「さあ、皆様。お待たせいたしました。
校内に花火の音がポンポンと鳴り、彼女のマイクからの凛とした声が、学校中に響き渡る。
みんな、テントの各所に配置された、小型なスピーカーごしから、彼女の発言に耳を傾けているのだ。
何とも言えない緊迫感が、俺の耳を通じて、身体中に伝わってくる。
「……ほら、
「何って?」
マイクでは拾えないほどのか
「……だからじゃないってば。君の自己紹介をしないと、演目が始められないよ」
「ああ、そうだったな……」
俺は、秋空の冷たい空気を大きく吸いながら、手元のマイクに、今の想いをぶつける。
「──俺、
その俺による告白に対して、わはははっという、賑やかな観衆が聞こえてくる。
「ちょっと、違うよ。
「うむ。失礼した。我輩はブルドッグである♪」
「何なの、その上から目線な発言は!」
日向さんが呆れた顔つきから半分キレかけて、俺に大声で
もう、この世界にマイクなんて関係ない。
俺たちは最後まで、精一杯声を荒げ、心が澄むまで戦い続けるのみだ。
「わははっ、洋一、最高だな」
そんな俺たちの取っ組み合いの前へ、
「やっぱ、お前、放送委員に向いてるぜ」
「いや、それはそうと、弥太郎、なぜ生きてる。俺が息の根を止めたはずだが?」
「そういうノリツッコミ、いいっすねー♪」
「──えー、そう言うわけで、体育祭を始めまーす」
弥太郎が俺のマイクを強引に取り上げて、始まりのアナウンスをする。
それに対して戸惑う生徒、先生や保護者たち……。
「ちょっと、なに仕切ってるの、
「まあまあ、日向、そう目くじら立てない。眼鏡美人が台無しだぜ」
「ななっ……」
弥太郎の何気ない言葉に、日向さんが顔を赤くして、口をパクパク言わせながら、耳たぶまで熟れたリンゴのように染まる。
「ははっ、照れてやがる。可愛いやつだな」
「かっ、からかわないでよね!
「アイサ、
日向さんの隣にいた、身長二メートルほどの巨人がゆっくりと立ち上がた。
筋肉質で褐色な丸刈り男子、田口と呼ばれた部長の出陣だ。
田口は姉御の命令に従い、弥太郎の服の襟首をひょいと掴み、そのままテントの端へと追いやろうとする。
「わっ、何すんだ。このプロテイン野郎?」
「姉御のためなら、エンヤコラ♪」
「おい、いくら筋肉ムキムキだからって、調子に乗んなよ! 最近のモテる男はな、暑苦しいムキムキじゃなくて、涼しげな細マッチョの時代なんだぜ!」
悪態を吐きながらの弥太郎に対し、何食わない顔の筋肉男、田口から担がれて、彼らが視界から、完全に消えたのを認識して、再び、マイクに向き直る日向さん。
「皆様。大変お騒がせいたしました。それではこれから、体育祭を開催いたします!」
彼女の声が合図となり、体育祭は今度こそ、幕を開けたのだった……。
****
「──洋一君、お疲れ様。
マイクから離れて、小休憩をしていた日向さんが、慣れない作業に疲れて、パイプ椅子にグッタリと座っていた俺に、赤色の体育祭のパンフを見せながら訊いてくる。
俺はその紙切れに集中すべく、寄り目にしながら、それを覗きこむ。
「何、洋一君? 勉強のしすぎで目でも悪くした?」
「ああ、昼夜問わず、電子書籍の官能小説ばかり読んでいるからな。赤裸々《せきらら》な内容さながら、画面からの光はブルーライト様々だ」
「……君、女の子相手に、そのセクハラ発言癖は止めた方がいいよ」
「何だ、お前、ボクっ子キャラなのに女だったのか?」
「勝手にキャラ設定を変更しないでよ。ボクだって……」
「ほら、そのボクと名乗るのが、青汁並みにマズかったりするのさ」
「……あの、その青汁関係ないよね?」
「青汁イコール不味いだろ」
「だから、そうじゃなくて、次の借り物障害物走の競技には参加するんだよね?」
「……フッ、俺はこの日のために毎日ジムに通いつめ、ベンチプレスを繰り返し、究極の逆三角形でもある、肉体美を手に入れた。もはや、この俺は誰にも
「はあ、洋一君は、たまに不思議君な発言をする人だよね。一体何なのかな……」
