厳が失われる前に。

 顔を上げたソフィに向けられる純朴な眼差し、そこにわずかに籠る怪訝さを払拭すべく、俺は話題を換えようと思考する。


「……あ。そうだ、パンデクテスに取りに行かせればいいのか」


 すると、例の毒沼を越える方法を思いついた。


「ワタシですか? イデア、なにを言うかと思えば。確かにワタシは生体遺物ギフト、不壊の性質を持つ以上毒でもなんでも平気デス。でも、痛いものは痛いです。酸性だったら肌が溶ける痛みに耐えて進まねばなりません……それでもイデアはワタシに行けと命じるのデスか?」

「いや浮いてるじゃんお前。行けるじゃん」

「浮いてる……ええ、それも確かに。ワタシはいかにヒトの形をしていてもその本質は遺物ギフトに過ぎず、コミュニケーションの面で齟齬が生まれていることはワタシ自身もわかっていマス。ですが、浮いているとイデアにはっきり言われると、いささか傷つきマスね」

「物理的な話だよ! 確かにお前は社会的にも浮きまくってるけど!」


 俺が声を荒らげると、パンデクテスはまた口をぽかんと開け、それから言われた通り推定毒沼の上をふよふよ浮いて台座まで向かっていった。

 ……あいつ今、自分が浮いてるって忘れてたのか? なんてやつだ。

 呆れていると、パンデクテスは台座に置かれたあの鉱物のような遺物ギフトを抱え、こちらに戻ってこようとしていた。妙にふらふらとしながら。


「お、重いデス! うう、ですが下に落ちるわけには……」

「パンデクテス。遺物ギフトだけは落とすなよ、回収が困難だ」

「どうせするならワタシの心配をしてくださ——っ、あッちょっと足先が毒沼に触れました! ピリピリしマス!!」

「やはり強酸性か」

「冷静に分析してないで! 心配をしてくだサイ! ワタシの! 心配をー!!」


 何度か落ちかけたものの、なんとかパンデクテスは帰還を果たす。そのころには息も絶え絶えだった。どうやら物を持って宙に浮かぶのは相当な体力を要するらしい。

 まあ、今回ばかりはパンデクテスのおかげで事が楽に運んだ。あれだけ役に立とうと意気込んでいたのだし、褒めてやるくらいはするべきだろう。

 そう思って、ぜーぜーと呼吸を整えているパンデクテスに声をかけようとしたのだが。

 先にパンデクテスの方が勢いよく顔を上げ、俺を見た。


「見ましたか、イデア! ワタシもお役に立ちましたよっ!」


 髪が乱れるのも気にせず。ただ俺のためになれたのがうれしいのだと、パンデクテスは弾けるように笑ってみせる。


「——っ、あ、ああ」


 情けなくも俺の喉はかすれ気味の音を出して、そう返すのが精一杯だった。

 また俺はこいつの笑顔に見とれてしまったのだ。人ではない、遺物ギフトの笑顔に。今から売り飛ばす相手の笑顔に。

 ……罪深さにめまいがする。己の愚かさに吐き気を催す。


「パンデクテス、その遺物ギフトだが……」

「はい、どうぞ。イデアに適性はあるのでしょうか?」


 まだ無邪気に笑いながら、パンデクテスは持ってきた遺物ギフトを俺に手渡した。感じられる信頼が重く、十字架となって俺を押しつぶすようだった。


「適性は……ないな。名前も能力も頭に浮かばない」

「そうデスか。残念ですね」

「俺は以前から遺物ギフトに適合しづらいタチだからな」

「ふむ、変わった形質意志を持つという証左デス。それだけにワタシへの適性はあると思ったのデスが……むむむ、不思議デスね……」


 聞き慣れない単語をパンデクテスがこぼす。訊き返してみようとも思ったが、隣でソフィがこちらをじっと見つめていることに気づいた。

 視線の先は俺の手にある遺物ギフト。適性がないので詳細は不明だが、それは持ってみればひんやりと冷たく、水晶じみた見た目とは裏腹に実際は氷の結晶であるようだった。


「ソフィも適性があるか気になるか? だったらほら、触れてみればいい」

「あっ、い……いいですか? 実は、遺物ギフトに触れるのって初めてで……」


 ソフィはおっかなびっくり、おずおずと手を伸ばしてその氷の塊のような遺物ギフトに触れた。


「ひゃっ!」

「お。その反応は、もしや……」


 即座に手を離す。適性があれば、名前や能力が頭に浮かんでくるはず。

 それが起きて、初めての出来事に驚いたのでは? そう思った。


「冷たいです!」

「なるほど」


 全然違った。


「なら俺たちに適性がない以上、こいつの名前はわからずじまいか。まあ売るぶんには不便はないが、気にならないと言えば嘘になるな」

「むむ? イデアはその遺物ギフトの名称が気になるのデスか? それなら、ワタシにはわかりますが」

「は? わかるっていうのか、こいつの名前が?」

「はい。ええと……万災遮断・氷結牢獄アイシクル・サンクタム。大層な名称ですが実際強力な部類デスね。氷の柱で檻を形作る能力で、相手を閉じ込めるための力に見えてその本質は外部からの攻撃を遮断する屈強な守りであるようデス」


 パンデクテスはその黄金の目を、どこか遠くを見るかのように細めながら言う。

 アイシクル・サンクタム……名前どころかその能力まで。

 あらゆる遺物ギフトの情報をその内に秘めた、個人単位の書庫——

 それがパンデクテスだと、こいつ自身は言っていた。索引が欠けていて情報は引き出せないとの話だったが、実物を見ればわかるのか?


「……いや、嘘ついてるって線もあるか……俺もソフィも適性がないのをいいことに、でたらめ言ってもバレないってタカをくくってる可能性は捨てきれない」

「捨ててくだサイその可能性は。ワタシ、そんなに信用ないですか……?」


 ぱちりとした瞳は輝きを湛えて俺を見上げる。俺は目を合わせられず、視線をそらしながら言った。


「とにかく、お目当ての遺物ギフトは無事に回収できた。あとは、迷宮を出るだけだ」


 それで終わる。このいびつな関係が。

 そう自分に言い聞かせて、俺は正面から向き合うことを避けたのだった、

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