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4章

第11話 開発

目的地である北の教会へ、リュウセイとアルテミスはようやく辿り着いた。


その正面、荘厳な扉の前に——一人の女性が立っていた。

眼鏡の奥の瞳は落ち着きと知性を湛え、控えめな微笑みを浮かべている。


「……アルテミスの親、か?」

リュウセイは手を柄に添えたまま、慎重に問いかける。


「正確には——開発者よ。」

女性——星野は穏やかな声で答えた。


「安心して。私は運営の人間だけど、あなたたちの敵じゃない。」

その声音には、不思議と人を安心させる温度があった。

リュウセイは無表情を保ちながらも、わずかに肩の力を抜く。


「……ホシノ」

アルテミスが、かすれるような声でその名を呼んだ。


星野はそっと歩み寄り、ためらいなくアルテミスの頭に手を置く。

「アルテミス……よく頑張ったわね」

それは血の繋がりこそなくとも、まるで母が娘を労うような、柔らかな手つきだった。


戸惑いながらも——アルテミスは、その温もりを拒まなかった。


「……教えてください」

リュウセイが低く口を開く。

「あなたのこと、アルテミスのこと……そして、この世界——ゲームのことを」

その眼差しには、確かな決意が宿っていた。


「俺も、持っている情報を話します」

星野はしばしリュウセイを見つめ、やがて静かに頷いた。


「わかったわ」

深く息をつき、遠い記憶を探るように視線を逸らす。


「アルテミスが生まれるまでの経緯と、私たち運営に何があったのか……全部話しましょう」

そして、わずかに表情を引き締めて続ける。

「でも私も知りたい。——なぜあなたは、過去を捨ててまでアルテミスを守ろうとしたのか」


静寂が教会を満たす中、重厚な扉が音もなく閉じられた。

交差する想いが、今、初めて真正面から向き合おうとしていた——。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ー半年前ー


『オンラインゲーム【ステラ・ストリア】!』

『史上最大の、奪い合いゲーム!』

『自分だけの能力を作り、他プレイヤーを倒せば——その武器も、アイテムも、能力までも奪える!』

『君だけの組み合わせで、最強の冒険者となれ!』


——ステラ・ストリア開発局。


「……はぁ。かつてアクティブユーザーが50万人いたこのゲームも、今じゃすっかり右肩下がりだな」

会議室の空気は重かった。壁のスクリーンには、容赦なく下降する業績グラフ。職員たちは黙り込み、ため息だけが響く。


「新しいイベントでもやりますか?」

「例えば?」

「困難なミッションを用意して、達成者には賞金を出すとか」

「インパクトが足りないな。もっと“目新しい”何かが必要だ」


沈黙が落ちる。やがて、一人が口を開いた。

「……このゲームで最も評価されている部分は?」

「グラフィック、自由度……それと、AIの性能ですね」


その言葉に、会議室の空気がわずかに変わった。

——AI。人間の知覚や知性を再現する存在。今や当たり前になった技術だが、この会社は特にその分野で突出している。


「AI……そうだ、それだ」

ひときわ鋭い声が響く。

「こんなのはどうだ——」


・・・・・・・


「星野君」

開発局の一室に呼び出されたのは、小柄で眼鏡をかけたスーツ姿の女性だった。

名前は星野。AI開発の第一人者である。


「君はAIの開発に長けているな」

突然の問いに、星野はわずかにたじろぎ、慎重に答えた。

「……はい」


男は机を指先で軽く叩きながら、低く言う。

「新しいAIを作ってほしい。それも——とびきりのやつを」


その声音には、ただの依頼ではない熱と確信が宿っていた。

「とびきり、ですか……具体的には?」


男は口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと言い放つ。

「——『心』を持ったAIだ」


「……『心』を?」

星野は思わず声を上げる。


「ああ。誰かに操作されるキャラクターじゃない。自分で考え、行動し、笑い、泣き、怒る……人間と変わらぬ感情を持つ存在だ。君にそれを作ってもらいたい」


星野は視線を落とし、短く息を吐いた。

「……以前、個人で『心』を持ったAIを作ろうとしました。でも失敗しました。そのAIは——かわいそうな最期を迎えたんです。あの二の舞は、もうしたくありません」


指先に力がこもる。

あの日の喪失感が、今も胸の奥で疼いていた——。


「大丈夫だ。予算は潤沢に用意する。優秀なソフトも機材も揃えよう。必要なら人員もフォローする。——君にしかできないことだ。頼むよ。そしてこれは、人類の文明の発展にも繋がるはずだ」


文明の発展……本当にそうなのか?

