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TRACK・4

第21話 君のゴーストノートを聞かせて

 前に入院したときと違い、陽葵の容態はすぐには安定しなかった。


 退院はおろか、面会さえできない。

 由依の話によると、まだ透過現象が治まらず、体の不調が続いているらしい。


 俺にできることは何もなかった。

 毎度のことながら、こういうとき、自分の無力さを嫌というほど痛感する。


 待つことしかできないのが、本当に苦しくて、悔しかった。



 ◆



 陽葵の回復を待つ日々を送るうちに、夏休みに突入した。


 七月某日。俺は陽葵が入院している例の病院にやってきた。ようやく容態が安定し、面会できるようになったらしい。


 なお、由依は今朝のうちに面会を済ませて来たそうだ。陽葵と会ったら泣いてしまうから、俺と行くのは恥ずかしいのだとか。気持ちはわかる。俺も今から泣いてしまいそうだから。


 陽葵が入院している病室の前まできた。五〇五号室。前と同じ病室だった。


 俺はドアをノックした。


「陽葵。お見舞いに来たよ。開けてもいいか?」

「待ってました! どうぞ入って!」


 いつかと同じように明るい声が返ってきた。

 それが空元気でないことを祈りつつ、病室に入る。


 病室の雰囲気は前と同じだった。違うのは二点。

 窓から射し込む陽光が、夏らしく眩しいこと。

 そして、点滴の他に見慣れない謎の装置が増えていることだ。


「おいっす! 心配かけてごめんね!」


 上体を起こし、笑顔でそう言う陽葵。例によってパジャマ姿だ。


 ……気づいてしまった。


 陽葵の体が、以前よりも痩せ細っていることに。


「陽葵……もう容態は大丈夫なのか?」


 俺が心配そうに尋ねると、陽葵は首を左右に振った。


「ううん。大丈夫じゃないみたい」

「えっ?」


 大丈夫じゃ、ない……?


 俺は陽葵の次の言葉を泣きたい気持ちで待つ。


 しばらくして、陽葵は笑った。



「お医者さんが言ったの。私、もうあまり長くないんだって」



 遠くのほうで力いっぱいセミが鳴いている。

 夏なのに寒気がして、体の内側が冷たい。この病室だけ季節外れの冬みたいだ。


「……それって、消えちゃうってこと?」


 俺はかろうじて声を絞り出した。


「うん。足、治らなくて。今は掛け布団で隠しているけど、ずっと消えたままなの」

「……嘘だ」

「そんな顔しないで、三崎くん。足がなくても演奏はできるから――」

「嘘、つかないでくれよ」

「えっ? 何それ。ひどいなぁ」


 陽葵は困ったように笑った。

 やめてくれ。そんな痛々しい笑顔、見たくないよ。


「全部本当のことだよ。私がもうすぐ消えちゃうのも、足がなくても演奏できることも」

「じゃあ、その笑顔もかよ」

「えっ……?」

「強いフリはしなくていい。前にそう言ったじゃないか。辛いときは泣いてもいいんだ……俺たち仲間だろ」

「三崎くん……ずるいよ」


 陽葵の顔が見る見るうちに歪んでいく。


「私だって笑ってなんかいたくない! 本当は泣いていたい! でも、不幸な私が泣いたら、君が笑えないじゃん! 大切な人を悲しませたくないじゃん!」


 陽葵は泣きながら本音を叫んだ。


 俺はそれを黙って受け止める。


「三崎くんと出会ってから、生きたいって思っちゃったんだよ! 君と一緒に音楽を続けたいって! 青春したいって! それくらい、君は私の中で大事な人なんだからっ!」


 ばんっ、とベッドを叩く音が室内に響く。


「一緒にいたら楽しくて! 演奏したら胸が熱くなって! あの日のデートだって、私にとっては特別な思い出なの! それとも何!? 君は私のこと、大切に想ってないの!?」

「陽葵のこと、一番大切に想ってる」

「だったら……えっ?」


 不意に陽葵の声が止んだ。

 たぶん、俺が泣いているからだ。


「俺だって失いたくないよ……もっと陽葵と一緒にいたい」

「三崎くん……」

「わかってくれ。大切に想っているからこそ、君の辛そうな笑顔を見るのが辛いんだ」

「でも、そしたら三崎くんは……」

「悲しいけど、悲しくない。俺は陽葵が安心できる居場所になりたいんだ。だから……最後までそばにいさせてくれ」

「そんな嬉しいこと言わないでよ……頼っちゃうじゃんかぁ……!」


 陽葵は嗚咽を漏らし、痩せた矮躯を震わせた。

 頼りない姿になった陽葵を見て、俺の涙も止まらなくなる。


 どうして俺は泣いている?

 仲間を失うのが悲しいから?


