目的地である北の教会へ、リュウセイとアルテミスはようやく辿り着いた。
その正面、荘厳な扉の前に——一人の女性が立っていた。
眼鏡の奥の瞳は落ち着きと知性を湛え、控えめな微笑みを浮かべている。
「……アルテミスの親、か?」
リュウセイは手を柄に添えたまま、慎重に問いかける。
「正確には——開発者よ。」
女性——星野は穏やかな声で答えた。
「安心して。私は運営の人間だけど、あなたたちの敵じゃない。」
その声音には、不思議と人を安心させる温度があった。
リュウセイは無表情を保ちながらも、わずかに肩の力を抜く。
「……ホシノ」
アルテミスが、かすれるような声でその名を呼んだ。
星野はそっと歩み寄り、ためらいなくアルテミスの頭に手を置く。
「アルテミス……よく頑張ったわね」
それは血の繋がりこそなくとも、まるで母が娘を労うような、柔らかな手つきだった。
戸惑いながらも——アルテミスは、その温もりを拒まなかった。
「……教えてください」
リュウセイが低く口を開く。
「あなたのこと、アルテミスのこと……そして、この世界——ゲームのことを」
その眼差しには、確かな決意が宿っていた。
「俺も、持っている情報を話します」
星野はしばしリュウセイを見つめ、やがて静かに頷いた。
「わかったわ」
深く息をつき、遠い記憶を探るように視線を逸らす。
「アルテミスが生まれるまでの経緯と、私たち運営に何があったのか……全部話しましょう」
そして、わずかに表情を引き締めて続ける。
「でも私も知りたい。——なぜあなたは、過去を捨ててまでアルテミスを守ろうとしたのか」
静寂が教会を満たす中、重厚な扉が音もなく閉じられた。
交差する想いが、今、初めて真正面から向き合おうとしていた——。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ー半年前ー
『オンラインゲーム【ステラ・ストリア】!』
『史上最大の、奪い合いゲーム!』
『自分だけの能力を作り、他プレイヤーを倒せば——その武器も、アイテムも、能力までも奪える!』
『君だけの組み合わせで、最強の冒険者となれ!』
——ステラ・ストリア開発局。
「……はぁ。かつてアクティブユーザーが50万人いたこのゲームも、今じゃすっかり右肩下がりだな」
会議室の空気は重かった。壁のスクリーンには、容赦なく下降する業績グラフ。職員たちは黙り込み、ため息だけが響く。
「新しいイベントでもやりますか?」
「例えば?」
「困難なミッションを用意して、達成者には賞金を出すとか」
「インパクトが足りないな。もっと“目新しい”何かが必要だ」
沈黙が落ちる。やがて、一人が口を開いた。
「……このゲームで最も評価されている部分は?」
「グラフィック、自由度……それと、AIの性能ですね」
その言葉に、会議室の空気がわずかに変わった。
——AI。人間の知覚や知性を再現する存在。今や当たり前になった技術だが、この会社は特にその分野で突出している。
「AI……そうだ、それだ」
ひときわ鋭い声が響く。
「こんなのはどうだ——」
・・・・・・・
「星野君」
開発局の一室に呼び出されたのは、小柄で眼鏡をかけたスーツ姿の女性だった。
名前は星野。AI開発の第一人者である。
「君はAIの開発に長けているな」
突然の問いに、星野はわずかにたじろぎ、慎重に答えた。
「……はい」
男は机を指先で軽く叩きながら、低く言う。
「新しいAIを作ってほしい。それも——とびきりのやつを」
その声音には、ただの依頼ではない熱と確信が宿っていた。
「とびきり、ですか……具体的には?」
男は口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと言い放つ。
「——『心』を持ったAIだ」
「……『心』を?」
星野は思わず声を上げる。
「ああ。誰かに操作されるキャラクターじゃない。自分で考え、行動し、笑い、泣き、怒る……人間と変わらぬ感情を持つ存在だ。君にそれを作ってもらいたい」
星野は視線を落とし、短く息を吐いた。
「……以前、個人で『心』を持ったAIを作ろうとしました。でも失敗しました。そのAIは——かわいそうな最期を迎えたんです。あの二の舞は、もうしたくありません」
指先に力がこもる。
あの日の喪失感が、今も胸の奥で疼いていた——。
「大丈夫だ。予算は潤沢に用意する。優秀なソフトも機材も揃えよう。必要なら人員もフォローする。——君にしかできないことだ。頼むよ。そしてこれは、人類の文明の発展にも繋がるはずだ」
文明の発展……本当にそうなのか?
