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第14話 『その時』 

 *


 遺物ギフトを回収すると、帰り道はすべての罠が消えており、俺たちは難なく出入口まで戻ってくることができた。

 なお、ソフィとは既に別れている。里へと帰る間際、あの子は『楽しかったです』と言って深々と頭を下げた。とんだ珍道中だったが、迷宮の隠れ里に思い出のひとつでも持って帰れたのならなによりだ。


「——ソフィは姉がいると言っていまシタ。里に帰れば、おそらく家族や同胞が待っているのでしょう」


 そして迷宮を出て、デーグラムへ戻る道の途中。隣を歩くパンデクテスは、唐突にそんな話題を切り出した。


「……どうした。藪から棒に」

「いえ、ふと気になったのデス。イデアの家にはリディアがいますが、それだけです。ワタシと違い、人間は母から生まれるはずデスが、イデアとリディアの両親は家にいないようでしたから」

「ああ、そのことか。俺に両親はいない……もちろんお前みたいに初めからいないわけじゃない。俺の故郷はここからずっと離れたコロニーでな。ある時、それが魔物に襲われたんだよ」

「魔物に? 迷宮の外で、デスか?」

「ごくまれにそういうこともあるらしい。迷宮から迷い出た魔物が、そのまま人里に降りるんだ」


 よせばいいのに、俺は気付けばつらつらと故郷のことを語っていた。

 ここからずっと遠くにある、ハコブネという名前のコロニー。猥雑で活気のあるデーグラムとは似ても似つかぬ、岩場に囲まれた村落が俺の生まれた場所だった。

 まるで世界の端っこにあるみたいに穏やかなところだ。もちろん地底だから陽の光も星の瞬きも拝めはしないが、自然に恵まれた土地柄で、母はよく高祖母から語り継がれてきたというおとぎ話を聞かせてくれた。

 曰く、はるかな昔、空には天蓋がなく。

 昼は抜けるような青空が、夜には輝ける星々が窺えたのだと。


「子供心に思った。天蓋の向こうには、青い空も星たちもまだ生きていて、そこにあるはずだって」

「天蓋の向こう、デスか。果てしない話ですね、それは——」


 頭上を見上げるパンデクテス。ずっと上には今も、世界を闇に閉ざす蓋がある。

 それは本当に、あどけない夢の話。

 あの天蓋の先には、暗く重苦しい地底の生活とは無縁の楽園が広がっているに違いないのだと、母の話を聞いて幼い俺は夢想した。


「——でも、素敵な話です。眠りを知らぬ遺物ギフトのワタシでも心を惹かれる、素晴らしい夢だと思います」


 柔らかく微笑むパンデクテス。もう棄てたはずの幼い理想を肯定されたことが、俺はなぜか無性にうれしかった。

 だが、この話は結局、ろくでもない最後を迎えるのだ。


「最初に言った、魔物に襲われたってのは五年前の話だ。その時、両親やコロニーのみんなは俺を逃がしてくれた。……そうして、どこをどう通ったのかもわからないような放浪の果てに、俺はこのデーグラムにたどり着いた」


 あの魔物の赤い瞳を覚えている。あれは遺物ギフトハンターとしてデーグラムの迷宮に日夜潜っている今の俺でさえ見たことがないような、異常な魔物だった。

 生物らしさなどない、まるで人を殺すための機械でできているような。

 あれを仕留めることなど誰にもできなかった。そもそも、牧歌的なあの故郷に戦える人間などいなかった。なのにみんなは、未来ある子どもを逃がす時間を稼ぐのだと進んで命を投げ出したのだ。

 迷宮というのはいくつも出入口がある。故郷から逃げ出した俺はどこから入ったのかもわからない迷宮の中でさまよい、やがて今しがた出てきたのと同じ、デーグラム近隣の出口にたどり着いた。

 それが五年前だ。それから俺は身寄りないデーグラムの町で生きていくため、遺物ギフトハンターとして生きてきた。もちろん初めは失敗続きで、迷宮で怪我をしたり、そのせいで金が得られず飢え死にしかかったりもしたが。


「故郷を失って……ずいぶんと大変な人生だったのデスね、イデアは」

「まあ、それなりにな。このご時世だ、誰だって必死で生きてるし、必死に生きようとしても生きられないやつだっている。自分だけ苦労してるなんて言うつもりはない」


 むしろ俺は幸運な方だ。本来ならあの時、赤い眼の魔物に殺されているはずだった。それが助かったのは、両親と故郷の大人たちのおかげだ。

 予想以上に話し込んでいたせいか、いつの間にかデーグラムのすぐそばまで来ていた。

 今日は昨日と違い、街の中を抜けていくつもりはない。デーグラムの端にあるセレイナさんのところ……プロメテウス商会の営業所に寄っていくからだ。

 目的は当然、アイシクル・サンクタム、そしてパンデクテスというふたつの遺物ギフトを売るためである。


「……? イデア、昨日と同じように市場の方を抜けないのデスか?」

「今日は寄るところがある。いいからついてこい」


 町の門をくぐったら、有無を言わさず人気ひとけのない道へ連れていく。

 やはり身の上話などするべきではなかった。もうすぐ別れがくるというのに、そんなものを伝えたところでなんになろう。

 明かりの届かない暗い路地。互いに言葉を発さなくなり、湿った土を踏む音だけが響く。俺は沈黙がいたたまれず、気付けばまた口を開いていた。


「この先に商会の営業所がある。パンデクテスは商会のこと、知らないよな? プロメテウス商会は遺物ギフトの売買を行う組織だ。ここいらで使う紙幣も全部、あそこが発行している」


 俺たちハンターから遺物ギフトを買い取り、金持ちに売りつけるのが商会の仕事。そして造幣権をも彼らが有するのだから、それはそれはボロい商売だろう。

 だがそのおかげで、このデーグラムを初めとする商会の息がかかったコロニーは活気付いているわけだし、俺などは飯の種をもらってる立場だ。文句は言えまい。


「プロメテウス商会。ふむ、遺物ギフトを商品としてやり取りする組織があるのデスね。では、そこで……」

「ああ、そこで、さっき迷宮で手に入れた遺物ギフトを——」

「……ワタシを売るのですね、イデア」

「——、え?」


 俺たちの足が同時に止まる。振り向くと、パンデクテスは出会った時のような、感情を窺わせない無表情のまま佇んでいた。

 こいつは今、なんと言ったのか。

 売る。そうだ、確かにそう口にした。


「売る……売る、って、そんなこと」

「ごまかさないでください。ワタシにはわかっています。イデアは遺物ギフトハンターで、リディアを養わなければなりませんから。当たり前のこと、です」


 気付かれていた。一体いつから?

 当たり前——それもそうだ。遺物ギフトハンターが遺物ギフトを売るなんてのは当然で、俺にはリディアという、そうするだけの充分な理由がある。

 つまり、騙し通せていると思っていた俺が愚かだった。俺はただ、パンデクテスがなにも気付かぬほどに愚鈍であればいいと、身勝手に願っていただけだ。

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