 違う。それはきっと、正確な答えではない。

 胸が張り裂けそうなこの痛みの正体に、本当はとっくに気づいている。



 俺は、陽葵のことを好きになってしまったんだ。



 最初は面倒なヤツだと思った。やかましいうえにグイグイくる、俺の苦手なタイプの女子だったから。


 成り行きでバンドに加入すると、俺は陽葵の病気のことを知った。それでもへこたれない君を強いと思った。憧れ始めたのは、この頃だったと思う。


 それから陽葵は俺を変えてくれた。人生は一度きり。言いたいことを言えって。俺の悩みを真剣に聞いて、ぽんと背中を押してくれたんだ。大沢に反論できたときは、なんだか君に近づけた気がして、とても誇らしかったのを覚えている。


 その後、ライブのオーディションに向けて必死に練習した。誰かのために一生懸命になれるなんて、初めてのことだったかもしれない。この頃から、少しずつ君に惹かれていたのだろう。


 決定的だったのは、陽葵とのデートだ。


 あの日の俺は、心のどこかで浮かれていた。もしかしたら、陽葵に異性として意識されているのかも……そんな淡い気持ちを抱いている時点で、惚れていないわけがないだろう。いつも明るくて、笑顔が素敵で、可愛くて、俺のことを支えてくれて……陽葵を好きになるのは自然なことだった。


 観覧車で本音を聞いたとき、君を守りたいと思った。


 同時に、好きになってはいけないのだと自覚した。


 恋愛はできない。もし自分がいなくなったら、残された恋人が辛い思いをする……陽葵がそう言ったからだ。


 だから、俺は自分の恋心に気づかないフリをした。保健室で陽葵のことを考えて、胸が苦しくなったときもそう。好きな人が消えてしまうことが悲しかったのに、それを認めなかった。


 でも、やっぱり無理だよ。

 胸を叩くこの痛みは、どうしても無視できない。


 好きって言えない以上、俺の恋は人知れず散っていくのだろう。

 それがきっと、俺たちの青春のハッピーエンドだ。


「三崎くん……手、握って?」

「……ああ。わかった」


 言われたとおり、陽葵の小さな手を握る。

 パジャマの袖から伸びる腕は針金のように細く、病的なまでに白い。


「ごめんね。自分から握るのすら怖いの……ねえ。私の手、ちゃんとある?」

「大丈夫だ。ちゃんと、ここにある」


 握る手に力を込める。

 生きているよって、伝えるために。


「いつまで握れるのかな? いつまで……三崎くんのそばにいられるのかな?」

「わからない。でも、最後の瞬間までそばにいさせてくれ」

「……ありがとう。最後ついでにワガママ言ってもいい?」

「なんだ?」


 陽葵が俺を見つめる。涙の痕が残る頬はほんのり赤くなっていた。もしかしたら、俺も同じように頬を染めているのかもしれない。だって、好きな人と手を繋ぎ、見つめ合っているのだから。


 無言のまま、俺たちは見つめ合う。


 しばらくして、陽葵は照れくさそうに笑った。


「ごめん。やっぱりなし。恥ずかしいや」

「なんでだよ。言えって」

「だーめ。さすがに無理だってば」

「願い事なら叶えてやるから。俺を信じろ。な?」

「三崎くん……じゃあ、もう一回ライブやりたいな」

「ライブって……それ前にも言ってたぞ?」


 忘れるはずがない。バンド対決後、陽葵が倒れたときに交わした約束だ。


 不思議に思っていると、陽葵は誤魔化すように笑った。


「ふふっ、そうだっけ? じゃあ、あらためて約束してくれる?」

「……まあ、わかったよ。ライブだな? 演奏できるか?」

「うん。ギターは大丈夫だよ。でも、もう歌えそうにないから……最後は君の歌が聞きたいな」

「えっ? 俺がボーカル?」

「嫌なの? 私との約束、破っちゃうの?」


 陽葵は「うるうる」と擬音を声に出し、あざとく泣き真似をした。まったく。調子が戻ったと思ったらすぐこれだ。


「はいはい、わかったよ。歌は俺に任せてくれ」

「ありがとう。ついでに、新曲もお願いしちゃおうかな。歌詞だけじゃなくて曲も作ってくれる? えっと、曲調はね……」

「俺らしい曲だろ? わかってるよ。任せてくれ」

「ふふっ、さすがだね。いつもみたいに、エモいベースでよろしく」


 ――幽霊になる私に、君のゴーストノートを聞かせて?


 陽葵は弾んだ声でそう言った。


 いくらでも弾くよ。

 ゴーストノートを消えていく君に。


 伝えたくても伝えられない、臆病な恋心を隠したまま。


「陽葵……最高の演奏をしような」

「うん。私、がんばるね」


 うなずき、静かに微笑み合う。


 蝉のやかましい鳴き声は、もうだいぶ遠くなっていた。

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