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第19話 裏切りゆえの絶望と憎しみが生んだ行為

◇◆◇◆


「──私は、この学校に転入してきた、あの娘が大好きだった」


 学校の放課後。

 夕暮れの風が、心地よく吹く教室内に二つの影。


 一人が机の上に座り、真顔で向かい側の椅子に座っている、もう一人に何やら話しかけている。


 声からして、男女の声のようだ。


「──なのに、アイツは私から彼女を奪った」

「それだけ弥太郎やたろうは、彼女のことが好きだというわけだね」

「ああ。どうしたら良いと思うか? 実里みのり


 実里と呼ばれた女子は、しばらく悩んだのちに口を開く。


「大丈夫。アイツはああ見えて、裏では大の女好きみたいだよ。今は放送委員の看板娘でもある、日向夏紀ひゅうがなつきにベッタリだよ」

「そうか、そんな風には見えないけどな」

「だから可憐かれんも気づいてくれるよ。わたしからもさぐりも入れてみるからさ」

「ああ、すまないな」


 ──そう、実里と約束をしたはすだった。

 だが、彼女はすぐには行動には移さなかった。


 ──その結果、はらわたが煮えくり返った私が、第一線で動き出すことにした。


 私は家が富豪な雷土いかづち財閥のお金持ちなのを利用して、彼、大平洋一おおひらよういちに様々な弊害へいがいを起こそうと、作戦をくわだてた。


 だが、普通に犯行に及べば、犯罪行為となり、いくらお金持ちで金を積んでも、逮捕されることは確かだ。


 それに、これまで信頼の規模を塗り固めてきた、私の親の顔を汚したくもなかった。


 可憐の祖母のように、警察の組織と裏で繋がっていて、事件を隠ぺいできたらいいものだが……。


「……待てよ、私の財閥の繋がりで、元警察官をやっていた者がいたな」


 ──思い立ったが、吉日。

 スマホで何やら電話をかける弥太郎。


「もしもし、弥太郎だけど……」


 ──その相手は小一時間で飛んだようにやって来た。


 茶色の薄汚れた作業服に、頭にはねじりハチマキの二十歳くらいの男性。

 見たところ、土木作業員に見えなくもない。


 その男性が大きなトラックから下りてきて、弥太郎と熱い握手を交わす。


「久しぶりだな。何だよ、いきなり呼びつけてどうかしたか?」

加瀬斗かせと、呼び出してすまないが、一つ頼みごとを聞いてくれないか?」

「何だよ、また女絡みか? いい加減落ち着いて、人生のパートナーを探せって」


 加瀬斗がロン毛の茶髪を指でかきあげながら、呆れた素振りをする。


「いや、小さい頃に出会った記憶がある女だ。アイツは私からその女を奪った」

「そうか。何か、今回はみたいだな……」


 ポケットから煙草を出して、おもむろに一服する加瀬斗。


「……で、目をつけたのは、弥太郎の兄ちゃんが先だったわけだ」

「そう、彼女は親の都合で転入してきたんだ。私のいる高校に……」

「そりゃ、運命の出会いじゃないか?」

「そう。だが、陽氏可憐ようしかれんは、私のことをすっかり忘れていた……。私からの告白を受けていたのを……」

「なるほど。そりゃ不憫な話だな」


 加瀬斗がうんうんと納得しながら、持ち前の携帯灰皿のフタに煙草をもみ消して、その闇の中へと捨てる。


「そこへ大平洋一という男が現れた。私の知り合いの実里の話では、ヤツも小さい頃に可憐と出会い、告白をしていたらしい」

「何だって? どっちともとんでもないな……」


「……いいか、あいつは不甲斐ふがいなき女だ」


 途端に、弥太郎の口ぶりが冷徹れいてつに変化する。


 俺が過去に聞いた、姿が影で知れなかった者の声色こわいろとピッタリと一致した。


 どうやら弥太郎は状況に応じて、喋り方を変えれるタイプらしい。


 あの声はヘリウムガスからの声ではなかったようだ。

 恐るべき声量の持ち主だ。


「……だから彼女を問題なく消せ」

「それで報酬はいくら出す?」


 加瀬斗が両手を握り、はきはきとした態度で答えを求めてくる。


「そうだな……」


「……ちょっと待て、ネズミが入り込んでいるみたいだ」


 弥太郎が蝶になった俺の方へ振り向き、俺の羽を掴もうとする。


 その動きを前回のパターンで予測した俺は、彼の手掴みを素早くかわした。


「ははっ、面白い動きをする蝶だな」


 弥太郎が俺に伸ばしていた手を引っ込める。


「やっぱり私の気のせいだな。こんな虫に細工があるとは思えないしな。

──すまんな、それでだが……」


 俺の方から離れて、再び、加瀬斗と共に語り出す弥太郎。


 今、非常に危なかった。

 蝶さながら、心の芯まで体が凍りつく感覚を味わった。


 だけど今回は、何とか殺されずに済んだみたいだった。


 多少、不穏ながらも前回の記憶に助けられて、ほっとするのだった……。


◇◆◇◆


 ──それから暗闇が視界を支配し、舞台は変化して、殺風景な病院の景色へと切り替わる。


 部屋の片隅で酸素吸引機を着けて眠っている可憐を見るからに、どうやら前回、可憐が弥太郎の計画でトラックの事故に遭い、植物人間になってしまった末路の世界のようだ。


 今まで様々な終わりを迎えたが、この場面だけは二度目に見ても、苦痛だった。


 俺は蝶になりながらも、胸が締めつけられるような感情をいだいていた。


「可憐、どうしてこうなったのよ……」


 そんな揺らめく気分の中、実里が嗚咽おえつしながら、眠っている可憐の手を握りしめる姿が嫌でも目に入る。