それとも——
星野は口を開けず、視線だけを机に落とす。会議室に、時計の針の音が微かに響いた。
「…………わかりました」
そう告げた瞬間、腹の底に重い石を抱えたような感覚があった。
・・・・・・数か月後。
「どうだい、進み具合は?」
軽い調子の声に、星野はデスクから顔を上げた。疲労で霞んだ視界の奥、眼鏡を押し上げながら答える。
「……順調、でしょうか。ベースとなる『感情』は、概ね形になっています」
「そうか。それなら——ひとつお願いがある」
その瞬間、胸の奥に嫌な予感が走る。経験上、“こういうお願い”はロクなことがない。
案の定——。
「AIは、双子にしてほしい!?」
星野は耳を疑った。
「ああ、どうせなら話題になるほうがいいだろう、と上層部がな。ベースができたなら、一人も二人も大差ないはずだ」
言葉を聞き終えるより早く、星野は椅子を蹴るように立ち上がった。
「全然違います! 一人作るだけで限界なのに、二人だなんて……! せめて締め切りを延ばしてください!」
「そういうわけにはいかない。ステラ・ストリアはもうすぐ四周年だ。その節目に間に合わせたい。不十分な部分があっても、定期メンテで修正すれば——」
軽く言ってのける男の顔を見た瞬間、星野は喉の奥が冷たくなるのを感じた。
胸の奥に、絶望がじわりと広がっていった。
そして・・・
ステラ・ストリア内・中心都市ステラ 中央広場
「3、2、1……キラーン☆彡!」
「星々が輝く時間! 『ステラTV』の始まりだよー!」
「記念すべき第50回! そして今日は、ステラ・ストリア4周年!」
「みんな、いつも応援ありがとー!」
中央広場の特設ステージ。
緑色の髪にカジュアルなスーツを着た女性キャラクターが、マイク片手に元気よく叫ぶ。彼女は運営が作成した公式司会キャラクターだ。
ステージの周囲には、多くのプレイヤーアバターが集まり、広場は熱気に包まれていた。
「今日は……超ビッグニュースがあります!」
司会がぐっと前のめりになり、観客の視線を引き寄せる。
「もったいぶっても仕方ないので……さっそくお呼びしましょう!」
眩い光がステージを包み、やがて二つの影が姿を現す。
——二人の少女だった。
「じゃあ、自己紹介からお願いしようかな!」
司会はマイクを一人目の少女に向ける。
「やっほー♪ イリスだよ!」
「……私はアルテミスだ」
金髪ショート向日葵の髪留め 活発な笑顔を見せる、天真爛漫なイリス。
赤髪ロングのツインテール三日月の髪留め 冷静沈着な眼差しを向けるアルテミス。
性格も雰囲気も正反対——だが、不思議とどこか似ていた。
このときのアルテミスは髪で右目を隠しておらず、右手も人間と変わらぬ姿だった。
「なんと、この二人は——『心』を持ったAIなのです!」
司会の宣言に、広場がどよめく。
「人間のように考え、喜び、怒り、悲しみ……感情を持つ存在! それが、このイリスとアルテミス!」
「じゃあまずは——好きなものを聞いてみよう!」
「私はね! カレーが大好き!!」
満面の笑みを浮かべるイリス。
「チョコレート……いや、甘いものなら何でも好きだ」
アルテミスは視線を少し逸らし、控えめに答える。
観客からは「かわいい!」という声やスタンプが飛び交う。
「じゃあ次は——どんな能力が使えるの?」
「私の能力は【影間——」
「——秘密っ!」
アルテミスの言葉を、イリスが勢いよく遮った。
「ちょ、ちょっとイリス……!」
「だって、言っちゃったらつまんないでしょ? 知りたかったら……私たちと戦ってみて♪」
広場が一瞬静まり、すぐにざわめきが広がる。
——確かに、これはただのNPCではない。心を持っている証拠だ。
司会は笑みを浮かべて仕切り直す。
「イリスの言ったとおり、二人と実際に戦うことができます! 一人倒せば賞金50万円、両方倒せば——100万円!」
「はっきり言います! めちゃくちゃ強いです!」
「みんなの挑戦、待ってるよ!」
「……簡単に勝てると思わないことだな」
「ルールを説明します!」
・「一人で挑むもよし!複数人で挑んでもよし!しかし賞金はとどめを刺した冒険者に送ります!!」
・「昼には『アルテミス』が、夜には『イリス』が世界のどこかで徘徊しています。
がんばって探してください!!」
・「一定の範囲内で『武器を抜く』とこの二人は敵とみなして攻撃してきます。
逆に言えば、至近距離であっても武器を抜かなければ攻撃を仕掛けてきません!