日向さんが困ったような表情で、大きなため息をつく。
「では、その肉体を確かめさせてモライマス」
そこへ、あの弥太郎を運び終えた筋肉部長が、駆け込みダッシュでやって来て、俺の腹を遠慮なく指で摘まむ。
プニプニ。
「おおっ。この弾けるようなプリンのようなお肉。霜降りのお肉のような肌触りで、食べるのには美味しそうですが、ムキムキとはホドトオイデスネ」
「だから、お前は何なんだよ!」
俺は、その部長の頭に、空手チョップを何発か
「おお、残念です。久しぶりに素敵な逸材に出会えたとオモイマシタノニ……」
「人を生ハムよばりするな」
「おお、生ハムとはオイシソウデスネ」
「いくら弱肉強食でも、人間が人間を食うなっ!」
俺の鋭いツッコミにも動じずに、田口部長はその場にしゃがみこみ、履いている茶色の革靴を、布切れで磨きだすのだった。
──というか体操着に、その革靴は似合わないだろ。
本当、自由人な部長だな……。
****
「さあ、それでは借り物衝撃……ぷぷっ、じゃなかった、借り物障害物走を開始します」
日向さんが競技に参加するためにアナウンスを代わった女子が、何やら俺の方を見て笑っている。
「あの放送部員め、何がおかしいんだよ?」
「いや、おかしいのは洋一君の頭だよ。何でチョンマゲなのさ」
俺は日向さんの言葉で、頭に付いている突起物を触る。
こんなことが出来るのは、あの筋肉野郎しかいない。
アイツめ、油断も隙もない。
俺は、そのチョンマゲのかつらを外そうと
「安心して下さい。台風が襲って来ても外れません。瞬間接着剤でガッチリ固定シマシタデス」
親指を立て、白く整った歯を輝かせながら、マッチョ田口は即座に答えた。
「お前、この期に及んで、ふざけてんのか?」
「二年
「だからって、頭を目立たせてどうする?」
「ああ、やっぱりお着物も着てオメカシシタイト?」
「いらんわ!」
****
俺は周囲の笑いに耐えながらも、何とか選手たちと同じスタートラインに並ぶ。
「洋一君、やるからには勝つよ」
日向さんが眼鏡を外し、その可愛らしい姿に俺の鼓動が揺れる。
「何、じっと見てるのよ?」
「いや、日向さんって、間近で見たら可愛いんだなと思ってさ」
「ふふっ、ボクをおだててるの。何も出ないよ」
日向さんが可愛く笑いながら、二人三脚の紐を結んでいる。
「さあ、行くよ。洋一君」
彼女の顔は活気に満ちていた。
狙うからには一番のみと精を出す彼女に、俺は、どこかしら惹かれるものがあった。
『パアーン!』
ピストルからの空砲音で、俺たち二人は大地を蹴りあげて進んでいく。
「あのチョンマゲ、中々やるじゃん」
「チョンマゲ頑張れ!」
「もし負けたら、武士の情けとして切腹だぞ!」
部外者からのヤジを聞き流しながら、俺たちはトップで日向さんと二人三脚を終える。
ここからは女子から離れ、男子が一人で頑張るルートだ。
飴食いに、パン食いに、ケーキの早食いに、最後には借り物競争。
少々ハードルが高い競技ばかりで、少し不安が
「……大丈夫、洋一君ならやれるよ」
そんな俺の心境を察したのか、日向さんが息を弾ませながら、眼鏡をかけ、俺の背中をポンと押す。
その押され具合に、俺の中にある心の錠前が、カチャリと外れたような気がした。
「うおおおおー!!」
俺はゼンマイのリミッターが弾け飛んだみたいに、狂ったようにトラックを駆けぬける。
日向さんの
飴をかじり、パンに食らいつき、ケーキを
昼飯前で腹が空いていた俺には、好都合な食べ物の項目だ。
しかし、そのイチゴのショートケーキを食べている時、気になることがあった。
確か、前回の体育祭では、この借り物障害物走の競技は、午後に行われるはずだったことに……。
──なぜだろう。
この体育祭のプログラムは、練習当時から決まっていて、基本的には変更はできないはずだ。
何者かが、意図的に仕組んだのだろうか……。
「……まあ、考えても始まらないか」
俺は口元についたクリームを指で拭い、最後の項目の借り物競技へと向かった。