それとも——


星野は口を開けず、視線だけを机に落とす。会議室に、時計の針の音が微かに響いた。


「…………わかりました」

そう告げた瞬間、腹の底に重い石を抱えたような感覚があった。


・・・・・・数か月後。


「どうだい、進み具合は?」

軽い調子の声に、星野はデスクから顔を上げた。疲労で霞んだ視界の奥、眼鏡を押し上げながら答える。


「……順調、でしょうか。ベースとなる『感情』は、概ね形になっています」

「そうか。それなら——ひとつお願いがある」


その瞬間、胸の奥に嫌な予感が走る。経験上、“こういうお願い”はロクなことがない。


案の定——。


「AIは、双子にしてほしい!?」


星野は耳を疑った。


「ああ、どうせなら話題になるほうがいいだろう、と上層部がな。ベースができたなら、一人も二人も大差ないはずだ」


言葉を聞き終えるより早く、星野は椅子を蹴るように立ち上がった。

「全然違います! 一人作るだけで限界なのに、二人だなんて……! せめて締め切りを延ばしてください!」


「そういうわけにはいかない。ステラ・ストリアはもうすぐ四周年だ。その節目に間に合わせたい。不十分な部分があっても、定期メンテで修正すれば——」


軽く言ってのける男の顔を見た瞬間、星野は喉の奥が冷たくなるのを感じた。

胸の奥に、絶望がじわりと広がっていった。


そして・・・


ステラ・ストリア内・中心都市ステラ 中央広場


「3、2、1……キラーン☆彡!」

「星々が輝く時間! 『ステラTV』の始まりだよー!」

「記念すべき第50回! そして今日は、ステラ・ストリア4周年!」

「みんな、いつも応援ありがとー!」


中央広場の特設ステージ。

緑色の髪にカジュアルなスーツを着た女性キャラクターが、マイク片手に元気よく叫ぶ。彼女は運営が作成した公式司会キャラクターだ。

ステージの周囲には、多くのプレイヤーアバターが集まり、広場は熱気に包まれていた。


「今日は……超ビッグニュースがあります!」

司会がぐっと前のめりになり、観客の視線を引き寄せる。

「もったいぶっても仕方ないので……さっそくお呼びしましょう!」


眩い光がステージを包み、やがて二つの影が姿を現す。

——二人の少女だった。


「じゃあ、自己紹介からお願いしようかな!」

司会はマイクを一人目の少女に向ける。


「やっほー♪ イリスだよ!」

「……私はアルテミスだ」


金髪ショート向日葵の髪留め 活発な笑顔を見せる、天真爛漫なイリス。

赤髪ロングのツインテール三日月の髪留め 冷静沈着な眼差しを向けるアルテミス。

性格も雰囲気も正反対——だが、不思議とどこか似ていた。


このときのアルテミスは髪で右目を隠しておらず、右手も人間と変わらぬ姿だった。


「なんと、この二人は——『心』を持ったAIなのです!」

司会の宣言に、広場がどよめく。

「人間のように考え、喜び、怒り、悲しみ……感情を持つ存在! それが、このイリスとアルテミス!」


「じゃあまずは——好きなものを聞いてみよう!」


「私はね! カレーが大好き!!」

満面の笑みを浮かべるイリス。


「チョコレート……いや、甘いものなら何でも好きだ」

アルテミスは視線を少し逸らし、控えめに答える。


観客からは「かわいい!」という声やスタンプが飛び交う。


「じゃあ次は——どんな能力が使えるの?」


「私の能力は【影間——」

「——秘密っ!」


アルテミスの言葉を、イリスが勢いよく遮った。

「ちょ、ちょっとイリス……!」

「だって、言っちゃったらつまんないでしょ? 知りたかったら……私たちと戦ってみて♪」


広場が一瞬静まり、すぐにざわめきが広がる。

——確かに、これはただのNPCではない。心を持っている証拠だ。


司会は笑みを浮かべて仕切り直す。