腕に自信のない人はそうやってやり過ごしてください!!」
「期限はありません!二人が倒されたら終了です!!」
「明日の明け方、アルテミスが最初に現れます! それでは皆さん、良き旅を!」
大歓声とともに配信は幕を閉じ——広場には、興奮と期待の熱が残った。
―明け方―
「それじゃあ、行ってくる」
「初日でやられたら駄目だよ?」
イリスは、旅立つアルテミスの背を軽く押しながら笑った。
・・・・・・・・・・・
乾いた風が吹く荒野を、アルテミスは淡々と歩く。
その前に——影が立ちはだかった。
「ふははははっ! 俺の名はアース! ランキング4位の冒険者だ!」
「初日で会えるとは運がいい! 早速——ぶっ倒す!」
戦斧が振り上げられた瞬間——。
「状況解析……最適解は」
アルテミスの瞳が一瞬、鋭く細まる。
次の刹那、すれ違いざまに短剣が閃いた。
「……え?」
アースは何が起きたのか理解できぬまま、腹を押さえ崩れ落ちる。
・・・・・・・・・・・
「ぐあああああ!」
「がっ!」
「つ、強い……! 能力すら使っていないのに……!」
襲いかかる冒険者たちを、アルテミスは圧倒的な速度と精度で退けていく。
無駄な動きは一切なく、振り返ればそこに倒れ伏す影が増えているだけだった。
・・・・・・・・・・・
夕暮れ。
気づけば大陸の北の果てまで来ていた。
——そういえば、夜はイリスの番。どうやって交代するのだろう?
「アルテミス……アルテミス!」
耳元で響くような、しかし遠くからのような声。
「イ、イリス……!? どこだ!? 近くにいるのか!?」
周囲を見回すが、揺れる黒い影ばかりで姿は見えない。
「ここだよ!!」
バンッ!