 その発言からして、弥太郎たちが人為的に起こしたトラックの事件だとは知らないらしい。


「わたしが洋一のことを、あなたに早く話しておけば、洋一と一緒じゃなかったら、こんなことには、ならなかったかも知れなかったのに……」


 実里の流した涙がベッドをじんわりと濡らす。

 彼女は心の底から悲しんでいた。


「あなたはこの状態で彼は何もしないで、無傷なんてありえないじゃない……」


 実里が俺の方を憎い形相ぎょうそうで、今置かれた本心をぶつける。


 だが、その感情の行くあては蝶になった俺ではない。

 この時系列を生きている、人間の向けての怒りの視線だった。


「アンタ、どういうつもりよ!」


 実里が人間の俺に近づき、肉食のライオンのように吠えてかかる。


 第三者の俺は、その言葉の意味を真正面から受けても、やはり何も言えなかった。


 例え、体がなくなり、蝶になったとしても心底から声が出ない。


 原因のタネを知ってしまっても、蝶とは基本的に言葉を喋れない生き物だから。


 この身に何が起ころうと、何も出来ずに、ただ羽ばたくことしか許されない。


 蝶とは何とも非力で、切ない昆虫だろうか……。


「──まったく、余計な手間をかけさせやがって」


 ふと、蝶の俺が思念に囚われて、ボーとしていた時、背後から病室に忍び込んだ男が実里の背中を刺していた。


 その刺した男は半分にやけながら、狂いきった表情をした弥太郎だった……。


「がふっ!?」


 実里が前向きに倒れるのを確認して、後ろから目隠しをされ、刃物で襲われる人間の俺。


 弥太郎は平然とした顔で、人間の俺からも果物ナイフを抜き、寝ている可憐の方へ突き進む。


 このままだと、彼女も被害にあうが、蝶になった俺にはなすすべもない。

 俺は黙ったまま、その結末を受け入れようとした。


「……ちょっと待ちな」


 どこからか、しわがれた老婆の声がする。


 次の瞬間、異次元らしき水溜まりを描いた、円のゲートから光輝く二本の腕が伸び、俺は両羽を掴まれて、その空間へと強引に引きずり込まれた……。


****


「……やれやれ。無茶をしおって」


 デレサが俺を掴み、俺は、またもや緑色の虫かごに閉じ込められた。


「あのまま現場を見ていたら、あんたの小さな蝶の精神に膨大なダメージが入り込み、下手をしたら、蝶のまま消滅していたかもしれんぞ」


 デレサ、間一髪で助かったよ。

 さあ、俺にあのゼリーを食べさせろ。


「それは今はなしじゃ。ちょっとあたいから、あんたに直接聞きたいことがあるんじゃが」


 この機に及んで何だよ……。


「あんた、何のために、この転生を繰り返しとるんじゃ?」


 何のためにって、そりゃあ……。


「好きな娘を守るためかい?」


 ああ、可憐を救いたいんだ。


「それはあんたが身を削ってまでも、超越ちょうえつできることなのかえ?」


 そっ、それは……。


「はっきりと言っておくが、あんたの精神状態は崩壊寸前じゃ。このまま生き死にを繰り返していくと、自我が壊れて肉体はおろか、魂ごとなくなってしまうぞい」


 魂がか?


「そうじゃ。人間はいずれは嫌な記憶を忘れてしまい、新しい情報を手に入れ、古い情報を捨てようとする働きがある。

……じゃが、あんたみたいに過去の記憶をずっと維持したまま、新たな記憶を入れ込んだらどうなるか。

──コップに入った水は減らさないと、いずれは、そのコップから水があふれ出てしまう。脳には許容範囲というものがあるんじゃ」


 それは、恐ろしいな。


「このままじゃと、あんた、近いうちに本当に何もかも壊れるぞい」


「……だから、悪いことは言わん。もうそのまま成仏したまえ」


 いや、そういうわけにはいかない。


「何でじゃ、そうまでして、守りたいやからなのか?」


 ああ、俺の両親が不仲になり、女に対して誤解もしていた俺は、可憐と出会ってから変われた。


 だから少なくとも、彼女には幸せな道を選んであげたいんだ。


 俺が、彼女を幸せにしてやりたいんだよ。


「そうか。それがあんたが求める愛という形なのか……」


 堪忍した様子のデレサが虫かごの扉を開け、いつものゼリーが入った弁当箱などで使用する、銀のアルミカップを置く。


「そうまで言い張るんじゃったら、あたいはもう何も言わんよ……」


 そうさせてもらう!


 俺が飢えた昆虫の如く、一心不乱にそのゼリーを吸い込むと、虫かごが弾け飛び、人間の姿に戻った俺の右腕が光輝き、その右腕にⅢと数字が書かれた蝶の紋章が浮かび上がった。


「あと、やり直せるのも三回か……」

「そうじゃな。じゃが、さっきも言った通り、五体満足で、その回数をやり直せるのとは限らんわい。少なくとも、その数字は目安じゃ」

「ああ、気をつけるよ」


「大方、犯人の黒星はついたんじゃろ。焦らずに慎重にな。くれぐれも行動には気をつけるんじゃぞ」

「ありがとな、デレサ」

「そんなお礼は、あんたらが幸せになってから、言ってもらいたいもんじゃの」

「ちえっ、余計なお世話だぜ」

「そんな余裕が言えるのなら、大丈夫じゃな。頑張りな」

「ういっす!」


 俺が再び人の形となり、雲のようなフワフワとした不思議な空間を下りていく。


 デレサの哀愁あいしゅうの漂う、後ろ姿を後にしながら、この場を立ち去った……。

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