「イリスの言ったとおり、二人と実際に戦うことができます! 一人倒せば賞金50万円、両方倒せば——100万円!」


「はっきり言います! めちゃくちゃ強いです!」


「みんなの挑戦、待ってるよ!」

「……簡単に勝てると思わないことだな」


「ルールを説明します!」

・「一人で挑むもよし!複数人で挑んでもよし!しかし賞金はとどめを刺した冒険者に送ります!!」


・「昼には『アルテミス』が、夜には『イリス』が世界のどこかで徘徊しています。

がんばって探してください!!」


・「一定の範囲内で『武器を抜く』とこの二人は敵とみなして攻撃してきます。

逆に言えば、至近距離であっても武器を抜かなければ攻撃を仕掛けてきません!

腕に自信のない人はそうやってやり過ごしてください!!」


「期限はありません!二人が倒されたら終了です!!」


「明日の明け方、アルテミスが最初に現れます! それでは皆さん、良き旅を!」


大歓声とともに配信は幕を閉じ——広場には、興奮と期待の熱が残った。



―明け方―


「それじゃあ、行ってくる」

「初日でやられたら駄目だよ?」

イリスは、旅立つアルテミスの背を軽く押しながら笑った。


・・・・・・・・・・・


乾いた風が吹く荒野を、アルテミスは淡々と歩く。

その前に——影が立ちはだかった。


「ふははははっ! 俺の名はアース! ランキング4位の冒険者だ!」

「初日で会えるとは運がいい! 早速——ぶっ倒す!」


戦斧が振り上げられた瞬間——。


「状況解析……最適解は」

アルテミスの瞳が一瞬、鋭く細まる。


次の刹那、すれ違いざまに短剣が閃いた。

「……え?」

アースは何が起きたのか理解できぬまま、腹を押さえ崩れ落ちる。


・・・・・・・・・・・


「ぐあああああ!」

「がっ!」

「つ、強い……! 能力すら使っていないのに……!」


襲いかかる冒険者たちを、アルテミスは圧倒的な速度と精度で退けていく。

無駄な動きは一切なく、振り返ればそこに倒れ伏す影が増えているだけだった。


・・・・・・・・・・・


夕暮れ。

気づけば大陸の北の果てまで来ていた。

——そういえば、夜はイリスの番。どうやって交代するのだろう?


「アルテミス……アルテミス!」

耳元で響くような、しかし遠くからのような声。


「イ、イリス……!? どこだ!? 近くにいるのか!?」

周囲を見回すが、揺れる黒い影ばかりで姿は見えない。


「ここだよ!!」


バンッ!

目の前の建物の扉が勢いよく開き、飛び出してきた影——イリス。

「うわぁっ!? ……って、イリスか!」

「あはは♪ びっくりした?」


無邪気に笑う彼女に、アルテミスは大きく息を吐く。だが、その胸の奥にはほんのわずかな安堵が宿っていた。


「イリス……なんでここに? それに、その建物は?」

「ここは教会だよ♪」


「……教会?」

アルテミスは改めて建物を見上げる。


「とりあえず、入って!」


イリスはアルテミスの手を取ると、ためらう間もなく教会の中へと引き込んだ。

軽く眉をひそめながらも、アルテミスは結局逆らわず、重厚な扉の向こうへ足を踏み入れる。



「とりあえず——お疲れ様♡ アルテミス」

イリスは楽しげな声を響かせ、ひらひらと手を振って笑う。


「どうだった? 冒険者たちは」


「別に、どうってことない。全員返り討ちにしてやった」


その即答に、イリスは小さく目を見開き——すぐにくすくすと笑った。

「はは♪ やっぱりアルテミスは強いんだね」


「何言ってる。お前だって、同じくらいの強さに設定されてる」

アルテミスはじろりと視線を向けるが、イリスは気に留める様子もなく、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべている。