目の前の建物の扉が勢いよく開き、飛び出してきた影——イリス。
「うわぁっ!? ……って、イリスか!」
「あはは♪ びっくりした?」
無邪気に笑う彼女に、アルテミスは大きく息を吐く。だが、その胸の奥にはほんのわずかな安堵が宿っていた。
「イリス……なんでここに? それに、その建物は?」
「ここは教会だよ♪」
「……教会?」
アルテミスは改めて建物を見上げる。
「とりあえず、入って!」
イリスはアルテミスの手を取ると、ためらう間もなく教会の中へと引き込んだ。
軽く眉をひそめながらも、アルテミスは結局逆らわず、重厚な扉の向こうへ足を踏み入れる。
「とりあえず——お疲れ様♡ アルテミス」
イリスは楽しげな声を響かせ、ひらひらと手を振って笑う。
「どうだった? 冒険者たちは」
「別に、どうってことない。全員返り討ちにしてやった」
その即答に、イリスは小さく目を見開き——すぐにくすくすと笑った。
「はは♪ やっぱりアルテミスは強いんだね」
「何言ってる。お前だって、同じくらいの強さに設定されてる」
アルテミスはじろりと視線を向けるが、イリスは気に留める様子もなく、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべている。
「それより——私からも聞かせてくれ。なぜ、こんな都合よく私の行き先にいた?」
イリスは迷いなく答えた。
「うん♪ あの人が連れてってくれたんだよ」
「あの人……?」
イリスが指さした方へ、アルテミスは視線を向ける。
そこから現れたのは、眼鏡をかけ、ローブを纏った魔法使い風の女性だった。
「お前は……?」
問いかけるアルテミスに、女性はふっと柔らかく微笑む。
「この姿で会うのは初めてね。覚えているかしら?」
ゆっくりと歩み寄りながら、彼女は静かに名乗った。
「——私は星野。あなたを生み出した者よ」
アルテミスの瞳が、わずかに揺れる。
「……ホシノ? 少しだけ覚えてる。意識が芽生えたとき、私たちに名前をくれた人だな」
星野は満足げに頷く。
「そこまで覚えてくれていれば十分よ。……配信の時は一緒にいられなくてごめんね。疲労で倒れていて……」
最後の言葉は、照れくさそうな響きを含みながらも、どこか申し訳なさが滲んでいた。
「話が少し逸れたけど、私の能力は【物質転送】よ」
星野は軽く手をかざす。指先に魔法陣のような紋様が淡く浮かび上がった。
「人でも物でも、この世界の好きな場所に移動できる能力。それで、アルテミスのいる場所まで直接飛んだの」
「で、どうせならびっくりさせようと思ってね♪」
話の途中にイリスが割り込み、得意げに笑う。
星野は小さく息を吐き、再び視線をアルテミスへ戻す。
「あなたたちはまだ生まれたばかりのAI。だから私が“親”として、しばらくは面倒を見るわ」
そう言って顎に手を当て、少し考える仕草を見せる。
「まずは、どこを拠点にするかだけど——」
「そこで提案だけど!」
またしてもイリスが割って入った。
「この教会を私たちの家にしようよ!」
「「え!?」」
同時に声を上げるアルテミスと星野。
アルテミスは半ば呆れたようにため息をつく。
「……誰か来たりしないのか?」
「ここって、本来は呪いを解く場所なんだけど、今は『呪い』自体ほとんど存在しないんだって! だからきっと大丈夫!」
かつては、呪いを受けた冒険者が世界各地の教会まで足を運び、治療を受ける必要があった。
だが、その仕様はユーザーに不評で、やがて「呪い」という状態自体が廃止され、この教会だけが取り残されたのだ。
「……確かに、それは悪くないわね。もし冒険者に見つかったら、そのときは別の拠点を探しましょう」
「……ふぁ」
アルテミスの口から、小さな欠伸がこぼれた。
瞳の焦点が徐々にぼやけ、まるで意識が霧の中に沈んでいくようだ。
「なんだ……? 体が重い……動きが鈍くなってきた……」
いつも軽やかなはずの体が、鉛のように沈んでいく感覚。アルテミスは戸惑い、自分の手を見つめた。
「それはね、“眠い”っていうのよ」
星野が静かに答える。
「あなたたちAIは学習や情報の整理に膨大なエネルギーを使うから、日没と日の出の時間帯に睡眠と起床をするように設定してあるの」
力が抜け、膝が折れそうになるアルテミスを、星野がそっと支える。
「そろそろ交代の時間ね」
彼女はイリスへと向き直る。
「イリス、準備はいい?」
「大丈夫♪ まっかせて!」
イリスは勢いよく胸を叩き、笑顔を見せた。
「じゃあ、世界のどこかに飛ばすわ。頑張ってきてね」
星野が手をかざすと、イリスの周囲に淡い光が集まり始める。
「朝になったら迎えに行くわ……」
光が収束し、イリスの姿は音もなく消えた。
静寂が訪れる中、星野はアルテミスを教会の長椅子に横たえる。
人間とAI——。
奇妙で、けれど温かな日々が、しばらく続いていった。