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第8話 帰宅しても現状に苛まれる自分がいた

「──ただいま」


 すっかり辺りは暗くなり、虫たちによる無償の合唱が賑やかな夜の7時。


 俺が家の玄関から挨拶をしても、中からは誰の応答もなかった。


 いや、玄関にはきちんと、俺以外の履き物はある。

 正確にはいないのではなく、この家にはいるのだ。


 数年前から母さんと別居し、四六時中飲んだくれな駄目な親父、大平忠雄おおひらただおが……。


「ただいまって、言ってるだろ。無視かよ?」


 部屋を真っ暗にし、TVの光を映した親父の分厚い老眼鏡からは、何の反応も示さない。


 無言で並々、氷の入ったグラスに酒を入れ、スポーツ番組を観ながら、ひたすら酒をあおるだけだ。


 親父は数年前は選りすぐられたエリートたちによる、敏腕なサラリーマンとして勤務していた。


 しかし、度重なる不景気により。会社をリストラされ、仕事だけが生きがいだった親父を無気力にさせた。


 さらに仕事以外、打ち込める趣味も持っていないことも影響したのか、毎日、朝起きてから夜中になるまで、ダラダラと酒を飲む生活へとなり、その姿を見た母さん、大平香代おおひらかよも、周りの目を気にしてか、突然の別居を親父に申し込んだ。


 そして、母さんは俺と二人っきりの時、別居したマンションに引っ越した当初に、静かに口を開いた。


『──あなたの父さんは、あんな感じだと死んだと一緒。だから周りからは、父さんは蒸発したと言うことにして』と……。


 ──こうして、母さんと親父は離れて暮らすようになり、同じ性別が災いしたのか、俺は親父が引き取るような形になったのだ。


 いや、正しくは、俺が親父を引き取ったことに過ぎない。

 同じ男として面倒を見ようとする感覚が、胸の奥から沸き起こったからだ……。


「親父、今日、陽氏可憐ようし かれんという女の子と会ったよ。これがまた、とっても可愛くてさ……」


 俺は電気をつけ、白髪頭でボサボサな髪で青白い作務衣さむえを着た親父のいる部屋から、台所へと移動し、晩ご飯の準備に取りかかる。


「──向こうも俺に気があるみたいでさ、何とかアタックしてみようと思うんだ」


 冷蔵庫から卵を取り、油のひいたフライパンを熱して、ボウルに割り入れた玉子を菜箸でかき混ぜながら、親父と会話を続ける。


「……洋一よういち、楽しいか」

「えっ、何か言ったか?」

「……学校は、楽しいか」

「ああ、さっき言っただろ、好きな人ができたって」

「……そうか」


 親父は黙りこみ、また酒のグラスを無心に口へと傾ける。


 ……もともと、口数の少ない親父だ。

 こんな会話は日常茶飯事だ。


****


「──さあ、親父。腹へっただろ。飯にしようぜ」


 俺はオムレツの載った皿と味噌汁の器を、ちゃぶ台に並べる。


「もう、飯の時くらい、酒なんか飲むなよ。今は晩ご飯の時間だろ」


 親父から酒を奪い、目の前にお膳を置く。


 その食欲にそそられたのか、親父は一心不乱に食べ始める。


 テーブルの下に片付けたスルメやサキイカからして、昼はろくな食事をしていないのは明らかだった。


「親父。俺、学校に行って忙しい身なんだからさ、料理くらい覚えて、たまには俺に披露ひろうして、楽させてくれよ」


 俺の話など聞くの聞かぬふりなのか、黙ったままで、眼前の出来立てな料理に、箸をのばしている親父。


「……あと、母さんのことなんだけどさ、来月の学校の体育祭に顔を出すってさ」


 ──そう、ついさっき帰り道で、母さんからLINAがあり、来月の体育祭にファッションデザイナー会社勤務の有給休暇をとり、自分からと伝言があった。


 周りのみんなには、母さんと俺は一緒に生活をしていることになっている。


 だからたまには、こんな風に大がかりなイベントに定期的に顔を出さないと、周りからいたらない考えや、疑惑を抱きかねないのだ。 


 そうなると、この親父のことも知られ、俺たちは半永久的に、駄目な親子たちと噂が広まっていくだろう。


「……そうか、頑張れよ」


 そんなことも気にも止めず、ボソボソと言葉を発しながら、オムレツを口に運ぶ親父。 


「親父、髭くらい剃れよ。あと風呂にも入れよ。今から風呂沸かすからさ」


 俺はそんな自堕落じだらくな姿を見ながら、親父に忠告する。


「……ああ」


 そう言ったまま、食事を終えて、横に寝転がる親父。


 どうやら、今日は入浴の気分じゃないらしい。


「まったく、しょうがないな……」


 俺は食べ終わった食器を片付けながら、頭では別のことを考えていた……。


****


「──はあ……このまま行くと、下手すると離婚だな……」


 近所では、おしどり夫婦と噂されていた俺の家族。

 そこにいよいよ、家庭崩壊の危機が迫ろうとしている。


 このままでは、親父と二人の生活とはいえ、高校を卒業したら、就職をしないと家庭を支えていけないだろう。


 今は親父の退職金で、何とか食いつないでいるものの、親父が飲む酒代やつまみ代も、毎日を積み重ねたら、洒落にならない金額になるからだ。


 それに俺の学費を払ってくれている別居中の母さんも、流石さすがに大学の仕送りまではしないと言っていた。


 俺には大学へ進み、やりたいことがあったのに、この有り様だ……。


 ……だが、どう足掻あがいても、子供は親を選べない。

 どんな親であっても、黙って、親に従うしかないのだ……。


 ──ふと、そこへ別の記憶が流れ込む。

 この、今置かれている状況にデジャヴュを感じたからだ。


『──可憐の両親が離婚して、可憐のお祖母ちゃんに引き取られる時に、引っ越しは嫌だと大泣きをしまして──その時、近所で知り合った、洋一君からなぐさめてもらって……』


 ……そう思い出した。

 確か、俺が前世で可憐に告白した時、彼女の口から聞いた言葉だった。


 俺と可憐は、昔ここで出会っていたらしく、俺に再開するために、可憐はここへ帰ってきたと言っていた。


 あんな俺とはえんのない美少女が、それがきっかけで好意を抱いたと、発言していたのだ。


 俺は一体、昔、何を仕出しでかしたのだろうか……。


 何度考え込んでも、彼女と過去に出会った記憶だけは、ポッカリと穴が空いたかのように思い出せない……。


 ──まあ。いい。

 思い出せないと言うことは、大した内容じゃないということだ。


 彼女は覚えていて、俺には抜け落ちてしまった記憶があるのは何とも言えないが、過去はどうあれ、これから生きる未来を作っていけば良いのだから。


 俺は頭の中で、可憐とのこれからのプランをシミュレーションして、思わずにやけながら、自室のある二階へと、階段を一目散いちもくさんに駆け上がるのだった……。

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