「それより——私からも聞かせてくれ。なぜ、こんな都合よく私の行き先にいた?」


イリスは迷いなく答えた。

「うん♪ あの人が連れてってくれたんだよ」


「あの人……?」


イリスが指さした方へ、アルテミスは視線を向ける。

そこから現れたのは、眼鏡をかけ、ローブを纏った魔法使い風の女性だった。


「お前は……?」

問いかけるアルテミスに、女性はふっと柔らかく微笑む。


「この姿で会うのは初めてね。覚えているかしら?」

ゆっくりと歩み寄りながら、彼女は静かに名乗った。


「——私は星野。あなたを生み出した者よ」


アルテミスの瞳が、わずかに揺れる。

「……ホシノ? 少しだけ覚えてる。意識が芽生えたとき、私たちに名前をくれた人だな」


星野は満足げに頷く。

「そこまで覚えてくれていれば十分よ。……配信の時は一緒にいられなくてごめんね。疲労で倒れていて……」


最後の言葉は、照れくさそうな響きを含みながらも、どこか申し訳なさが滲んでいた。


「話が少し逸れたけど、私の能力は【物質転送】よ」


星野は軽く手をかざす。指先に魔法陣のような紋様が淡く浮かび上がった。


「人でも物でも、この世界の好きな場所に移動できる能力。それで、アルテミスのいる場所まで直接飛んだの」


「で、どうせならびっくりさせようと思ってね♪」

話の途中にイリスが割り込み、得意げに笑う。


星野は小さく息を吐き、再び視線をアルテミスへ戻す。

「あなたたちはまだ生まれたばかりのAI。だから私が“親”として、しばらくは面倒を見るわ」


そう言って顎に手を当て、少し考える仕草を見せる。

「まずは、どこを拠点にするかだけど——」


「そこで提案だけど!」

またしてもイリスが割って入った。


「この教会を私たちの家にしようよ!」


「「え!?」」

同時に声を上げるアルテミスと星野。

アルテミスは半ば呆れたようにため息をつく。


「……誰か来たりしないのか?」


「ここって、本来は呪いを解く場所なんだけど、今は『呪い』自体ほとんど存在しないんだって! だからきっと大丈夫!」


かつては、呪いを受けた冒険者が世界各地の教会まで足を運び、治療を受ける必要があった。

だが、その仕様はユーザーに不評で、やがて「呪い」という状態自体が廃止され、この教会だけが取り残されたのだ。


「……確かに、それは悪くないわね。もし冒険者に見つかったら、そのときは別の拠点を探しましょう」


「……ふぁ」

アルテミスの口から、小さな欠伸がこぼれた。

瞳の焦点が徐々にぼやけ、まるで意識が霧の中に沈んでいくようだ。


「なんだ……? 体が重い……動きが鈍くなってきた……」

いつも軽やかなはずの体が、鉛のように沈んでいく感覚。アルテミスは戸惑い、自分の手を見つめた。


「それはね、“眠い”っていうのよ」

星野が静かに答える。


「あなたたちAIは学習や情報の整理に膨大なエネルギーを使うから、日没と日の出の時間帯に睡眠と起床をするように設定してあるの」


力が抜け、膝が折れそうになるアルテミスを、星野がそっと支える。

「そろそろ交代の時間ね」


彼女はイリスへと向き直る。

「イリス、準備はいい?」


「大丈夫♪ まっかせて!」

イリスは勢いよく胸を叩き、笑顔を見せた。


「じゃあ、世界のどこかに飛ばすわ。頑張ってきてね」

星野が手をかざすと、イリスの周囲に淡い光が集まり始める。


「朝になったら迎えに行くわ……」


光が収束し、イリスの姿は音もなく消えた。

静寂が訪れる中、星野はアルテミスを教会の長椅子に横たえる。


人間とAI——。

奇妙で、けれど温かな日々が、しばらく続いていった。

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