「一応ソフィに訊いておくが、その翼で飛んでいく……っていうのは無理か?」
「すみません、
やはりできない、か。そうだろうとは思っていたので気落ちすることではない。
むしろ滑空程度なら可能だというのは驚きだ。空を往くというのはどのような感覚なのだろう。
なぜだか無性に空想を刺激され、ぼんやりと考え込んでいると、ソフィは目線を落としてうつむいた。
「うぅ……お姉ちゃんだったら魔法で地面の土を操って、足場を作るくらいのことはできそうなんですけれど。ごめんなさい、ソフィには難しくってできそうにありません……」
「そういえばさっきも姉がどうだって言ってたな。姉妹がいるのか、ソフィ」
「はい。わけあって、もう何年も会ってはいないんですけど」
「ソフィ、気を付けてください。イデアは妹とあらば見境なく飛びつくシスコンの
「それだとまた別の意味になると思うが……だいいち見境ないなんてことはない。他人の妹にまでそんなことするか」
「……え、イデアさん、ご自分の妹には飛びついてるんですか?」
——まずい、墓穴を掘った。
今すぐに話をそらさなければ。年上の威厳が失われる前に。
顔を上げたソフィに向けられる純朴な眼差し、そこにわずかに籠る怪訝さを払拭すべく、俺は話題を換えようと思考する。
「……あ。そうだ、パンデクテスに取りに行かせればいいのか」
すると、例の毒沼を越える方法を思いついた。
「ワタシですか? イデア、なにを言うかと思えば。確かにワタシは生体
「いや浮いてるじゃんお前。行けるじゃん」
「浮いてる……ええ、それも確かに。ワタシはいかにヒトの形をしていてもその本質は
「物理的な話だよ! 確かにお前は社会的にも浮きまくってるけど!」
俺が声を荒らげると、パンデクテスはまた口をぽかんと開け、それから言われた通り推定毒沼の上をふよふよ浮いて台座まで向かっていった。
……あいつ今、自分が浮いてるって忘れてたのか? なんてやつだ。
呆れていると、パンデクテスは台座に置かれたあの鉱物のような
「お、重いデス! うう、ですが下に落ちるわけには……」
「パンデクテス。
「どうせするならワタシの心配をしてくださ——っ、あッちょっと足先が毒沼に触れました! ピリピリしマス!!」
「やはり強酸性か」
「冷静に分析してないで! 心配をしてくだサイ! ワタシの! 心配をー!!」
何度か落ちかけたものの、なんとかパンデクテスは帰還を果たす。そのころには息も絶え絶えだった。どうやら物を持って宙に浮かぶのは相当な体力を要するらしい。
まあ、今回ばかりはパンデクテスのおかげで事が楽に運んだ。あれだけ役に立とうと意気込んでいたのだし、褒めてやるくらいはするべきだろう。
そう思って、ぜーぜーと呼吸を整えているパンデクテスに声をかけようとしたのだが。
先にパンデクテスの方が勢いよく顔を上げ、俺を見た。
「見ましたか、イデア! ワタシもお役に立ちましたよっ!」
髪が乱れるのも気にせず。ただ俺のためになれたのがうれしいのだと、パンデクテスは弾けるように笑ってみせる。
「——っ、あ、ああ」
情けなくも俺の喉はかすれ気味の音を出して、そう返すのが精一杯だった。
また俺はこいつの笑顔に見とれてしまったのだ。人ではない、
……罪深さにめまいがする。己の愚かさに吐き気を催す。
「パンデクテス、その
「はい、どうぞ。イデアに適性はあるのでしょうか?」
まだ無邪気に笑いながら、パンデクテスは持ってきた
「適性は……ないな。名前も能力も頭に浮かばない」
「そうデスか。残念ですね」
「俺は以前から
「ふむ、変わった形質意志を持つという証左デス。それだけにワタシへの適性はあると思ったのデスが……むむむ、不思議デスね……」
聞き慣れない単語をパンデクテスがこぼす。訊き返してみようとも思ったが、隣でソフィがこちらをじっと見つめていることに気づいた。
視線の先は俺の手にある
「ソフィも適性があるか気になるか? だったらほら、触れてみればいい」
「あっ、い……いいですか? 実は、
ソフィはおっかなびっくり、おずおずと手を伸ばしてその氷の塊のような
「ひゃっ!」
「お。その反応は、もしや……」
即座に手を離す。適性があれば、名前や能力が頭に浮かんでくるはず。
それが起きて、初めての出来事に驚いたのでは? そう思った。
「冷たいです!」
「なるほど」
全然違った。
「なら俺たちに適性がない以上、こいつの名前はわからずじまいか。まあ売るぶんには不便はないが、気にならないと言えば嘘になるな」
「むむ? イデアはその
「は? わかるっていうのか、こいつの名前が?」
「はい。ええと……
パンデクテスはその黄金の目を、どこか遠くを見るかのように細めながら言う。
アイシクル・サンクタム……名前どころかその能力まで。
あらゆる
それがパンデクテスだと、こいつ自身は言っていた。索引が欠けていて情報は引き出せないとの話だったが、実物を見ればわかるのか?
「……いや、嘘ついてるって線もあるか……俺もソフィも適性がないのをいいことに、でたらめ言ってもバレないってタカをくくってる可能性は捨てきれない」
「捨ててくだサイその可能性は。ワタシ、そんなに信用ないですか……?」
ぱちりとした瞳は輝きを湛えて俺を見上げる。俺は目を合わせられず、視線をそらしながら言った。
「とにかく、お目当ての
それで終わる。このいびつな関係が。
そう自分に言い聞かせて、俺は正面から向き合うことを避けたのだった、