その日の夜。俺は自室で歌詞を考えていた。
テーマは決まっていない。
しいて言うなら『陽葵に捧げる最後の楽曲』だ。
陽葵に贈る言葉が次々と浮かび、それらをノートに書き留める。
たくさんの「ありがとう」が溢れて止まらない。
陽葵への感謝……それは俺の嘘偽りない気持ちだ。
だが、本当にそれでいいのだろうか。
あいつが最後に聞きたいのは、俺からの「ありがとう」だけじゃないはずだ。他にもまだあると思う。
一瞬、告白の言葉が脳裏をよぎる。
「……言えるわけないっての」
陽葵は言っていた。自分が消えるとわかっていながら、恋人なんて作れないって。
そもそも、あっちが俺のことをどう想っているのかもわからないのだ。最後の最後で困惑させるような言葉を投げかけるべきではない。
行き詰まり、ペンを机の上に置く。
こんなとき、どうすれば歌詞が思いつくのだろう。
ふとオーディションで歌詞作りをしていたときのことを思い出す。
あのとき、俺は陽葵からアドバイスをもらい、納得のいく歌詞ができたっけ。
だが、陽葵に聞かせたい曲なのに、本人から助言をもらうわけにもいかない。
……由依に相談してみようか。
彼女は陽葵と付き合いが長い。陽葵に捧げる曲を作るなら、よきアドバイスをくれるはず。
俺はスマホを手に取り、由依に電話をかけた。
『もしもし。三崎くん?』
「ごめん、由依。こんな時間に電話して。今ちょっと話したいんだけど平気?」
『ええ。もしかして、歌詞の相談?』
「えっ? な、なんでわかった?」
『ふふっ。帰り際の三崎くん、すごくやる気に満ちていたから。帰ったら歌詞を考えるんだろうなって思っていたわ』
「バレバレだったか……」
仕方ないだろう。俺はもう陽葵のことで頭がいっぱいなんだ。
『それで? 私は作詞の経験ないんだけど……協力できそうかしら?』
「ああ。実は、書きたいことが多すぎて困っているんだ。そこで由依の意見を聞きたい」
『そう……どんな歌詞を書くつもりなの?』
「最初は陽葵に贈る感謝の気持ちを伝えようと思ったんだ。自己主張もできない俺に変わるきっかけをくれてありがとうとか。俺のベースを好きって言ってくれてありがとうとか」
『素敵じゃない。いいと思うけど?』
「でも、それだけじゃ足りないんだ。俺は……陽葵にたくさんのものを貰いすぎた」
君がいなくなるのが悲しい。
大切な人を失うことが怖い。
もっとたくさんの思い出を作りたかった。
もっと、笑顔が見たかった。
言いたいことはたくさんある。感謝だけでは語り尽くせない。
「俺はどんな想いを曲に込めればいいんだろう……」
『そんなの、もう答えは出ているじゃない』
スマホ越しに由依の呆れたような声が聞こえた。
「答えが出ている……?」
『三崎くんは陽葵にたくさんのものを貰ったって言ったわよね? 何を貰ったの?』
「前を向く強さとか、失うことの怖さとか、仲間がいることの温かさとか、安心できる居場所とか……おい。なんか恥ずかしいんだが?」
『ふふっ。いい感じね。もう答えはすぐそこよ。それらを陽葵から教わったとき、どう思ったの?』
「感謝だったり、悲しみだったり、幸せだったり……」
『そのすべてが、三崎くんの伝えたいことなんじゃないのかしら?』
「えっ? ぜ、全部?」
その発想はなかった。
だが、そんなの一曲に収まるのか?
テーマがぼやけたりするんじゃないか?
俺の心を見透かしたかのように、由依は言った。
『これが最後かもしれない。伝えなきゃ、きっと後悔するわ』
その言葉は、心の中にある靄を払う光のようだった。
由依の言うとおりだ……どうして伝える気持ちを一つにする必要がある?
大切な人に伝えたいこと。そんなのたくさんあって当然だ。
後悔なんてしたくない。
俺の想いをすべてぶつけよう。
「由依。ありがとう。なんとか書けそうだよ」
『お役に立てたならよかったわ……ねえ、三崎くん』
「なんだ?」
『あのね……陽葵を支えてくれて、ありがとう』
声が震えていた。
涙ぐんでいるような、そんな声音だ。
『あなたがいたから、陽葵は強くなれたと思う』
「ううん、それは逆だよ」
『いいえ。逆じゃないわ。あなたが陽葵からもらったように、陽葵もあなたから夢をもらったの。あなたのおかげだわ』
俺のおかげ……?
ふと保健室での陽葵とのやり取りを思い出す。
あのとき、陽葵自身も自分が変われたのは俺のおかげって言っていたな……どういう意味だ?
「なんかよくわからないけど……じゃあ、お互い様だな。礼を言い合うようなことじゃないさ」
『……ふふっ。そうかもしれないわね』
そう言って、由依は笑った。
その後、バンドの思い出話を少しして通話を終えた。
「さて……やるか!」
ノートに向き合い、ペンを走らせる。
陽葵のことを想いながら、感情の赴くままにフレーズを書き留めていく。
楽しいとき。悲しいとき。泣いたとき。音を鳴らしたとき。夕焼け空の下、放課後の帰り道を歩いているとき。人を好きになる気持ちを知ったとき。どのシーンを切り取っても、俺のそばには君がいた。
だから、こんなに胸が熱くなるし、痛いんだ。
涙が頬をすべり落ち、ノートに染みができる。
そこにはちょうど歌詞が書いてあり、滲んで読みにくくなってしまった。
「あっ……」
濡れた文字を心の中で読み返す。
『また明日、会えるかな?』
会いたいな……明日も、明後日も。いつもの音楽室。君の歌声を聴きながら、ゴーストノートを弾いてさ。練習が終わったら、コンビニで買い食いして帰るような、そんな当たり前の青春がしたいんだ。
大切な人のことで胸がいっぱいになる、この想い。
これが、恋なんだ。
俺は涙をこぼしながら、朝まで歌詞を考え続けた。